第二十三話 約束
マヤリィにとって『死』はすぐ傍に存在するもの。
けれど、流転の國の皆を残して逝くことは出来ない。
それは分かっている。
分かっているから、約束する……。
(そろそろ、私の病気についてミノリに話さなければならないわね…)
マヤリィは考えていた。
(報告したいことがあるとメールで伝えた手前、ミノリもきっと気になっているだろうし…)
でも、なかなか切り出せない。
なんて言ったらいいか分からない。
主の僅かな表情の変化を読み取ったのか、先に訊ねてきたのはミノリの方だった。
「…ところで、ご主人様。畏れながら、先日ご主人様がメールに書いていらっしゃったことについてお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
ミノリが真剣な面持ちで訊ねると、マヤリィは頷いて、自分の病は、桜色の都のツキヨが持っている医学書から顕現させた薬を使っても治らない、ということを説明した。
「何の因果か、これは過去に私が試していた医学の薬と同じ物なの。難しいことは分からないけれど、この薬が私に合わないことは覚えている。以前飲んだ時は、まともに身体を動かすことさえ出来なくなってしまったわ」
そう言って、マヤリィはテーブルの上にカプセルを置く。
「これが…医学のお薬……」
ミノリにとっては初めて見る物だが、なぜこの薬はご主人様の役に立ってくれないのかと考えると、涙が出そうになる。
ミノリは泣くのを堪えながら、初めて玉座の間に集まった日のことを思い出す。 あの日、ご主人様の病を治す為に力を尽くすと誓ったのに。
この薬だけではない。ミノリも、ご主人様のお役に立てていない。
「ミノリ、顔を上げなさい」
俯くミノリにマヤリィが優しく声をかける。
「貴女にはいつも感謝しているわ。貴女は書物の魔術師としての仕事をはじめ、私の側近という役目を果たしてくれている。そして、桜色の都と交渉し盟約を結んできてくれた。それ以外にも、言い尽くせないほど多くの仕事を引き受け、完璧にこなしてくれている」
ミノリは跪き、
「そ、それは…ご主人様の配下として、当然のことをしたまでにございます」
そう言って頭を下げる。
「いいえ。今までミノリがしてきてくれたことは誰にでも出来ることではない。それに、貴女がいなければ、私は病に飲み込まれて今ここにいなかったかもしれないわ」
「っ…!」
ミノリの目から涙があふれる。
マヤリィにとって『死』はすぐ傍に存在するものだが、ミノリにとっては違う。主が死ぬことなど、想像も出来ない。したくない。
「…顔を上げて頂戴、ミノリ。私が今ここにいられるのは、貴女をはじめ、この國にいる皆のお陰なのよ。…ほら、私は生きているでしょう?ちゃんと、体温があるわ」
マヤリィはそっとミノリの頬に触れる。温かく優しい手は、ミノリの心まで包んでくれるようだった。
そして、ミノリはゆっくりと顔を上げ、主の顔を見る。
マヤリィは女神のような微笑みを浮かべていた。
どんな時も気高く美しく、そしてお優しいご主人様。ミノリの永遠の憧れの女性であり、命をかけてお守りするべき御方。誰よりも何よりも大切な御方。愛するご主人様。
もしも、もしも貴女様を失う日が来たら……。
「ご主人様…!ミノリの大切な…ご主人様ぁ…!」
様々な気持ちが混ざり合い、ミノリは崩れ落ちるようにひれ伏した。
「どうか…どうか…これからもミノリ達のご主人様でいて下さい…!どこにも行かないで下さい…!愛するご主人様、貴女様がいなければ、ミノリの生きる意味はありません。お願いです!ずっとこの國にいて下さいませ…!!」
ミノリはそう言って泣きじゃくる。
「…ミノリ。私の大切なミノリ……」
マヤリィの瞳からも涙があふれている。
そして、ひれ伏したままのミノリの手を取る。
「私も、ミノリと離れたくない」
ぽろりぽろりと涙を流すマヤリィ。
「貴女は永遠に私の大切な人。そんな貴女を置いて、どこかに行くなんて絶対に出来ないわ。私はずっとここにいる。約束よ」
そして、
「私が余計なことを言ったせいで、貴女を悲しませてしまったこと、本当に申し訳なく思うわ。ごめんなさい、ミノリ」
マヤリィが頭を下げる。
ミノリはそれを見て慌てふためく。
「ご主人様…!?どうか、ミノリなどに謝らないで下さいませ!ミノリは…もう、大丈夫です。貴女様がここにいて下さるのなら、これ以上の幸せはございません。ご主人様、ありがとうございます…!」
その言葉を聞くと、マヤリィは膝をつき、ミノリを抱き寄せる。
「これからもずっと一緒よ、ミノリ」
「はいっ!ご主人様…!」
ミノリはようやく笑顔を見せるのだった。
一方、桜色の都。
「流転の國…宙色の大魔術師……」
紫色のベールを被った予言者が、流転の國を探っていた。水晶球を使って流転の國を探るその姿は、予言者というより占い師みたいだ。
「この世界の誰よりも強大な魔力……」
「どうした?何か気になることでもあるのか?」
傍らに立っているツキヨが訊ねる。
予言者はそれには答えずに、
「陛下、この後はいかがなさいますか?流転の國が我が国の守護者となったからには、天界とて恐るるに足りません。今こそ、天使達を抹殺すべき時なのではないでしょうか」
立ったまま、ツキヨに進言する。
「…お前はずっと天界を滅ぼすつもりでいたのだな。確かに、流転の國の主様とその配下の方々の力を借りれば、出来ないことではないだろう。しかし、天界が攻めてくる予兆もない今、いきなり戦支度をお願いするというのはいかがなものか…。私だって、お前の苦しみは分かっているつもりだが」
ツキヨの言葉を聞いた予言者はベールを外す。右半分は美しい顔だが、左半分と額には惨い傷痕が残っている。それを何度も見てきたツキヨでさえ、思わず目を逸らしてしまう。
「桜色の都に攻め入って来た者、そして私を見捨てた天使どもを許すわけには参りません。それに…流転の國には同志となってくれるであろう者がおります」
天界に見捨てられた上、例の『星の刻印』によって傷を刻まれた予言者も元は天使だった。しかし『人化』魔術を受けたわけではないので、完全な人間とも言えない。
「我が国に危害を加える者があるとすれば、それはもはや天界のみ。流転の國の力を借り、一刻も早く脅威を排除し、桜色の都に恒久平和をもたらしましょう」
予言者は強く進言する。
「確かに、流転の國は強い。…だが、あのお優しい御方がそう易々と戦の道を選ぶようには思えない。私とて、たとえ忠臣であるお前の仇であったとしても、簡単に命令を下すことは出来ないということを分かってくれ。戦となれば当然我が国の兵士にも危険が及ぶ。事は慎重に運ばなければならない。…お前も、軽率な真似はするな」
「はっ」
予言者は一礼すると、その部屋を去った。
(…気の毒だが、お前の言う通りには出来ない。私は戦をするつもりはない…)
ツキヨは水晶球を見て、ため息をついた。
しかし予言者は、
(陛下が動かないのならば、動かざるを得ない理由を作ってしまえばいい)
そう思いながら王宮を出ると『クロス』の宿舎に向かうのだった。
流転の國に『予言』の能力を持つ者は存在しない。
されど、不穏な気配を察する者がいた。
…魔力探知は、戦の兆しをも見逃さない。
桜色の都の『予言者』は、元はユキと同じ天界出身の「使い捨ての密偵」でした。
今はツキヨの側近として『予言』の能力を桜色の都の為に使っているようですが、いまだに天界への恨みは消えず…。
黒魔術師部隊を使って、何をしようと企んでいるのでしょうか…?




