挑発
「来週、模擬戦が行われます」
ある日の朝、担任のロバート先生が、気だるそうに告げた。
「一年生全員が参加する、魔法の実戦演習だ」
教室が、ざわつく。
「マジで?」
「模擬戦って、あの?」
「誰と戦うんだろう」
生徒たちが、期待と不安の入り混じった表情で囁き合う。
「対戦相手は、当日にランダムで決める」
ロバート先生が、黒板に日時を書く。
「来週の金曜日、実技棟の闘技場でな。まあ、頑張れよ」
そう言って、先生は欠伸をしながら教室を出て行った。
放課後。
お嬢様とリリアは、いつものように訓練場にこもった。
「模擬戦、頑張らないと……!」
お嬢様の声が、扉の向こうから聞こえる。
「……うん、頑張ろう」
リリアの小さな声も。
二人は、真剣に特訓に取り組んでいる。
俺は、またしても訓練場の外だ。
(……また、散策か)
俺は、小さく溜息をつく。
もう学院内は、だいぶ歩き回った。
図書館も、中庭も、講義棟も。
(……今日は、どこへ行こうか)
そんなことを考えながら、廊下を歩いていると――
「あら」
冷たい声が聞こえた。
振り返ると、そこには赤髪の少女が立っていた。
腕を組み、冷たい目でこちらを見ている。
「まだ、いたのね」
「……」
俺は、黙って彼女を見る。
「何よ、その目は」
少女が、眉をひそめる。
「いえ」
俺は、静かに言った。
「あなたが、生徒会長の妹だったとは知りませんでした」
「……!」
少女が、目を見開く。
「なぜ、それを……」
「生徒会長と話す機会がありまして」
「お姉様と!?」
少女が、驚いた顔をする。
そして、すぐに表情を引き締めた。
「……まあ、いいわ。それで、何? 生徒会長の妹だからって、媚びを売りに来たの?」
「いえ」
俺は、首を横に振る。
「一つ、お願いがあります」
「お願い?」
少女が、怪訝そうな顔をする。
「今回の模擬戦で――」
俺は、まっすぐに少女を見る。
「お嬢様と戦っていただけないでしょうか」
「……は?」
少女が、呆れたような声を出す。
「この私が? なんで? あんな落ちこぼれと?」
「お嬢様は、あれから日々特訓されています」
俺は、冷静に言う。
「そして、この度の模擬戦において、相手に相応しいのはあなた様だと、私は思うのです」
「……」
少女が、じっと俺を見る。
「特訓したから、なんなの?」
彼女の声が、少し怒りを帯びる。
「努力が報われるなんて、そんなことはごく一部の人間に与えられた特権なのよ」
少女が、一歩近づく。
「あなたのご主人様のような、才能のない人間がいくら努力したところで――」
「いえ」
俺は、彼女の言葉を遮る。
「そんなことはございません」
「……何?」
「努力が無意味だと言うのなら」
俺は、静かに、だが力強く言った。
「それを証明するのも、あなたの役目でしょう」
「ふん」
少女が、鼻を鳴らす。
「そんな戯言、誰が聞きますか」
そう言って、彼女は背を向ける。
去ろうとする彼女に、俺は言った。
「もしかして――」
「……何よ」
「怖いのですか?」
「……!」
少女が、ピタリと止まる。
「あんなに人を蔑んでおいて、まさか負けるなんてあっては――」
俺は、わざと挑発するように言う。
俺は、少しだけ間を置いた。
「……ローズウェル家の恥になりますよね」
「……もう一度、おっしゃってみなさい」
少女が、ゆっくりと振り返る。
その目には、怒りの炎が燃えている。
「執事如きが、この私に何と!?」
「失言を訂正させていただきます」
俺は、深々と頭を下げる。
「ですが――」
そして、顔を上げる。
「先のお嬢様への侮辱は、どうされますか?」
「……っ」
少女が、言葉に詰まる。
俺は、冷静に彼女を見つめる。
「私は、お嬢様の執事として、お嬢様の名誉を守る義務があります」
「そして、あなた様がおっしゃったこと――」
俺は、静かに続ける。
「『貴族の恥晒し』『無能』」
「それらの言葉を、私は忘れていません」
少女が、俯く。
その肩が、わずかに震えている。
「……分かったわよ」
少女が、顔を上げる。
その目には、強い決意が宿っていた。
「やってやるわ。模擬戦で」
「ありがとうございます」
俺は、頭を下げる。
「あなたのご主人様が、私にやられる様を見ていなさい」
少女が、冷たく言い放つ。
「私は容赦しない。全力で叩き潰してあげるわ」
そう言い残して、少女は去っていった。
俺は、その場に一人残された。
(……これで、舞台は整った)
俺は、小さく息を吐く。
あとは、お嬢様次第だ。
リリアとの特訓が、どこまで実を結んでいるか。
お嬢様の魔力制御が、どこまで成長しているか。
(……頼む、リリア)
俺は、心の中で祈る。
(どうか、お嬢様の魔法を――)
お嬢様が、あの赤髪の少女と戦う。
それは、お嬢様にとって、大きな試練になるだろう。
だが、同時に――
お嬢様が、自分の力を証明するチャンスでもある。
(……信じるしかないな)
俺は、訓練場の方を見る。
扉の向こうで、お嬢様とリリアが頑張っている。
その努力が、報われることを――
俺は、ただ祈るばかりだった。
その夜。
屋敷に戻ったお嬢様は、疲れた様子だったが、どこか晴れやかだった。
「カイト、今日も頑張りました!」
「お疲れ様です、お嬢様」
「リリアが、すごく教えてくれるんです」
お嬢様が、嬉しそうに話す。
「魔力の流れを感じる方法とか、制御のコツとか」
「そうですか」
「はい! だから、模擬戦も頑張れそうです!」
お嬢様の目が、輝いている。
俺は、何も言わなかった。
お嬢様が、あの赤髪の少女と戦うことを。
それは、まだ言わない方がいい。
今は、特訓に集中してもらおう。
「お嬢様」
「はい?」
「模擬戦、楽しみですね」
「はい!」
お嬢様が、満面の笑みを浮かべる。
その笑顔を見て、俺は思う。
(……お嬢様なら、きっと大丈夫だ)
(……信じている)
お嬢様を。
リリアを。
そして、二人の努力を。
俺は、心の中でそう誓った。




