09
翌日、ササラは熱を出した。メルーゼルに拠れば病に掛かっている訳ではないらしく、ここ最近立て続けに面倒事が起こった所為で、気付かぬ内に疲労が溜まっていたのではないかということだった。事前に仕事を任せたいと伝えていたにも拘らず、数日間を無駄にしてしまったササラをメルーゼルは責めず、逆に親身になって看病した。彼女の信頼を得る為であるのは明白だが、だとしても食人鬼がこうも二足獣に構うのは珍しい。家畜に寛容なクシャトカトラですら、もっと距離を置いていた。ササラはメルーゼルの目的達成に賭ける意思の強さを確認し、少なくとも利害が一致している間は信用して良いのではないかと思い始めた。
やがて熱が治まると、ササラは床に臥していた時には忘れていた疑問を思い出した。分不相応な行動への躊躇も再浮上したものの、病み上がりでやや気が緩んでいたササラは、結局メルーゼルに質問をぶつけてしまう。彼は困惑混じりの微笑を浮かべた。だが、ここでも無礼に対する不快感は示さなかった。日頃より頻繁に二足獣と遣り取りするお陰で、その扱いには慣れているのかもしれない。
「ふむ、尤もな疑問ですね」
「はい。浄種様が容易に滅ぼせない程、あの獣達は危険な存在なのかと」
「まあ、確かに脅威と言えば脅威なのでしょうね。兎に角数が多いですし、学習もし続けていますし。しかし、理由は他にもあります。数量調整と肉質の問題です」
「数と質」
ササラは何も考えず相手の言葉を簡素化して呟く。メルーゼルは頷いた。
「先日イツキも話していましたが、二足獣は一度絶滅していますからね。食料が完全に尽きないよう、ある程度は生かしておく必要があるのです。養畜や召喚という方法もありますけれども、万一に備えて別の選択肢も用意しておいた方が良いという考えなんです」
「成程……」
「『肉質』は味や栄養等の話ですね。嗜好、迷信の割合がかなり多いですけれども。畜産物より天然物の方が良いと言う人達が相当数いるのですよ」
「やはり違いはありますか」
「美味い不味いに関しては、僕は味音痴なので分かりませんよ。でも、世間ではそう言われていますね。故に、クシャトカトラの計画に対する反発も大きい訳で。味のみならず、今の所あの計画によって試作された食品では、必要分の栄養素の確保もままならないですしね。もっと先行研究が進んでから公表するべきだったと思うのですが」
メルーゼルは肩を竦めた。獣の如き欲望を抑えきれない同族だけでなく、クシャトカトラをも揶揄する様な態度であったが、その点についてはササラは大して心が動かなかった。些事に気を回している余裕はない、と言った方が良いか。メルーゼルが語った情報は、家畜として生きてきた彼女が知り得なかったものだ。そして、確かに彼の言い分は正論だと思えた。ササラはどう反応すれば良いのか分からなくなる。やがて彼女は「そう、ですか」とだけ返した。
暫し互いに無言となる時間を置いた後、メルーゼルはササラに尋ねた。
「他に質問はありませんか? なければ、貴女にやって頂く仕事の説明に入りたいのですが」
暗い表情で俯いていたササラは、慌てて顔を上げる。
「はい、大丈夫です。余計なお時間を取らせて申し訳御座いません」
「いえいえ、とんでもない。とりあえず、始めさせて頂きますね。ササラさんにお任せしたいのは、先日お話した二足獣用形象機器の動作試験です」
「え、えっと……」
無知なササラは言葉の意味が理解出来ず戸惑う。辛うじて「形象機器」という部分だけは受け取れたので、彼女は壁際に置かれている形象機器の山へ視線を向けた。すると、メルーゼルはまた困った様に笑って説明を続けた。
「新しい道具を作る際には、世間に公表する前に実際に何度か使ってみて、問題がないかどうかを確認するのですよ。問題があれば修正を加えて再試験、なければそのまま世に出すといった流れです。浄種である僕に二足獣用の形象機器は使えませんので、今迄は抵抗組織に渡して試用してもらっていましたが、これからは事前にササラさんにも動作確認を行って頂きたいんです」
与えられた情報を飲み込まんと、ササラは短い時間黙り込んだ。やがて、意味を理解し出すと彼女は慌てる。責任重大な仕事だ。手に負えない、と彼女は思った。
「無理です! 私は形象機器なんて――」
「二足獣なら誰でも使える物を世に出す為に、ササラさんに協力して貰うのですよ」
蒼褪めて首を横に振るササラにメルーゼルは圧を掛ける。そうして相手が畏縮し言葉を詰まらせると、小さな笑声を吐いた後に彼は言った。
「不安がらないで下さい。実行不可能な要求はしていないですよ。適性がない者はどれ程頑張っても目標を達成出来ないもの。身の程を超えた仕事を押し付けて、時間を無駄に消費する愚行は犯しません。それに、貴女はまだクシャトカトラの力になりたいと思っているのでしょう? 貴女が形象機器を使えるようになれば、きっとその願いも叶えられますよ」
「御主人様の?」
ササラの顔から僅かに緊張が抜けた。主人への心酔振りが良く分かる態度だ。メルーゼルは一瞬痛ましさを滲ませた目になるも、眼鏡の位置を直す振りをして誤魔化し、再び笑顔でクシャトカトラを利用した。
「ええ、彼の為です。出来るでしょう?」
「はい!」
幼子の如き快活な声が響く。メルーゼルは一拍沈黙し、然る後に「貴女は素直な家畜ですね。模範的で大変結構です」と述べた。彼は続ける。
「そうだ。先程『要素』という言葉を出しましたが、形象機器の仕組みとも関連するので、少し踏み込んだ内容も伝えておきましょう。浄種を除く全ての動植物は『命素』と呼ばれる視認困難な成分を含有しています。生命の活動や維持に必要な力です。貴女やイツキ達の故郷である世界には概念すら存在しないそうですが、歴史を鑑みるに此方の世界に来てから貴女達の肉体が変化した訳ではなく、まだ発見されていないだけなのでしょう。ともあれ、浄種以外の生物が必要量以下まで命素を失うと、生命活動を停止することとなります」
口元に手を当てて、ササラは暫し俯く。然る後に、彼女は怪訝な表情になって口を開いた。
「浄種様には必要ないと?」
「直接的には。浄種の生命を支えているのは『幻素』です。命素とは別物ですね。また、幻素の一部は浄種の体内で『神秘力』に変換されます。この神秘力とは形象機器の動力ともなっている力です。形象機器が浄種にしか使えないのは、それが理由なのですよ。浄種以外の生物は幻素や神秘力を持っていませんから。では、幻素は一体何処より遣って来るのか。他の生物が命素を獲得する手法と同じで、親や食物から引き継ぎ積み重ね、時には成長させて回しているのか。結論を先に出せば、凡そはそれで正解です。但し、つい今しがた言った通り食物に幻素は含まれない為、間に別の工程を挟みます。即ち――」
メルーゼルは物憂げな視線を部屋の片隅に置かれた形象機器へと送る。彼の顔を眺めていたササラも、釣られて同じ物を見た。
「他の生物が所有する命素を取り込んだ後に、体内で幻素へと変換するのです。間接的には、浄種の生命の動力もまた命素であると言える訳ですね。更に、命素は肉体のみならず精神の活動にも関係しています。つまり命素を最も多く含んでいるのは、浄種の次に知能が高いとされる二足獣ということになるのです。知性を持たない大型動物達も含有量は多いですが、二足獣には及びません。浄種が二足獣を好んで食す最たる理由です」
「二足獣以外もお食べになることは出来るのですね」
「ええ、可能ですよ。効率は悪いですけど。クシャトカトラと食事を共にした経験はありますか? 流石にないか。多分彼、飲み物や付け合わせの野菜等もちゃんと採っている筈ですよ。他にも貴女も良く知る菓子類は、肉入りは殆どありませんが本来は浄種向けの嗜好品ですし」
「存じ上げませんでした」
クシャトカトラの信奉者たる自負は損なわれた。ササラは赤面し俯く。一方、顔の向きを正面に戻したメルーゼルは、相手の心情が掴めず首を傾げた。しかし、大した問題ではないと判断して彼は話を進める。
「ふむ、兎も角そういった事情なんですよ。因みに、遺伝以外で幻素そのものを外部から取り入れると破損する仕様なので、輸血の様な補充の仕方や共食い等を我々は行いません。後の選択肢は倫理的にも問題ですしね。それで形象機器の話に戻りますが、僕の子供達――もとい製作物の中には二足獣から命素を吸い上げる器具と、吸収した命素を幻素に変換、続けて幻素を神秘力へと変換する機構が内蔵されています。浄種が体内で行っている作業を形象機器が代行しているのです。あと、命素吸収量を自動調整する機能も搭載しました。浄種なら自分の意思で制御可能ですが、二足獣には難しい様なので。もし、二足獣が形象機器によって命を落とすとすれば、一番の原因はこの部分の不具合でしょう。悪く言うと、使用者の命を勝手に吸い上げる仕組みですからね」
「な、成程」
難しい話にも慣れ、ササラは即座に顔を青くした。抵抗組織から脱出した際の動きも踏まえると、多少の地頭と度胸はあるのだろう。障害となる程の賢さも困り物だが、理解力が乏し過ぎるのも厄介だ。後者ではなかったことにメルーゼルは安堵し、頬を緩めた。
「もっと意地悪な話をしましょうか。貴女の元学友のイツキについてです。彼女は抵抗組織の中で救世主の様に扱われているんです」
「あの人が?」
「ええ、見えないでしょう? でも、事実です。彼女はね、命素の含有量が突出して高いんです。つまりは長時間の運用や沢山の動力を必要とする高威力の形象機器を使用可能である、と。故郷にいた頃は運動競技の選手だったとか、学力も高かったとか話していましたので、それらが要因となっているのかもしれませんね。ともあれ、彼女は僕の子供達と共に幾つもの戦果を上げています。トルドフィメシス城、派手に壊されたでしょう? あれも彼女の仕業です」
「そんな人だったなんて、思いも寄りませんでした」
人当たりの良さそうなイツキの姿を思い浮かべ、ササラは静かに怒りを表す。騙された気分になる。彼女が犯行現場にいたのはササラも確認していたし、上の立場の人間とは察していたが、精々安全圏で指示か支援を行っているだけだろうと踏んでいた。ところが、まさか実行犯だったとは。あの風光明媚な城を破壊する蛮行に手を染めておきながら、疚しい所がない風を装っていたのは実に許し難いことだ。
メルーゼルは眉間に皺を寄せつつ、また笑った。
「でしょうね。しかし、そんなイツキでも命素の流出量を自力調整する能力は持ちません。もし仮に、形象機器に致死量の命素を吸収する『不具合』が生じたとしても、彼女はそれを拒めない。更にその形象機器が自力で外せなくなる『事故』が重なれば……」
「メルーゼル、様……?」
発言の真意を察して、ササラは冷や汗を流した。二足獣にも友好的な振る舞うが故につい忘れそうになるが、彼の正体は食人鬼にして抵抗組織の敵なのだ。イツキが厄介であればある程、良い印象を抱く筈がない。
「ははは、飽くまで仮定の話ですよ、仮定の。ササラさんに渡す時には事故がないよう細心の注意を払いますし、万一に備えて僕も側で見ていますので、どうか安心して下さい。貴女はクシャトカトラからの預かり物です。大切にしますよ」
「はあ……」
「さて、そろそろ試作品を触ってもらいましょうか。付いて来て下さい」
そう言って立ち上がったメルーゼルは、ササラの警戒心を他所にいそいそと部屋の扉へ向かった。
◇◇◇
移動中、メルーゼルは唐突に「しまった」と呟いて立ち止まった。次に、振り返って背後にいるササラに告げる。
「大事なことを忘れていました。先に身体測定をさせて下さい。これから試作機を操作してもらうに当たり、安全の為に適性の有無や相性を調べたいのと、研究の参考資料としても必要でして」
「畏まりました」
ササラが頷くとメルーゼルは行き先を変え、案内した先の部屋で形象機器らしき金属製の構造物の中へ彼女を放り込んだ。熱を出した時にも同じ道具で色々と調べられたが、健康時の情報も知りたいのだと言う。更には管を繋げられ、血を抜かれ、最後に暗室に閉じ込められて漸く検査は終了した。
「取り敢えずは問題なさそうですね」
調査結果を紙に書き込みながら、メルーゼルは簡潔に言った。詳細は教えてくれない。ササラは少し残念に思ったが、聞いた所できっと理解出来なかったに違いない、と自分を納得させた。
続いて、メルーゼルはササラを物置部屋へと案内した。広さはあるが入口前の一角以外は棚で埋められていた為、体感では非常に狭い。棚に置く程度の物であるから、収納品の殆どは手に持てる大きさだ。しかし数は多く、室内を目の当たりにしたササラは寒気に襲われた。
(これが全部二足獣の……。こんなに沢山の兵器で攻め込まれたら、幾ら浄種様でも無傷では済まないかもしれない)
獣如きに人間が後れを取るとは思いたくないが、兎に角物量が多い上に万が一の事態も有り得る。ササラは胸の前で指を組み、頭の中で主人の名を念じた。
片やメルーゼルは彼女の反応とは真逆で、嬉々として物置を物色し、やがて「あった!」と叫んだ。
「最初はこれにしましょう」
棚の森より姿を現したメルーゼルは、黒く小さな立方体を掲げる。一見してどういった魔法を生み出す形象機器なのかは分からない。ササラは困惑する。
「えっと……」
「この形象機器は魔法を生成しません。練習用です。どういった形象機器であれ、使用者の肉体に大なり小なり負荷を掛けるのが仕様ですから、まずはその状態に慣れてもらいます。初めの内は倦怠感や吐き気があるかもしれませんが、軽度なら我慢して下さい。ああでも、どうしても堪えられなくなったら、ちゃんと言って下さいね。訓練を中止します。そして、命素の流出に慣れてきたら次の段階――形象機器の操作方法について学んでもらいます」
そこでササラは「はい」と相槌を打つ。メルーゼルは釣られて首肯すると、顔を振って彼女に退室を促し、自分も室外に出た。
次の行先は隣室だ。部屋へ入るとメルーゼルはササラを椅子に座らせ、手に持っていた形象機器を机の上に置いた。それから、立ったままササラに呼び掛けた。
「では、触ってみて下さい。ただ触るだけで大丈夫です」
「畏まりました」
手前で一度指が止まるも、意を決してササラは形象機器に触れる。まずは冷たく滑らかな感触があった。見た目通りである。けれども一拍置いて、別の刺激――指の先から何かが抜けていくのを感じ取った。ササラは驚き、弾かれた様に手を離す。既に元凶の形象機器には触れていないのに、指にはまだ鈍い痛みが残っていた。彼女は無意識にもう一方の手で痛む部分を包み込んだ。
一連の動きを観察していたメルーゼルは軽く瞠目する。だが、暫くして眼鏡の位置を直しながらほくそ笑んだ。
「分かりましたか。貴女は感覚が鋭いのですね」
「今のは?」
愕然とした顔をメルーゼルに向けてササラは尋ねる。
「恐らく、命素が形象機器に吸収されていくのを感じたのかと」
「今のが……」
ササラは形象機器へと視線を戻す。凝視したまま考える。この不快感はトルドフィメシス城にて血を抜かれている時のものと同じだ、と。彼女にとっては馴染みのある感覚だ。
(出来る。何とかなる)
彼女は確信した。
「続けられそうですか?」
相手の表情から迷いが消えたのを見て取って、メルーゼルは不要と思いつつも確認する。当然、ササラは「はい、大丈夫です」と答えた。そうして、再び眼前の形象機器へと手を伸ばした。
基本的にササラは自分の可能性を信じない。自身が如何に無力な獣であるかを知るが故に。だから、救世主とさえ呼ばれるイツキを越えられるとは思わない。けれど――。
(何時の日か、再び御主人様のお役に立てたなら)
その儚い願いの為に、彼女は危険な実験へと身を投じた。




