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土砂降りの夜のクロシェット

作者:

 1.

 それは、運命の日――。


 私、クロシェット・メールはずっとこの日、この瞬間を待ち侘びていた。

 鼓動が高鳴り、耳元でドクドクと音が鳴り響いく。

 ともすれば震えだしそうな手足を自分で叱咤し、背筋を伸ばしてまっすぐに、()()と向き合う――。


 ()()

 

 具体的に言うと、学園の定期考査の成績表。

 総合と各教科に分けて、成績上位者の名前が順位と共に貼り出されるのだ。

 果たして、掲示板に貼り出された紙の一行目に、燦然と輝く文字は……。


 総合一位、クロシェット・メール。


 やっぱり、すげえな、ほぼ全教科満点じゃん。――私をチラチラ見ながら、同じく成績を確認しにきた学生たちがヒソヒソとささやき声を交わしているのが聞こえてくる。

 それに対して、私は喜びをあらわになどしない。「まあ、一位だわ」くらいのテンションを保ちつつ、教科ごとの成績を確認していく。

 魔術理論、近代魔法史、言語学、数学、化学……。

 全てが満点とはいかなかったが、それでも九十点代後半はキープしていた。そして、どの教科の一行目も、クロシェット・メールの名前が輝いている。


「さすがクロ。ぶっちぎりトップじゃん」


 ほとんどの学生が感嘆のため息をつきながら私を遠巻きに見ている中――。そんな空気をまったく気にせずに、笑顔で肩を叩いてきた者がいた。

 振り向くと、同じクラスで、学生寮のルームメイトでもあるレリアが笑顔で立っていた。その隣には、同じく同クラスでルームメイトのパメラもいる。

 世の中の全てが面白い、と本気で思っていそうなニコニコ顔がニュートラルな表情であるレリアとは違い、パメラは周りの目が気になるのか、若干おどおどした様子だ。


「レリア、パメラ。二人も成績を見にきたのね」

「んーん、パメラはともかく、私の成績じゃあこんなの関係ないし」

「私だって関係ないよ。……私たちはクロの成績を見にきたの。総合一位、おめでとう」


 レリアも、おめでと、と言って私の背中を叩いた。

 ああ、なんてステキな友達だろう。私はそこで初めて照れ笑いを浮かべた。


「ありがと、二人とも。私もびっくりしてるの。――ああ、いつまでもここにいたら、掲示板を見にきた人たちの邪魔になっちゃうね」


  ***


 王立魔法学園は、五歳から二十五歳までの学生が在籍する教育機関である。

 ありがたいことに、この王国では各地方に王立の学校が設けられており、誰もが平等に教育を受けることができる。

 学生たちは年齢によって初等課程、中等課程、高等課程という三つの課程に分けられ、皆が肩を並べて勉学と魔法を学ぶのだ。

 ――その高等課程まで終えた者の中で、特に優秀だった学生だけが進める、第四の課程がある。

 それが、王都の中央王立魔法学園のみに存在する「研究課程」。


 私、クロシェット・メール十八歳は、クソ田舎の学園でとんでもなく優秀な成績を修め、神童、才女と呼ばれながら今年この中央魔法学園へと乗り込んできたという、研究課程のニューフェイスである。

 先ほど結果が貼り出された定期考査は、私がこの研究課程に入ってから初めての試験だった。

 つまり、優秀でかわいくてつつしみ深い才女クロシェットの名を、この中央に刻みつけるための第一歩だったってわけよ。


「それにしても……クロ、本当にトップ獲ったんだね」


 学生寮の部屋に戻り、扉を閉めたところでパメラがそう言って笑顔を見せた。レリアもうんうんとうなずく。


「毎日遅くまでがんばってたもんねえ。そのくせ学校じゃ『私、勉強は授業時間だけで十分ですから』みたいな顔してたから面白すぎて」


 レリアがカラカラと笑って、パメラが苦笑する。

 なんとでも言うがいいわ。今の私の頭の中はそれどころじゃないんだから。なぜなら――。


「……なかった……」

「……ん?」

「物理学が、一位じゃなかった……」


 ――そう。

 ほかの教科は全て一位だったというのに、唯一、物理学だけが、屈辱の二位だったのだ。


「あー、……物理はほら、専門クラスがあるから」

「でも、総合はクロがトップだし」

「それじゃダメなの!」


 確かに総合一位かもしれない。でも、私が目指していたのは、全教科一位だったの!

 キィッと叫ぶ私に、レリアたちは顔を見合わせた。


「えーと、例の、シメオン先輩……?」

「そう。二年前のおなじ定期考査でシメオンは全教科一位だったの。だから私は、それが最低ラインだったのに……」


 シメオン・リオット。

 二歳年上の、私と同郷の先輩。

 彼は故郷の学園で、歴史を塗り替える勢いの高成績をたたき出し、その勢いのまま、この中央魔法学園の研究課程でも全教科一位という記録をたたき出した。

 彼はとても優秀で、見目も良く、そして穏やかかつ自分の能力を鼻にかけたりしない人格者で……。

 つまり、私の、圧倒的上位互換。

 年下の私は、なにをやっても「シメオンに次ぐ天才」とか、「第二のシメオン」とか言われてきたの。

 わかる? この屈辱。

 だから私は、シメオンが全教科一位を獲ったこの定期考査で、同じく全教科一位を獲り、なおかつ総合点で彼を超えることだけを目標に努力してきたのよ。

 貼り出された結果を見た瞬間は、物理的に踊り出しそうなくらいに心がおどったわ。だって総合点はシメオンの点数を三点も上回っていたから。

 なのに、なのに……!

 物理だけ、一点差で工学専攻のクロードってヤツに負けてたのよ!

 よりにもよって、「クロード」と「クロシェット」で最初の文字が被ってたから、ちょっと見間違えて二度見したし!


「……ううう……」

「そんなに落ち込まなくても、次で勝てばいいじゃん。クロはがんばり屋なんだしさ」

「そうだよ、すごくがんばってきたんだし、コレで終わりじゃないんだから」

「でも、シメオンは『僕、授業以外で勉強ってあんまりしないんだよね』って言ってたのに勝てない……」

「クロも言ってるじゃん」

「私のはそういうポーズだもん……」


 だって、だって、シメオンみたいにサラッとトップ獲りたかったんだよ! だから私は、寮に入った始めの頃はこの二人にも隠れて布団の中で勉強してたんだけど……まあ、すぐバレちゃった。

 で、中途半端に隠すより全部しゃべっちゃえ! と思って、そのへんの事情を話したら、二人は面白がって三人の秘密ってことにしてくれたの。

 うう……、良い子たちとルームメイトになれてよかった。


「でもさ、確かにシメオン先輩はすごいけど、二学年違うとそんなに交流ないし、私ら世代ではクロがトップっていうのは揺るがないよ」


 その良い子の一人、パメラがそう言って、私を安心させるみたいに微笑んだ。優しい。

 そうだよね。とりあえず今回は私がトップだった。それで納得して――。


「いや、待って? 私が『第二のシメオン』ってことは、シメオンは『第一のクロシェット』ってことになるのでは……?」

「うんうん、ポジティブでいいね」


 天才的な私のひらめきに、ちょっとおざなりに相づちを打ったレリアの横で、パメラが首をかしげる。


「でもクロ、それ結局シメオン先輩が一番なことに変わりないよ」

「あっ、パメラ本当のこと言っちゃだめだよ……」

「あーあ-! 聞こえない。聞きたくない」

「まあ、クロがそれでいいなら……」


 よくないよ!

 でもこの日に賭けてたんだから今日くらい夢見させてよ! 我ながらむなしいけどさ!



2.

 研究課程は入ってからしばらくの間、集中的な座学が行われる。

 あの定期考査は、その座学の最後の確認テスト的な位置づけだったの。

 つまり、そのテストが終わったあと、今度は実技がメインとなる、ということで――。


「座学はすごかったのに……」

「近所の初等課程の子の方がうまく出来るよ、あれ」

「かわいくて頭良くて、すごい、って思ってたんだけど……」


 うるせー! かわいくて頭良かったらそれだけで最高だろうが!!

 外野のささやきを耳ざとく聞きつけてしまった私は、心の中で地団駄を踏み、舌打ちしながら叫び散らした。いちおう繰り返すけど、心の中だけでね。

 ……今私が取り組んでいるのは、ガラス玉にあらかじめ魔法を閉じ込めておいて、対応する呪文を唱えたら発動できる「魔石」を作るという初歩魔法。

 まあ誰かが仰っていたとおり、初等課程でもやる内容なんですけども。

 といっても、事前に魔力消費の激しい高度な魔法の魔石を作っておくと、必要なときに消費ゼロで発動できる。だから、魔石作りはどの課程でも最初におさらいするのよ。

 そして、この魔石作りは、一定の量を保ちながら魔力を注ぎ込む必要があるので、魔力コントロールの練習にもよく使われる。

 私の場合、注ぐ魔力量が少なすぎてガラス玉に入っていかない、もしくは、多過ぎて割る……ということを何度も繰り返し、授業時間中になんとか一個作れるか否か……というありさまなんだけどね。

 普通? 三分もあれば一個作れるみたい。


 ……そうよ、何をかくそう私は、実技がダメな女。

 理論は完璧なのに、それを実習では実践できない。これはもう、私の能力が実習向きじゃないというか、体質というか――とにかく、努力でどうこうできるレベルの話じゃないの。

 私の本当の実力はこんなものじゃない……って言い方をすると、負け惜しみみたいだけど……。

 でも、本当なのよ。

 私の魔力は、太陽が出ている時間は出力が不安定になり、うまく制御ができなくなるの。

 だから私が活躍できるのは太陽が隠れているとき。

 ――つまり、夜。

 さらに雨が強く降っていたら、なお良し。

 私の真価は土砂降りの夜に発揮されるのよ。


 ……ええ、皆さんなんとなくおわかりだと思うけれど、普通、学校の実習はそんな状況下でやらない。もちろん実技試験もね。

 ……だから、座学で勝負できるスタートダッシュでシメオンを超えておきたかったのよ!

 ちなみにシメオンは、残念ながら実技も成績上位者よ。まったく腹立たしい。


 ――そんな私の荒れ狂った心を、さらに激しく波立たせる報せを持ってきたのは、パメラだった。


「次の屋外演習、三年次の先輩がチューターとしてつくんだって」


 チューターっていうと、アレですね。

 授業とかで、先生がクラス全員の面倒を細かく見られないから、先輩学生がサポート役として後輩たちの面倒見るってヤツ。

 三年次ってことは、シメオンの学年。

 ……いや、でも、たとえシメオンがチューターだったとしても、他にも学生はたくさんいる。

 そんな中、ピンポイントで私の担当になる確率は相当低いはずよ――。


  ***


「では、前回までの屋内演習の実力をもとに組み分けをします」


 確率は……低い……。


「クロがんば!」

「えーと、がんばってね、クロ」


 楽しそうな笑顔を浮かべたレリアと、ちょっと困った顔の笑顔を浮かべたパメラが、手を振って私から離れていく。

 そして私の隣には、ほんわか笑顔を浮かべたシメオンが立っていた。


「友達からクロって呼ばれてるんだね。かわいいから、僕もそう呼んでいい?」

「だめです」

「……えっと、そっか……」


 ええ、何となく予感はしていたわ。

 なぜなら、屋外演習会場に来た時点で、チューターの先輩がた(女性)の視線が、私の全身にグサグサと刺さりまくっていたから。

 うん、あれだよ。

 実技ぶっちぎり下位の私につくチューターが、一番優秀で教えるのも上手なシメオンになる。

 ……考えてみれば当然だった。

 でも、考えたくなかったから考えず、したがってそんなことまったく予想していなかった(というか頭をよぎった瞬間にハンバーグのこととか考えて意識を逸らしていた)私は、目の前にやって来たシメオンから「よろしく」と笑顔を向けられた瞬間、完全にフリーズしてしまったわ。


「せっかく同郷なんだから、もっと仲良くできたらって思ってたんだけどな……」

「……仲良く」


 私の全力拒絶を受けたシメオンは、あからさまにしょんぼりと肩を落としている。

 うっ……罪悪感……と、先輩がたの「あんたシメオン様になに失礼な態度とってんの殺すわよ」という視線が痛い……。


「だって……シメオンはファンがいっぱいいるでしょう? 私なんかがあんまり親しげにしてると、ファンの人たちが怒って、教室の椅子の背もたれに魔法でトゲをはやされたり、トイレの個室に毒霧を撒かれたりするもん」

「毒霧!?」

「知らないの? 有名だよ」

「えっ、知らないよ!? 怖すぎるよ!」


 でしょうね、私も知らなかった。思いついたことを適当に言ったけど、確かに怖すぎるわ。ごめんねファンの人たち。

 まあとにかく。

 私は神妙な顔を作って、コホンと咳払いをした。


「昔なじみとはいえ、先輩と後輩ですから。適度な距離をとるべきです」

「わかった……ちなみにその、これまでに被害者って」

「では、実習開始しましょう」

「ああ、うん……」


 実習内容は、壊れた建物の修復。

 建物と言っても住宅みたいな大きいものではなくて、人ひとりがやっと入れる、小さな物置くらいの木造の小屋。それを魔法で修復するというもの。

 学生三人につきチューターが一人という四人グループになって、学生の一人が修復を終えたらチューターが再び壊し、次の学生が修復……というのを繰り返す。

 ……なんですけどね。まあ、私はどう足掻いても修復に時間がかかる。先生もそれがわかってるから、私だけ特別待遇だ。

 シメオンと一対一、っていう屈辱のマンツーマン指導を受ける、うれしくない特別待遇よ。


「クロシェットの場合は、条件が厳しいからいろいろやり方を工夫してみようか」

「はい」


「うーん、このやり方はダメか。じゃあ今度は――」

「……はい」

 

「あっ、惜しい。次は最初の部分を変えて――」

「…………はい!」

 

「やった……クロ、やったー!」

「やったー!! ありがと-!!」


 充実の個人指導。

 開始時はほぼ修復不可能とみられたものの、シメオンの献身的な指導のおかげで、私はなんとか演習時間内にやり遂げることが出来たのでした。

 よかったよかった。

 ……ただ、成功したとき、二人してテンション上がりすぎてハイタッチしてしまったのは消したい記憶だ。

 シメオンのヤツ、どさくさに紛れてクロって呼んでるし。



3.

「いやーすごかったわ。クロとシメオン先輩、注目の的だったもん」

「うん、すごかった。ハイタッチは感動的だったよ」


 実習を終えたその日の夜。

 寮室に戻るなり、レリアとパメラは「まさか成功するとは思わなかった」「シメオン先輩は本物の天才」と、ポンコツ魔法使いの私に無事魔法を使わせたシメオンを口々に褒めだした。

 私がポンコツなあまり、相対的にシメオンの評価がうなぎ登りよ。

 悔しい。でも正しい評価すぎてぐうの音も出ない。

 だけど……。


「……もうやめてよお。とくに、ハイタッチはなかったことにしたい……ファンの皆さんに殺される……」

「ああ、先輩のファンね。実習始まったときは、こりゃクロは実習のあと大変だなーって思ったんだけど」


 やっぱりレリアたちも、あの先輩がたの刺すような視線に気付いていたのだ。怖かったもんね、あれ。


「きっと明日から、教室のドアをあけたら頭上に魔法で生成された氷柱が降り注いできたりするんだ……」


 私がふるふると震えていると、ルームメイトたちはあきれたとばかりに目を細めた。


「なにそれ怖っ。ありえんでしょ」

「クロ、被害妄想たくましすぎ……」


 二人から即座に完全否定されて、私は「ありえなくないもん」と口を尖らせた。

 私だって、なにも妄想だけで言ってるわけじゃないんだよ?


「だって地元では、学校の門の脇にあった石像がゴーレムに置き換えられてて、横通ったら踏み潰されそうになったもん」

「まってそれ、シメオン先輩関係あるの……?」

「関係あってもなくても、石像がゴーレムに置き換わってる学校とか怖すぎるんだけど」

「……えっとね、シメオンファンクラブ会長の、その時のマイブームが『ゴーレム作製』だったらしくて」

「マイブームがゴーレム作製……?」

「そう、マイブームがゴーレム作製」


 オウム返ししてきたパメラに、私も頷きながらそのまま返した。

 実際、会長にとってはゴーレム作りが趣味の一環だったらしいし、他に言いようがない。


「クロの故郷って、普通の町なの……?」

「今度遊びに行っていい? すごい興味ある。絶対ヤバイ町でしょ」

「人の故郷を危険地域扱いしないでよ。ちょっと突出した変わり者がいるだけだから」

「クロとかね」

「はあ? 私はかわいくて賢いだけで、変わり者じゃないから」

「クロとかね」

「……」


 レリアは、半眼でにらみつける私から、わざとらしく目をそらした。

 そしてそのまま窓の外を見た彼女は「わ!」と驚きの声を上げる。


「すっごい雨。昼の実習の時に降らなくてよかった」

「……ほんとだ。土砂降りだね」


 レリアの言うとおり、日が落ちた窓の外は、いつの間にか激しい雨が降り始めていた。

 ――このまま雨が続いたら、このあとの実習で助かるんだけどなあ。


  ***


 私が「雨が続けばいい」なんて考えたせい――ってわけじゃないけど、あの日の夜に降り始めた雨は、止む気配を見せることなくそのまま降り続いた。

 五日目を迎えた今日も相変わらず土砂降りで――この五日間、雨脚(あまあし)は弱まることすらなかった。

 ここまで来たらもう自然災害だ。

 王都の魔法師団が、川の氾濫や土砂崩れの防止のためにあちこちを駈け回っているらしい。

 私に無意識に天候を操作する特殊能力なんてないはずなので、これはまったくもって私のせいではないのだけど……。

 天候のおかげで実習がわりと好調なことに、なんとなく後ろめたさを感じてしまうわ……。


「この雨が自然現象じゃないって、本当かなあ?」


 夕食をとるために入った寮の食堂で、ちょうどすれ違った人たちがそんな話をしていて、思わず私の耳がピクリと反応した。

 このあまりにも異常な天候に、学園内でもそんな噂がちらほら聞かれるようになってきた。


 ――曰く、雨を操る魔物が王都の近くに現れたのだ、と。

 

 たくさんの学生で賑わう寮の食堂で、私たちはなんとか空いている席を見つけて椅子に座った。

 自宅から毎日通っている学生の一部が、安全のため登下校を避け、寮室を借りて寝泊まりしているから、ここしばらくはいつもよりもさらに混み合ってるの。毎回席を探すのが大変よ。

 ……で、そうやって席を探しているあいだも、あちこちでヒソヒソと魔物の噂が聞こえてきていた。


「あの噂、本当みたい」


 いつもニコニコしているレリアが、珍しく難しい顔でそう言った。

 私とパメラは思わず顔を見合わせる。

 冗談……にしては、レリアの表情は差し迫った空気を醸し出していた。


「自然現象じゃないなら、魔物がいるってこと?」

「……たぶん」

 

 レリアが少しだけ視線をさまよわせる。

 彼女のお兄さん、魔法師団に所属してるの。それで、どうやらお兄さんが魔物の討伐隊に編成されている――っぽい、らしい。

 ぽい、っていうのは、そういう重要な任務は家族にも知らされないから。……ただ、魔法師団はこの研究課程の出身者がほとんどで、なんとなーく情報が伝わってくる。

 レリアのお兄さんの場合、親しい友人が学園の教員助手として在籍していて、その人経由でレリアに伝言があったのだという。

 だいぶ回りくどい伝言だったらしいんだけど、まとめると、「危険な任務に就くことになったので、もし自分に何かあったら、実家のベッド横の鍵付きクローゼットの中にある記録用魔石は全て、中身を見ずに速やかに処分してくれ」――と。


「気持ちはわかるけど、伝言すること、それなの!?」


 レリアはワッと顔を覆った。兄が心配なのもあるようだが、それよりも初対面の教員助手の人からそんなことを伝えられたのが恥ずかしかったらしい。

 ……かける言葉も見つからないわ。

 いっそ、「両親を頼む……」だったら励ますという選択肢だってあったんだけど。……ベッド横、鍵付き、っていうのがもうね。

 ちなみに両親の「り」の字もなかったとかで、さすがに教員助手さんも苦笑いだったらしい。


「ほら、お兄さん、余計な心配かけないようにわざと面白い感じにしたのかも……」


 さすがパメラ、こんな状況からでもお兄さんの名誉挽回を試みている。天使かしら。


「そうだとしたら気遣いが斜め上にズレすぎだよ! 無事に帰ってきたら、記録用魔石をぜーんぶ中身の解説メモつけて居間のテーブルに並べてやるんだから」

「そ、それは、あまりにも……」

「せっかく無事に帰ってきたお兄さんがショック死しちゃうから、やめたげて……」


 ま、まあ、そんなことを言っていても、お兄さんが危険な任務に就いてるなんて心配なはず。……レリアは意気揚々と、兄の帰還前に遠方の実家へ帰って、魔石の中身を確認する算段を立て始めてるけど……。

 心配なはず……うん。



4.

 夜、そして土砂降り。

 私にとってはこれ以上ないこの好条件。


 レリアとパメラが眠ったあと、私は足音をひそめて寮の裏口へ向かった。

 雨除けのため、自分の周りに繭のような薄い障壁(しょうへき)を張り、誰にも見られていないことを確認しつつ外へ出た。


「やっぱり来たね、クロシェット」

「びえッ!!」


 ――外に出た瞬間、真横から声をかけられた私は奇声を発した。すぐに手が伸びてきて口を塞がれる。


「静かに。雨の音があっても大きな声は響くから」

「……」


 大きなてのひらで私の口をふさいだのは、シメオン、だった。

 彼はイタズラっぽくウインクしてから自分の口元に指を当て、私の耳元で「しー」と囁く。

 私はこくこく頷いて、手を離して、とジェスチャーで伝える。


「……シメオン。こんなところでなにしてるの。ここ、女子寮だけど」


 いろんなびっくりで心臓がバクバク大暴れしてるけど、私は可能な限り平静を装って声を出した。

 ……うえ、しゃべると心臓が飛び出しそう。


「今日食堂で、友達から討伐隊の話聞いてたでしょ? だから、クロシェットなら行こうとするんじゃないかなって思って、待ち伏せしてたんだ」

「……は?」


 待ち伏せしてたんだ(ニコッ)――じゃないわ。

 こいつ、私の邪魔をするためにわざわざ女子寮の裏口に隠れてたってこと!?

 私が出てきてなかったら、もしくは表口や窓から出てたら、こいつは土砂降りのなか女子寮裏口にへばりついてるただの変態になってたってことよ?

 私の視線から、私の考えていることがわかったのか、シメオンはちょっと拗ねたような顔をした。


「クロシェットの考えてることは大体わかるよ。僕がどれだけ君のことを見てたと思ってるの」

「え、怖……」


 おっと、思わず本音が出ちゃった。すると、シメオンはさらに面白くなさそうに目を細めた。

 あら、珍しい表情。


「僕はね、クロシェット。学生寮の寮監(りょうかん)補助もやってるんだよ」

「はあ、ご苦労様です」

「だから、夜間に寮から抜け出して危険なことをする学生がいないか見回りをすることもあるし、その時にコソコソ裏口から出てきた女の子を見つけて、注意したり寮監に突き出したりすることもある」

「……つまり、邪魔するのね」

「それは君の返事次第かな」


 返事?……なんの?

 私が首を傾げると、シメオンはクスリと笑った。


「これからずっと、クロって呼ばせてくれるなら見逃してあげる」

「……は?」

「もしそのせいで、君に嫌がらせをしようとした人間がいたら、そういうことをしないよう、ちゃんと『話』をして『わかって』もらうから安心して」

「……え?」


 なんか今、微妙に……微妙に、だけど、「話」と「わかって」のあたりの言い方に怖い感じのニュアンスが混ざってたような。

 いや、いつものほんわか笑顔だし、気のせいか。


「どう?」

「……わかった。いいよ、好きに呼んで。そのかわり、今私が出てくことは誰にも言わないで」


 私がそう答えると、シメオンはパッと表情を明るくさせた。


「約束するよ、誰にも言わない。じゃあ行こうか」

「――は? なんで一緒に行く流れにしようとしてるの?」

「出てくことは見逃すし、誰にも言わないけど、クロを一人で行かせるとは言ってないよ?」

「いや、そう……かもしれないけど」

「そうだよ。よし、ちゃんと掴まっててね」

「え?――ふぎゃっ」


 言うが早いか、シメオンは片手で私の身体をひょいと抱えあげた。

 そしてもう片手で、何かをポケットから取り出す。――銀色に光る魔石だ。


「転移」


 シメオンの発した短い言葉に反応して、魔石がまばゆい光を放った。

 ……これは魔法豆知識なんだけど、魔石は込めた魔法が高度であるほど、使うときに強い光を発するの。

 転移魔法なんて、高度中の高度よ。


 ――せっかく気付かれないように出てきたのに、こんなにビカビカ光ったら寮の全員が起きちゃうでしょ、これ……。


  ***


 転移先は王都の近くを流れる川の、海を臨める河口に位置する監視塔――の、円錐型の屋根のてっぺんだった。

 河口の高台にあるその塔の上は、視界をさえぎるものがひとつもなく、少し離れたところにある王都の街の光がよく見えた。

 そして……監視塔のかなり近くで、たくさんの人の声と攻撃音がしている。たぶんそこが戦いの最前線なのだろう。

 ただ、今立っているここからその場所を見下ろすには、屋根のふちまで行かないといけない。

 無理。高すぎ。

 しかも雨で足元濡れてるし、暗いし。

 私が固まっていると、屋根のすぐ下、たぶん監視塔の一番上の階で何人かが走り回る音が響いた。


「なんだ今の光!」

「誰かいるぞ!?」


 ……大騒ぎだわ。

 そりゃあ、土砂降りの夜間、戦闘中で警戒態勢の中、いきなりピカッと光って、しかも屋根の上に何者かが立ってたら大変な騒ぎになるに決まってる。


「シメオン……」

「ごめんね、座標指定が甘かったみたい」


 お前、なんてことしてくれたんだ、と私が下から睨みつけると、彼は「エヘッ」って感じの笑顔を返してきた。


「ごめんで許されたら警察はいらな……っ!?」


 私の抗議の言葉の途中で、シメオンは私を抱えたまま、「よっ」と屋根から飛び降りた。

 屋根の上から、下の見張り台まで、結構な高低差があるのに。


「構えろ!」


 シメオンは飛び降りながら魔法を使ったらしく、ふわりと見張り台に降り立った。――そして当然ながら、そこにいた全員が、私たちに向かって武器を構えている。

 私は、突然の転移→塔のてっぺん(高所)→飛び降り、という地獄コンボで内臓がヒュッてなっているうえに、武器を向けられたのなんか生まれて初めてで……。もう、恐怖と混乱が極まって、シメオンの首にギリギリとしがみつくことしかできなかった。


「……って、お前、シメオンか!?」

「すみません、ちょっと出る場所間違えちゃって」

「『間違えちゃって』ってお前、いくら魔法師団の入団が決まってるっていっても、前線に直接飛んでくるヤツがいるか!……って、その子はなんだ? ずいぶん震えてるが大丈夫か?」

「はい。この子は……クロ、ごめん、苦しい」


 シメオンに、ポンポンと背中を叩かれる。

 ――って私、シメオンに抱きついてた!?

 っていうか締め上げてた!?

 ハッと我に返った私は、とっさにシメオンを両手で突き放……そうとした。

 ……両手でシメオンの肩を強く押した私は、そういえば、まだ彼の腕に抱き抱えられていたのだ。

 上半身だけが大きく反り返り、そのまま後ろ向きに倒れる。

 ――あ、背中から落ちる。


「あっ……ぶな。クロ、大丈夫?」


 ……一応落下の衝撃を覚悟したのだけれど、そこはシメオンが見事に支えてくれた。

 その体勢はまるで、ダンスの一幕のようで。

 シメオンと私の顔と顔が近づき、見つめ合う――。

 シメオンの長いまつげがすごく近くにあって、はっきり見える。彼の大きな瞳の中に私が映っている。そして、整った鼻筋に、さらりとした髪……。

 私はそれを見つめながら、頭に浮かんだ言葉を口にした――。


「いや、なんだよこれ」


 どういう状況よ、これ。

 自分で思った以上に不機嫌な声が出てしまっていた。さすがのマイペース・シメオンも苦笑しつつ私を地面に立たせてくれる。

 うう、あまりの展開に膝がガクガク笑ってるわ……。


「あー、君、シメオンに振り回されて連れてこられたんだな、かわいそうに……」


 そんな私を哀れみの目で見ていた、たぶん魔法師団の偉い人が、私に優しく声をかけてくれた。

 無精ヒゲの生えたその人は、ちゃんと身なりを整えたらわりとイケオジだと思うのだけど、今は疲れ切ってくたびれた空気を全身にまとっている。

 きっと、ここに配属されてからあまり休んでいないのだろう。

 ……ん? さっきこの人、「振り回されて」って言ったよね?

 シメオンが魔法師団入り決まってて、事前訓練で出入りしてるっていうのは知ってたけど……。

 ――魔法師団内だと、こいつ、そういうキャラとして認識されてるの?

 さっき一斉に武器を構えてた他の人たちも、同じく哀れみの混じった目で私を見てるんですけど。

 だけど当のシメオンは、心外だとばかりに肩をすくめていた。


「振り回してはいませんよ。彼女がここに来たがっていたから連れてきたんです」

「来たがってた?……ここで何をやっているのか、知ったうえでか?」

「……さすがに私は、監視塔のてっぺんに来るつもりはなかったんですけど」


 私は一応、もそもそと主張しておく。この事態を招いたのはシメオンです。


「でも、前線には来るつもりだったよね?」


 シメオンに言われて、私は返答に困る。

 確かに私は、「どうやら魔物と戦っているらしい」最前線に一人で行く気だった。

 だけど、その魔物がどんな相手なのか、それに前線がどういう状況なのかまったく知らない。……だから、見つからないようにこっそり前線近くに行って、手助けが出来そうだったらこっそり手助けして帰るつもりだった。

 ――それは間違いなく、前線で戦う人たちにとっては「ふざけるな」と言わざるをえない危険な行為だ。手助けどころか、逆に大きな迷惑をかける可能性だってある。

 それはわかってるから……。

 返答に詰まる私の頭を、シメオンがなでる。そして、私の代わりに口を開いた。


「だから、ここに連れてきたんだ。見えないところでなにかするより、見えてるところで、何をするか予告してから行動した方が、みんな動きやすいでしょ?」

「む……」


 シメオンの言うことがいちいち仰るとおり過ぎて、私は黙ることしか出来なかった。けどやっぱり、イケオジの人は渋い表情のままだ。

 

「まあ、シメオンが連れてきたってことは何かしら理由があるんだろうが……それでも、一般人を戦わせるわけにはいかないぞ。しかも、まだ学生だろう」

「彼女に戦わせたりしません。なにかあったとしても、必ず僕が守ります」

「そう言われてもな……。いいか? いま私たちが戦っているのはドラゴンで、それも古竜(こりゅう)の一種だ」


 古竜!

 レリアのお兄さんが魔石の処分を妹に頼むくらいだから、きっとすごく手強い相手だとは思ってたけど……。


 ドラゴン自体は、それほど多くはないけど年に数回は被害報告や、討伐が行われている。

 でも、古竜となると数十年、下手したら百年に一度報告があるかないかというレベルのレアモンスター。

 生息数が少ないだけではなく、その能力も通常種の竜とは桁違いで……天候を操るというのも、その能力のひとつなの。

 でもってやっかいなのは、古竜の血液が強い酸を含んでいること。

 そして、絶命するとき、竜鳴(りゅうめい)と呼ばれる叫び声を上げること。


 古竜の竜鳴を聞いた生き物は呪いを受け、身体を蝕まれる。そして、大地に染みこんだ血液もまた呪いへと変わり、何年も草すら生えない不毛の土地へと変えてしまう……。

 だから、古竜を殺すことはできない。ただ追い払うことしかできないのだ。

 だけど、追い払うために攻撃しようにも、天候を操るので近づくのも難しい。そして血を浴びると、頑丈に作られた鎧すらも溶けてしまうので、攻撃にも気を遣う。

 ましてや、うっかり死なせてしまったりしたら、少なくとも王都の人々全てが竜の呪いを受けることになるのだ。


 つまるところ魔法師団は、古竜が倒せなくて困っているのではなく、二次被害を抑えつつ追い払う、というところで手こずっているのだろう。

 しかし、それなら――。


「私の能力、至適(してき)条件があるんです。それが、雨と夜。太陽の影響が少ないほど魔法の威力が上がるんです」

「ああなるほど、君は条件持ちか。だが――」

「それと条件バフがかかるのは、障壁と回復魔法なんです」

 

 至適条件は読んで字のごとく、最も力を発揮できる最適な条件のこと。

 魔法使いの中には稀に、特定の環境下でのみ力を発揮できる人間がいる。そういう人は「条件持ち」と呼ばれていて、大体の場合、条件が揃えば大きな力を発揮できる。

 私はその条件持ちで、さらに条件バフ――「条件が揃ったときのプラス効果」が特定の魔法にだけかかる、というピーキーすぎる魔法使いなの。

 でもそのぶん、今日の私のバリアは最強なのよ。

 私はくたびれたイケオジの人に頷かせたい一心で、前のめりになって力説した。

 イケオジの人は私の勢いに困った顔をしているけど、ここはもう一押し……。

 って思って、足をもう一歩踏み出そうとしたら、シメオンに後へ引っ張り戻された。……あ、やっぱりダメだよね、偉い人に詰め寄ったら。

 シメオンは自分の手元に引っ張り戻した私の肩に手を乗せて、ニコッと微笑んだ。


「今日、この場所に必要な人材だと思いませんか?」

「ううむ……」

「多少威力は落ちますが、遠くからでも障壁は出せます。危険な場所には近づきませんし、皆さんの行動を妨げたりしませんから……!」

「しかし――」


 渋面(じゅうめん)のイケオジの人が口を開いた瞬間、地面をたたきつけるような轟音が響いて、そして監視塔全体がビリビリと震えた。


「団長! 障壁が大きく破壊されて、そこから眷族(けんぞく)が流れ込んできています。障壁の張り直しをしようにも眷属の数が多くて……」


 轟音と振動から少し遅れて飛び込んできた魔法師団員が、息を切らせながらイケオジの人に報告を入れた。

 ……大変。イケオジの人、団長だったわ。


「そうか。……背に腹は代えられないな。わかった、緊急措置として、準隊員のシメオン・リオットに出動を命ずる。緊急だから命令書は省略だ。そしてシメオンの任務は、()()()()()()()民間の少女の安全確保。わかったな」

「はい!」


 イケオジの人――もとい、魔法師団長がシメオンを見ながらそう命じると、シメオンはとても嬉しそうに返事をした。

 団長は、シメオンの笑顔にあきれたのか、それともこの「建前上の命令」に胃が痛むのか、ふー、と長く息を吐いてから、今度は私に目を向けた。


「そこの民間の少女、名前は」

「クロシェット・メールです」

「メール君。君はシメオンのそばを離れないように。間違っても前衛部隊には近づかないようにな」

「は、はい!」

「よろしい。ケヴィン、ここの番を頼む。私も出る」

「えっ、あ、了解いたしました!」


 団長はその他にもいくつかの指示を飛ばしながら、監視塔の階段を駆け下りていった。

 くたびれてる、と思っていたのに別人のようにテキパキと指示出しをして、颯爽と去って行ったイケオジ団長に目を丸くしていると、シメオンに肩を叩かれた。


「クロ、僕らもいこう。君が魔法を使いやすい場所を探さないと」

「う、うん」

 


5.

 古竜は、巨大なカニのような姿をしていた。

 頑丈そうな殻に包まれた体は小山のようで、矢や攻撃魔法をいくら当ててもほとんど傷つかない。それに加えて、強く降りつける雨が、視界も、攻撃の威力も奪ってしまうのだ。

 狙った場所に当てられない・当たっても威力は大幅減という状況で、そりゃあ団長もやつれるよね、という状況。

 そして、団長への報告の中で名前が出てきていた「眷族」も、これまた非常に厄介だ。

 力の強い魔物は、取り巻きのような中〜小型の魔物を引き連れていることが多い。このカニもその例に漏れず、甲殻類系を中心とした小型の魔物を大量に引き連れていた。

 それでもこれまでの戦闘でかなり数は減っているらしいが……。


 カニ自体の行動は割と単純で、川を上流に向かって進みたいのに障壁が張られていて通れないから、その大きな爪で叩き割ろうとしている。そして障壁が壊れた隙間から眷属たちが出てきて、討伐隊の人々を襲っている。――ただ、それだけ。

 古竜(カニ)からしてみれば、ただ川をさかのぼって進んでいるだけなんだろうけど……、こんな魔物集団が王都の近くまでぞろぞろやってきたら、とんでもない被害が出てしまう。

 それにこの雨だって、こんな勢いで降り続けられたら、町はどこもかしこも浸水してしまうし、育てている作物だって腐ってしまう。

 申し訳ないが、このカニと人間は共存できない。どこか別の場所へ……というか、海へお帰り願いたい。


「いまだ、早く壁を張りなおせ!」


 前線から鋭い怒鳴り声が響いた。

 くたびれ魔法師団長が攻撃に加わったことで、障壁を乗り越えてきた眷属たちの数がグッと減り、攻勢が少し弱まったらしい。その隙に、魔法師団の人たちによって障壁が張り直される。

 これで少しは安心かな。……って思ったんだけど。

 一度壊したはずの壁が、また作られたことに腹を立てたのか、カニは今までよりも激しく爪を振り下ろしはじめた。

 二度、三度……と叩きつけられるたびに、障壁にはすこしずつ細かなヒビが入っていく。

 たぶん、これは……。


「……あと二度くらい叩かれたら、崩れそうだね」


 シメオンの言葉に、私は頷いた。……さすが古竜と呼ばれるだけあって、ただの巨大なカニじゃないのね。

 魔法師団の張った障壁が弱いわけじゃないのよ。古竜が強すぎるだけ。


「……たぶん、遠くからだと、私の障壁も同じように壊されると思う」

「うん」

「だから……今、障壁の一番近くに行きたい」


 そう言いながら、私はシメオンの表情をうかがう。

 私は団長から、前衛部隊に近づくなと言われてるし、それに、自分自身で「危険な場所には近付かない」と言っている。

 シメオンがその約束を破る手助けをするっていうことは、たぶん魔法師団の規律違反になる、はず。

 せっかく決まっている魔法師団入りの話が、立ち消えになってしまう可能性だってある。

 だけど。


「言ったでしょ? 僕はクロの考えてることは大体わかるって。――こうなることが予想できたから、魔石もたくさん持ってきてる」


 シメオンはニコリと笑った。

 それがとても頼もしくて、ありがたくて、そして申し訳なくて……。

 ……あと、そこまで読まれていることが、やっぱり怖かった。いや、さすがに今回は空気を読んで口には出さなかったけどさ……。


  ***


 寮の裏口で見たのと同じ銀色の魔石がビカビカ光ったあと、私とシメオンは最前線も最前線、今まさにカニのハサミが振り下ろされて障壁が砕け散った、その真下にワープアウトした。

 つまり、障壁がなくなってハサミがダイレクトに落ちてくる、まさにその場所よ。


「え!? なに!?」

「だ、誰だ!?」

「危ない!!」


 もともとそこにいた討伐隊の方々が、突然――しかも、わざわざ一番危険なハサミの着弾地点に――現れた私とシメオンの姿を見て、状況を飲み込めずに目を白黒させてる。

 シメオン、だから座標の指定はちゃんとしろと!!

 っていうか、いまそれどころじゃないな!?


「っ、『守って!!』」


 私は声の限り叫んだ。

 私の中にある魔力が、血液のように全身を駆け巡る。心臓から指先、つま先、そして脳へ――。

 空に太陽があるときは上手く繋がってくれないパスが、月の光の下ではなめらかに繋がっていく。

 隅々まで行き渡った魔力で、私は、私たちを守るための場所を織りあげた。

 ――それは、私の足元を起点にして、立体的に広がるドームだ。


 私の頭の少し上まで迫っていたハサミは、瞬く間に広がっていくドーム状の障壁にぶつかり、バキッと派手な音を立てる。


「か、完全に防いだ……障壁にヒビも入ってない」

「いまの音……もしかしてハサミの殻のほうが割れた?」


 討伐隊の皆さんが、信じられないという様子で囁き合っているのが私の耳に届いてくる。

 うふふ、すごいでしょ? もっと驚いていいのよ!

 今までは叩きつけられたダメージを障壁側が吸収してたけど、いまの私の障壁は完璧だから、ダメージを完全にカニのハサミに跳ね返したのよ。

 さすがに何回も完全反射とはいかないだろうけど、それでも……。

 ――あ、ヤバ。

 膝から力が抜けて、ぐらりと視界が揺れた。

 実は、今のはあまりにもギリギリすぎて、さすがの私も「あ、死んだわこれ」って思っちゃったんだよね。

 間に合ってホッとしたせいで、恐怖がまとめて押し寄せて来ちゃったみたい。


「おっと、大丈夫? クロ」


 崩れ落ちかけた私の体を、シメオンが支えてくれる。

 かなり悔しいけど、ありがたいわ。

 ……っていうか、ハサミに潰されかけたのは一緒なはずなのに、めちゃくちゃ落ち着いてるな、こいつ。


「シメオン、なんでそんなに落ち着いてるの?……いま、下手したら死んでたのに……」

「クロの魔法が間に合わないわけないよ」

「……」


 え、なにその私に対する根拠のない自信と信頼。重すぎて怖いんだけど。

 そのドン引き具合が表情に出てしまっていたらしく、シメオンはちょっとだけ苦笑して、付け足した。


「無理だって判断したら、その瞬間にクロだけでも逃がさなきゃって思ってたから、怖がってる余裕がないんだ」


 あ、なるほど……一応そういう意識があったのね。

 いやでも、そもそもハサミ直下に飛ばしたのもこいつなんだけど。

 ――ただ、私の魔法は私の精神状態も反映する。守ってほしい、守りたいって強く願えば願うほど、作り上げる障壁は強く完璧なものに近付いていくの。

 それを知ってるからこその、この位置取りと信頼だったのかもしれない。


「また来る……!」


 誰かの声で、ハッとして視線をカニのほうに向ける。そう、今はシメオンを怖がってる場合じゃない。

 ハサミが高く振り上げられている。気のせいかもだけど、さっきよりも高い。

 そして、再び振り下ろされる――。


 バキン


 今回ははっきりと、割れた音が響いた。

 ハサミはまだ透明な障壁の上に乗っかってるから、目視でも堅い殻に大きな亀裂が走っているのが確認できる。ところどころ、こぶし大の隙間も見てとれた。

 ……もちろん、カニのほうもそれはわかっている。弱い部分を攻撃されないよう、ハサミを引き上げ――。


「点火」


 そのとき、私の頭のすぐ横から、とても静かな声が聞こえた。

 爆発魔法の呪文だ。

 魔法は即座に発動し、亀裂が走っている場所で小さい――けれど、なんだかやたらと威力が高そうな爆発を起こした。


「え」


 さすがの古竜もこの爆発は効いたのか、身体を硬直させて泡を吹いている。

 私がぽかんとシメオンを見上げると、彼は微笑みを返してきた。いや、え?

 真っ白な、まるで光を凝縮したような爆発……。

 たぶんアレ、ものすごく上級魔法。

 使うのには結構魔力と集中と時間が必要って言われてるやつ。


「必要になるかもしれないって思って魔石作っておいたんだ」

「作っておいたんだ?」

「うん」


 あのレベルの魔法を魔石にするの、普通無理って言われて――


「攻撃をたたみかけましょう。ハサミをひとつ失うくらいで死ぬことはないでしょうし」

「……お、おう!」


 穏やかに微笑んだシメオンのひと声で、討伐隊の皆さん――私と同じく、たぶんいまの魔石に驚いてる――がハッとした顔で弓や杖を構え、一斉に攻撃を開始した。



6.

 そこからはもう、怒濤の勢いだった。

 今までろくに戦うことが出来なかったフラストレーションを晴らすかのように、皆さんノリノリで攻撃をしていた。

 あの、殺しちゃダメなんですよー……、と、思わず声をかけてしまったくらいに。

 まあその甲斐あって、古竜はそれから半時も立たないうちに泡を吹き散らしながらもと来た道(川?)を戻っていった。

 討伐隊の人たちはきちんと海に戻るのを確認するまで仕事が続くとのことで、私とシメオンは学園に戻った。……魔法師団の方に付き添われてね。


 私は夜中に寮を抜け出してふらふらしていて、魔法師団の人に保護されたって話にしてもらった。「何かできるかと思って魔物と戦っている前線に行きました」の方が絶対叱られるもん。

 まあもちろん、それでもものすごく怒られたけど。

 そしてシメオンは、この件では一応、魔法師団の要請を受けたってことになってるから、学園からのお咎めはなかった。

 ――シメオンはこの扱いについて、「クロだけが学園から罰を受けるのは納得いかない」と渋ったのだけど、そこは私が押し通した。

 だって夜中にシメオンと一緒に出掛けてたなんて、学園中に知られちゃったら背後からゴーレムに踏みつぶされかねないでしょ。


 結果的に、私の学園内の評価は、 「頭が良くてかわいいけど魔法は壊滅的でさらに放浪癖がある」……というところに落ち着いた。屈辱。


「クロ、そんなに見に行きたかったんだね……」

「私も一緒に行きたかったのに!」


 私が前線に行こうとしてたってことは、パメラとレリアにだけは話したので、二人からも「一人で危険なことをするな」と、たくさん叱られました。

 ああ、それと。レリアのお兄さんからは追加の伝言があったらしい。


「『帰れることになったから隠し場所は変える』って言われたんだけど!!」


 レリアは本気で悔しがってた。仲が良くて微笑ましい……ということにしておこう。


  ***


 そのあとしばらくは、特に波風が立つこともなく日々が過ぎていった。

 私を見るクラスメイトの視線が、「かなりヤバいヤツ」って感じになったこと以外。……うん、結構な波風な気もするけど。

 そして、あの古竜との戦いから半月ほど経った。


 今日も今日とて絶不調だった魔法実習を終えた私が、レリアとパメラに慰められながら廊下を歩いていると、なんだか前方に人が集まってざわざわしているのが見えた。

 どうやら、ちょうど私たちが次の授業のために向かおうとしている、まさにその講義室でなにかあったらしい。

 私たちは顔を見合わせて、首をかしげた。

 そうこうするあいだにも、人だかりは増えていく。

 ――この様子だと、次の授業は中止になるかもしれない。楽しみにしていた貴重な座学だというのに……。


「あっ、いた!」


 中止になるなら座学ではなく実習にして欲しい。そんなことを考えながら教室のほうを眺めていると、人だかり中から声が聞こえた。――と、同時に、全員が一斉に私たちのほうへ振り返る。


「ひえっ」

「え、なに?」

「?」 


 思わず私たちも振り返ってみたけど、私たちのうしろには誰もいない。……ということは、皆さんのお目当ては私たちの中の誰か、ということになるんだけど……。


「クロ! やっと来たね」


 やっぱり。

 講義室の中にいたのはシメオンで、彼が嬉しそうにこちらへ歩いてくるのに合わせて、人だかりが割れて彼のための道が出来ていく。花道みたい。


「うわー……」

「クロ、顔」


 無意識にすごく嫌そうな顔をしていたらしく、パメラに注意されてしまった。……そうはいっても、この状況は嫌な顔にもなりますよ。

 私はため息をなんとか飲み込んで、よそ行きの笑顔を作った。


「なにかご用でしょうか、シメオン先輩」

「用事があるのは僕じゃないんだ。とりあえず講義室の中へ」

「は?」


 僕じゃないなら誰なのか。

 説明のひとつもなく、シメオンは私の手を取って再びギャラリーの花道の中に突っ込んでいく。


「まっ、まって、説明は!?」

「行けばわかるよ」

「いや、一言くらい……」


 私が抗議の声を上げているあいだに、私に用があるという「僕じゃない誰か」が待ち受けているらしい講義室の入り口にたどり着いてしまった。

 いったい誰なんだ。……いや、もう誰でもんだいいけど、とりあえず私を連れてくる役目としてシメオンを遣わせたことについては苦言を呈したい。

 私は講義室の、教壇の前にいるその人物をキッとにらみつけた。


「シメオン、お前また無理矢理引っ張ってきたのか……」


 なんとなく見覚えのある男性だった。あと、ついでにその横にいる上品なおばさまはこの学園の学長先生だわ。

 学長先生もなかなかなレアキャラだけど、それよりも問題は、魔法師団の制服に身を包んだイケオジのほうよ。


「だ、団長様!」


 あの時もイケオジだと思ったけど、無精ひげを剃った上にくたびれていないイケオジは、軽く後光を放ってるんじゃないかって錯覚するくらいのイケオジだった。

 っと、私のイケオジ好きは置いておいて……。

 これは、講義室前に人が集まるのも納得だわ。だって、魔法師団っていったら、この学園に通う人間なら誰もが目指す、あこがれの就職先。

 さらにそこの団長といったら、何かの式典とかでものすっごい遠くから米粒みたいな姿を拝む機会が年に数回あるかないか……くらいの存在なの。


「メール君、騒ぎにしてしまって申し訳ない。本当はアポイントメントをとってから訪問するつもりだったんだが、なかなか時間がとれなくてね」

「い、いえ。……あの、なにか……問題でもありました、でしょうか……」


 そう尋ねながら、私はごくりとつばを飲み込む。

 だってあの時、私は団長の言葉に従わず、古竜の目の前に飛び出した――半分はシメオンのせいだけど――のだから。

 古竜の件が落ち着いて、当時の状況を整理して検討した結果、クロシェット・メールは中央王立魔法学園の研究課程から除籍することが決まりました。……って言われても仕方がない。

 仕方がないんだけど……。


「ああ、君たちの講義を邪魔する訳にもいかないからな。本題に入ろう」


 私の催促に気を悪くしたふうでもなく、団長はうなずいて話を進めた。


「古竜の件が一段落ついて、やっと団員たちから当時状況の聞き取りができたんだ。それで――」


 え、ちょっと待って、私の想像通りの展開なんだけど。……まさか本当に除籍処分?


「メール君、君があの場にいなければ、私はあの夜、仲間を何人も喪っていただろう」

「え……」

「君の行動は蛮勇(ばんゆう)と呼ばれるものだった。それを(たた)えることは、私の立場上できない。――しかし、君が奮ったその勇気のおかげで、今日、家族のもとへ戻れた人間が何人もいる。……非公式になってしまうが、私は今日ここへ、あなたに謝意(しゃい)を伝えに来たんだ」


 しゃい……シャイ? 聞きまちがいかな?

 いけない、あまりにも想定外の展開に、脳内が現実逃避を始めている。

 しかしイケオジ団長はそんな私にとどめを刺すつもりなのか、思わず見とれてしまうほど美しい角度で敬礼を披露した。


「クロシェット・メール君。私たちを救ってくれて、ありがとう」

「……っ」


 講義室をのぞき見していた野次馬たちが、魔法師団の団長の敬礼に驚いてざわめき出した。私もできればそっちの立場で敬礼を堪能(たんのう)したかった……。

 団長さんの話が済んだところで、入れ替わるように学長先生が一歩前に出てきた。


「先日の無断外出による、外出制限などの諸々のペナルティについてですが。――先ほど団長より、魔法師団員の連名であなたへの酌量(しゃくりょう)を願う書面を受け取りました」

「ま、魔法師団の方々が……?」


 どうして?

 ぽかんとしている私に、学長先生は優しく微笑む。


「すぐにすべて無罪放免というわけにはいきませんが、これから制限解除や期間の短縮を検討します。――決定次第、通知しますね」

「は、はい」

「……ああ、授業の開始時間になってしまいますね。私たちはこれで引き上げますが、さらに詳しく知りたいのであればリオットさんに尋ねてください」

「シメオンに?」


 そういえば、シメオンもいたんだった。完全に忘れてたわ。


「ええ、リオットさんは魔法師団に所属していますし、メールさんとは同じ学校の出身で親しいと聞いて……いたのですが」

「……あ、ハイ。ソウデス」

「クロ、顔」


 どうやら私はすごい顔をしていたようで、シメオンに注意されてしまった。いけない、学長先生と団長さんの前なんだから、我慢よクロシェット。


「では、私はこれで。――学生諸君、授業の邪魔をして申し訳なかったな」


 団長さんが講義室の入り口を振り返ってそう言うと、野次馬の皆さんは一斉にぶんぶんと頭を振った。

 本当に全員の動きが揃ってて、かなり壮観だったわ……。



7.

 詳しいことはシメオンに聞け、――と、学長先生に言われたので、私は寮の食堂でシメオンから話を聞くことにした。

 普通に夕食どきだから周りに他の学生もいる状態。

 なんでこんなところで話すのかというと……。

 みんな私に事の詳細を尋ねたいみたいなんだけど、私自身よく分かってない。

 「それならいっそ、みんながいるところで話しちゃえば、聞きたい人はみんな聞けるし、クロの異常行動の理由もわかって多少変人評価が下がるんじゃない?」というパメラの発案によるものだ。

 変人評価が「多少」しか下がらないというのは納得いかないけど、皆に聞かせたほうが楽、というところはなるほどと思ったのでこういう形式になった。


「……とまあ、あの長雨の原因と、魔法師団の動きはだいたいこんな感じかな」


 さすがシメオン。悔しいけれど、あの古竜事件の流れをかいつまんでわかりやすくまとめてくれた。だいぶ私を持ち上げてくれたので、食堂のみなさんの私に対する視線に含まれる怯え度合いも下がったのを感じる。……自分で言っててなんだけど、「怯え度合い」って悲しすぎる指標ね……。


「あの時、クロは障壁と回復フィールド魔法を同時展開したでしょ? それで、あのあと魔法師団の中で『あの女の子は誰だったんだ』って話題になってね」

「あー」


 そういえばそうだった。ドーム型の障壁を作ったついでに、その範囲内にいたら回復するようにって思って、ふたつの魔法を一緒に使ったの。

 だってあそこにいた人たち、軽傷とはいえみんな怪我だらけだったし、あと、いい感じに条件揃ってたからできそうだったし。

 ……えっと、食堂のみなさんちょっとざわついてて、ついでに怯え度合いがちょっと上がってない? 気のせい?


「それで僕は質問攻めにあって、ふんわりとだけどクロの『条件』のことを話して、ついでに事情を隠してるせいで学園からペナルティを受けてるってことを話したら、それは助けなきゃって話になったんだ」

「別にいいのに……」

「僕もそうだけど、それじゃあ助けられた方は納得いかないよ。団長だってそれで直接来たんだよ」

「ひえ……」

「クロは昔からそうだ。昔、乗合馬車が土砂崩れに巻き込まれて大騒ぎになったとき、みんなのこと助けたくせに、誰にもなにも言わないし」


 シメオンは拗ねた表情で、私のことを軽く睨んだ。

 ……って、あれ? なんで馬車のこと知ってるの?


「馬車ってなんの――」

「ほら、すぐとぼける。僕はその馬車に乗ってたから、一部始終見てたんだよ」

「あー……それは、ご無事で何より」

「それから僕は、君の助けになりたい一心で勉強も魔法もがんばったのに、逆に君からはめちゃくちゃ敵視されるし……」

「私一番が好きなの」

「そうみたいだね……」


 シメオンは深くため息をついた。周りからは哀れみの目が向けられているわ。かわいそうね。


「とにかく! このままだとクロはまた何も言わずに全部済ませようとするから、そうできないように魔法師団全体で動いたんだよ」

「ええー」

「どうしてそんなに隠すの? 一番が好きなくせに」

「……だって」

「うん」

「あの馬車の事故のあと誰かが『夜の聖女』って言いだしたでしょ」

「ああ……ちょっと話題になったね」

「――あれ、すごく嫌だったの! なんか『夜の』ってつくとものすごくいかがわしい感じがしない!?」

「……言われてみれば、そうかも」


 思春期に足を突っ込んでた私は、「夜の聖女」とかいう色街の二つ名みたいな名称が嫌すぎて、正体を明かさずにひたすら逃げ回ったのよ。


「えっと……、ちなみに今、魔法師団の中では『土砂降りの聖女』って呼ばれてるけど」

「ぐっ……『夜』よりはマシだけど、聖女っていうのはやめて欲しい……」


 どちらも痛し痒し!

 でも、色街っぽさはないからまだ許容範囲か……。


「変に隠れようとするから神秘的なイメージがついて聖女って呼ばれるんじゃない……?」


 葛藤する私を見ながら、パメラがあきれた顔でつぶやいた。

 あれ、なんか周りのみんなが頷いてる……?

 ええ? そういうものなの……?


「クロのことを知ったら、聖女って名前はつかなかったと思う」


 レリアの言葉にも、みんな一様に頷く。

 いや、それはそれでなんか複雑なんですけど……。


「クロは基本良い子なんだから、人見知りしてないで周りにもっと自分を見せていった方がいいよ」

「そうだね、そんなに怖がらなくても魔法師団のみんなもクロに対して好意的だったよ」


 パメラの言葉に、シメオンが頷きながら続けた。

 私、人見知りしてるつもりも、怖がってるつもりも一切なかったんだけど……そう見えてたってことね。


「今後気をつけます……」

「うん」

「魔法師団といえば……、初めてお会いしたときも思ったんだけど、やっぱり団長さんってすごく格好良いね。私は研究員志望だけど、あんなステキな人が上司だったら私も魔法師団目指したくなっちゃう」


 格好良くて強くてしかも部下想い。理想の上司だよねー、と感想を並べていたら、なぜだかギャラリーがビクリと怯えた表情を見せ始めた。

 え、なんで?

 私、なんか怯え度合い上昇ボタン押した?

 っていうか、みんな私じゃなくてシメオンのほうを見てる?

 なんでだろう、と、シメオンに視線を向けると、彼はいつものニッコリ笑顔を浮かべていた。


「そうだね、クロが魔法師団に来てくれたら嬉しい」

「? うん」

「クロって、魔物の巣穴つつくの得意だよね……」

「うん。……え、なんの話??」


 まって、シメオンのはともかく、パメラのは……いったい何の話?

 

「僕の努力が足りないって話かな」

「……? これ以上シメオンに努力されたら、私が一番になれなくなるかもしれないから困るんだけど」

「視界に入れるようがんばるね」

「だーかーらー……」


 がんばるなって言ってるじゃん!

 私は、壁が高いほど燃えるような熱血タイプじゃないのよ。

 って、なんでみんな、生暖かい目で私を見てるの?

 

 ――まあよくわかんないけど、みんなの怯え度合いは下がったみたいだからいい、ってことにしておこう。今は。


5~6000文字くらいのさらっと読める短編を書こうと思い立って書いたら20000文字を超えました。ごきげんよう。

興味を持っていただけたら、他の作品も読んでいただけると嬉しいです!


■連載中

残念少女の異世界長編(書籍化してます)→ステラは精霊術が使えない

https://ncode.syosetu.com/n3363hm/


■完結済み

似た雰囲気の悪役(?)令嬢転生中編→王太子妃を譲りたいのに聖女様が落第しそうです

https://ncode.syosetu.com/n5405ha/


エルフ娘の異世界転生長編→水森さんはエルフに転生しましたが、

https://ncode.syosetu.com/n5983gz/


自己評価激低美少女の現代もの長編→九谷(霊)環境調査株式会社の見習い調査員

https://ncode.syosetu.com/n4474gu/


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― 新着の感想 ―
最後まで楽しく読ませていただきました。 クロとシメオンの二人が可愛かったです。 クロのひたむきに頑張る性格と同時にコンプレックスを拗らせているのが特にツボに来ました。 最後の最後に器用そうなシメオンの…
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