06
知りたいことはまだ残っていたが、クシャトカトラの手元には仕事が山積している。幸か不幸かルキセクエスも乗り気なので、現場の指揮を彼に委ねてクシャトカトラは居城へ引き返した。
帰城後、彼はまず仮眠を取る。そうして目を覚ますと、次の仕事へ入る前にササラの許を訪れた。彼女がいるのは昨日までは物置だった建物だ。出掛けにクシャトカトラが「収容物を移動させて仮の畜舎とせよ」と使用人に命じておいた為、ここに入れられたのである。襲撃者に破壊された嘗ての畜舎と比較すると幾分か狭いが、城に残った家畜は彼女しかいないので、然程苦にはならないだろう。
「御主人様!」
飼い主の顔を認めたササラは、満面の笑みを浮かべる。慌てて立ち上がろうとするのを制し、クシャトカトラは彼女へ近寄って隣に腰を下ろした。間近に感じる貴人の気配に、ササラは落ち着かない。数年仕えているが、この感覚には未だ慣れなかった。
「体調はどうだ?」
クシャトカトラは正面を向いたまま尋ねる。逆にササラは彼の方を見て返答した。
「問題ありません。ご心配をお掛けしました」
「謝らなくて良い。悪いのは襲撃者共だ。お前は何も悪くない。ともあれ、何事もないなら良かった。大事があった後だ。暫くは休んでおきなさい」
「あの、でも、お役目は……」
役割を果たせない者は身の置き所がない。故に、ササラは敬愛する主人の糧になりたいと願った。クシャトカトラは思わず言葉を詰まらせた。然る後に、彼は優しくこう告げた。
「当面は問題ない。健康の維持も家畜の仕事だ。お前は雑念を抱かず、自らの務めを果たせ」
何れ補充することにはなるだろうが、現在手元にいるイナサプテ計画の被験体は彼女だけだ。慎重に扱わなければならない。加えて、今のクシャトカトラは確かに少しだけ空腹ではあったけれど、漠然とササラの血を食す気分にはなれなかったのだ。
ササラは残念そうに「畏まりました」と返して目を伏せた。それから、短い時間沈黙が落ちる。クシャトカトラは疲労の為に放心し、ササラは身分の差を思い出して自発的な発言を行わなかった。やがて、やや意識が明瞭になったクシャトカトラは再び口を開いた。
「ここは落ち着かないだろう。済まない。元の住まいは使い物にならなくなってしまったんだ。新しい畜舎はまた建てるが、恐らく時間が掛かると思う。暫くは我慢してくれ」
そこで、ササラは何故か目を泳がせた。
「ご心配をお掛けして申し訳御座いません。私は大丈夫です。寧ろ今までよりずっと立派で、本当に私なんかには勿体ないくらいのお部屋で……」
言葉の勢いが徐々に失われていく。クシャトカトラは首を傾げた。
「どうした?」
「心が乱れているです。今の待遇は私には過ぎたものなので。お城をこんな風に無茶苦茶にしたのは私と同じ二足獣なのに」
「何を言う。お前は功労者だ。その功績に相応しい待遇を受けているに過ぎない。それに、お前は奴等とは違う。同じ二足獣であっても、暴力と破壊しか知らぬ狼藉者と一緒くたにしてはいけない。余り自分を卑下し過ぎるな」
「御主人様……」
ササラの目が感動で潤む。不意にクシャトカトラの内に愛おしさが芽生えた。とは言っても、対等な相手に向ける感情ではなく飽くまで愛玩動物に抱く性質のものだ。悲しいかな他の食人鬼と程度が違うだけで、クシャトカトラも彼女を人間とは見做していなかった。尤も、家畜や実験動物に対する印象とも異なっていたが。
「ああ、良案を思い付いた。新しい畜舎が完成して家畜が補充されたら、お前に彼等の取り纏め役を任せてみよう。一番先輩になるのだからな。どうだ、出来そうか?」
「えっ、私にですか?」
ササラは顔を強張らせる。驚愕と拒絶が合わさった反応だ。提案には否定的な様子であったけれども、クシャトカトラは彼女の素直さに好感を抱いて微笑んだ。
「そうだ。お前に、だ。他の家畜達と差を付ける為に、今度は個室も与えよう。貸し切り状態の今の住まいよりは、幾許か狭くなるかもしれないがな」
「そんな、私なんかが――」
「『なんか』は止めろ」
出し抜けに、クシャトカトラの表情が冷たいものへと変化する。ササラは反射的に身体を震わせた。だが直ぐに、危害を加えられる訳ではないと察して力を抜いた。
クシャトカトラは話を続ける。
「お前は模範的だ。他の者の指標となろう。重い役目ではあるけれども、私はお前ならば全うし得ると考えている」
「でも、そんな……」
動揺を抑え切れずササラは俯くが、クシャトカトラはそれを許さない。「ササラ」と呼び掛けて、彼女の顔を上げさせる。しかし、次の言葉はなかなか出て来なかった。返事を待っているのだ。彼女は観念した。
「私は貴方様の所有物です。どうぞ御心のままに」
家畜たるササラには、承諾以外の意思表示は許されない。にも拘らず、クシャトカトラに対する抵抗感や嫌悪感は全く湧かなかった。彼の言葉通り、彼女は理想的な家畜であった。
クシャトカトラはササラの言葉を聞き、満足そうにまた微笑んだ。
◇◇◇
そして、翌日正午過ぎとなった。クシャトカトラは額縁の形をした形象機器を用いて王宮との通話を開始する。
「定例報告の前に凶報を受けることとなり、大変残念に思う」
額縁の内側には、黒い髭を蓄えたふくよかな中年男性の姿が肖像画の様に映し出されている。彼の名はフブフゲルグ。食人鬼社会でも指折りの血筋を継ぐ者で、王宮においては長く重臣を務めている。また、クシャトカトラが所属する派閥の長も担っていた。
「弁解の余地も御座いません、フブフゲルグ様。私の不手際で御手を煩わせてしまいましたこと、伏してお詫び申し上げます」
張り詰めた空気が充満する。無理もない。経緯が経緯だ。実はフブフゲルグはイナサプテ計画には端から反対していた。だが、もどかしく思ったクシャトカトラは彼を飛び越えて王に直談判する。結果として王は乗り気になり、彼は口を噤まざるを得なくなってしまった。その果ての今回の失態だ。彼とクシャトカトラとは私的な付き合いもあるが、親しき仲にも礼儀は存在する。彼が向ける目は厳しかった。
居た堪れなくなったクシャトカトラは思わず俯き、沙汰を待つ。相手はどの様に追及してくるであろうか、それに対し自分はどう返すか、と激しく頭を回転させる。そうした中、フブフゲルグとは別の声が形象機器より響いた。
「クシャトカトラ」
聞き覚えのある声で名を呼ばれ、クシャトカトラは勢い良く顔を上げる。
「陛下!」
正面にいたフブフゲルグは何時の間にか画面の外に移動しており、代わりに額縁の中には先程まで背景であった金糸刺繍の入った深紅の垂布のみが映っていた。事前の連絡はなかったが、布の向こう側にいるのは声から察するに食人鬼の王に違いあるまい。クシャトカトラは顔面蒼白になった。
「襲撃を受けたと聞いたが、身体に支障はないか?」
「はい、私自身は何とも御座いません。誠に情けない限りで」
「怪我がないなら、一先ずは良い」
「身に余る御言葉を頂き恐縮で御座います」
老齢の王の声は抑揚が少なく、思考が読めない。けれども、クシャトカトラの想定以上に此度の一件が王宮で問題視されているのは窺い知れた。様子を探るのであれ、釘を刺すのであれ、王が自ら出て来るのはそういう意味付けがある。事態は悪い方向に動きつつあった。クシャトカトラは相手からは見えない位置にある拳を握り締める。すると、彼の態度を非難するかの様に左手を飾る指輪が鈍い痛みを与えた。
画面の端に再びフブフゲルグが現れる。
「クシャトカトラ、陛下は引き続き例の計画を貴殿に任せたいと仰せになった。畜舎も被害にあったそうだな。詳細はこの後に聞くが、後日書面による報告も行ってもらう。多少の補填は可能な筈だ。恐らく、今回の件を契機に計画中止を望む声が大きくなるであろうから、万全とは行かないかもしれないがな」
自らもその運動に加わりたいと思いつつも、フブフゲルグは本心を抑えて王の意思を代弁するに留まる。しかし視線には彼の心情が表れており、クシャトカトラは垂布の向こうにいる王を意識する振りをして目を逸らし「畏まりました」という言葉を絞り出した。
「汝には期待しておる。良きに計らえ」
王は最後にそう言い残し、去って行った。
「身に余る光栄に存じます。必ずやご期待に添えるよう努めて参ります」
小さくなっていく靴音を聞きながら、クシャトカトラは拝礼した。
食人鬼の王が立ち去った後もフブフゲルグとの会談は続いた。クシャトカトラは居城の被害状況と現在判明している犯人の情報を包み隠さず話す。自身の能力不足を過度に露呈する結果となるかもしれないが、止むを得まい。犯人の拠点にあった遺留品から透けて見える背後関係を考えると、遠からず政府の助力を請うことになるだろう。ならば、情報の秘匿は何れ障害へと変わる。物質的にも信頼面においても。尤も、眼前の男こそが事件の黒幕という可能性もあるが。
話を聞き終えると、フブフゲルグは呆れ顔になってこれ見よがしに溜息を吐いた。
「思いの外、被害は甚大だった様だな。二足獣如きに情けない。楽園へ渡った其方の父カカラティアクも、きっと今頃悲嘆に暮れておる所であろうよ」
「申し訳ありません」
フブフゲルグの言う「楽園」とは、食人鬼の宗教における死後の世界のことだ。思い掛けず亡父を持ち出され、クシャトカトラの胸が僅かに重くなる。
「とは言え、証拠品の件は確かに気になる。事件の背後に浄種がいるのであれば、やはり狙いは計画の妨害やもしれんな」
「或いは計画を主導する我等の失脚を目論んでいるとも考えられます」
「続行出来そうか?」
クシャトカトラは身の程も弁えず射る様な視線を送り、語気を強めて言い放つ。
「家名を賭しても成し遂げてみせます」
毛筋程の迷いもない誓いの言葉を聞いて、フブフゲルグは心底不服そうな顔をした。
「賭してもらっては困るのだがな。それこそ我が友カカラティアクに顔向け出来ん。そもそも、個人的に儂は其方の計画には賛同しておらぬ。余りに問題が多過ぎる故な。ああ、勿論儂は事件の黒幕ではないぞ」
「存じ上げております」
「ただ、陛下はその案に希望を見出しておられる。ならば、臣としては忠言を申し上げつつも従うより他はない」
「はい」
「後には引けぬぞ。大丈夫か?」
フブフゲルグの口調は意外にも柔らかい。クシャトカトラを赤子の頃より知る人物なので、未だに彼のことを子供と思っているのかもしれない。クシャトカトラにとっては屈辱的である一方で、だからこそ多少の我儘が許されているとも言える。不満を訴えるべくもなかった。
「ご心配には及びません。私としても退くつもりは毛頭御座いませんので」
「やれやれ、其方の強情さには困ったものだ。本当に幼い頃から変わらぬな」
再び溜息を吐いて、フブフゲルグは顔を引き締め姿勢を正す。
「クシャトカトラよ、くれぐれも慎重に行動するのだぞ。儂が其方を切り捨てる事態に陥らぬように」
「承知致しました」
「その言葉、取り敢えずは信じよう。政府側の被害への対応に関しては先刻語った通りだ。幾分かは自費で賄ってもらう。警備強化の方は、済まないが即答出来ない。軍部も絡む問題故、他派閥との折衝の結果次第になろうな。どうしてもと今直ぐにと言うなら、其方も自前で行う覚悟はしておけ。後は――」
どうしてかフブフゲルグは急に声を低めた。
「帰還した家畜はなるべく早く処分せよ。実験用の二足獣については、当家の家畜の一部を貸し与える。今度こそなくすなよ」
「え?」
クシャトカトラは瞠目して固まる。言葉の裏にある真意が分かっていない。
「時間を掛けて育ててきたから、思い入れがあるのは理解出来るがな。浄種程ではないにしても、二足獣は知性を持つ獣だ。人にあらざる生物の中では最も狡猾な種であるのだよ」
「つまりは彼の者が間諜だと? 有り得ません。彼等に施した記憶操作は万全です。裏切る筈がない」
畳み掛ける様に発せられる声は震えている。明らかに平静ではない。フブフゲルグは自分の推測の正しさを確信した。クシャトカトラはその家畜に対して不適切な感情を抱いている、と。
「戻って来たのは其奴だけだったのだろう?」
「ええ、ですが――」
「浄種が裏で糸を引いているならば、洗脳を解除する術も持ち合わせている可能性がある。他が皆彼方側に渡ったのに、一匹だけは無事だったというのも奇妙と思えなくはない。それに、もし仮に敵と通じていなかったのだとしても、同胞を売る輩に信は置けぬ。何れ必ず此方をも裏切るぞ」
「ですが――」
クシャトカトラは縋る様な目でフブフゲルグを見る。しかし、厳めしい重臣は彼を冷たく突き放した。真相に気付いてしまえば、見過ごしてやる訳にはいかない。
「これは命令だ。近日中に遂行せよ」
顔色を変えてクシャトカトラは項垂れた。納得はどうしても出来ない。だが、フブフゲルグの派閥の一員であり、優先すべき理念を抱える彼は「畏まりました」と返すしかなかった。




