失敗と暴発
学院に入学してから、一ヶ月が経った。
最初の頃の注目は、もうほとんどない。
お嬢様の魔法の実力が明らかになるにつれ、周囲の興味は急速に冷めていった。
「やっぱり、あの討伐は嘘だったんじゃない?」
「もしくは、誰かに手柄を譲ってもらっただけとか」
「落ちこぼれだよね、正直」
そんな囁きが、教室の隅で交わされている。
お嬢様は、それを聞こえないふりをしていた。
だが、俺には分かる。
お嬢様は、傷ついている。
それでも――
「エリアナ!」
「リリア!」
リリアという友達ができたことは、お嬢様にとって大きな救いだった。
二人は、もう名前で呼び合う仲になっている。
リリアは相変わらず口数は少ないが、お嬢様といる時は少し笑顔が増えた。
お嬢様も、リリアといる時は本当に楽しそうだ。
(……少なくとも、一人じゃないんだな)
俺は、二人の姿を見て安心する。
そして今日。
魔法技術測定会が行われることになった。
「今日こそは……!」
お嬢様は、朝から気合が入っている。
「一ヶ月、頑張って練習してきましたもんね」
「はい! 今日こそは、まともに魔法を使ってみせます!」
お嬢様の目には、強い決意が宿っていた。
この一ヶ月、お嬢様は毎晩遅くまで魔法の練習をしていた。
理論書を読み、杖の振り方を何度も確認し、魔力の制御を試みる。
その努力は、俺が一番よく知っている。
(……今日こそは、うまくいってほしい)
俺も、心から願っていた。
測定会は、実技棟の大広間で行われた。
生徒たちが、順番に魔法を披露していく。
「次、リリア・アルテミス」
教師が名前を呼ぶ。
「……はい」
リリアが、前に出る。
「初級魔法、ウィンド・バレッドを」
「……はい」
リリアが、小さく杖を振る。
シュッ。
空気を切り裂く音と共に、風の弾が放たれる。
その弾は、完璧な球形で、真っ直ぐに的に命中した。
「……素晴らしい。完璧だな」
教師が、感心したように頷く。
周囲からも、拍手が起こる。
「さすがリリア……」
「天才だよね」
リリアは、照れくさそうに俯いて、お嬢様の隣に戻ってきた。
「すごいです、リリア!」
お嬢様が、嬉しそうに言う。
「……ありがとう」
リリアが、小さく微笑む。
「次、エリアナ・フォンブルク」
お嬢様の番が来た。
「はい!」
お嬢様が、元気よく前に出る。
その背中には、緊張と期待が滲んでいた。
(……頼む、うまくいってくれ)
俺は、祈るような気持ちで見守る。
「ウィンド・バレッドを」
「はい」
お嬢様が、杖を構える。
深呼吸を一つ。
そして――
「【風弾】!」
魔力が集まる。
風の弾が、形成される。
だが――
「……え?」
周囲から、困惑の声が漏れる。
お嬢様が作り出した風の弾は――とても小さかった。
リリアの半分以下。
いや、三分の一ほどしかない。
「何あれ……?」
「小さくない……?」
「やっぱり、才能ないんじゃ……」
ひそひそと、囁き声が聞こえる。
「……っ」
お嬢様の手が、震える。
(……まずい)
その時。
「もっと……頑張らないと……!」
お嬢様が、さらに魔力を込める。
「フォンブルク、待て――」
教師が止めようとするが、遅かった。
風の弾が、急激に膨れ上がる。
小さかった弾が、みるみるうちに大きくなっていく。
リリアの弾と同じサイズ。
そして、それを超えて――
人の頭ほどの大きさになり――
さらに膨らみ続ける。
樽ほどの大きさ。
人の背丈ほどの大きさ。
「え……? え……?」
お嬢様自身が、驚いて後ずさる。
弾は、もはや巨大な球体となり――
そして、制御を完全に失った。
「――まずい! 全員伏せろ!」
教師が叫ぶ。
だが――
「エリアナ!」
リリアが、咄嗟にお嬢様に向かって走る。
「リリア!?」
その瞬間――
ドォォォンッ!!
風の弾が、大きな音を立てて暴発した。
衝撃波が、広間中に広がる。
生徒たちが、次々と吹き飛ばされる。
「きゃああ!」
「うわああ!」
悲鳴が響く。
俺も、衝撃で後ろに押される。
(……お嬢様!)
煙が晴れると、そこには――
リリアが、お嬢様を庇うように倒れていた。
「リリア! リリア!」
お嬢様が、リリアを揺さぶる。
「……だい、じょうぶ……」
リリアが、弱々しく答える。
だが、その腕からは血が流れていた。
「リリア……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
お嬢様の目から、涙が溢れる。
「医務室だ! 早く運べ!」
教師が指示を出す。
俺は、リリアを抱え上げた。
「お嬢様、参りましょう」
「はい……」
お嬢様が、涙を拭いながら頷く。
医務室。
リリアは、ベッドに横たわっていた。
腕には包帯が巻かれている。
幸い、大きな怪我ではなかった。
「リリア……本当にごめんなさい……」
お嬢様が、リリアの手を握る。
「……大丈夫、だよ」
リリアが、小さく微笑む。
「それより……エリアナの魔法……すごかった……」
「え……?」
「魔力量が……桁違いで……どーんって……」
リリアが、無邪気に手を広げる。
「すごかった……」
「で、でも……リリアを傷つけてしまって……」
お嬢様が、俯く。
「私……魔法を使わない方が良いのでしょうか……」
その声は、震えていた。
「そんなこと――」
リリアが言いかけた、その時。
「これで、はっきりしましたね」
冷たい声が、医務室に響いた。
扉の前に、赤髪の少女が立っていた。
腕を組み、冷たい目でお嬢様を見下ろしている。
「魔力制御もまともにできない人が、中級ダンジョンなど到底無理だということが」
「……っ」
お嬢様が、唇を噛む。
「初級魔法で暴走を起こすなど、この学院始まって以来の醜態ですわ。貴族として、いえ、生徒として恥ずかしくないのですか?」
赤髪の少女が、一歩近づく。
そして、俺を見た。
「そして、あなた」
「……」
「こんな令嬢に仕えているあなたも同罪です。貴族の恥晒しですわ」
「カイトは違います!」
お嬢様が、立ち上がる。
「カイトは何も悪くありません!」
「どうだか」
赤髪の少女が、冷たく笑う。
「仕える者たちの評価は、私たちの評価ですわ」
「あなたが落ちこぼれであるということは――」
彼女は、俺を指差す。
「あなたの執事も、無能だということですのよ」
「違います……!」
お嬢様が、必死に否定する。
「違うのに……!」
その目には、悔し涙が浮かんでいた。
「私が……私がもっと上手く魔法が使えれば……こんなこと言われずに済んだのに……!」
お嬢様が、自分を責める。
「エリアナ……」
リリアが、ベッドから身を起こす。
「大丈夫……私が……」
「リリア?」
「……特訓、しよう」
リリアが、お嬢様の手を握る。
「エリアナの魔力……すごいから……制御を覚えれば……絶対、強くなれる……」
「リリア……」
「だから……一緒に、頑張ろう……?」
リリアの目には、強い意志が宿っていた。
お嬢様は、しばらく黙っていた。
そして――
「……はい」
小さく頷いた。
「頑張ります」
「……うん」
リリアが、微笑む。
赤髪の少女は、それを見て鼻を鳴らした。
「勝手にすればいいですわ」
そう言い残して、医務室を去っていく。
その夜。
屋敷に戻ったお嬢様は、部屋で一人、窓の外を見つめていた。
「お嬢様」
俺が声をかける。
「……カイト」
お嬢様が、振り返る。
その目は、少し赤くなっていた。
「私……やっぱり、才能がないんでしょうか……」
「そんなことは――」
「でも、リリアを傷つけてしまいました」
お嬢様が、俯く。
「みんなにも、迷惑をかけて……」
「お嬢様」
俺は、お嬢様の肩に手を置く。
「リリアさんは、お嬢様の才能に気づいていますよ」
「才能……?」
「はい。魔力量が桁違いだと」
俺は、優しく微笑む。
「制御を覚えれば、必ず強くなれます」
「……本当に、ですか?」
「はい。俺が保証します」
お嬢様が、少し表情を明るくする。
「……頑張ります」
「はい。俺も、全力でお手伝いします」
「ありがとうございます、カイト」
お嬢様が、微笑む。
その笑顔は、まだ少し不安げだが――
それでも、前を向いていた。




