第六話 断髪
断髪描写があります。
ご主人様はどういうつもりか知らないけれど、ユキはきっと「身体の痛みを伴わない罰」だと思っていることでしょう。
でも、断髪の現場に立ち会ったルーリは「ある種の儀式」だと考えます…。
「とりあえずシャワーを浴びて来なさいな」
「はっ。有り難きお言葉にございます」
マヤリィに言われるがまま衣装部屋に連れてこられたユキは、まずシャワーを浴びた。
背中に生えていた立派な天使の翼は跡形もなく、傷痕も残っていない。綺麗な人間の女の背中があるだけだ。
待っている間、主は腕を組んで考え事をしていた。
そこへ、ドアをノックする音。
「ご主人様、ルーリにございます。只今、参上致しました」
衣装部屋の外からルーリの声がする。
「ルーリ、来たわね。入りなさい」
「お呼び頂き光栄に存じます、ご主人様」
ユキに何を着せたらいいか分からないマヤリィは、恐らくこの國で一番センスが良いと思われるルーリを訓練所から呼び出したのだった。
ルーリはまだユキの姿を見ていない。
最後に見たのは、リスと同じくらいの背丈で天使の翼を持った栗色の髪の少年だった。
「あ、あの…ご主人様」
珍しくルーリが話しづらそうに小声で、
「ジェイが彼…いえ、彼女の翼を切り落としたというのは本当なのですか」
「ええ、本当よ。監督不行き届きもいいところよね。まさかジェイがあんなことをするなんて思わなかった」
マヤリィが表情を歪める。たとえユキが密偵であったとしても、自ら判断を下したかった。彼女の身体を傷付けぬ判断を。
「幸いなことにシロマが対処してくれたし、ネクロの人化魔術で幻痛さえ感じない身体になったけれど…違う種族にされるなんて、どんな気持ちなのかしら。想像もつかないわ」
「畏れながら、ご主人様は度が過ぎるほどお優しい御方だと存じます。本来ならば密偵など情報を引き出した後に処刑される運命。そして、主への報告をせずに独断で動いた側近も裁かれるべきが常でございます。我等はご主人様に絶対の忠誠を誓った者達。ユキには当分の間、監視役を付けるべきかと」
ルーリは跪き、主に進言する。
「…そうね、本来ならばそうするべきなのね」
マヤリィは深く頷いた。これだけのことが起きていながら、感情的にならず、冷静に話が出来る人物はこの國ではルーリだけかもしれない。
今のジェイはあの通り怒りが収まらない様子だし、ネクロは実験台が手に入らず落胆していることだろう。
ユキの処遇が決まった時にシロマが安堵の表情を浮かべていたのが唯一の救いだった。
ランジュも心穏やかな性格だから、落ち着いて受け入れてくれると信じたい。
しかし…ミノリに報告するのが一番怖い。
「ルーリ、よく言ってくれたわ。貴女のお陰でこれからあの者をどう扱うべきか結論を出せそうよ。確かに、監視は必要ね」
マヤリィがそう言って微笑むと、難しい顔で跪いていたルーリの表情も和らいで、
「勿体ないお言葉にございます、ご主人様。私如きの言葉をお聞き届け下さり、感謝致します」
その後、マヤリィはルーリの手を借りて、衣装部屋の名に相応しく衣料品だらけの部屋の中から、ユキに着せる服を探したのだった。
「まさか貴女がねぇ」
『彼女』の姿を初めて見たルーリの第一声。
「ふーん…そっかぁ…完全に予想外だったよ」
ルーリは呆れたような安堵したような表情で、ユキを上から下まで見回す。
「大変申し訳ございませんでした。ルーリ様には何度も訓練に誘って頂いたのに、いつもお断りしてしまって…」
そういえばそんなこともあったっけ、と思いながら、ルーリは、
「男の子だと思ってたけど、こっちが本当のユキなんだね」
「はい…」
『変化』していた時と同じ琥珀色の瞳がいつまでも申し訳なさそうに揺れている。栗色の巻き髪は背中を覆う長さだが、シャワーを浴びる前に無造作に纏めたらしい。
「髪の色と目の色は同じだな」
「元の姿からあまりに変えすぎると魔力が持ちませんので…」
「そういうことか」
ジェイ達が帰還した時の修羅場を見ていない分、ルーリは「裏切り者許すまじ」と思いつつも「ご主人様が許した者」という認識の方が勝って、知的好奇心の赴くままにユキを質問攻めにしていた。
魅惑魔法の使い手でありながら、普段のルーリはいつもこんな感じである。
他の配下達も、彼女が『流転の國』最年長であり、魔術師としての実力も申し分ないことから、軽口を叩かれても特に反発するようなことはない。…ミノリは言い返すけど。
「また『変化』は出来るのか?」
「いえ、あの魔術は天界から与えられた物。今のわたくしは何の役にも立ちません」
「まぁ、ご主人様の害にならなきゃいいんじゃない?今のところは」
あっけらかんとルーリが言う。
「その通りよ。貴女は何もする必要ないの」
優しげな声をする女主人の方へ向き直れば、その目は全く笑っていない。目が据わっていると言った方が正しいかもしれない。
(ご主人様怖っ。怒ったお顔もお美しいけど、めちゃくちゃ怖ぇな…!)
ルーリは見なかったことにした。
そして、主に対しては最大限に恭しい態度で、
「畏れながら、ご主人様。この後はいかが致しましょう?ユキの自室へ参りましょうか?」
「いいえ、まだ帰らないわ。予約があるの」
「よ、予約…?」
嫌な予感がして、不安そうな顔をするユキ。
「ヘアメイク部屋にシェルを呼んであるの。ルーリは一緒に行く?それとも、疲れているならもう下がって大丈夫よ」
ルーリは跪き、
「ご主人様のご配慮に感謝致します。ぜひ、ご一緒させて頂きたく存じます」
「よかった。嬉しいわ」
先ほどとは打って変わって、優しい眼差しでルーリを見るご主人様。
「では、行きましょう」
ヘアメイク部屋では、既にシェルが準備を済ませて待っていた。
それにしても、衣装部屋だのヘアメイク部屋だの、名称がそのまんますぎませんか、マヤリィ様。
「さて、どうしましょうか…」
マヤリィは考えていた。
ユキを椅子に座らせ、
「とりあえず、ほどいて頂戴」
「畏まりました」
シェルが無造作に纏められていたユキの髪をほどく。ウェーブのかかった栗色の長い髪は光を受けて輝き、とても美しい。
「天使の世界ではどうなのかしら」
鏡越しにユキに問う。
「長い髪はやっぱり大切な物?」
「は、はい…」
ユキが力なく頷く。かつて天界で褒められた自慢の髪だ。
「今の貴女にとっても、やはり大切な物かしら?」
「…………」
マヤリィは冷たい眼差しでユキを見ている。
その眼光に耐えられず、ユキは震える声で、
「い、いえ…。今のわたくしには不要の物にございます…」
他には何も言えなかった。
「…そう。分かったわ」
マヤリィはシェルに目配せすると、
「私も遠い昔、長い髪をしていたわ。貴女と同じように、周囲の人々から褒められていた」
そう言い残して、ユキから離れる。
「では、始めさせて頂きます」
シェルはカットの支度を整えると、一礼して鋏を手に取った。
ジャキ、ジャキ……ジャキン。
長い髪がカットクロスを伝って床に滑り落ちる。
ユキの目から涙がこぼれる。見たくないけれど、見ずにはいられない。
彼女の様子に構わず、シェルは仕事を続ける。
短髪にする前の粗切りとでも言わんばかりに長い髪を掴み、ジョキジョキと切り落としていく。あっという間に耳があらわになる。
(うわぁ……)
離れて見ていたルーリはそこに座っているのが自分じゃなくてよかったと思った。
シェルは全体を短く切ってしまうと、今度はトップの髪を手早くブロッキングした。そして、
ヴィーーン……ジジジジ…………
後頭部を迷いなくバリカンで刈る。
ユキはその音に怯えながら泣いている。
「大丈夫ですよ。音は大きいですが、痛くないですから」
シェルはそう言って、髪を刈り続ける。
そして、バリカンを置いたかと思うと再び鋏を手に取り、さらに短くしていく。
「ご主人様、ユキはどんな髪型になるのでございましょうか」
主と並んで断髪の様子を見守っていたルーリが訊ねると、マヤリィは優しく微笑みながら答えた。
「ピクシーカットよ」
「さ、さようでございますか」
「ふふ、きっと可愛くなるわよ」
「やはり、ご主人様はお優しい御方でいらっしゃいますね」
(…でも、こうして見てると、もしかして翼斬られた時より泣いてるんじゃないか?)
ルーリはご主人様が皆に痛い思いをしないで欲しいと言ったことを思い出す。
(確かに髪を切っても痛くないけど…)
ユキはすごくつらそうだ。
ベリーショートの中でもひときわ短いピクシーカット。自慢のロングヘアを突然そんなに短くされれば、ユキが大泣きするのも無理はない。
これは罰なのか?それとも天使であったことを忘れさせる為の儀式か?
ルーリには主の真意が分からない。
たぶん、誰も分からない。
「ま、前髪も短くするのですか?」
ユキは我慢出来ずにシェルに聞いた。
眉が隠れる長さの前髪が彼女の最後の砦だった。
…が、
「はい。ばっさりと短くさせて頂きます」
事の顛末を知っているシェルは平然と答える。
内心では、本来ご主人様付きの美容師である自分に罪人の髪を切るよう命じるなど、有り得ないことだと思っていた。ご主人様は寛大すぎる。いくらなんでも優しすぎる。そう思っていた。
たぶん、誰もがそう思う。
それでも、マヤリィから最高権力者の座を奪おうとする者は誰一人としていない。どんなに支配者に向いていなくても、ここでは彼女だけが絶対的君主になれるのだ。それが流転の國。
「目を閉じて下さい。切りますよ」
ジョキ、ジョキ……ジョキッ。
重い音を立てて前髪を切り落とすと、生え際ぎりぎりの所でシャキシャキと整える。
天然パーマだったユキの髪は短くなったことでくるくるとして、収まりが悪くなった。
しかし、シェルがその手強い癖を活かすように微調整していくと、わざわざパーマをかけたような、可愛らしいピクシーカットが出来上がった。
「いかがですか?」
シェルが後ろ姿を見せる。
「っ…!?」
つい先ほどまで背中に流れていた美しい長い髪は跡形もない。
「触ってみて下さい」
ユキは言われるがまま、恐る恐る手を伸ばす。ジョリジョリとした手触り。
「きゃっ…」
本当にこれが自分の髪なの?
涙が止まらない。
「ユキ、可愛いわ」
いつの間にかすぐ横に主が立っていた。
「『変化』していた時の少年の姿よりも可愛いわ。癖っ毛がいい仕事してるわね」
自慢だった髪を癖っ毛と言われて、ユキは俯いた。
主の言葉に返事をしないのは失礼なことだが、マヤリィは黙って見逃した。
「シェル、これから染めるんだろ?どんな色にするの?」
ルーリの言葉に、ユキの身体がビクッと反応する。髪の色まで変えられてしまうの…?
「実は、まだ決めておりません。…ご希望があれば伺いますけど?」
シェルは当人に聞くが、
「え、えっと…」
髪を短く切られたショックで、何も考えられない。まともに返事も出来ない。
(そろそろ現実を受け入れてくれても良い頃だと思うのだけれど)
マヤリィはそう思いつつ、命令を下す。
「仕方ないわね。シェル、後は全て任せていいかしら」
「畏まりました、ご主人様」
シェルが頭を下げる。
「元がこの色ですから、ブリーチが必要になるかと存じます。お時間を要しますので、ご主人様は他のお部屋でお待ちになられた方がよろしいかと」
(随分と手間のかかることをするんだな…。ユキはこれが特別待遇だとは思ってないみたいだが)
これはユキに天使であったことを忘れさせる為の儀式だ。ルーリは心の中でそう結論付けた。
「…そうね。では、貴方の言う通り、私達は外で待っているわ」
「わ、私達…?ってことは、まだしばらく私はご主人様と一緒…?」
ルーリが小声で歓喜する。
「最後まできちんとやってあげてね。スタイリングも任せたわ」
「はっ!ご主人様の命とあらば、全力で務めさせて頂く所存です」
ご主人様直々に、ヘアメイク部屋のフルコースを与えられたユキ。皆が聞けば羨ましがること必至だが、本人はまだ泣いている。
「ルーリ、私達はカフェテラスで待つことにしましょう。後でここにリスを呼ぶから、終わったら一緒に私の元まで来なさい」
その名前を聞いて、ユキは動揺する。
リスは自分のことをどう思っているだろう…。
「では、頼んだわよ」
「畏まりました、ご主人様」
シェルが跪き、頭を下げる。
「ルーリ、行きましょう」
「はっ!」
二人が部屋を出ると、ユキはそっとため息をつき、密偵に選ばれた自らの運命を呪った。それと同時に、命を救い、再び配下としてくれた主への感謝の気持ちが湧き起こった。
呪われた運命は、心優しき主によって浄化されることだろう。
「…シェル様。取り乱してしまい、申し訳ございません。引き続き、よろしくお願い致します」
そう言ってユキは深く頭を下げる。
顔にかかる髪はどこにもなかった。
ご主人様に対する言葉遣いと、自分と同じ配下達に対する言葉遣いが180度違うルーリさん。
『流転の國』最年長って、一体幾つなんでしょうね。
人外なので、年齢の概念は違う気がするけれど…。
フェチの方には物足りないであろう断髪描写。
そうでない方には長すぎるであろう断髪描写。
お読み下さり、感謝致します。




