10
それから五箇月弱が経過した。現在に至るまで目立つ事件は起こらず、食人鬼も二足獣も夫々に日常生活を送る。
某日の夕刻、トルドフィメシス城内執務室――。
「何してるんだ?」
机の上に置かれた金属部品を睨むクシャトカトラの前にルキセクエスが現れた。先触れの使いを寄越さず、扉を叩くこともなく。クシャトカトラは顔を顰めた。
「ルキセクエス、先に許可を取ってから部屋に入れ」
「良いじゃないか、俺とお前の仲なんだから。むっ、これは二足獣共の巣で回収した遺留品……だよな?」
悪意なき様子でルキセクエスはクシャトカトラの苦情を受け流し、机上を見る。クシャトカトラは更に不快そうな顔付きになるも、一拍置いて視線を元に戻した。
「ああ」
「今更、どうしたんだ。何か新事実でも出て来たのか?」
「新事実というか……」
クシャトカトラは唸る。速やかに返答を得られると思っていたルキセクエスは、焦れて不満気な顔を友人へと向けた。
「何だよ?」
「確かに気付いた点はある。が、間違っているかも知れないから今の段階では教えられない。確認の為に専門機関へ送ることも考え付いたが、実行に移すかはまだ迷っている」
「気を引く言い方をするな。益々問い詰めたくなるじゃないか」
苦笑するルキセクエスに対し、クシャトカトラは肩を竦めて答えた。
「思い過ごしの可能性が高いんだ。大袈裟に騒いで恥を掻きたくはない」
「少しだけなら打ち明けても良いと思うぞ。俺とお前の仲なんだから」
「話せないと言っているだろう」
「けち」
「喧しいわ」
二人が子供染みた応酬を続けていると、突如扉を叩く音と室外から「旦那様」と呼び掛ける声が聞こえて来た。使用人のものだ。ルキセクエスは黙り、クシャトカトラは「どうした?」と尋ねた。すると、使用人はこう返した。
「サクサスバ書庫城から使いの方がお見えになりました」
クシャトカトラとルキセクエスは共に目を見開き、顔を見合わせた。「サクサスバ書庫城」とはフブフゲルグの所有する城だ。彼は王都にも屋敷を持っていて、参内が必要な期間には其方に滞在し、他の時期には実家にして本来の住まいでもある彼の城で過ごしている。今の時期フブフゲルグは王都にいる筈だが、城の方から使者が来たということは一時的に戻って来ているのだろう。一体どういった理由での帰城なのか。
「フブフゲルグ様から? 何の用件だろう」
「また、嫌味かお小言じゃないのか?」
「まさか」
言葉とは裏腹にクシャトカトラは引き攣った笑みを浮かべる。有り得ないと思いつつも、もしかしたらとも考えてしまう。
「分かった。此方へ案内しろ」
領主に相応しい厳めしい声を作ってクシャトカトラが命じると、使用人は「畏まりました」と答えて扉から離れた。
◇◇◇
同じ頃、メルーゼルの家に客人が来ていた。抵抗組織の構成員であるマサルだ。最初に彼が告げた話では、仕事ではなく私用とのことだった。メルーゼルは怪訝な顔をしつつも彼を屋内に入れる。そうして茶を出した後、開口一番に彼が出した言葉を聞いてメルーゼルは首を傾げた。
「『サクサスバ書庫城』? いいえ、僕は知りませんけども」
嘘だ。その城の名は食人鬼なら殆どの者が知っている。無論、メルーゼルも。だが素性を偽っている彼は白を切り、マサルも相手の反応に違和感を抱かなかった。
「食人鬼の王に仕える重臣の城らしい。名前の通り内部にでっかい図書館があるんだってさ。化け物の分際で読書なんて生意気だよな」
マサルは聞き齧った話を悪態と共に告げる。概要とは言え情報は正確だから、発信元は食人鬼であるのかもしれない。
食人鬼達は幻素や神秘力を調べる技術を有している。加えて、魔法を得意とする者の一部は形象機器等の補助なしにそれらを感知する特殊能力を持っている。要するに、食人鬼側は同胞と二足獣の判別が可能なのだ。一応、偽装用の形象機器を使用すれば多少の誤魔化しは利くものの、何かの理由で拘束されて詳しく調べられたら打つ手立てがない状況だ。故に、彼等の集落への潜入捜査は極力避けるべし、というのが抵抗組織の方針だった。では、組織は如何にして情報を獲得しているのか。この話を初めて聞いた時、メルーゼルは食人鬼の一人として彼等に強い嫌悪感を抱いたものだが、どうやら人気のない場所に少数でいる食人鬼を攫い、拷問を行って得ているらしい。しかも、目的を達成したら捕らえた食人鬼は処分しているのだとか。
二足獣達が悪行を嬉々として語っている様を思い出し、メルーゼルは僅かに眉を動かした。
「次の攻撃目標はそこなのですか? 重臣の城とはまた、随分と危うい橋を渡ろうとしていますね。大丈夫なのでしょうか」
「行けるっしょ。前に攻撃した城だって、領主の持ち物って割に大したことなかったしな。そのまま城主の食人鬼もやっちまえば良かったのに」
メルーゼルは拳を口に当てて思案する。サクサスバ書庫城とトルドフィメシス城とでは規模がまるで違う。戦慣れしており、攻守共に強い。それに、有力者を攻撃すれば必然的に食人鬼の目は此方へ向くだろう。実質この作戦が食人鬼社会に対する宣戦布告となる。確かに抵抗組織はメルーゼルを含む技術者達の尽力によって日々戦力を増してはいるが、現段階で彼の地に攻撃を仕掛けるのはどう考えても早計だ。些細な成功を重ね過ぎたのと理解不能な性質を持つ相手を侮り、自身の実力を見誤っているとしか思えない。
「ディランはこの件を知っているのですか?」
「勿論。今回の作戦はあの人が指揮するんだよ」
そこでまたメルーゼルは黙り込んだ。マサルは年齢に相応しい軽率さとそれに起因する失敗が目立つ若者だ。似た様な人物は他にもいて、サクサスバ書庫城の件も彼等が上に隠れて勝手に進めている可能性もあるとメルーゼルは考えたのだが、一縷の望みは儚く潰えてしまった。迂闊なマサル達とは違い、ディランは連帯を重視する。仮に作戦の発案者が彼であったとしても、必ず組織の上層部と密に遣り取りを行っている筈だ。つまり、上は勝算があると判断して実行の許可を出したのだ。しかし、その判断は「何を根拠にして」なのだろう。
「まあ、慎重な彼が意義を唱えなかったのなら、準備は万全なのでしょう」
マサルの前ではそう言いつつも、後程ディラン本人に確認しようとメルーゼルは決意した。敵の懐に入り込んでいる身としては、未知の重要情報は警戒対象以外の何物でもない。
だがメルーゼルの胸中は露知らず、マサルは自信に満ちた表情を浮かべて頷いた。
「実行日も結構先だしな。決行日までに先生にはもっと沢山の兵器を作っておいてもらいたいって言ってたよ。俺はあんまり知らされてないんだけど、新兵器を作ってるのか? そっちも完成させてもらいたいって。多分、近い内に催促の連絡が来るんじゃないかな」
メルーゼルは思わず「ああ」と呟き、苦笑した。勝算の根拠はよもやそれではあるまいな、と。特に追い詰められている訳でもないのに、まだこの世に誕生すらしていない物を作戦の主軸に据える愚行は流石に犯さないと思いたいが。
「此方としては『善処しますが、確約は致しかねます』としか答えられませんね。事を急いて後程問題が生じても、僕は責任を取れませんし」
抵抗組織との関係に亀裂が入る恐れがあると分かっていながらも、メルーゼルは冷ややかな言葉を返した。折に触れて組織の人間はメルーゼルに居所を自分達が所有する施設へ移せと要求してくるが、何かに言い訳を付けて距離を取っておいて良かったと彼は改めて思う。行動を共にしていれば、きっと現在よりも更に無理難題を押し付けられていたに違いない。
以上の様な思惑を知らないマサルは「そうなんだ」と気持ちの籠っていない呟きを漏らした。次に短い間黙り込み、やがて小声で尋ねる。
「なあ、その新兵器ってまた間宮に使わせるのか?」
「恐らくは」
「だよな……」
再度マサルは沈黙する。この段になって、漸くメルーゼルはマサルがここを訪れた理由を察した。サクサスバ戦の話は前口上に過ぎなかったらしい。
「自分で使ってみたいですか?」
「あ、やっ、そうではなく――」
言い掛けて、マサルは俯く。しかし、会話再開まで長くは掛からなかった。
「否、本音を言えば使ってみたいとは思ってるんだ。俺はまだ目立った戦果を上げられてないからさ。形象機器の使用すら許されてないし」
「焦る必要はありません。まずは言われた仕事を一つずつ熟して、信用を得るのです」
心にもない発言をメルーゼルは行う。彼が生み出した「メルーゼル」という役柄に見合った演技だ。
「けどさあ、間宮……も心配だから。確かにあいつは向こうで運動系の部活もやってたけど、ずっと前線に出ててさ。大変だし、危ないだろ。身体能力は男の俺の方が上の筈だし、代わってやることも出来ると思うんだ」
「マサル」
穏やかだが低く力の入った声で、メルーゼルはマサルを止めた。
「大丈夫ですよ。皆、理解しています。しっかりと検討を重ねた上での今の配置なのですよ。あと、念の為に釘を刺しておきますけれども、悪意故の行動ではないですからね。人の良いイツキを騙して、一方的に利用している訳ではありません。我々をもっと信用して下さい」
「でも……否、止めとく。今の話は忘れてくれ」
未だ納得はしていないものの、マサルは引き下がった。眼前の相手もやはり彼の気持ちに寄り添えない大人の一人なのだと結論付けた為だ。以降、彼はメルーゼルと距離を置こうとするかもしれない。だが、悲しい哉彼の重要度は低く、もし想定が現実になったとしても何処にも影響は出ないに違いない。よって、メルーゼルは今回の件を頭の片隅に置いておく程度に留めることにした。
「分かりました。他に伝達事項はありますか?」
「ない。今日は急に来て済まなかったな、先生。今度飲み物でも奢るよ」
マサルは立ち上がり、まだ熱い茶を一気に飲み干す。その最中にメルーゼルが「お気遣いなく。帰り道は気を付けて」と返し、面会は終了した。
不快な客人を見送った後、メルーゼルはふとマサルが漏らした作戦内容について「ひょっとして部外秘だったのでは」と気付いた。此方も後日ディランに確認を取らなければならない。若気の至りと見逃すには余りに失態が多過ぎる男である。メルーゼルは溜息を吐いた。
ともあれ脅威は去った。メルーゼルは隠し扉を開け、隣室に潜んでいる人物に呼び掛ける。
「もう出て来ても大丈夫ですよ」
扉の隙間から姿を覗かせたのはササラであった。床に座り込み、隣室に背を向けている。耳には翻訳機を装着していた。彼女が比較的初期の頃に使い方を覚えた形象機器だ。これを用いてメルーゼルとマサルの会話を盗み聞きしていたのだろう。
メルーゼルは再び口を開く。
「組織の構成員です。我々が最初に顔を合わせた場にもいたのですが、覚えていますか? 貴女の元級友でもあるそうですが」
やはり返事はない。顔が見えない為、怯えているのか怒りにうち震えているのかは分からない。何れにせよ、この娘も直情型の嫌いがあるから困り者だ。メルーゼルは乾いた笑いを響かせた。
「まあ、直接関りを持たないなら、彼には興味を抱かない方が良いかもしれませんね。恐らく貴女とは相性が悪いでしょう。自覚はない様ですが、彼は功名心が強過ぎる。イツキには同情します」
口元では微笑みを形作りながら冷ややかな言葉を吐くメルーゼルをササラは少々奇異に感じて顔を上げた。物問いたげな視線を向けられて、メルーゼルは「失礼、口が過ぎました。忘れて下さい」と言葉を濁す。マサル自体に関する話はそこで終了した。
続いてササラはメルーゼルとマサルの会話を思い出し、気になった言葉を無意識に呟いた。
「『書庫城』――」
相手が解説を求めているのだと解釈したメルーゼルは手短に説明する。
「城主のフブフゲルグはクシャトカトラが所属する派閥の長でもありますね」
「やはり、御主人様の関係者の方でしたか。聞き覚えがありましたので」
「そうでしたか。では、この話はご存じですか? フブフゲルグは当初イナサプテ計画に否定的だったのですよ。今も内心では賛同していないのかもしれませんが」
「え?」
ササラは硬直する。期待通りの反応だ。彼女に理解させなければならない。サクサスバ書庫城の件は彼女とメルーゼルにとっては「敵同士の戦い」であると。
「反対派です。とは言え、今の所クシャトカトラに危害を加えるつもりはない様ですが」
「だから、抵抗組織はその方のお城に狙いを定めたのでしょうか?」
「違うと思います。彼等は我々の内情を良く知りませんし、貴女の証言も大して信用していないみたいですから。多分、狙いはあそこの蔵書です。具体的には魔法や形象機器について記された本――例えば、異なる世界へ移動する方法とか」
「抵抗組織の人が言っていた魔法ですね」
「故郷へ帰りたいですか、ササラさん?」
質問の形を取ったが、答えは分かり切っている。何時命を落とすか分からない状況なのだから、通常ならばササラも帰還を望むに違いない。けれども、彼女の意思は主人に必ず服従するよう捻じ曲げられている。実際、彼女は首を横に振った。
「私の故郷はこの世界ですよ」
「貴女らしいですね。でも、多分クシャトカトラはササラさんに安全な場所へ逃れてほしいと思っている筈ですよ」
「どうでしょう。そんな魔法があるにも拘らず、御主人様は私を他の世界に送り出してはおられません。だから、逃げるとしてもこの世界の中で、というのが御主人様のご意向ではないでしょうか。それに、何より私自身が今いる世界との別れを望んではいないのです。私は『ササラ』の生まれ故郷であり『ササラ』を大切にしてくれた世界を愛していますから」
「これは中々に深刻な……」
幸福に満ちた表情となったササラを見て、メルーゼルはつい乾いた笑いを漏らした。だが、直ぐ様「ああ、済みません。此方の話です」と取り繕う。
「成程、貴女の考えは分かりました。ですが、僕も個人的にあの城の書物には興味があるのですよ。なので、抵抗組織にも上にも内緒でこっそり彼方に伺おうかと思っているのです。組織の構成員が城兵の目を引き付けてくれている隙にね。出来ればササラさんにも手伝ってもらいたいのですが」
仕事の話になったので、ササラも顔から私情を消す。
「畏まりました。私は夜通しでも働けます。幾らでもお申し付け下さい」
「いえそうではなく、通常の作業も勿論行って頂くのですが、現場へ付いて来て頂きたいという意味です。僕一人では手が足りないと思うので」
メルーゼルは両手を横に振り、事もなげに言った。ササラは動揺を見せる。
「私にですか? お役に立てるとは思えませんが」
「難しい仕事をお願いするつもりはありません。ただ、危険な現場ではありますので、護身用の形象機器を渡しておきます。其方を当日には使い熟せるよう練習しておいて下さい」
「わ、かりました。頑張ります」
拒否したくてもササラの立場でそれは出来ない。寧ろ、家畜でありながら高貴な人物に信頼され仕事を任されることを名誉と感じるべきだ。彼女は過剰なまでに奮い立った。そして、メルーゼルはやや滑稽に見える彼女の様子を苦笑顔で眺めた後、視線を床へ向けた。
「さて、彼等の要望通りに『あれ』の完成も急ぎませんとね」
メルーゼルの視線の先――地下階の作業室には、未だ試験段階にある形象機器が置かれていた。




