18
ササラの脳内を満たしていた白光が徐々に薄れていく。同時に長らく失われていた記憶が蘇って来た。
真っ先に浮かんだのは、故郷の世界を去った日の光景だ。ササラ――否、スギシロ・チナは同じ年齢、同じ意匠の服を着た他の若者達と共に、規則正しく並ぶ机の内の一台の前に座っている。室内にはマミヤ・イツキとサトウ・マサルもいた。
程なく、部屋の端に立つ中年の男性が手に持った本を見ながら呼び掛ける。
「じゃあ、次の行から最後までを間宮」
「はい」
イツキは机に置いていた本を持って立ち上がる。次に、紙面に書かれた文字を音読し始めた。チナは手元にある同種の本へと目を落とし、心の中で溜息を吐いた。
(昼休みまで後三分か。早く終わらないかな)
退屈だった。平凡で穏やかな日常だった。しかし、その贅沢な時間は突如終わりを迎える。
何の前触れもなく、眩い光が彼女のいた部屋を瞬時に包んだ。
「うっ、何?」
「眩しっ!」
室内の方々から悲鳴が聞こえた。
光が消えた時、チナ達は宮殿の様な場所にいた。西洋風と東洋風、それに加えて機械類にも見える金属装飾が合わさった見慣れない建築様式だ。不思議なことに、異なる文化の産物を組み合わせているにも拘らず、歪さや安っぽさは感じられない。故に、きっとこれらは未知の文化圏の物なのだろう、とチナは素直に受け入れた。
問題は「何故チナ達は現在この場所にいるのか」だ。つい先程までは確かに学校の教室の中にいたのに。
「何だ、ここは?」
「えっ、何処?」
「何が起こったの?」
「分かんないよ」
生徒達は各々動揺の言葉を吐く。小さな悲鳴を上げる者もいた。だが、響いたのは彼等の声だけではなかった。
「かささろテささロたほなれまびなろささヲラ
(やった、成功だ!)」
「たさはさまろヲらさかびロあさたろヲまさたれなれシャたれはびたれヲはびさほヲわびロわびさろテさびなびされさろなれさほなれやろたびヲ
(騒ぐなよ、恥ずかしい。新人でも、もっと落ち着いているぞ)」
「ささヲさろテさほかびなびロなろわさたびなろらさられまろまさヲまびはびらさられヴヴ
(だってよお、美味そうな肉がこんなに……)」
部屋の隅に立つ異国の服を着た青年達が会話する。チナには意味が取れない言葉だ。しかし、ササラには理解出来る。出来るが、今の彼女の意識はササラのものではなく、チナの支配下にあった。
チナは恐怖に怯えつつ周囲を見回す。室内には件の二人以外にも宮殿の関係者と思わしき人々がおり、チナ達を観察している。他の生徒もそれに気付き、声を潜めて話し出した。
「外国人?」
「ぽいね。でも、何処の人だろう。喋ってるの、英語じゃないみたいだけど」
意思疎通が可能かは不明だが、取り敢えず人間の姿を確認して、生徒達は徐々に落ち着きを取り戻す。片や異国の青年達は、生徒達に干渉することなく会話を続けた。
「なびわさなほあさなれまれさほなれやろさびヲなろあろヲさろまさやさされかびテなろやれたれささられまろらびたれヲかびテなろささなれはろわびなろたびなろさほヲまれやろらびまさシャさびヲはびささヲまほたれかびテまろかびまろなびなろたほなれらさはびささヲかび
(お前は生きている動物から調理した肉の状態を妄想出来るのか。どんだけ食欲旺盛なんだよ)」
「らさはびささヲなびわさなほロらさわさはろまろさろテささまびさびまさヲらさなれらびまさシャたろさろテまほヲなほなろわさなれはびささヲたびヲシャなれさろテまさなれかささろテさほわれらさ
(何だお前、生を食ったことがないのか。すっげえ旨いんだぞ。一回やってみな)」
「なさまろたれかろテわれシャなびやほあさなほはびやれかびテまろたれさほなびまろかびシャなささろテロささなれされかびテなろまさヲまびさろテされられやさはびさほヲやろシャあさかさまろたれまびヲさびられさびやれまさまさやさらさなれさびなびまびやさやほやろたびヲ
(悪趣味。俺は遠慮しておくよ。あっ、隊長がこっち睨んでる。早く仕事に取り掛からないと怒られるぞ)」
「されイシャわさなさロなびささらびたれわれあさなささびられさびさろテさほなびまろさびたろやろまさシャあびやさなびわさなほささされロたささろテたささびさささほ
(ちぇー。まあ、お楽しみは後に取っておくとするか。ほらお前達、さっさと立て)」
青年の片割れが近くに座り込んでいた女子生徒の腕を掴んで立ち上がらせる。被害を受けた少女は「痛っ、何?」と言って身を捩った。側にいた彼女の友人は絶句し蒼褪める。その様子を暴挙を働いた青年は下卑た笑いを浮かべながら見下ろしていた。
「おい、何をやってるんだ! あんた達は一体何なんだ!」
生徒達の師たる中年男性が、怒りに任せて青年に詰め寄る。少なくとも表面上は正義感が強い、とチナが評する人物だ。見方を変えれば、彼は傲慢で向こう見ずでもあった。異国の青年達は槍に似た武器を所持していたので、教師の行動は軽率と言うより他はない。青年の方も同じ感想を抱いたのだろう。捕えていた少女を投げ捨てて教師を睨んだ。
「あさはびまびなろさほまれささヲらさ
(反抗的だな)」
「なびわさなほらさなさロされかさテはびさびさほたれヲかろテはびたれかびテさびヲなびやれられかさやほかびシャわさたろヲあさらほわろやさたほさほクク
(お前なあ、ちゃんと手順書通りにやれよ。まずは眠らせて――)」
「わほはびさびヲまろたほなほシャまほわびらびなさなれさほられたびまびわささほヲさほわさはろまさまほやろあれさろかびなろまさヲなさやろまさかび
(面倒臭え。獣相手にそこまで手間を掛ける必要があるかよ)」
同胞の忠告も聞かず、乱暴者の青年は再びにやりと口の端を吊り上げる。そして、彼は教師を掴み――。
「まさたれヲさろテさほかさやほシャなほなれさろテラ
(齧ってやれ。えいっ!)」
青年は教師の首を折り曲げ、上を向いた部分に噛み付き、肉を食い千切った。教師は目を剥き、傷口から血を噴き出しながら倒れる。彼自身は声を上げなかったが、周囲にいた生徒達がそれを代行した。けたたましい音に反応して、異国人達が一斉に加害者の青年を見る。もう一人の青年は慌てた。
「なびなれさろテラ
(おいっ!)」
「あさあさロまほわびらびあさまびなろさほヲらさまろされかさテらさシャあさはびまびなろさほまれらさはさやれられなさたれヲあさはさやろまろらさなれシャわびなろたろまびたれさろわさわれまろヲなれたれさほかさやろまさ
(はは、獣はこうでなくちゃな。反抗的な割に味は悪くない。もう少し摘まみ食いしてやるか)」
乱暴者は反省しない。口内で咀嚼していた肉を飲み込んだ後にそう言うと、意識のない教師の腕を引き寄せ、服の袖をたくし上げる。続いて腕に噛み付き、また肉を千切って咀嚼する。生徒達は甲高い声を発した。堪え切れず意識を失う者も現れた。
「あほあほさろテロさびわさやさらほなほかさ
(へへっ、止まらねえや)」
チナも意識を失いたかった。けれど叶わず、どうしてか惨劇から目を離すことも儘ならなかった。
(人間が、人間を食べてる?)
この場にいる見知らぬ人々は人間の形をした化け物であると、チナは漸く理解する。だが、逃げられない。逃げ道が分からない以前に腰が抜けて動けない。次の犠牲者は自分かもしれないと分かっていても、どうしても動けなかった。
「たびまびらびわびらびロらさられはろたれさほなれやろラ
(そこの者、何をしている!)」
壮年と思わしき筋肉質な異国人が、憤怒の形相となって食事をする青年に駆け寄る。口元を赤く染めた青年は思わず顔を上げ、呆気に取られて立ち尽くしていた彼の相棒は嘆息した。
「たびやさロわれささまびさびまさ
(そら、見たことか)」
「なろさろテたほなほ
(うっせえ)」
乱暴者の青年は同僚を睨んだ後に、筋肉質な男性を笑顔で迎えた。彼等よりも身形が立派で年上に見えるので、もしかしたら上司なのかもしれない。
「なれかさなさロわびなろたれはさまほらさなれシャさろなれロわさまさヲたさたれさほたれわさなれわさたれさほシャなさなさロまびなれさろあさわびなろさろまさなれわびらびられらさやさらさなれさほヲたれかびテなろシャたれヲあろヲはびまさヲあれまれさびやれわさたろかびシャわびされやびはびロまさらほあさあさやさなれわさたろまさやさ
(いやあ、申し訳ない。つい、魔が差してしまいまして。ああ、こいつはもう使い物にならないでしょう。自分が引き取りますよ。勿論、金は払いますから)」
「たびなろなれなろわびはびささヲなれさほヲあさらさなれラ
(そういう問題ではない!)」
上司らしき男性が怒鳴った時だ。爆発音と振動が宮殿を襲う。今度は生徒だけではなく、異国人の一部も短い悲鳴を上げた。
轟音は以降も断続的に発生した。そして、恐らくは対策の為に異国人達がこれまでとは異なる動きをし始めた所で、部屋の壁が一際大きな音を立てて吹き飛ぶ。直後何かが投げ込まれ、室内は白煙に包まれた。
「次から次へと何なんだよ!」
男子生徒が叫ぶ。誰であるかはチナには判別が付かない。続いて、覚えのない成人男性の声が煙の中から聞こえた。
「お前達、奴等が怯んでいる隙に此方へ来い! このままだと全員奴等に殺されるぞ」
「あんた、誰!」
「味方だ。だが今、詳しく話している時間はない。兎に角、我々の方へ。早く逃げるんだ」
男子生徒は短い間だけ黙り込んでからこう答える。
「分かった。連れて行ってくれ」
「えっ、行くの? あの人達だって本当に味方かどうか……」
此方は女子生徒の声だ。暗に再考を促す彼女に対し、男子生徒は怒りを露にする。
「お前も先生みたいになりたいのかよ! 誰が何と言おうと俺は行くぞ」
生徒達は無言になる。だが、少しして賛同の返事が疎らに出始めた。
「そうだな」
「私も行きます」
殆どの生徒が彼と同じ結論に至った。運悪く異国人の集団に近い場所にいた所為で、沈黙せざるを得なかったチナを除いては。
煙に映った影が忙しなく動き、相手の目的を察した異国人達が騒ぎ出す。
「られまほヲやろたびヲシャさびわほやびラ
(逃げるぞ。止めろ!)」
「らさわさなれまれらさシャわささほラヴヴさろテさほロなろはささろテラ
(生意気な。待て! ……って、うわっ!)」
「なさなれさろやさヴヴ
(あいつら……)」
時折金属音や破裂音が立つも、やがて生徒の殆どが救出に駆け付けた者達の許へ行き着いたらしく、チナの耳にこの様な遣り取りが届いた。
「生きている者は、これで全員か?」
「待って。まだ、杉白さんが――」
イツキだ。チナとは余り付き合いがなかったが、記憶には残っている。異界に来て救世主として持ち上げられる前より、華のある彼女は人々の中心におり、その声は環境音の如く常に響いていた為だ。
一拍置いて、知らない男性が答える。
「駄目だ。位置が悪い。食人鬼の群れに近過ぎる。済まないが、諦めてくれ」
「でも!」
「間宮、我儘を言うな!」
食い下がるイツキを叱責したのは、男子生徒の何れかだ。或いは、マサルであったのかもしれない。当時はまだ然程イツキとは交流がなかった筈だが。
「行ってくれ」
「待ってて、杉白さん! 必ず迎えに来るから。それまで生きて!」
イツキが言い終わる前に、馬の嘶きとがらがらという音が鳴る。チナは物言えぬまま彼等を見送った。暫くすると味方の気配は完全に消え、チナだけが人食いの化け物達の中に取り残される。彼女は絶望した。
時間が経過し、煙が薄れて室内の状況が明らかとなる。チナと同郷の者で他に残っているのは、やはり教師の死体だけだった。彼を殺した青年は地団太を踏む。
「されまろたれかびテなろラ
(畜生!)」
「なびわさなほらびたほなれささヲまさやさらさシャまれされはびさびらほわろやさたほさほなびまほあさヲロまびまびわささほヲらびあれまさヲなれられあさらさやさらさまささろテささささヲやびなろられ
(お前の所為だからな。きちんと眠らせておけば、ここまでの被害にはならなかっただろうに)」
「まびはびらさまびさびられらさやろさびあさなびわびはさらさまささろテささはびささヲかびラ
(こんなことになるとは思わなかったんだよ!)」
他の異国人も渋面となって各々話をしている。チナの耳に、背後に立つ男性達の声が入って来た。室内でも一際立派な衣服を身に着けた一団だ。
「なれまさまさヲなれささたれわさたれかびテなろナ
(如何致しましょう?)」
「まれかびテなろたれヲかろテなろられたれかびテなろまさはびわさあびなろはろたさなれあささろさびヲなろたさたほやろまびさびあさまさらびなろまさナ
(今日中に召喚魔法を再発動させることは可能か?)」
「なささびなれされさびヲささヲまほらさやさ
(後一度だけなら)」
「さほヲあさロたびらびかびなろられシャたろさほヲられたほなれまさあさなほささらびささヲまさやさロかささろやさわびあれまれまさなほたれさほあさまびらさなれささヲやびなろ
(では、その様に。既に成果は得たのだから、奴等も引き返しては来ないだろう)」
「まさたれまびわさやれわさたれささ
(畏まりました)」
チナは死の恐怖に抑圧されて振り向けず、ただ震えながら彼等の会話を聞いていた。やがて硬質な足音が響き、数名が自身から遠ざかったことを知る。
「わささろテささまろロまほなれあれヲあほなれあさらさられはろかささろテさほなれささはびささヲシャまびはびらさなびまろわささほヲたれはびられかろテなろはろかろやろたろらささびヲシャなささびさほヲたほまれられはびはろさろなれまれかろテなろたれさほかさやろたびヲ
(まったく、警備兵は何をやっていたんだ。こんな奥まで侵入を許すなど。後で責任を追及してやるぞ)」
「わほはびあびヲまろたれささヲなれわびまびヲたさヲなれわさたほはび
(面目次第も御座いません)」
小さくなっていく声に安堵したのも束の間、チナの直ぐ側で若い男の声がする。
「ささヲなれたれヲかびテなろあろヲまさナ
(大丈夫か?)」
「ひっ!」
チナは勢い良く振り返った。すると、予想通り目の前に異国人が一人立っている。細かな刺繍が施された動き難そうな衣服と部品の多い装飾品を幾つも身に着けた端正な面立ちの若者だ。彼等の中では高い地位にある人物に相違ない。
「まびはさまさヲやさたほさほたろわさらさまささろテささらさ
(怖がらせて済まなかったな)」
彼は穏やかな微笑を浮かべて膝を突き、チナに向かって左手を差し出した。その指に嵌った細身の指輪が、照明の光を反射してチナの目を刺激する。彼女は思わず目を細めた。
眼前の若者は優し気でチナに味方してくれそうではある。けれども、彼もまたあの人食いの化け物の仲間なのだ。柔らかい物腰も相手を油断させる為の欺瞞に違いない。そう悟ったチナは、急速に肥大する恐怖心と生理的嫌悪感に心身を乗っ取られた。
「あ、ああ……っ」
意味を成さない呻きを漏らして、彼女の意識はぷつりと途絶えた。それがスギシロ・チナの記憶の最後だ。
◇◇◇
血と死体で飾られた空間に絶叫が響いた。「チナ」は目を剥き頭を抱え、覚束ない足取りで後退りする。異様な状態の彼女に不安を覚えたクシャトカトラは「ササラ?」と呟いた。
「馬鹿、何やってんだよ!」
雲行きが怪しいと感じたルキセクエスは腰に提げた剣の柄を握り、チナを目指して走り出す。クシャトカトラは両者の間に割って入った。
「止めろ、彼女を殺すな! ササラ、大丈夫か?」
「あ、ああ、ああ……」
返って来たのは意味を宿さない懊悩の音だ。クシャトカトラは顔を顰めてチナに手を伸ばす。次の瞬間、彼女は死体に躓いて派手に転んだ。
「ササラ!」
「う、ぐ……」
「ササラ、落ち着け」
痛みに刺激され、チナの意識が漸く自分以外のものにも向く様になる。彼女はゆっくりと半身を起こした。すると、真正面にクシャトカトラの顔が配置される。口元を血で汚した顔が。それに気付いた時、チナの頭の中で嘗て教師を食い殺した食人鬼とクシャトカトラの姿が重なった。チナは瞠目し、間髪入れず手元に転がっていた短剣を拾った。
「あ……」
クシャトカトラの口から締まりのない声が漏れた。短剣の刃先が突如伸長し、彼の胸を刺し貫いたのだ。この短剣は二足獣向けに作られた形象機器であった。彼が殺した抵抗組織の構成員の一人が所持していたのだろう。
獲物を負傷させた剣は再び元の長さに戻った。クシャトカトラは胸元を掴んで立ち上がり、数歩後退する。然る後に、彼は足を縺れさせて転倒した。言葉を失い棒立ちになっていたルキセクエスは「クシャトカトラ!」と叫んだ。
チナが恐れていた脅威は一先ず彼女から離れた。しかし、彼女は一刺しだけでは許さない。立とうとするクシャトカトラに飛び掛かり、押し倒し、何度も何度も刃を突き立てる。短剣はもう伸びない。気を使う作業に意識を割く余裕は、今のチナにはない。けれども、魔法を使う必要は全くなかった。
「ああっ! あああっ! ああっ!」
攻撃を加える度、彼女は獣の如く喚き散らす。チナを突き動かしているのは、復讐心でも厳密には恐怖心でもない。生存本能だ。そして、それを有していたのはチナだけではない。
「あ、うあ……」
クシャトカトラは呻いた。形象機器を装着した首が熱を帯びる。目の前にいる獲物を食らえ、と呼び掛ける。頭の中が赤く染まり、気が遠のき掛けた。
(駄目だ)
そう思いつつも、手が自然とチナへ向かって伸びる。ところが、爪が首に当たった所で彼は肉体の支配権を取り戻した。クシャトカトラは手を己が首輪へと持って行き、それを外して投げ捨てる。すると、ややあって肉体から急速に幻素が失われ始めた。
食人鬼の生命活動に必要な幻素の喪失は、即ちその食人鬼の死を意味する。にも拘らず、クシャトカトラはチナの行動を容認した。自らの罪と罰を受け入れたのである。
「止めろ!」
衝撃的な出来事が続き、呆然となっていたルキセクエスが我に返る。彼は剣を抜き、チナを排除しようと迫った。しかし、クシャトカトラが足元に光弾を撃ち込み邪魔をする。ルキセクエスは「クシャトカトラ!」と怒鳴った。無論、愚かな友人は耳を貸さない。クシャトカトラが最期の瞬間に聞きたいのは、ルキセクエスの声ではないのだ。
クシャトカトラは再度チナへと手を伸ばす。
「サ、サラ……私はお前、を……」
そこで彼の息は止まった。その手は目的を達成する前に脱力し、血溜まりの中に落ちた。
「クシャトカトラ……!」
ルキセクエスは戦場にありながら武器を取り落とした。一方、チナはクシャトカトラが死んだ後も攻撃を繰り返す。
暫くして、彼女は敵が動かなくなったことに気付き、作業を中断した。思考は停止したままだ。正気に戻ったのは、荒い息を幾度か吐いてからだった。
「……え?」
復活したのは正常な思考だけではない。「ササラ」の意識と記憶もだ。彼女は自らが犯した過ちを認識し、顔面蒼白になった。
「あ、あ……」
反射的にクシャトカトラの死体から飛び退き、少しずつ後ろへ下がる。
「わ、わたし、ちがっ……わたしは……」
首を数回横に振り、短剣を握っていない方の手で頭を押さえる。クシャトカトラを殺した凶器は何故か手から離れなかった。比喩ではなく、皮膚に貼り付いて剥がれなかったのだ。だが彼女は他の問題に気を取られ、異変には気付かない。短剣の姿をした二足獣用形象機器が、今尚使用者の命素を異常な速度で吸い上げていることにも。
彼女が偶然拾ったこの短剣型形象機器は故障していた。長らく保守点検を受けられず、クシャトカトラとの戦闘によって止めを刺された形だ。故に、敵の自動追尾機能が搭載されていながら、現在は少しばかり長さを変える位しか出来ない。そして、その些細な効果に見合わない量の命素を要求するのである。
新たな使い手に渡った短剣は、新たに得た能力を遺憾なく発揮した。
本来ならば友人の仇に向かって復讐心を燃やしていただろうルキセクエスは、身の毛もよだつ光景を前にして固まる。続いて、何とか声を絞り出し質問を投げようとした。
「お、お前――あっ!」
ルキセクエスが足を踏み出した瞬間、スギシロ・チナにしてササラである者の肉体が一気に干上がる。間を置かず、彼女は斧を入れられた樹木の如く傾き、荒れた大地に転がった。誰から見ても死んだと分かる状態だった。
「嘘だろ……」
続く言葉はない。ルキセクエスは地面に腰を下ろし、戦場を呆然と眺めた。




