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07

 数日後、トルドフィメシス領より逃れた抵抗組織の構成員は、二つ隣の他領にある支部に到着した。元々彼等の一部はこの支部に移る予定であったので、責任者としての仕事に追われるディラン以外の者は、滞りなく移転作業を終わらせることが出来た。

 また、彼等にとって幸運だったのはそれだけではない。日程がずれた為に数日の空き時間が生じたのだ。上官はその使い方を個人の裁量に委ね、殆どの者が休暇に充てた。しかし、勤勉なイツキは修練室へ通い詰める。他者と比較して身体能力が乏しい自覚があった為でもあるが、一番の理由は級友を救い出せなかったことについての自責の念だ。無論、彼女一人の戦闘能力を上げればどうにかなった話ではないのは理解している。それでも幾分かは足しになったかもしれないし、何より我武者羅に身体を動かして罪の意識から一時でも忘れたい衝動に突き動かされたのである。



 ある日の午後、イツキが床に座って小休憩を取っていると、マサルが飲料用の容器を二つ持って修練室に入って来た。

「間宮、差し入れを持って来たぞ」

 マサルは容器の一つを手渡す。礼を言いつつイツキが中を覗き込むと、良く冷えた淡褐色の茶が入っていた。茶葉は彼等の故郷にはない品種だが、味や香りは麦茶に似ている。彼女はその容器に少しだけ口を付けてを床に置いた。

 イツキの隣に座ったマサルは一瞬だけ躊躇したものの、こう話を切り出した。

「杉白さんのこと、あんまり気にするなよ」

「うん」

 返って来たのは空返事だ。マサルの気遣いはイツキには届いていない。

「杉白さん、あの城に戻ったのかな?」

「さあな。かなり距離があるから、追手が近くまで来てない限りは難しいと思うけど」

「うん……」

 沈黙が落ちる。話の重さに反してイツキは然程動じていない様子であったが、マサルの方は気まずかった。彼は恐らく相手の癇に障る言葉を吐こうとしていた。

「あのさ、あの人と話した後に負い目がどうとか言ってたけど、そっちもあんまり気にしない方が良いと思うぞ。別に俺達が悪い訳じゃないだろう。他にどうしようもなかったんだから」

「うん、でも私達が杉白さんをあいつらの所に置き去りにしたのも、それが原因で杉白さんがああなっちゃったのも事実でしょ?」

「仕方ないだろう。運が悪かったんだよ」

「私はそんな風に割り切れないよ」

 イツキは憂い顔になって俯く。マサルは困り果て、今度は相手の気を鎮める話題を模索し始めた。彼女の為、組織の為と言いながら、真実は自分の為に。彼女の利用価値を知るが故に。

「間宮、杉白さんとそこまで仲良かったっけ? て言うか、あの人と仲良いの誰だっけ?」

「知らない。私も用事がある時に話すだけで、友達って言える程の付き合いはなかったし。でも、クラスメイトでしょ。毎日顔を合わせるのが当たり前だったのに、急にいなくなってしまって……」

 相槌を打つ様に氷の音が小さく鳴った。イツキは話を続ける。

「まるで世界に杉白さんの形をした穴が空いてるみたい。他の形のものでは埋められない穴。今でもそこは空洞のままで、ずっと違和感があって、苦しくて、早く取り戻さなくちゃって」

「間宮」

 マサルはイツキを気遣う素振りをする。無意識の打算が生み出した行動だったが、素直なイツキは彼の心中に気付けなかった。

「ご免。何言ってるか分からないよね。私、我儘なんだ。本当にご免。皆にはなるべく負担を掛けないようにする」

 相手を見ないままイツキは立ち上がり、大型の訓練機具へ向かって歩き出す。マサルは彼女の名を呼んで止めようとするも、無視された。

 イツキが練習を再開すると、マサルは項垂れて手元の容器を眺めた。冷茶はまだ残っている。改めて確認する気にはなれないが、彼女に渡した方はこれより更に量が多い筈だ。規則正しく響いてくる訓練器具の音に長い嘆息が重なった。

 共に抵抗組織に入って、イツキとより親交を深めるようになってから、マサルが知ったことがある。彼女は基本的には寛容で異論にも耳を貸すけれども、芯の部分は非常に頑固だ。これ以上は何を言っても徒労となるに違いない。

「負担ではないんだけどさ」

 言葉の続きは胸の内だけで発せられた。

(お前が俺を頼ってくれないことが、遠慮がちに「力不足」って言われてるみたいで嫌なんだよ)

 この世界でマサルに何かを期待する者はいない。身近な筈のイツキでさえ。戦力としては当てにならず、精神的な支えにもなれない。だとしたら、彼の存在異議や価値は一体何であるのだろう。組織加入以降、度々頭を悩ませる問題が再び浮上して彼を苦しめた。



   ◇◇◇



 トルドフィメシス城仮畜舎の夜は、多くの家畜を抱えていた旧畜舎と比べてとても静かだ。常に物音がする環境に慣れ切っていたササラすれば、この無音状態は落ち着かず寝付き難い。けれども、健康維持は家畜の義務である。彼女は無理にでも睡眠に入ろうと藁の寝床の上で頑張っていた。その甲斐あって漸く微睡み掛けた頃、ササラは聞き覚えのある声に意識を引き戻される。

「ササラ、ササラ」

「ん……」

 囁き程度の音量で、声の主は何度も呼び掛ける。ササラは薄らと瞼を開いた。最初に人の形をした黒い影が目に入り、暫くしてその影の中に彫像の如く整った面立ちが現れる。彼女は慌てて飛び起きた。

「御主人様!」

 ササラが声を上げると、クシャトカトラは自身の唇に左手の人差し指を当てて「静かに」と警告した。次に、彼は頭巾付きの古びた外套をササラに被せた。

「これを着ろ。極力他の者に顔を見られないよう、頭巾を目深に被るんだ。それから、この鞄も渡しておく」

「え? あの……」

 押し付けられた肩掛け鞄の紐を握り締め、ササラは困惑を露にする。けれども、クシャトカトラは彼女が理解するのを待たずに話を進めた。

「付いて来い。移動中は決して口を開くなよ」

 言い終わる前にクシャトカトラは立ち上がり、扉の方へと向かった。ササラは首を傾げつつも彼の背中に「畏まりました」と返し、命じられた通りに動いた。

(一体、どうなさったんだろう?)

 鞄を置き、大急ぎで外套を着ながらササラは考える。クシャトカトラは彼女を外出に付き合わせるつもりらしい。だとしたら、敢えて食人鬼の使用人ではなく家畜を選んだ理由は何なのか。一つだけ心当たりがあるとすれば抵抗組織に関する仕事だが、果たして彼女が何かの役に立つのだろうか。

 ともあれ、ササラは主人の行動を止めてまで物を尋ねられる立場にはない。また、意図を理解出来ずとも己が命運を託せる程には彼を信用している。故に、彼女は大人しく外で待っていた主人と合流した。



 その後、彼等は身を隠しつつ城壁まで歩いた。壁際に於いて周囲に誰もいないことを確認したクシャトカトラは、暫し壁を睨んで嵌まっていた煉瓦の一つを抜き取る。次に、煉瓦を取り除いた後に出来た空洞に右手を差し込む。すると穴の右側に筋が入り、壁の一部が音を立てながらゆっくりと地中へ沈んだ。隠し通路である。

 続いて、クシャトカトラはササラにその出入口より外へ出るよう促す。言われた通りに彼女が向こう側へ移動すると、クシャトカトラは壁越しにこう告げた。

「ササラ、済まない。私はもうお前を安全に飼っておけなくなった」

 ササラは怪訝な表情になって「え?」と呟き、膝を突いて穴を覗き込んだ。だが、見えるのはクシャトカトラの衣服の裾だけだった。

「あの、どういうことでしょうか? 私、また何か粗相を……」

「違う。お前を処分せよと命じられた。お前だけが帰還したのはおかしいと、敵と繋がっている恐れがあると勘繰られて」

「誤解です!」

 弁明しようとササラが語気を強めるのに釣られて、クシャトカトラの声も少しばかり大きくなる。お陰で彼の苦々しい心情がはっきりと表れた。

「分かっている。私個人はお前を疑ってはいない。だが、他の者は違う。疑わしきは罰せよ、という考えなのだ」

「そんな……」

 ササラは愕然として俯く。自身に掛けられた嫌疑や生命の危機についてはこの際どうでも良い。問題とすべきは大切な主人を窮地に追い遣ってしまったことだ。優しい彼は言わないものの、きっとササラに連座して責任を問われているに違いない。

 だったらどうすれば良かったのだろう、とも彼女は思う。犯罪者に組するなど以ての外。やはり、彼等の居場所を知らせる為にクシャトカトラの許へと戻るのが正解である筈だ。その筈なのだが、家畜としては出過ぎた行動だったのかもしれない。ササラは何処かの段階で死んでいるべきであったのか。

 悶々とする時間は長くはなかったが、残された時間も然程ない。クシャトカトラは気を揉みつつ、ここで漸く本旨を告げた。

「だから、逃げろ」

「え?」

 ササラは再び面を上げた。視線の先にクシャトカトラの姿はない。にも拘らず、気配は感じる。隔たりはあっても、彼は間違いなく直ぐ側にいるのだ。

「鞄の中に当面の水と食料が入っている。あと、雑記帳も。二足獣が食べられそうな野草の採り方を簡単に書き記しておいた。上手く活用して生き延びろ。とは言っても、恐らく長く持たないだろう。よって、一先ず野生の二足獣の集落を探せ。ああ、抵抗組織は駄目だぞ。言うまでもなく、な」

「でも、私がいなくなると御主人様が咎めを受けるのではありませんか?」

「私のことは気にしなくて良い。上手く誤魔化す手立ては用意してある」

「あ、あの、私は大丈夫です。御主人様には沢山良くして頂きました。きっと今がご恩返しをする時なのです。だから――」

 壁の向こうより響く涙声を遮って、クシャトカトラはきっぱりと言い放つ。

「お前には罪がない。罪がない所か功がある。そういった者を殺めるのは私の良心に悖る。お前は何も心配しなくて良い。早く行きなさい。他の者に気付かれる前に」

「御主人様……」

 悲しい、寂しい、苦しい、辛い――。様々な思いがササラを苛む。放逐された家畜は生きていないも同然だ、もう二度と会えないならいっそここで死んでしまいたい、と大声で訴えたかった。だが、彼女は本心を隠した。

「承知しました。今まで有難う御座いました。どうぞお元気で」

 固い口調でササラが別れを告げると、クシャトカトラは短い溜息を吐いた。

「此方こそ有難う。さらばだ」

 ササラは胸が張り裂けそうな顔をして何かを言い掛けるも、寸での所で耐える。間を置かず、彼女は城壁に背を向けて走り出した。やがて足音が聞こえなくなると、クシャトカトラは僅かに目を伏せた後に意を決して踵を返した。



   ◇◇◇



 居室に戻る途中、クシャトカトラは度々使用人達と擦れ違った。彼等は主人を見ると一瞬硬直し、直後に無言で道を空ける。クシャトカトラは相手の奇妙な行動が機嫌の悪い主人への配慮だと知りつつも取り繕わず、彼等の前を足早に通り過ぎた。他人に構っている精神的余裕は彼にはなかった。しかし廊下の端に差し掛かった時、曲がり角の先から現れた人物を見てクシャトカトラは足を止めた。

「ルキセクエス」

「クシャトカトラ、外に出ていたのか」

 そう言いながら顔を向けたルキセクエスは、友人の状態を確認して使用人と同様に表情を変える。ただし、他の者とは違って彼は率直に質問をぶつけた。

「どうかしたのか?」

「何が?」

 明らかに機嫌が悪いと分かる声音だ。微かに掠れているので、泣いていたのではないかとも勘繰った。ルキセクエスは困惑の混じった苦笑顔となる。

「否、だって何か様子がおかしいから」

「何でもない」

 間髪入れずにクシャトカトラは返答する。

「何でもないんだよ、ルキセクエス」

 続く言葉はクシャトカトラ自身に言い聞かせている風でもあった。

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