第十八話 傍にいて
マヤリィの身を案じて真っ先に駆け付けたのはルーリでした。
いつもとは違う、弱ったご主人様の姿を見て、彼女は考えます。
きっと、回復魔法は効かない。
それどころか、ご病気が悪化しているかもしれない。
ご主人様の病に白魔術が効かないのは、シロマとツキヨが証明している通りです。
ノックの音。ドアベルは存在しないから。
(誰…ジェイ…?)
姫は昨日倒れた時の格好のまま、目を覚ました。
ノックの音。遠慮がちな音。
(出なきゃ……)
まだ起き上がれない。でも、かろうじてノックを返すことができた。
すると、
「ご主人様、ルーリにございます。貴女様のお部屋に直接参上致しましたご無礼をお許し下さい。今朝から貴女様のお姿をお見かけしていないものですから、万が一のことがあってはと思い、大変失礼ながらお部屋まで参りましてございます」
ルーリの低い声が聞こえる。はっきりと聞こえる。とても心配そうだ。
(何か…言わなきゃ…)
でも、まだ声が出ない。
もう一度、内側からノック。
(もう少し、待ってて頂戴……ルーリ……)
「畏れながらご主人様、こちらで待たせて頂くことをお許し下さいますか?」
今一度、内側からノック。
(待ってて…行かないで……)
ルーリの声がすぐ近くで聞こえる。
「ご主人様、ルーリは今しばらくこちらに控えさせて頂きます。お許し下さいませ」
「…ルーリ……」
その時、マヤリィのか細い声が部屋から聞こえる。
「ご主人様…!?」
「行かないで…私を…置いて…行かないで……」
「ご安心下さいませ。私はずっとここにいます」
ルーリが優しく答える。
(やはり、ご主人様は体調が優れず動けずにいらっしゃるのか…)
合鍵はない。ご主人様がノック出来る位置にいらっしゃる以上、ドアも壊せない。
ルーリは待つしかなかった。
マヤリィがようやく鍵を開けることが出来たのは、ルーリが来てからしばらく後のことだった。
当然、服装は昨日のまま。辺りにはアイテムボックスから飛び出た薬が散らばっている。
それでも、取り繕う余裕はない。
「ルーリ…ごめんなさいね……」
顔色が悪い。立ち上がることも出来ない。
「ご主人様…!やはりお身体の調子が…」
頭が痛い。身体中が痛い。
「ご主人様、畏れながら、ベッドまでお連れしてもよろしいでしょうか?」
マヤリィは力なく頷く。
「散らかってるわ……ごめんね…」
「とんでもないことにございます。どうか、お気になさらないで下さいませ」
ルーリは軽々とマヤリィを抱き上げると、優しくベッドに寝かせた。
ご主人様の部屋には初めて入ったが、自分の部屋とさほど広さは変わらないように見える。
「その服装ではお苦しくはありませんか。お着替えをお持ち致しましょうか」
マヤリィは首を横に振って、
「上着だけ…脱がせて……」
「はっ。失礼致します」
その下に着ているのはワイシャツ。衰弱しているせいか、その細い身体は今にも壊れてしまいそうなほど儚げに見える。
「何か…お飲み物をお持ち致しましょうか」
部屋の入口に落ちているカプセル以外、マヤリィの部屋は綺麗に片付いていた。
(そうだ、回復魔法……効くのか?)
しかし、ルーリはシロマを呼ばなかった。直感だが、白魔術では癒せないと思った。
「そこの白い扉を開けるとボトルが入っているの……それを持ってきて…」
「はっ」
白い扉…これかな?開けると、冷気が吹き出した。ボトルは目の前にあった。
「こちらで、よろしいでしょうか?」
「ありがと……」
マヤリィは少し上体を起こすと、蓋を開けてそのまま飲んだ。
「これは…」
「冷やした…水よ………」
そう言って、元の体勢に戻る。
「ご主人様、私は貴女様の為に何が出来るのでしょうか…」
「今…やってくれているじゃない…」
マヤリィは優しく微笑んで、
「ありがと……ルーリ…」
そのまま、目を閉じた。
「ご主人様…!」
眠ってしまったようだ。先ほどと比べると、少しだけ顔色も良くなったような気がする。
「マヤリィ様…私は、このままこちらに控えております。貴女様がお目覚めになるまで」
ルーリはベッドの傍で主を見守り続けた。
それからずっと、ルーリはマヤリィの傍にいた。
誰にも連絡は取らなかった。取れなかった。
大騒ぎになってしまうのは困る。それだけでご主人様のご負担になってしまうだろう。
かといって、このままで大丈夫なのか?
ルーリは様々に考えを巡らせながら、それでも主の傍を動かなかった。
(そういえば、あのカプセルは…)
部屋の入口付近に散らばった薬を見る。
(もしかして、桜色の都からお持ち帰りになった物だろうか?まさかあれが…?いや、開封された形跡はない。ご主人様がお倒れになった時にアイテムボックスから出てしまったのだろう…)
ルーリにはそれが何なのか分からなかった。
(何だろう…この得体の知れないご主人様のご容態は…。回復魔法でどうにかなるものなのか?何か…違う気がする…)
「…嫌……もう嫌…」
「ご主人様…!?」
苦しそうなマヤリィの声。うわ言。
「このまま…死なせて……」
「っ!?」
マヤリィはまだ眠っている。
「ご主人様…もしかすると、貴女様の病は…悪化しているのでしょうか……」
マヤリィはまだ眠っている。
「そんなの、嫌です、ご主人様……」
苦しそうな主の顔を見て、ルーリは懇願する。
「ご主人様…死なないで下さい…!ルーリを置いて行かないで下さい…!貴女様を愛する者達を…置いて行かないで下さいませ…!」
ルーリの目から涙があふれる。
「私の愛する…マヤリィ様ぁ……」
マヤリィはまだ眠っている。
「ルーリ、ずっと傍にいてくれたの…?」
あれからしばらく経って目覚めたマヤリィの顔色はだいぶ良くなっていた。
「はっ。畏れながら、ご主人様のお傍に控えておりました」
「心配かけてごめんなさいね」
「滅相もございません。…お身体のお具合はいかがですか?」
マヤリィはまだベッドの上にいる。
「さっきより良いみたい。でも、動けそうにないわ。…迷惑かけるわね」
心も身体も疲弊した今は、流転の國の主らしい言葉も使えない。
「いえ、とんでもないことにございます。私に出来ることであれば、何でもお申し付け下さいませ。私が役に立たなければ、役に立つ者を連れて参りますので、おっしゃって下さいませ」
ルーリが跪き、頭を下げる。
「ルーリ、ここに座って。私の傍にいて。今は誰も呼ばないで」
ベッドの上に腰かけるよう促され、ルーリは困惑したが、これはご主人様のご命令だ。
「失礼致します、ご主人様」
「ルーリ…」
そのまま、ルーリにもたれかかる。
「私の病気の名前は、双極性障害と言うの。白魔術では治せないの。そこに散らばっている薬でも…たぶん無理だわ」
マヤリィはカプセルを指さして、
「ツキヨ様が顕現させてくれたあの薬は諸刃の剣。あれを飲んだら、たぶん私は……」
その先は言わなかった。
代わりに、優しい声でルーリに言う。
「ルーリ、ずっと貴女と一緒にいたいわ」
マヤリィの素直な言葉。 今ここに魅惑魔法は存在しない。
「私も、マヤリィ様のお傍近くにいたいです」
ルーリの素直な返事。 今ここに魅惑魔法は存在しない。
マヤリィはそれを聞いて微笑むと、ルーリにもたれかかったまま、再び眠りに落ちた。
「マヤリィ様、ルーリはもっと貴女様のことを知りとうございます。それがたとえ…残酷な真実であっても。貴女様と運命を分かち合えるのであれば、それ以上の幸せはございません」
ルーリは体勢を変えることなく、マヤリィが再び目覚める時を待っていた。
マヤリィの病の名は双極性障害。
正確には抗鬱剤の他にも色々と違う薬を処方される病気ですが、ツキヨにはこれが精一杯だったみたい。
しかし、異世界から来た彼女は、同じく異世界から来た書物に載っている薬を服用したことがあり、その副作用を知っているから、ツキヨから渡されたはいいけど怖くて飲めない。
つまり、時間差はあるものの、マヤリィと医学書は同じ世界から来たということになります。
なお、薬との相性は個人差がありますので、精神病の薬=副作用がひどい、とは思わないで下さいね。
さらに補足させて頂くと、双極性障害は治る病気です。




