02
この世界には人の形をした生物が二種類存在する。一方は優れた身体能力と技術力を有する種で、自分達を「人間」或いは「浄種」と称し、もう一方の種を「二足獣」と名付けて蔑んでいた。しかし「二足獣」もまた自身を「人間」と定義しており、もう一方を「食人鬼」と呼んで忌み嫌っていた。そう、前者は後者を食料とするのだ。そして悲しい哉、世界を支配しているのは捕食者たる前者の方であった。
「むうん、不味いな」
食人鬼の貴公子クシャトカトラの居城――領地の名を取って「トルドフィメシス城」と呼ばれる――にて夕食の席に着いていたルキセクエスは、出された肉を一口含むなりそう不満を漏らした。気の置けない友人が相手とは言え、余りに不躾過ぎる態度だ。クシャトカトラは微かに眉を上げ、食器を置いた。
「自分から食事を要求しておいて、その言い草は何だ。気に入らないなら下げるぞ」
クシャトカトラは腰を浮かせ、ルキセクエスが手を付けている皿の端を掴む。すると、ルキセクエスは慌てて反対側を掴み、引き戻した。
「いいや、食べる。食べるよ。どんな飯でも腹に詰め込まなければ餓死してしまう。俺の大食漢振りは知ってるだろう? 体力を使う仕事をしている所為で消耗も激しいんだ」
「大袈裟な。一食抜いた位で死ぬものか」
相手の言葉を否定しつつも、クシャトカトラは皿から手を離した。ルキセクエスは安堵の息を漏らす。然る後に、彼は再び料理を口に運び始めた。それより暫くは会話がなかった。
肉料理を載せていた皿が空いた頃、ルキセクエスは漸く口を開いた。
「しかしまあ、この飯の不味さは良くない。味付けは流石の腕前だがな。食材の質が悪い。具体的には肉の質が」
「持って回った言い方をする。先程から何を訴えたいんだ?」
「分かってる癖に」
ルキセクエスは冷ややかな視線をクシャトカトラに送る。彼の言は正しく、本当はクシャトカトラも友人の胸中には気付いていた。だが、敢えて知らない振りをした。その話はしたくない、という意思表示の為に。当然、ルキセクエスはクシャトカトラの細やかな望みなど無視した。
「『イナサプテ計画』の件だ。まだ諦められないのか?」
友人の問い掛けにクシャトカトラは沈黙を返した。
「イナサプテ計画」とはクシャトカトラが立案した事業で、食人鬼達の伝承に登場する吸血の怪物「イナサプテ」から名を貰っている。内容もこの怪物の習性と似ており、二足獣の血液を食材として活用、流通させることを目指している。採取元の二足獣を殺さず何度も再利用する方法である為、食糧供給の安定化に繋がると期待されていた。尤もクシャトカトラはそこに留まらず、最終的には食人鬼の主食をイナサプテ計画によって生み出された食品と入れ替える魂胆を抱いていた。
ルキセクエスは話を続ける。
「確かに奴等は俺達と姿形が似ているから、切り捌いて口に入れることに抵抗感を抱くのも全く理解出来ない訳ではない。乱獲が原因の食糧危機を回避するには、厳格な管理が必要という意見もな。でも、飼育された獣の味はどうやったって天然物には劣る」
「上流階級であっても予約数か月待ちという希少品だぞ。それだけで賄っていくのは現実的ではない」
「良いから聞けよ。家畜の味を落とす要因は他にもある。二足獣の養畜には、繁殖や成長を促進させる薬剤の投与が必須だ。但し、その方法には味の劣化をより強める欠点もある」
「しつこい。子供でも知っている様な話をするな。私を何だと思っているんだ。しかも、どうにもならないことばかり気に掛けて」
「いいや、お前は忘れているよ。正確には『目を背けようとしている』か。確かにお前の言う通り、養畜についてはどうにもならないのだろうよ。だから皆、渋々ながらも不味い肉を受け入れているんだ。なのに、お前は更にこれを血液で代用して人々に苦行を強いようとしている。流石に横暴が過ぎるんじゃないか? 無神経にも程がある。実際多くの者が同じ考えで、陛下がお認めになったにも拘らず、未だに反対の声が治まらない状況だ」
不快な説教に辟易し、クシャトカトラは話の途中で小さな溜息を吐く。和やかであってほしかった友人との会食の場は、すっかり台無しになってしまった。
確かにルキセクエスの指摘通り、イナサプテ計画に対する世間の反発は大きい。食人鬼の殆どは血の気が多く、暴力沙汰は日常茶飯事という有様なので、クシャトカトラは計画公表後に何度も襲撃を受けた。ルキセクエスが友人の身を案じて再考を求めるのも無理からぬことではある。しかしながら、既に王宮よりお墨付きを貰って公費を分配された段階だ。クシャトカトラの一存で如何こう出来る時期はとっくに過ぎていた。尤もそれが可能だったとしても、彼に計画を中止する意思は皆無なのだが。
「食が細く味に疎い私には、到底理解出来ない思考だな。食欲という本能に振り回されて、どちらが獣か分かったものではない」
「クシャトカトラ、俺はお前が心配なんだ」
常日頃は軽薄な振る舞いの多い若者が、この時ばかりは真剣な顔を向けて来る。クシャトカトラは鋭い視線に押し負けて、つい目を反らした。思い掛けず、手元の皿が視界に入る。客人に出した物とは異なり、植物由来の食材と二足獣の血液を混ぜた練り物、そして付け合わせの野菜が載っている。彼は数年似た様な食事を続けていた。
クシャトカトラは食べ掛けの料理をじっと見詰めた。
「知っている。だが、我が身可愛いさに果たすべき使命を投げ出せと? 斯様な言葉に揺れ動く軟弱者ならば、私は今直ぐにでも地位と家督を他人に譲り渡した方が良い。今の立場に見合った器ではない」
「殺さず採取するにせよ、奴等を食料としていることに変わりはない。そして、どの道老いて役目を果たせくなった二足獣は処分される。つまり、現状と大して差はないんだよ。そんな些細な変化の為に他人の恨みを買わなくても良いだろう」
「違うさ。生きているのと死んでいるのとでは全く違う。それに事業の本筋は慈善ではない。食料危機対策だ。勘違いするなよ。あと、現在世に提示しているものが計画の全てではない。次の段階についても考えている。よって、お前の心配はただただ鬱陶しいだけだ」
「けどなあ――」
「この話は終わりだ」
相手の言い分に納得出来ないルキセクエスは説得を続けようとしたが、クシャトカトラは耳を貸すのを拒まんとして彼の言葉を遮る。次にクシャトカトラは片手を上げ、部屋の隅に控えていた使用人達に合図を送った。
「どうあっても気に入らない様だから、もう料理は下げさせるぞ。一晩ひもじい思いをしていろ」
「だから、食べると言っているだろう。ちゃんと食べないと食材にも悪いものな、うん」
ルキセクエスは慌てて両手で皿を守り、安全が確保されると皿を持ち上げて口の中に料理を掻き込んだ。立場的にも場所的にも相応しくない品のなさである。これにはクシャトカトラのみならず使用人までもが思わず顔を顰めたが、相手の気迫や勢いに気圧されて注意を促すのを躊躇ってしまった。
食欲を削がれたクシャトカトラは、食器を持ち直す代わりに左手の中指に嵌めた指輪を弄り始める。愛用の品だ。幅は細く銀白色をしており、表面には細かな彫刻が施されている。故に、金属製ながら手触りはざらざらとしていた。その感触を楽しみながら、彼は苛立ちを沈める。そこで、ふと先程自分やルキセクエスが発した言葉が気になり始めた。
(「食材」か)
問題の単語と共に脳裏に浮かんだのは、夕食前の空腹を鎮める目的で利用した二足獣の娘ササラの姿だった。
◇◇◇
二足獣の飼育小屋である「畜舎」――その内に設けられた一室にササラはいた。時刻は既に深夜だ。にも拘わらず、彼女は興奮で眠れない。同室を宛がわれた他の家畜達が横になる中、一人だけ壁に凭れ掛かって座り、右手を繰り返し撫でていた。人差し指にはまた布が巻かれている。クシャトカトラが新しく付けた傷を保護する為だ。手を動かす度に傷口は痛みを発したが、彼女には不思議とそれが苦にならない。ササラの脳裏に、目を伏せ彼女の指を咥えるクシャトカトラの整った顔が浮かんだ。
「ふふ」
無意識に口元が綻ぶ。だが、幸福な時間は長くは続かなかった。
どん、という轟音が響く。同時に畜舎全体が大きく揺れた。壁に押し返されたササラは、反射的に地面に手を突いた。ややあって悲鳴や怒声が聞こえ始めると、彼女は先程とは打って変わって顔面蒼白になった。
「何?」
周囲にいる者も次第に目を覚ます。続いて、状況が理解出来ず困惑した。彼等は非力な家畜だ。数が増えたからと言って、事態を変えられる訳ではない。迫り来る声や足音に怯えて、ただ身を震わせるしかなかった。
音は自室で眠っていたクシャトカトラの許にも届いた。彼が驚いて上半身を起こした直後、室外に控えていた使用人が扉の向こうから「旦那様」と呼び掛けた。
クシャトカトラは寝台から降り、椅子に掛けていた上衣を羽織って扉へと向かう。
「何があった?」
そう尋ねるも使用人達は事情を知らず、内一人が「調べて参ります」と言い残して走り去った。報告を待つ間、クシャトカトラは他の使用人を室内に招き入れて自身の身形を整えさせた。
程なくして、ルキセクエスが現れる。彼は帯剣していた。何かしら情報を持っているらしく表情は険しい。
「クシャトカトラ、起きていたのか」
「この音で起きた。お前は事情を知っているのか?」
「敵襲だ。二足獣の畜舎が襲われたらしい。既に城兵が現場へ向かっているそうだ。俺も向かおうとしたが、途中で家令に出くわしてお前を守るよう頼まれてな。此方へ来たんだ」
「その家令は何処へ行ったんだ?」
「執務室へ行くと言っていた」
家令は恐らくクシャトカトラが執務室へ向かい、そこから臣へ指示を出すと予想したのだろう。ならば、直近の方針は決まった。
「では、私も執務室へ向かおう。それにしても、一体誰がこんな蛮行を」
「さあな。例の計画に反発する者か、或いは――」
続く言葉はない。一体何を言わんとしたのか、何故言い淀んだのか、という追及もない。今のクシャトカトラは余り冷静ではなかった。
ともあれ、二人は城内にある執務室へと走った。道中も時折爆発音が聞こえてくる。発生源は畜舎のある方角だ。
(皆、無事だと良いが……)
クシャトカトラは焦燥に駆られて、目的地へ向かう足を早めた。
一際大きな音がササラのいる部屋に響いた。家畜は皆目を瞑り、悲鳴を上げる。少しして彼等が目を開けると、木製の室内扉は吹き飛んでおり、長方形の穴の向こうには見知らぬ人々が立っていた。彼等は城兵とも非戦闘員の使用人とも大きく異なる意匠の服を身に着けている。明らかに部外者だ。家畜達は直感的に彼等が騒動を引き起こした犯人であると理解した。
ササラは他の家畜と同様に狼藉者を凝視する。続いて、彼等の背後にある破れた壁の穴から覗く外の景色が目に入り、思わず「酷い」と呟いた。何時も彼女がクシャトカトラの許へ行く際に渡っていた道は、手酷く荒らされていた。端の方では炎と煙がちらついて見える。奇妙なことに大惨事の割に城の住人が集まっている気配はなく、もしや彼等に何かあったのでは、と思わせた。
(御主人様は大丈夫なのかな。もしご無事なら、このことをお知らせしないと)
そう決意すると、ササラの中にあった恐怖が急速に薄れていく。自身の命なんてどうなっても良いという気持ちさえ湧いてくる。近付いて来る相手を睨みながら、ササラは必死に考えを巡らせた。だが、武器を持つ彼等から逃れてクシャトカトラと合流する手段が思い浮かばない。彼女は徐々に焦燥を強め、余計に頭が回らなくなるという悪循環に陥った。
そこで時間切れとなった。家畜を品定めする様に眺めていた襲撃者の一人が、幾度かササラを見た後に動きを止めたのだ。相手はササラと然して年齢差がないであろう女性だ。ササラの方も女性の様子に気付いて視線を返す。すると相手は、ぱっと表情を明るくしてササラに駆け寄り、腕を掴んだ。
「ひっ!」
ササラは短く悲鳴を上げる。けれども、相手は構わず話し掛けてきた。
「63v7qsv7Gc5G7a」
忌避感により歪んだ口が「え?」という声を漏らす。ササラには女性が何を言っているのか分からなかったのだ。日常会話に必要な言葉は教わっていたが、女性が話しているものはその中に含まれていなかった。
「eqeDcGfG+fqeqe?acq2v-ZD2ve5q3v7qcqeGsv7Gc5G7a」
女性はササラの困惑を無視して話を続ける。ササラは返答をしない。と言うより、出来ない。似た形をした生き物なのに、醜い姿をした虫や軟体生物に対するものと同種の嫌悪感をササラは覚えた。
不意に、ササラは薄ぼんやりとクシャトカトラから類似例を教わったのを思い出す。彼女は更に詳細な記憶を呼び起こそうと顔を顰め、片目を手で押さえる。そこで、襲撃者の女性は笑顔から一転暗い表情になった。
「99eD7Geve?a2?vtG」
暫し俯いて考える素振りを見せた後、女性はササラの腕を掴む指の力を強めた。
「fa2v7Gea2?a7Ge?ae5qsqcqcvcvca2qtq-eDcGeDfGea」
「痛っ。嫌だ、何するの?」
ササラは身を捩る。自分に危害が加えられることを予感し、女性から逃れようと暴れる。仲間同士で話をしたり他の家畜と遣り取りをしたりしていた襲撃者の視線がササラに集中した。間を置かず、若い男性がササラ達に近付いてきた。
「8eq7Gfae5v」
この男性も知らない言葉を発した。女性は彼の方へ顔を向けて返事をする。
「fGeqJGfGZqeD75Gfaeac5qt5qevcv+Jve5D-ZveqcDeaJG8saeDfDt5vfv+3v7qsv7Gc5G7a」
「Zqe5qfae5v3vJD-cq75GJq」
男性は渋面になって腕を組み、短い間唸っていたが、やがて腕を下ろして口を開いた。
「fasve5qfGfGc5qfatvZvsqcqeDe?afDcqtqZvsa7a3a7GZqtq-Zq7GsafqJvcGca2q3vtvtqZG3veD2?vcG-facvfGeDsDeaJve5DZGsG2qsGJa75afDfqsGev」
「3v7qsv7Gc5G7a+ZD3vJDc5v-eqe?acq3q-ZDe5qfa7v」
命令なり提案なり受けたのであろう女性は再度ササラの方を向き、今度は両手で彼女の腕を掴んで引き上げる。無理矢理立たされたササラは、一層激しく暴れた。
「止めて。御主人様、御主人様!」
だが、幾ら藻掻いても女性の手は外れない。ササラが女性から顔を背けると、仲間の家畜達が次々と畜舎の外へ連れ去られる光景が目に入った。ササラの目に涙が滲んだ。
畜舎に残った家畜がササラだけになった時、大柄で筋肉質な男性が彼女達の許へと遣って来た。今までササラの相手を受け持っていた女性が横へ避けると、透かさず彼はササラを抱え上げて運び出す。
「いやだあっ!」
涙ながらの歎願は聞き入れられず、縄で縛られ馬車の荷台へ放り込まれたササラは、そのまま慣れ親しんだ住まいを去る羽目になったのである。




