聖女になるということは
「今日から私がこの国の聖女になります。フィリス様は精霊様を私に預け、今すぐ聖女の座を明け渡してください!」
濃度の高い瘴気が検知され魔獣が凶暴化しているとの報告を受けたのがひと月ほど前。
私は国王陛下直々に大地の浄化と魔獣を鎮めるよう任された。
魔獣からの防衛を主とする騎士団と、聖女補佐である修道女を引き連れての中規模遠征だ。
浄化や魔獣鎮圧などはこれまでも何度か任されているが、慣れや余裕が生まれるなんてことはない。
実際に魔獣と戦うわけではない私ですらそれなりに怪我もするし、瘴気にも触れるし、毎度危険を承知で前線に臨んでいる。
私よりも体を張って魔獣の群れに斬り込んで行くことになる騎士の皆様なんて、一歩間違えればそのまま命を落とすことだってあるくらいだ。例え精鋭と言われても、戦地というのはそういうものである。
そんな緊張感ある遠征も、ようやく終わりを見せようかというタイミングでそれは現れた。
「…あなたは見習いの方でしょうか?」
「リディアです!」
「……リディア様。それで、えーと。見習いなのですよね?」
「私は聖女です。見習いなんかではありません!」
ピンクブロンドの美しい髪を靡かせながら声を荒げる自称聖女。
いやいや。聖女(予定)であって見習いではあるでしょう?それも今回のような遠征には参加出来ないはずの、まだ修道女に認められていない見習い者。
彼女が被っているベールには教会の紋章が紺の糸でひっそりと刺繍されているのだが、この糸の色こそ見習いである証なのだ。因みに見習いから脱して修道女になると銀の糸になり、聖女になると金の糸で刺繍された白いローブを与えられるようになる。
私はちらりと彼女を見遣ってから、次いで先ほどから気になっていた彼女の隣へと視線を向けた。
見習いと一緒にいるのはこの国の第三王子で私の婚約者予定であるらしいクリストフ様。
クリストフ様も陛下の命で遠征任務に参加して…させられて?いるのだけれど、毎回の事ながら「途中経過を報告してくる」とかなんとか言って王城に帰ってしまわれる。
そのくせ遠征成果はしっかり自分のものであると主張するのだから困ったものだ。
金の髪に碧い瞳は王子様そのものだけれど言動は何とも残念で、今回も同じように遠征開始十日くらいで帰城なさっていたと思ったら、見習いを連れてやって来た。
「……そこにいるのはクリストフ様と普段王宮勤めをしてらっしゃる騎士の皆様では?ここまで連れて来たのですか?」
「フィリスよ、そうやってリディアを追い詰めるのはやめろ!この者たちは聖女となるリディアを護衛する騎士として名乗りを上げたのだ!」
「リディア嬢こそ聖女に相応しい方。彼女を咎める権利は貴女にはない!」
「はあ…左様で」
おっとっと…クリストフ様だけでなくお連れの騎士様もそういう感じで御座いましたか…。
実のところこのクリストフ様との婚約話、陛下は遠征でのクリストフ様の働きを見て考えると仰っただけなのよね。
クリストフ様はもう既にその気でおられるようなのだけれども…。
(どうでもいい行動力はおありなのね…)
彼は私たちが魔獣を鎮め終え、浄化も済ませた頃合いをしっかり見計らってから出立してきたのだろう。何せ道中の安全は保証されている。
とは言えよくまあ戦地に赴いた事のない箱入り…おっと失礼。『王宮騎士様』たちを引き連れてここまでやって来たもので。
私の後ろで様子を窺っている遠征騎士団の皆様も補佐役の修道女も「なんだコイツら…」みたいな顔をしている。
一方の彼女…如何にも男性から好かれますと言った風な見た目をしたリディアなる少女は、クリストフ様と見目麗しい王宮騎士数人に囲まれて満足気に笑っていらっしゃる。
うーん…彼女の顔にいまいち見覚えはないけれど、そういえば以前リディアという名の見習いに関して報告が上がっていた気がするのよね。
確か彼女はこの中規模遠征が決まる二週間ほど前に、見習いとして教会にやって来た男爵家の次女だった筈。
幼少期病弱だったがために過保護に育てられ、病気が治ってからも心配されチヤホヤされた結果、悲劇の令嬢症候群を新たに患ってしまい淑女教育をきちんと終えたかどうかすらも怪しいのだとか。
聖女や修道女に必要なのは精霊の力を授かるための霊力があるかどうかだから出自はあまり関係ない。私自身も平民の出だし、別に彼女がどこの誰だろうとそこに関しては何も思っていないけれど。
教会に迎え入れてからたった二週間の間に私の元へ一体何の報告が来たのかと言えば、彼女のちょっと残念な言動とその思考回路に関するものだった。
曰く、彼女は修道女ひいては聖女の何たるかを理解できていない。
曰く、彼女は規律を平気で破る。
曰く、彼女は聖女である私の悪口や根も葉もない噂を至る所に流している。
修道女が教会で普段何をしているのかと言えば、ズバリその身に宿る霊力を高めるためのお祈りだ。
聖女が施す治癒や浄化はその精霊の力によるもので、その恩恵を受ける者は精霊が力を貸し与えるに相応しい霊力であらねばならない。
事実、修道女の中には既に治癒の力を授かった者もいて、そうした者の中から聖女補佐が選ばれている。
見習いとは霊力こそあれど精霊に認めて貰う域に達していない、未熟な者のことを言うのだ。
勿論持って生まれた霊力の量や素質もあるだろう。とは言え祈りは精霊にきちんと届いているため、手を抜けばいつまで経っても見習いから脱する事はできない。
だと言うのに、見習いのリディア様はそんな日々のお祈りをしょっちゅうサボっているそうだ。
そのくせ言う事は一丁前で私は歴代聖女よりも優れた霊力を秘めているだとか、私なら遠征なんて一日で終わらせる事ができるだとか、自信満々に宣っている。
それならばと歴の長い修道女たちが聖女になるための教育や最低限持つべき知識など、熱心に彼女に与えようとするのだがそれに関しては全く耳を傾けない。それどころか見習いとして学ぶ努力すら拒む始末。
さらに彼女は教会の規律も守らない。
規律の中には清廉なる身であれだとか、邪気を纏うべからずだとか、己が道は神に知らせよだとか、まあいろいろとあるのだけれど。
要するに男と汚らわしいことすんなよ、性悪な言動はすんなよ、何か行動する時はちゃんと報告しとけ他所でいらんこと話すなよ的な規則なのだが、彼女はそれをまあ見事に守らないのである。
ではそんな彼女が規則を破ってどこでナニをしに行っているのかと言うと、これが王宮で開かれるお茶会だそうなのだから驚きだ。しかも孤児院への奉仕活動という外出機会を利用しての、である。
どの爵位の貴族も出席できるお茶会らしいが、彼女は既に教会に身を置く者。
そんな彼女がちゃっかり男爵家の名は利用してそこで出会う貴族たちに「私、もうすぐ聖女になるのです」なんて言いふらしているのだ。
しかも面倒なことに彼女の言葉を特に疑問を抱くことなく信じてしまう人がちらほらいる。
と言うのも、聖女を保護している教会は秘密のベールに覆われている部分が多い。聖女の身の安全や穢れを嫌う精霊を慮るが故に外界と隔離して過ごさせているのが主な要因である。
勿論、貧民街での奉仕活動や怪我の治癒、不安の解消などで人と関わることはあるが、聖女は浄化活動を優先するよう陛下からも言われており、聖女が遠征に出向いている時は代わりに修道女がそれらを行ってくれている。
これが遠征に同行し命を預け合う騎士たちであれば、見習いリディアの言葉に惑わされる事もなかったろう。
だが、直接関わりあう人々から一歩外れると途端に『聖女』という存在は不確かで縁遠いものになってしまうのだ。
「聖女って教会からあまり出られないんじゃないのかい?」
「そんな事ないわ。聖女として期待されているから意外と自由を与えられているの」
「そうなんだ。聖女とこうして話す事なんて今までなかったからさ」
「何だかお高くとまってるって思ってたけど、全然そんな事ないんだね」
「笑顔が愛らしいな、君は」
「ふふ、ありがとう。…でも、お高くとまってるイメージなのはきっと現聖女フィリス様のせいね」
「そうなのかい?」
「フィリス様はいつも偉そうで、次期聖女である私に仕事を押し付けるの。この国が平和なのも私が毎日お祈りをしているからなのに…」
「それは酷いな」
「でもね、精霊様はちゃんと見てくれているのよ。今日のお祈りでね、フィリス様にはいつか罰を下すって仰っていたわ」
「ああ、それで君が次の聖女になるんだね」
「そうなの。…本当は、そうなる前にフィリス様が自分の過ちに気付いてくださると良いのだけれど…」
「…君は優しすぎる。そんな仕打ちをされているのに」
「そうだ。君がそんな顔をする必要はないさ」
「君こそが聖女に相応しいよ、リディア嬢」
と、まあこんな具合である。
掴みは上々とばかりにその後も奉仕活動中に勝手に抜け出して、親しくなった貴族や王宮の騎士と街に出掛けたり時にはひっそりと物陰で身体を寄せ合ったり。
その度ついでとばかりに身に覚えのない私の悪口を言いまくっているので、教会外にいる私を知らない人々───正確に言えば少し頭の弱い一部のご令息からすると『現聖女フィリス』は悪名高い聖女なのだそうだ。
それらがぜーんぶ逐一私に報告が来ていたのである。はっきり言って要らない報告なのだけれど…。
だがこれも彼女の欲求と行動力が成せる業。いま彼女の背後にベッタリくっついている騎士の皆様も、嘘八百を信じ込んで王城から遥々やって来たのだから。あ、クリストフ様は私が婚約者であると早とちりしてらっしゃるような方なので一番最初にリディア様と共鳴してらしたわね。
どこまで関係が進んでいるのかは存じ上げないけれど、少なくともぴったり身を寄せ合うほどの親密さではあるといったところ。
出会いは王宮のお茶会か、遠征を途中放棄して帰還したクリストフ様の元へリディア様が突撃したか。
いずれにせよ彼女が教会に来てから二週間。やりたい放題でこの国の第三王子を手中に収め、僅かひと月ほどで聖女の座を奪わんとする。それも遠征途中に。
見事なものだわ、素直に感心してしまう。
「さあフィリス様、精霊様をこちらに。今、精霊様を私に預けて下さるなら貴女に罰は下さないと精霊様も仰っているのです」
「リディアに感謝するんだなフィリス!嫌がる精霊を縛りつけ、その力を搾取している君へ最後の慈悲だそうだ!」
「わかったら早く精霊を解放してリディア嬢へ譲れ!」
「貴女の悪逆はいずれ陛下も承知になる事。観念するんだ!」
ああ、しかもそういう感じなのね。
聖女は私よ、精霊寄越しなさいよをしたいがためだけに王城から遥々やって来たのかと疑問だったのだけれど。彼女の魂胆はこの場で精霊の力を私から貰い受け、今回の遠征成果も横取りして華々しく凱旋するってところかしら。
そして陛下にリディアは聖女として有能だったのだと印象付ける。
陛下としては事後報告で何のこっちゃだろうけれど、聖女が私ではなくリディアになってしまっていたのならそれはもう陛下とて納得するしかない。だって、大事なのは『聖女』という器ではなく『精霊の力』なんですもの。
連れてきた王宮騎士様たちは万一、私が拒んだ時のための脅し用だろうか。
とは言え、こっちには瘴気に塗れた大地に幾度と赴き魔獣と対峙してきた精鋭も精鋭の騎士団様がいるのだけれど。
因みに空気を読んで黙っている遠征騎士団の皆様と修道女は、リディア様達の言葉を聞いて能面のような顔になっている。
人間、怒りや呆れを通り越すとこんな表情になってしまうのね…。
私はこれから起こるだろう展開を想像してひとつ深いため息を吐いた。
「少し、お伺いしても?リディア様は何故そこまで聖女になりたいのでしょう?」
私が問えば、リディア様は明から様に不機嫌そうな顔をした。
私が期待する返答をしなかったからだろう。でも仕方がない、純粋に彼女が私から聖女の座を奪いたい理由が気になってしまったのだから。
真っ当に聖女になりたい見習いや修道女はいるけれど、彼女の場合は聖女になりたいというよりも聖女の座を奪いたいだけに思える。
楽して聖女になってチヤホヤされたかった?男爵家のご令嬢という下地がある上で、聖女という国から重宝される者としての箔が欲しかった?それともどこか私の知らないところで彼女から恨みを買ってしまったか…。
さて理由はどれだろうと思案していれば、不機嫌そうだったリディア様の表情はいつの間にか傷ついたような表情に切り替わっていた。そうして瞳に涙を溜めて私に切実に訴え出る。
「私が聖女になりたい理由はただひとつ!皆さまの平穏のため、この国を守りたいのです!そしてフィリス様に縛られている精霊様を私の手で解放して差し上げたいの!それに私が聖女になればきっとフィリス様の心も清らかにして差し上げられる…。私は全てを赦します…だって私は聖女だから!」
………なるほど、まったくわからない。理由も国を守りたいのか、精霊を解放したいのか、私の心を清らかにしたいのか、どれなのだろう…。
そんなふうに思っていれば、リディア様の謎宣言をきっかけにクリストフ様や護衛騎士様たちが次々と口を開き出した。
「リディア嬢が聖女になれば大地が自然と癒え、常に清らかなものになるだろう。リディア嬢こそが聖女に相応しい!」
別に誰が聖女になっても精霊の力が無ければ自然と大地が癒えるなんてことあり得ませんが?
「彼女は日々、傷ついた者たちのことを思い心を痛めている!毎日誰かのために健気に祈っているのだ!」
そうなんですか?
残念ながら彼女は教会に来て一度もまともにお祈りをしていないようなのですがねぇ…。
「リディアは本当に優しい…いや優しすぎる。そう、本来はリディアの専属だった筈の騎士たちを奪って私物化し、遠征などと称してわざと危険な目に遭わせている君のような女とは違ってな!」
遠征は陛下直々に与えられた任ですよ。
それにそちらのお嬢さんは王宮勤めの騎士様方に夢中で、遠征騎士団の皆様と会話した事すらないと思いますけども。
王宮の温かい花園にいらっしゃるらしいクリストフ様と騎士の皆様は随分とまあ言いたい放題喚いてらっしゃる。
彼女も彼女で心地いい言葉を彼らに言って貰えたようでとっても満足そう。
要するに、聖女になりたい理由なんて特にないということね。
聖女が彼女にとってわかりやすい慈愛の象徴で、周りから愛され慕われる対象で、精霊という上位の存在に力を与えられ国に求められる立場だったから。
そんな魅惑的な聖女という生き物になったらさぞや気持ちがいいのだろうと思っただけ。そのくらいの感覚なのだ。
(もし本当にそれを望んでいるなら、私も別に聖女の座を降りていいのだけれどねぇ……)
だがしかし。
「リディア様。貴女が聖女になりたいと願うならば、祈りなさい。心から聖女になりたいと強く思いなさい。それは精霊の元に声として届き、己の霊力となる。今の貴女の霊力ではきっと荷が重いでしょう」
「…っ、私は次期聖女です!荷が重いだなんて…私の秘められた霊力に嫉妬しているからそのような事を仰るの…!?」
…彼女、本当にわかっているかしら?聖女になったらどうなるか、教会に身を置く者なら誰しもが知っている事なのだけれど。
「言っておきますが…聖女は貴女が思い描いているような、羨み、憧れるような存在では…」
「うるさい!君はリディアの言う通りにすればいいんだ!」
「…!」
ちょっと、人が話してる時に邪魔しないでくださいな。
彼女の隣にいたクリストフ様がズカズカ近付いてきたかと思ったら私の右腕を強引に引っ張った。
瞬間、私の背後にいた修道女と遠征騎士団の皆様からブワッと殺気が放たれる。
私はそれを咄嗟に目で制した。
遠征騎士団の皆様がその剣を抜いたらクリストフ様や花園騎士様たちなんてあっという間に首と胴が離れてしまう。殺人はまずいわ、殺人は。
「クリス様っ、それです!フィリス様の指にはめられているその指輪!そこに精霊様が閉じ込められているのです!」
聖女のことを何も勉強していないと思ったら、そこはきちんと知っていたか。
厳密に言うとこの精霊の指輪は教会所有の霊具で、この指輪を介して治癒や浄化の力を大いに奮うことができる。別に指輪の中に精霊が閉じ込められているわけではない。
修道女と聖女の明確な違いは指輪によって精霊の力を最大限まで引き出せるかどうか、つまりはこの指輪を身につけているかどうかである。
彼女が私に要求していた精霊を預ける云々も、指輪を寄越しなさいって話だ。
だから聖女の証明みたいなものであるこの指輪を彼女が欲するのは正しい。
正しくはあるんだけれど、ねぇ。
「君のような穢らわしい女に聖女は相応しくない!」
そう言うとクリストフ様は私に指から荒々しく指輪を引き抜いた。
指輪をはめていた中指ごと引っ張られる。本当に、見た目詐欺な王子様ね。
そして愛しいリディア様の元に戻ると恭しく片膝をついて、そのまま指輪を彼女の指にはめようとする。
「…はあ、せっかちですこと。私は決してリディア様が聖女になれないとは言っておりません。ただその機が今ではないと言っているだけなのですが」
「ふん!そんな事を言ってどうせリディアに聖女の座を明け渡すのが嫌なだけだろう!全く、がめつくて卑しい女め!……さあ、リディア。これでやっと我が国に本当の聖女が誕生するね」
この方が未来の王でなくて本当に良かったわ。
どうやら私も聖女でなくなってしまうようだし、後片付けも陛下にお任せしましょうか…。
ふう…と小さく息を吐いている間にクリストフ様はリディア様の指にそっと指輪をはめた。
瞬間、強い光が指輪から放たれリディア様の身体を包み込む。
精霊に認められていないリディア様が、指輪によって強制的に聖女となったのだ。
「クリス様!これで私も聖女となったのですね!」
「ああ、そうだ!リディア、君こそが本物の聖女だよ!」
「ふふ、嬉しい…あ!聖女になったのだからクリス様たちを癒して差し上げねばなりませんね!フィリス様を説得するのに随分と疲れてしまったでしょう…?」
「………ええ?」
そんな事で精霊の癒しを使って宜しいの?
と、私が聞く暇もなくリディア様は指輪に祈りを捧げた。本当に無駄に行動力だけはおありで…。
思わず「ああ……」と呆れと憐憫の混ざった声が漏れてしまう。
「リディアは本当に優しいな。君の力のおかげで疲れも吹き飛ん、で………」
微笑みながらリディア様の頬を優しく撫ぜようとしたクリストフ様の動きがぴたりと止まる。
「クリス様?」
「リ、リディア…?い、一体どうしたと言うんだ…その、顔…は」
「顔…?」
クリストフ様と、そばに居た王宮騎士様たちの表情が驚愕から段々と恐怖へ変わっていく。
リディア様はわかっていないのか、可愛らしくこてんと首を傾げているけれど…。
可愛らしい仕草をするには違和感と薄寒さを覚えてしまうほどにリディア様の肌からは瑞々しさがなくなっていた。張りも艶も消え、目の下や頬に皺が刻まれていく。
そうして気付けば彼女の身体は一気に萎び、干からびたミイラの如く骨皮になってしまった。美しいピンクブロンドだった髪も白髪になり、頰がこけ目元が窪んでいく。
それはまるで窶れた老婆のように。
「ひい!?」
情けない声を上げながらクリストフ様が一歩後退った。
尚も理解できていないリディア様は戸惑った様子でクリストフ様に近寄るけれど、彼は弾かれるように遠ざかっていく。王宮騎士の皆様も青褪めながら後退していた。
(あんなに身を寄せ合っていたのが嘘のようね)
彼らの反応を静かに見つめていたら、クリストフ様がバッと私の方へ視線を向けた。
どういうことだと言わんばかりに目を剥いているが、見たままなのですけれどね。
「精霊の力は聖女の霊力を代償に与えられるものですから」
「代償だと!?」
「ええ。ですから相応しい霊力になるよう日々お祈りをするんです。精霊に与えても平気なくらいの霊力と量を持つ者でなければ、大規模な浄化や魔獣の鎮静などやっていけないでしょう?」
精霊様って、大喰らいなので。
「なっ、何をそんな呑気な…!」
「呑気?こうなる事はわかっていた事ではありませんか」
慌てているのはクリストフ様達だけで、こちら側にいる遠征騎士の皆様も修道女も平然としていた。
当然だ。教会に身を置く私たちからすれば聖女になるための常識であるし、毎回の遠征で間近に精霊の恩恵を目の当たりにしている遠征騎士様達からすればその代償がいかに高くつくかなどすぐに察することができる。
「え…なに?どういう、こと…?」
狼狽えるクリストフ様と王宮騎士様達を見て漸く様子のおかしい事に気づいたリディア様は、先ほど「顔」と言われた事を思い出しのか、自分の頬に触れ、そして固まった。
触れた時の肌の感触がいつもと違ったからだろう。
それから恐る恐る確認するように視線を移し、皺くちゃになった掌が自分のものであると理解すると、リディア様の原型がないような表情で絶叫を上げた。
鏡で顔を確認していないのはある意味で幸いだったかもしれない。
見たら彼女は絶叫どころか失神していたと思う。
霊力とは生命力のようなもの。肌の張りも髪の艶も、体力や血の巡りも霊力によるところが大きい。
その霊力を代償にするという事は、やがて心臓の動きをゆっくりと動かなくさせていく行為に繋がっていくのである。
そんな精霊の凶悪さを知っているからこそ、本心ではきっと誰も聖女にはなりたがっていない。
「言ったでしょう。聖女は羨み、憧れるような存在ではないと。ですが、誰も彼もが拒んでいては聖女などいなくなってしまう。だから、正しく献身的な者が聖女になるのですよ」
聖女になるつもりがなければのらりくらりと祈っていればいい。だが、一度覚悟を決めたなら己の霊力を必死で高めなければならない。
彼女のように、精霊に喰い殺されないために。せめて、長生きできるように。
私の告げた言葉で心がぽっきりと折れてしまったのか、表情を失ったリディア様はその場にぺたんと座り込んだ。
それを見てクリストフ様も王宮騎士様達も呆然と立ち尽くす。
どうやら彼らはここまでの想定ができていなかっただけでなく、これからのことについて考えることすら放棄したようだ。
もう何度目になるかわからないため息を吐きそうになってしまう。仕方がない。
「スフィア、あとは頼める?」
「はい、フィリス様」
私の補佐だった修道女のスフィアが皺々になってしまったリディア様の指から指輪を引き抜き、自らの指にはめた。
途端、眩い光がスフィアの身体を包む。
(聖女リディアの代は一瞬だったわね)
指輪は外された時点で精霊の興味から外れてしまう。精霊の恩恵は得られず、二度と聖女にはなれない。
それでいて指輪をはめている間に精霊に喰われた霊力も決して返ってこないのだ。
リディア様からスフィアに指輪が移った事で、これからの遠征や浄化活動はスフィアが行っていく事になる。
彼女は私以上に聖女という立場に覚悟を持っていたから普段のお祈りも誰より真剣だった。きっと精霊に毎日霊力を喰われても屁でもないくらいには立派に聖女の務めを全うしてくれるだろう。
陛下に事後報告しても「問題ない」と仰る筈だ。
ついでに今回のことで私とクリストフ様の婚約話も完全になかったことになると思う。そもそも陛下はクリストフ様に多くを期待していなかったような気もするけれど。
クリストフ様と、王宮から勝手に連れ出してきた騎士様達、そして先代聖女リディアが陛下からどのような処遇を与えられるのか。私は知らないし、知りたいと思うほどの興味もない。
途中で聖女の座を降りた私も、行き先のわからない道の途中に捨てられたようなもの。
何せ聖女として生き、聖女として死ぬ道しか選んでこなかったのだから。
「聞いていない…。何故こんな……精霊は、聖女を…リディアを寵愛してくれる、筈だと…」
「精霊は霊力を喰らうついでに人間に力を与えてくれているだけのこと。寵愛なんて口にしたらこれ以上何を欲されるかわかったものではないですよ。ああ、安心して下さい。指輪はもうリディア様の元から離れましたからこれ以上霊力を奪われ老いることはありません。お姿が戻るかどうかは……リディア様の残りの霊力次第ですかね?」
もう殆ど空っぽでしょうけれど…。
心優しい精霊による、慈悲なき代償。しかしそれも仕方ない。
大いなる存在というのは、得てして邪悪なのだから。
「聖女になるということは、そういうことですよ」
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
初めて投稿するジャンルなので色々ミスっていたらすみません…!
主人公のフィリスはド善人というよりは、誰もやりたがらない聖女になるために覚悟を決めた人、という感じで書きました。
それと人間に力を与えてくれる心優しき存在に見せかけて、実は厄介で邪悪な精霊もいてもいいかな、と。
精霊とか女神様とか、上位の存在に愛されても碌なもんじゃないというのが書いてみたかったので楽しかったです!
※誤字報告ありがとうございます!修正しました