05
抵抗組織の拠点にて行われていた宴会が終盤に差し掛かった頃、部屋の隅で報告を受けていた部隊長ディラン・ウッズが突如声を上げた。
「皆、パーティーは中止だ。急いで撤退準備を。この拠点を放棄する」
「何があったんですか?」
人々が訝し気に顔を見合わせる中、真っ先に疑問をぶつけたのはイツキであった。ディランは彼女を真っ直ぐに見返して包み隠さず述べる。
「君の友人が逃げた」
「ええっ、どうして!」
イツキは信じられないという様子を見せる。外鍵の付いた部屋に閉じ込めていたのだから逃げられる筈はないのに、と。すると、彼の背後からメルーゼルが進み出て、済まなそうに頭を下げた。
「面目ない。僕の手落ちです。油断しました」
「どういうことですか?」
イツキが首を傾げると、今度は宴会に参加していた構成員の一人が手を上げた。
「済みません。元々の見張りは自分だったんですけど、先生が気を利かせて代わって下さったんです。それで、自分は宴会に参加させてもらって……」
「僕は現場には行きませんでしたから、今回の作戦に参加した人に優先的に楽しんでもらいたいと思ったんです」
メルーゼルの役割は本来技術支援であって、戦闘も警備も得意ではない。配慮が裏目に出てしまった、と彼は太々しくも苦笑したが、断じて笑い事ではなかった。拠点や組織の情報を抱えたササラが、嘗ての主人の許へ戻ったらどうなるか。
「困るよ、メルーゼル。荒事は我々に任せてくれないと」
深刻な状況にも関わらず、ディランの口調は柔らかい。不満を持てどもメルーゼルには強く出られないのだ。それは「先生」と呼ばれるこの青年の組織における重要性を如実に表していた。とは言え、今回は明確に彼に非がある。そのことは当の本人も重々理解していたので、彼は「弁解の余地もありません」と言って肩を落とした。
一応の謝罪と反省を受け取ったディランは彼を許し、イツキの方へと視線を戻す。
「再度確認したい。イツキ、彼女の記憶はまだ修正していないんだな?」
イツキは頷く。
「はい。興奮状態だったので、少し落ち着いてからと思って……」
既に少女の年齢ではなく暴力的な作戦も幾度となく熟しているのに、イツキは青臭さの残る戦士だ。間違いを自覚しつつも私情を優先する嫌いがある。そして、自身の欠点とそれを周囲に知られていることに気付いている。彼女は徐々に罪悪感を募らせて俯いた。一方、ディランは深々と溜息を吐く。これが他の者であれば叱責しただろうが、彼女は組織にとって重要人物だ。メルーゼルと同様、強気の態度は取れない。
「まあ、起こってしまったことは仕方がない。兎に角、第三支部まで退避する。保護した人達にも、追手が迫っているとだけ伝えて協力してもらってくれ」
「杉白さんについては伏せて、ですか?」
批判的な感情の籠った視線をイツキはディランに送る。だが、彼はイツキの浅い正義感には付き合わなかった。
「そうだ。混乱の元だからな。命取りになりかねない。ああイツキ、君は我々を手伝わなくて良い。速やかに退避を。組織の主戦力に何かあっては困る」
「迎え撃たないんですか? あんなにでっかい城だって攻略出来たんだから、追っ手数人位は俺達だけでも――」
そう疑問を投げたのは、イツキの隣にいたマサルであった。ディランは彼に対しては棘のある言葉を送る。
「その浅はかな見解は即刻改めた方が良い。確かに同胞の救出には成功したが、城については軽微な損害を与えたのみに留まる。しかも不意打ちで辛うじて、だ。形象機器を所持した手練れの食人鬼が二匹もいれば、この拠点は容易く壊滅するだろう。撤退以外は有り得ないよ」
「でも……いえ、分かりました。従います」
不満気ではあったが、マサルは食い下がらなかった。彼の返事に首肯で応じたディランは、次に部屋全体を見渡して声を張り上げる。
「さて、質問はもうないな。そろそろ動き出し給え。多分、残り時間は余りないぞ」
歴戦の勇士たる上官の命令に、部下は敬意と信頼を以って「はい!」と答えた。
やがて、彼等は忙しなく動き始める。保護された家畜達は不安気に様子を窺っていたが、構成員数名が誘導を始めると素直に付き従った。
「ああ皆さん、僕の可愛い子供達は必ず持ち帰って下さいね。敵に回収されて調べられると非常に不味いですから」
喧噪の中、メルーゼルの間の抜けた声が際立って響く。イツキはそれを聞きながら屋外に出た。物資が乗り物に積み込まれるのを横目で見て、彼女は胸を詰まらせる。
(杉白さん、どうして……)
しかし、既に彼女の側にはいないササラが問い掛けに答えることはない。木々の騒めきと地面を踏み締める音が、代わりに耳を打った。
◇◇◇
同日夜半、トルドフィメシス城より送られて来た増援部隊がルキセクエス達と合流する。元々はクシャトカトラも同行する予定であったが、丁度頃合いを見計らった様に王宮から連絡が来た為、城に残らざるを得なくなってしまったのだ。そうして面倒な仕事を終えた彼が眠い目を擦りながら現場に到着した頃には、地平線から日が顔を出し空が白み始めていた。
クシャトカトラはまず待機していた兵士を発見し、ルキセクエスの所在を尋ねる。すると「他の兵士を引き連れて森の中に入った」という報告が返って来た。戻るまでにこの森の所有者が然る高級官僚の縁戚であるのを思い出してたクシャトカトラは、面倒なことになったと舌打ちする。とは言うものの、ルキセクエスに現場の指揮を委ねたのはクシャトカトラ自身だ。相手の判断を責められない。そもそも他に対処方法があるかと問われると、クシャトカトラも返事に窮しただろう。
ともあれ、クシャトカトラは森へと向かった。中に入ると方々から兵士のものらしき声が聞こえて来る。潜伏している敵に存在を知られる危険性を考慮せず、大声を張り上げている状況から察するに、彼等は相手が既にこの場所を離れているという判断を下したのだ。現在は敵の痕跡を探っている段階か。薄暗く微かに靄の掛かった景色を睨み、クシャトカトラは小さく唸った。
暫くして、クシャトカトラは古びた建物に辿り着く。入口に立っていた兵士よりルキセクエスが地下階にいることを教えられて其方に向かうと、目的の相手は別の兵士から報告を受けている最中だった。
「申し訳ありません。誰かに使用されていた痕跡はあるのですが……」
「逃げ足の早い連中だな。……まあ良い。調査を続けてくれ。一度調べた場所も隈なく。手掛かり、或いは物証が欲しい」
「承知しました」
報告を行っていた兵士は敬礼して踵を返すも、真の主たるクシャトカトラの姿を認めて立ち止まる。そのクシャトカトラは片手を振って「自分に構わず立ち去って良い」という意思を兵士に伝えた。そして兵士が去った後、居残った友人に「ルキセクエス」と声を掛けた。
「遅かったな、クシャトカトラ。何かあったのか?」
「王宮から通信が入ってな。襲撃事件について聞いて来たので、現況を軽く報告していた」
「耳が早いな」
「監視されているのやもしれん」
「それは厄介だ」
溜息交じりに吐き出された言葉に、クシャトカトラは淡々とした調子で「本当にな」と返して周囲を見回す。彼等が立っている廊下には扉が幾つも存在し、端は曲がり角になっていた。恐らく、部屋数は更にあるのだろう。広い地下だ。地上部分よりも面積がある。もしかしたら、地上ではなく地下の方が本体なのかもしれない。
「以前にここへ来たことは?」
「ない」
「じゃあ、元からこういう構造だったのかは分からないか」
「ああ。だが、異様だとは思う。少なくともこの周辺の風俗とは合致しない」
「だろうな」
唐突に、クシャトカトラは首を横に向けたまま動きを止める。やや間を置いて、彼は側にある開け放たれた扉に近付き膝を折った。
「何か見付けたのか?」
クシャトカトラが地面に落ちている物を拾うのを見て、ルキセクエスも扉付近へと向かった。彼が背後に立つと、クシャトカトラは起き上がって振り返る。
「これを」
重々しい表情でクシャトカトラが差し出したのは、金属製の小さな加工品であった。それを受け取り、じっくりと眺めたルキセクエスは首を傾げた。
「何これ?」
「微量ではあるが神秘力が残留している。恐らくは形象機器の部品だ」
「何処かから盗んで来たのか? 獣共め、戦利品のつもりかよ」
「であれば、まだ良いのだがな」
「他に何かあるのかよ」
勿体振った言い方に、ルキセクエスは苛立つ。けれども、クシャトカトラは動じない。否、不快そうな顔にはなったが、それはルキセクエスに向けたものではない。彼の視線は友人が握っている金属部品へと向いていた。
「根拠はないが、別の可能性も浮かんだ」
「だから、それは何なんだよ?」
クシャトカトラは声を潜める。
「ここに浄種がいた可能性だ」
想定外の返答らしく、ルキセクエスは息を呑み、続いて相手に身体を近付けた。
「捕虜か?」
「或いは味方としてか」
口調は淡々としていたが、クシャトカトラの振る舞いからは負の感情が滲み出している。怒っているのだろう。ルキセクエスは深い溜息を吐いた後に「成程な」と呟く。
「だったら、俺達が獣共に追い付けなかった件や道中に痕跡が見られなかった理由にも説明が付く。因みに、相手の正体と動機に心当たりは?」
「有り過ぎて困る位だ。特に先日お前も意見したイナサプテ計画関連で」
「二足獣を使ったのは、計画を揶揄する意味合いもあるのかな。悪趣味な輩だ」
「現段階では想像の域を出ない話だぞ」
慌てて否定し始めるクシャトカトラに、ルキセクエスは唸り声を返した。次に腕を組み、短い時間考え込んでから「了解。頭に入れておく」と本心の見えない言葉を加える。クシャトカトラは怪訝な顔をしつつも、裏目に出るの恐れて追及はしなかった。代わりに彼は別の話題を振った。
「ところでお前、そろそろ自分の住まいに戻った方が良いのではないか? 助力は有難いが、この地で発生した事件の調査は本来我々の仕事だ。好い加減、引き継ぐぞ」
「問題ない。家には『もう何日かは此方に滞在する』と知らせを送ってある。やられっぱなしじゃあな、赤っ恥だもの。少しだけでも成果を残したい」
クシャトカトラは「あっ」と声を漏らして瞠目した。
「済まなかったな。巻き込んでしまって」
肩を落として俯く友人を見て、ルキセクエスは苦笑し相手の肩を叩く。
「構わないよ。大したことではない。それよりも、お前こそ大丈夫なのか? 王宮から参向するよう命じられたんじゃないのか?」
「そこまでは行かないが、取り敢えず明日フブフゲルグ様とお話をする予定だ」
「うげえ。俺、あの人苦手なんだよなあ。如何にも悪巧みしてますって雰囲気だし。派閥の長とは言え、良く付き合えるな」
「偏見だぞ。『やり手』と言って差し上げろ。あの方とは付き合いが長い。恩もある。その私の前で軽々しく暴言を吐くな」
「はあい」
気の置けない者同士が軽口を叩き合う。重苦しかった場が僅かに明るくなった。しかし、問題は解決していない。心の表層は緩んでも、奥底は未だ暗く沈んだままだった。




