15
抵抗組織によるサクサスバ書庫城強襲作戦は失敗に終わった。現地に赴いた部隊は壊滅。他の構成員達は這々の体で逃げ延びた数名から遅れて顛末を聞くこととなる。敵の報復も考えられた為、サクサスバ付近にある幾つかの拠点にはやがて撤収命令が下された。
「進捗は?」
拠点の一室で自らも荷物の整理を行っていた隊長が、他用で遣って来た部下に尋ねる。すると、部下は気まずそうに「まだ半分弱かと」と答えた。途端に隊長は厳しい顔付きになる。
「急げ。敵は着々と迫っている。偵察が持ち帰った情報から推測するに、残された時間は後二日。そこを越えると奴等は此方を探知し得る位置に来る。形象機器の輸送を最優先に。心苦しいが最悪の場合、非戦闘員や負傷者は置いて行く。覚悟を決めておけよ」
非情な判断に部下は戸惑う。取り分け優先順位に違和感を覚えた。
「形象機器をですか? メルーゼルさんが行方不明になって、メンテナンスが出来ないと聞きましたが」
「誤情報を流すなよ。奴以外にも技術者は大勢いるんだ。通常運用なら何とかなる。ただ、知識や技量で奴に後れを取っているから、順番待ちが発生してしまうというだけで」
僅かに希望を持てる話を聞いて、部下は身体の力を抜いた。
「失礼しました。噂の提供者にもその様に言い聞かせておきます」
「ああ。一度全員を集めて周知させておいた方が良いかもしれんな」
言いつつ、隊長は渋面となった。先の説明は全くの虚偽ではない。けれども、アダルバスズ離脱の影響は確かに深刻だ。彼の技術力は抵抗組織では抜きん出ていた。二足獣用形象機器を組織に持ち込んだのも彼だ。自らが所持する有形無形の財産について、彼は「今は亡き師から受け継いだ物で、当の師も先祖が積み重ねた成果を継承した」と語っていたのだという。尤も、構成員達はそれに加えてアダルバスズ自身にも天才的資質があると感じていた。中には、神の如く妄信する者すら存在した位だ。
だが、成功者がいれば妬心を抱く輩は必ず何処かに潜んでいるもの。アダルバスズの場合は同じ技術者の中に多かった。件の作戦も巻き返しを狙った対立派閥より上がってきた案で、目標が魔法関連書籍の収奪であるにも拘らず、それらの分野に最も詳しいアダルバスズは――上層部が執心した新兵器開発を除き――常に蚊帳の外に置かれていた。従って、彼の失踪は組織に不信感を募らせた末の出奔だったのではないかという噂も立ち始めていた。
傍からすれば甚だ迷惑な話だ。しかし、今は仲間割れをしていられる状況ではない。上司も部下も身内への不満は口には出さなかった。
ふと、隊長は手を止めて開け放たれた窓へと顔を向ける。すると、丁寧に梱包された形象機器が運ばれて行くのが目に入った。
「捨てて行くことなど出来んよ。仮に整備不良があるのだとしても、形象機器がなければ俺達は食人鬼とは真面に遣り合えない。あれらがなかった頃は、たった一匹倒すのにも少なくない犠牲を払ったものだ」
隊長には及ばないものの、所属年数が程々に長いこの部下も当時の状況は知っている。よって、彼もまた表情を曇らせ「そうですね」と相槌を打った。続いて、彼は提案に近い疑問をぶつける。
「例の新兵器、量産化は難しいのでしょうか?」
「まず、資材の調達に時間が掛かる。加えて、一部の機構の製造に現状では相当な腕が必要らしく、それこそメルーゼル位でないと作業は難しいのだそうだ。ところが、奴は雲隠れ。後日、組織が住居を隈なく調べる予定だが、果たして量産化の草案や試作機が残っているか……」
話を聞いた部下は暗い顔に戻って、上司と同じく屋外の形象機器を見た。
「メルーゼルさん、一体何処へ行ってしまったのでしょうね」
「さあな。一見して自宅に荒らされた形跡はなかったという話だし、離反でもないなら、外出中にうっかり食人鬼に見付かってしまったのかもしれん。良くある話だ」
「認めたくはないですが、だったら尚更、あの一機は必ず取り戻さなければなりませんね」
「破壊されていなければ、な。兎も角、今はこの拠点から無事退避することだけを考えろ」
部下は顔を引き締め、勢い良く「はい!」と返事をした。直後、施設内に警笛が鳴り響く。敵襲を知らせる合図だ。状況を把握せんと隊長は窓に張り付き、部下は「様子を見てきます」と言い残して走り出す。しかし、扉の前で駆け込んで来た別の構成員とぶつかりそうになり、足を止めた。後から来た者は眼前に立つ先輩を押し退け、隊長の許へ駆け寄る。そして、動揺で舌を縺れさせながら状況を報告した。
「不味い、不味いです、隊長! 例の新兵器が……直近くにあれが配置されています!」
隊長は瞠目した後に舌打ちする。最悪の事態だ。
「やはり転用されたか。……否、そもそも食人鬼共がここに到着するまで二日以上の猶予があった筈では?」
先に発言したのは、隊長ではなく先輩構成員であった。隊長の方は眉間に皺を寄せ、拳を口元に当てて考え事をしている。だが、ややあって彼はこう呟いた。
「形象機器だ」
「え?」
「それも形象機器の仕業だ。恐らくは瞬間移動効果のある――」
部下達は青褪めて短い間だけ黙り込んだ。そして、片方が信じ難いといった様子で隊長に尋ねた。
「ですが、奴等がそんな魔法を使っていたことは、今迄一度もありませんでしたよ?」
「無論、高速移動効果の可能性もある。だが何れにせよ、この速さは此方にとって未知のものだ」
隊長は部下達と視線を合わせなかった。もしかしたら、自説に確信が持てないのかもしれない。歯軋りをした後に彼は言う。
「我々は見縊られていたのだろうよ。しかし、書庫城の作戦や新兵器が化け物共を本気にさせた」
息を呑む気配がする。再び室内に沈黙が落ちた。緊急時だというのに、会話が再開されるのに少しばかり時間が掛かった。
「そんな……これまでが手を抜いた状態だったと? あんなに沢山仲間が死んだのに?」
「残念ながらな。形象機器はもう良い。置いて行け。総員即刻退避せよ」
「了解し――」
部下二人が背筋を伸ばし、声を揃えて返答しようとした所で、室内は白く染め上げられた。
◇◇◇
深夜、トルドフィメシス城内地下牢にて――。
「ん……」
古びた金属扉が開かれる音を聞いて、二足獣の捕らわれ人が目を覚ます。徐に身体を起こす彼女へ、来訪者は申し訳なさそうに言った。
「済まない。起こしてしまったな」
「大丈夫です。あっ!」
来訪者――クシャトカトラは、予告なく牢の住人たるササラの腕を掴んで抱き寄せる。ササラは初めの内硬直していたが、やがて身体の力を抜いて彼の胸に体重を預けた。寒々しい空間にそぐわない幸福な時間であった。
サクサスバ書庫城から帰還すると、クシャトカトラは直ぐ様ササラを長らく使用されていなかったこの地下牢に閉じ込めた。罪人としてではなく保護する為に。誰にも害されないよう、誰にも見付からないよう、危険な場所へ出て行かないよう、手の掛かる愛玩動物の様に囲ったのだ。彼が城を留守にする際は使用人が世話をしていたが、この牢は食事や清拭具の出し入れ、排泄物の除去等は中にいる者と対面しなくても可能な造りになっている。故に、快適とは言えないが最低限の生活は保障されていた。寧ろ、家畜にしては恵まれた境遇であろう。
仕事の為に数日城を離れていたクシャトカトラは、ササラの無事な姿を確認して安堵の表情を見せた。今の彼は長らく共に暮らしてきた古参の使用人にすら気を許してはいない。あの者達が主人の心情を正しく理解しているとは思えない、とササラに語ったこともあった。
程なくしてササラから一旦離れたクシャトカトラは、彼女を壁際に座らせた。そして彼は隣に座り、ササラに凭れ掛かる。ササラは重みで倒れないよう、全身に力を込めた。
(良い匂い。また、お風呂に入ってから来られたのかな)
牢を訪れる際、クシャトカトラはどうしてか何時も身を清め、香を薫き染めた衣服を纏っている。やや異臭のする場所であるので、折角綺麗にした身体に臭いや汚れが移らないか、ササラは心配だった。幾度か改めるよう進言もしたのだが、クシャトカトラは苦笑しつつ「大丈夫だ」と言うばかりで、一向に彼女の意見を受け入れる気がない。従って、ササラはこの時喉まで出掛かった言葉を胸の中へ押し戻した。
そうして、暫く不自然に静かな時間が続いた。ササラのみならず、クシャトカトラも何も言わない。だが、少しして気を揉んだササラが口を開いた。
「お帰りなさいませ、御主人様」
何気なく発言してから、これはクシャトカトラが扉を開いた瞬間に言うべきだったと気付いてササラは焦る。けれども、クシャトカトラは特に気に掛けている様子もなく「ただいま、ササラ」と返した。次に、彼はササラにこう尋ねる。
「何か変わったことはなかったか?」
「特には。御主人様のお陰で、私は無事に暮らせております」
唐突な世辞に思わず笑声を漏らし、クシャトカトラは「ならば良い」と続けた。そこでまた会話が途切れそうになる。ササラは焦燥に駆られて無理矢理話を切り出した。
「あの御主人様、私に何か仕事をお申し付け下さい。お城に戻ってからは以前のお勤めすらさせて頂いておりません。守られてばかりで全くお役に立てなくて……。私は出来損ないの家畜ですが、せめて御主人様の糧となる位は――」
「黙れ」
冷ややかな声を向けられ、ササラはびくりと身体を震わせる。
「斯様な些事は気に掛けずとも良い。お前はただ無傷で生き延びることだけを考えろ。それ以外は必要ない」
「でも……」
「もう喋るな。頭を動かすな。ここで大人しくしていろ」
有無を言わせぬ態度である。これ以上食い下がっても、クシャトカトラはきっと気を悪くするだけだろう。
「畏まりました。身の程も弁えず、厚かましいお願いをして申し訳御座いません」
ササラは口を噤む。以降の会話は半刻後に別れの挨拶を交わす時までなかった。
結局、この日もクシャトカトラはササラから食事を採らずに終わり、彼女は自身の存在意義に対する疑念を重ねた。
◇◇◇
それから、クシャトカトラはまた長く城を空けた。唯一心を許している相手の不在に、ササラは心労を募らせながら過ごした。
ある夜、ササラは微睡の中でクシャトカトラの気配を感じて目を覚ます。ところが、彼の姿はそこにはない。
(そうだ。旦那様は留守にされているんだった。暫く帰らないと仰っていた……)
別れ際の遣り取りを思い出した後に、ササラは身を起こした。視線が自然と先日クシャトカトラが座っていた場所に向く。
「折角形象機器の使い方を覚えたのに、無駄になってしまって。あの方にも申し訳が立たないな」
呟いて、はたと気付いた。
(あれ、あの方のお名前、何だったっけ? あんなにお世話になったのに)
名前だけではない。相手の顔も今は良く思い出せない。それを自覚した瞬間、ササラの胸が痛んだ。尤も、彼女にはその心痛の理由さえも正確には分からなくなってしまっていたが。
ササラが物憂げに俯いた時、耳に誰かの話し声が届いた。音はまだ遠くにあり、何を言っているのか判然としない。しかしながら、言い争っているのは察せられた。
不穏な様子であった為、壁に耳を付けることはしなかったが、ササラは息を殺して扉をじっと見詰める。そうしている内に、声は次第に近付いて来て、漸く会話内容を聞き取れるまでになった。
「お待ち下さい! せめて、旦那様の許可を――」
「その旦那様の一大事なんだ。邪魔をするなよ」
鍵穴を擦る音が鳴り、扉が乱暴に開かれる。廊下に立っていたのは、クシャトカトラの友人ルキセクエスであった。彼の後方には慌てふためく使用人の姿もある。
「よう」
「あ……」
顔は笑っていたが、ルキセクエスがササラに悪感情を抱いているのは彼女も知っている。緊張と畏怖が意図せず露になった。だが、嫌悪するが故にルキセクエスはササラには一切配慮しない。
「表へ出ろ。お前に拒否権はない」
ルキセクエスはそう言い放ってササラの腕を掴むと、力尽くで彼女を外へと引き摺り出した。




