16
今の時期には似つかわしくない暖かく乾いた夜だった。空には宝石が如き星々の川が浮かんでいる。その星空の下を一頭の大きな馬が走っていた。普通の馬ではない。肉体に形象機器を組み込まれた強化獣である。背中には二人の人間を乗せていた。否、片一方はこの世界において人間に分類されていない。
「あの、何方へ?」
手綱を握る者の胴にしがみ付いた二足獣――ササラが問うと、相手はぶっきら棒にこう言った。
「誰が発言を許した」
「あっ、失礼致しました」
不測の事態が立て続けに起こった所為で己が立場を忘却していたササラは、ルキセクエスに指摘によってそれを思い出す。彼女が沈黙したのを認めると、ルキセクエスは漸く状況説明を始めた。これから行わせる仕事のことを考えれば、確かにある程度ササラに事情を理解させておく必要はあるのだ。
「ふん、口を閉じたまま聞け。我が友クシャトカトラは、王の近臣たるフブフゲルグ様よりお前を処分するよう命じられていた。しかしクシャトカトラは拒み、その咎を戦功で贖おうとした」
「『戦功』って……」
「喋るなと言ったが?」
「し、失礼致しました」
ササラは再び黙り、ルキセクエスは溜息を吐く。
「まったく、これ程までに素行の悪い家畜の一体何処を気に入ったんだか。ともあれ、あいつはお前が原因で碌に訓練も受けていない癖に戦地へ赴く羽目になった。そして無理が祟って疲弊、心が変質してしまった。今のあいつは正常な状態じゃない。このまま突き進めば、元には戻れなくなる。だから――」
返事はない。今度はきちんと命令に従った様だ。ルキセクエスは話を続けた。
「元凶であるお前には責任を取ってもらう。何としてもクシャトカトラを止めろ」
ルキセクエスは手綱を動かす。直後、馬が嘶き足を速めた。ササラはルキセクエスの胴に回した腕の力を強めた。
以降、会話は一切なかった。ササラはルキセクエスの言葉を反芻する。信じ難い内容だった。クシャトカトラは心優しい青年だが、貴い立場にあり、強い信念も持っていた。その彼がたった一匹の家畜を案じて己や背負うものを犠牲にするだろうか。少なくともササラにはそうする理由に見当が付かなかった。然りとて、二足獣を下に見るルキセクエスが二足獣を謀ることに労力を費やすとは思えない。そこまでの価値はササラにはない、暴力で従えた方が早い、と考える筈だ。ならば――。
(御主人様が私の所為で? 本当に?)
あのクシャトカトラが果たして戦場で真面にやっていけるのか。それ以前に、彼は他者の命を屠れるのか。食事における殺生すら忌避していたというのに。
ササラの身から血の気が引いた。
◇◇◇
翌日夕刻、都から北西方向に馬で三日掛かる場所に食人鬼の軍勢が布陣を敷いた。目的は抵抗組織の本拠地の壊滅である。この一帯は岩山が連なっており、二足獣達は岩壁や地面に穴を掘ってそこを活動拠点としていた。
「6ZGevcvZq3vcve5D3vZq6e?afa2?v7GcaeG6e?a7vca」
「6e?afDc5a**ZGcve5vfGeqe?afG+sa75D/saJD-e5qfG7DZveafGfq+fGeqe?a75D」
魔法士達が放つ砲撃の雨が、防御の薄い箇所を破壊する。中にいた者は崩れた壁に圧し潰されるか、砲撃が直接当たって次々に死んでいった。
その光景を腕を組んで睨みながら、厳めしい容貌の司令官は悪態を吐いた。
「人語を解さぬ獣共めが、生意気にも人間様に歯向かいおって。疾く潰えよ!」
言動に侮蔑が表れるも、嘲笑はない。食人鬼達は最早二足獣の力を過小評価してはいなかった。
一方、後方にて待機を命じられている部隊では、作戦行動中とは思えない程に気の抜けた空気が漂っていた。持ち場から離れている者も散見され、上官も彼等に軽く注意するものの、無理に止めてはいない。武器を持っているとは言え、敵は所詮獣風情。今回の作戦も戦争や内乱鎮圧ではなく害獣駆除という名目だ。この規模の兵力を投入に批判的な意見さえ出た位だ。従って、彼等の間では「現状は既に消化試合に等しい」という認識が暗黙の内に共有されていた。
そうした中、三人の兵士が破壊音に耳を傾けつつ戦況について語り合っていた。
「それにしても、あれ程の量の野獣が近場に隠れているだなんて思いもしませんでした。有り得るんですね、こんなことが」
食人鬼特有の優れた視力で岩壁に開けられた穴からまろび出る死体を捕らえ、兵士の一人が感嘆の息を吐く。三人の中では一番の後輩だ。成人して間もない歳で、そこはかとなく幼さが表れている。
「まあ、魔法による工事が可能なら、確かに身を隠し易い場所ではありますからね」
応じたのは一兵卒という立場には不釣り合いな気品のある青年だ。観劇用眼鏡に似た形象機器を目に当てて、前方を見ている。それ故に、彼は三人の中では最も詳細に最前線の状況を知っていた。
最後に口を開いたのは、使い古した剣を背中に携えている兵士だった。物の扱いが乱暴なのか、剣のみならず他の装備も何処かしら痛んでいる。その彼は腕を組んで他の二人と同様に前方を眺めていた。
「だが、ここを叩けば粗方片付く。後は小規模な残党狩りだけだ。少し勿体ない気もするけど」
「ちょっと、新兵の前でみっともない真似はしないで下さいよ」
「わあかってるよ、これ以上野獣共による被害を出さないことの方が大事ってのはな。何せ、あんな形象機器擬きまで生み出しちまう危険な輩だ」
末端の彼等は抵抗組織の発展に食人鬼が寄与していた事実を知らない。疑心暗鬼による同胞の分断を回避する為、また二足獣に関する印象操作を目的として、王宮は真実とは異なる情報を発信した。よって、食人鬼社会では「二足獣用形象機器を開発したのは二足獣である」と認識されている。
「理解しているのなら結構です」
上品な兵士は呆れた様にそう返し、眼鏡型形象機器を顔から遠ざけた。周辺施設の掃討は間もなく完了するだろうが、中核と思わしき部分にはまだ攻撃が当てられていない。敵側が展開している魔法障壁に邪魔をされているのだ。作戦が次の段階に移行するまで、恐らく状況は変わるまい。
「そろそろ例の兵器を動かす頃合いでしょうか?」
「その筈だけど……あっちにはクシャトカトラ様がいるんだっけ?」
「ええ、そうですよ」
同僚の返事を聞いた背負い剣の兵士は、途端にしかめっ面となった。
「なあ、あの人さ、やばくね? 凄く強引だし、ずっとぴりぴりしてるし」
「あ、分かります。怖いですよね。何かの拍子に機嫌を損ねて手討にされそう」
後輩兵士も同意する。上品な兵士は微かに眉を寄せ、二人を窘めた。
「まったく、貴方達は……。好い加減、慣れなさい」
「お前だって慣れてないだろ」
「否定はしませんが……」
三人は同時に問題の人物がいるであろう方向を見た。背負い剣の兵士は億劫そうに言う。
「あれが『気弱な穏健派』ねえ。最初にこっちへ来るって話を聞いた時には正直どうなることかと思ったが、蓋を開けてびっくり。想定外の方向で面倒臭い事態になってしまったじゃないか。とんだ怪物が現れたものだよ。ああ、褒めてる訳じゃないぞ。噂は当てにならないって話」
「噂なんて、何時だって当てにはならないでしょう」
「にしたってさあ、武器は完全破壊、敵は全滅。お陰で調査も尋問も出来やしない。その上、意見したくても相手の身分が高過ぎて誰も物申せない。これじゃあ、何れ自軍の方が瓦解しちまうぞ」
「らしくもない。気を回し過ぎですよ。良いじゃないですか、成果はちゃんと上げておられるのですから。貴方も常々『強さこそ正義』とか言っているでしょう?」
「あの方のあれは、ただ感情任せに暴れているだけだろ。慣れない環境に置かれて混乱しているのかもしれないが、何にせよ軍人向きではない。否、軍以外でも上にいて欲しくない人物だ」
背負い剣の兵士がより苦々しい表情になり、後輩兵士がおどおどしながら先輩二人を交互に見た。すると、間を置かず――。
「同感だな」
凛とした声が背後から響いた。三人の内の誰のものでもない。四人目の声だ。内緒話を聞かれた兵士達は、弾かれた様に振り返った。そして、声の主を確認した彼等は一様に相手の名を叫んだ。
「ルキセクエス様!」
彼等の後ろに立っていたのは、指導役として時折顔を見せる退役軍人のルキセクエスであった。傍らには上等な強化馬と外套の頭巾を目深に被った従者らしき人物もいる。兵士達は突然の再会に戸惑い、一人が質問を投げ掛けた。
「どうして此方に?」
「野暮用だ。クシャトカトラは? 例の形象機器の所か?」
「あの兵器についてご存じなのですか?」
「軽くは聞いている。やっぱり、今回もあいつの担当か。さてはクシャトカトラめ、あれを鹵獲した功績を盾に取って無理を通しやがったな。また、敵を増やして……。それで、場所は――」
言い掛けた所で視界の端に淡い光が入り、一拍置いて轟音が届く。ルキセクエスは表情を変えず、光が発せられた場所へ目を向けた。
「あそこか」
ルキセクエスは軽快な所作で馬に跨り、続いて従者を自分の後ろに乗せる。兵士達は案内しようと動いた。だが、ルキセクエスは彼等にこう告げた。
「案内は良い。内々の用件なんだ。俺達だけで行く」
声音は頼り甲斐のある指導者のものだ。兵士達は普段の彼を思い出して萎縮し「承知しました」と言って引き下がった。
次の瞬間、ルキセクエスは脚を締めた。馬は嘶き、走り出す。兵士達が最後に見たのは、ルキセクエスに貼り付く従者の貧弱な背中であった。そこで良からぬ妄想を抱いた背負い剣の兵士は、明ら様に顔を顰めた。
「一緒にいたのって女?」
意識せず小声になる。応じた上品な兵士も同じ状態になった。
「分かりません。小柄な男性かも。顔は見えませんでした」
「もしかして婚約者とか」
「ええ……。勘弁してもらいたいですね。作戦行動中ですよ」
自分達の行いは棚に上げて、上品な兵士が悪態を吐く。片や今迄ルキセクエスと面識のなかった後輩兵士は、口を開けたまま相手が去った方向を見詰めていた。彼はただ眺めているだけで何も考えていなかったが、悪影響となるのを危惧した上品な兵士は「あの人を見習ってはいけませんよ」と釘を刺した。
◇◇◇
以降二度、クシャトカトラが指揮する部隊から光の帯が放たれた。直近の一射では相手方の魔法障壁に亀裂が生じ、内部にも被害を与える。破壊された施設は粉塵で覆われた為、詳しい状況は分からない。しかしながら、時折薄らと身動ぎ一つしない人影が浮かぶので、悲惨な光景が広がっているのは察しが付く。抵抗組織の終焉は直ぐ側まで迫っていた。だが困ったことに、問題が生じたのは彼等だけではなかった。
「出力が低下しました」
自軍の主力たる大量破壊兵器を外部操作する形象機器の前で、技官が冷静に報告する。すると、クシャトカトラは部下達には聞こえないように舌を鳴らした。
「動力切れか。想定より早かったな。使えん獣だ」
クシャトカトラは攻撃役の形象機器に固定されている二足獣に目を向ける。その獣とはサクサスバ書庫城戦にて彼に敗北したマミヤ・イツキであった。クシャトカトラは彼女を生きたまま捕らえ、高出力光撃兵装共々自戦力として活用しているのだ。
ふと、眼前の兵器に生みの親たるアダルバスズの幻が重なる。鹵獲後に判明したことだが、この形象機器は命素の吸収量が規定値に達すると、使用者の命令よりも事前に設定された別の動作を優先する仕組みになっていた。サクサスバ書庫城戦では衝撃を受けて仕掛けに関係していた部分が損傷し、照準機能のみ途中から戻ったものの、命素の過剰吸収は最後まで止まなかった様だ。恐らく、アダルバスズは作戦案が通った時点で成否に拘らず食人鬼側が強硬姿勢に転じると予想し、抵抗組織から手を引くと決めていたのだろう。そうして暴走する新兵器を囮にし、目的の書物を盗み出した後に姿を消す予定だったのだ。
老獪な悪人に踊らされた未熟な獣は、今や魔法によって自我を失い、虎の子の兵器に命素を供給するだけの存在と成り果ててしまった。アダルバスズの施した仕掛けも取り除かれて、最早イツキに身を守る術は残されていない。けれども、クシャトカトラは彼女を不憫だとは思わなかった。寧ろ、爽快感すら覚えて痩せて潤いを失った肉体を眺めた。
(長年の習慣は消し難い。二足獣に対する情や期待は私の内から消え失せた筈なのに、時折それらが戻って来ようとする。優柔不断な男だ。咎しかないこの獣の存在は救いだな。憎悪以外は湧いて来ないのだから)
けれども、とクシャトカトラは頭の中で続ける。
(腹立たしいことに、これに加担したアダルバスズには功績もある。二足獣用形象機器に内蔵されている命素を操作する機構は、イナサプテ計画にも大いに利用出来るだろう。奴め、それに気付かぬ筈もあるまいに、一体どういう了見で黙っていたのやら。手札の一つと見做して伏せていたのか? 度の過ぎた狡知が仇となったな。素直に打ち明けていれば、生き残る目もあったろうに)
やや草臥れた表情になって、クシャトカトラが溜息を吐こうとした時だった。前方を監視していた兵士が突如声を上げた。
「敵構成員と思わしき人型生物が出て来ました。形象機器の携帯も確認」
クシャトカトラの隣に立っていた武官が落ち着き払った様子で私見を述べる。
「狙いを此方に絞ってきましたね」
「ふむ、この機会を待っていたのだな。小賢しい。だが、兵力を温存して戦っていたのは我等も同じ。敵の両側面を砲撃し、分散を防げ。それから――」
命じている途中で硝子の割れる様な音が鳴る。警告音だ。実際に何かが割れた訳ではない。しかし、食人鬼側の魔法障壁が攻撃を受けたことを示している為、兵士達は攻撃を仕掛けた者に注目し警戒心を露にした。
「6eqsDc5q7Dta」
「6cGc5DfacvfG7De?afGeDe?acqJaZGcGtDfa2?v7GfatvJqZvfat1v3v75D67D3qcv+e?a7vca」
二足獣達は何事かを叫んでいたが、食人鬼には言葉の意味が理解出来ない。ただ、飛んで来る魔法の弾には障壁に傷を付ける程の威力はなく、食人鬼の視線は次第に驚嘆から侮蔑のそれへと変化していった。クシャトカトラも淡々と話を続ける。
「待機させていた魔法士隊を動かす。障壁付近にいる敵を叩かせろ。この獣が本格的に使い物にならなくなったら、魔法士隊も砲撃を一時停止して歩兵を前へ」
「畏まりました」
武官は敬礼し、他の者へ指示を伝える為に歩き出した。そうして、彼が五歩目に入る直前だった。背後から響いた大声が足を止めた。
「クシャトカトラ様、形象機器が――」
声を発したのは技官だ。その言葉は途中で終わる。同時に、辺り一帯が白い光に包まれた。
クシャトカトラの部隊が光に呑まれ、遅れて轟音と振動が広がった時、ササラとルキセクエスはまだ相手が視認出来ない場所にいた。作戦の邪魔をしないよう緩やかな速度で進んでいたのが幸いし、彼等は巻き込まれずに済んだのだ。とは言うものの、乗っていた馬は進行方向の異変に反応して暴れ出す。その馬を何とか大人しくさせた後、ルキセクエスは次第に収束していく光を眺めて呟いた。
「爆発?」
友人の安否を心配するより先に、彼は危機に対する素直な驚きと警戒感に支配される。逆に、ササラの頭の中にはクシャトカトラのことしかなかった。
「御主人様!」
ササラは馬から飛び降りんとして、その尻に手を突いた。ルキセクエスは慌てて彼女の腕を掴む。すると彼女は先程の馬以上に、じたばたと手足を動かした。
「おい、暴れるなよ! 唯でさえ馬が言うことを――」
話している最中、馬はササラの動きに刺激されて再び制御不能となる。然る後に、彼は主人を振り落とした。地面に強く打ち付けられたルキセクエスは呻いた。
「いって……。糞っ、来るんじゃなかった」
片やササラは普段からは想像も付かない身体能力を発揮した。馬が暴走を開始した瞬間、彼女はルキセクエスと違って軽やかに着地し、駆け出す。程なく、馬もルキセクエスが望まぬ方向へと走り出した。置き去りにされた彼は地面に転がったまま、ササラと馬を交互に見る。
「いやいや。待てって、おい。おいっ!」
無論、誰も止まらない。ルキセクエスは拳を地面に叩き付けた。
翻って、ササラは遅い足を必死に動かす。
(御主人様、御主人様!)
彼女はただ一心に念じた。荒い呼吸の所為で痛む胸を摩って宥める余裕すらなかった。




