第十七話 マヤリィ様、倒れる
不自由で不平等な桜色の都という国は、シャドーレにとってとても生きづらい社会でした。
本来であれば貴族の令嬢は美しく着飾り、適齢期には父親の決めた相手と結婚するのが当たり前でした。
シャドーレも、10代半ばまでは普通の貴族の娘として生きてきました。そう、美しいロングヘアにドレス姿でね。
そう考えると、昔の日本というだけではなく、昔のヨーロッパみたいな社会でもありますね。
そんな社会の下、シャドーレの断髪は本当に思い切った選択だったのです。
「もはやあの者は女ではない」と後ろ指さされることも覚悟しての決断でした。
ダーク隊長の前ではしおらしくしていましたが。
「こちらです」
王宮の貴賓室。流転の國にもこのような部屋が存在するのかな。ジェイは自分があの城の内部を把握していないことを思い知った。
「ミノリ殿はご息災でしょうか?…先日、見せて頂いた書物の魔術は素晴らしいものでした」
シャドーレが言う。
「彼女は書を読み解く者。そして『流転の羅針盤』を与えられし最上級の魔力の持ち主です。勿論、私も負けてはいられませんが」
そう言ってジェイが微笑む。
「では、流転の國の頂点に立つマヤリィ様の魔力はさらに強大でいらっしゃるのですね…」
「はい。彼女の魔力に関しては、我々も全てを把握出来ているわけではありません」
「そうなのですか…。それはある意味、恐ろしいですわね」
シャドーレは真顔でそう言ったかと思うと、すぐに表情を和らげて、
「それにしても、今日マヤリィ様がお越しになられた時は驚きました。あんなにもお美しい御方がこの世界に存在するのですね。美しさと強さを兼ね備えた主様をお持ちのジェイ殿が羨ましいですわ」
「そう言って頂けると嬉しいです。あの御方は私の大切な…ご主人様ですから」
(おっと、大切な女性って言っちゃうところだった)
ジェイが内心ドキドキしていると、
「大切なご主人様。…それだけですの?」
シャドーレが悪戯っぽく笑う。
「私には、それだけではないように思えますわ」
澄んだ声音が姫に似ている。
「っ…シャドーレ殿にも…大切な御方がいらっしゃるのですか?」
ジェイは平静を装って訊ねる。
「ええ、おりますわ。『クロス』の隊長を務めている男が私の恋人です」
あっさり教えてくれるシャドーレ。
「社内恋愛ですか…。それにしても、その髪型は『クロス』の規則か何かですか?」
ジェイはここに来た時から気になっていた。
姫は例外として、女性が髪を刈り上げているのは珍しい。それに、物凄く短い。
「いえ、規則ではありませんわ。むしろこの国では、女が髪を短く切るなど有り得ないと言われていますの」
「えっ…女性は短髪禁止なのですか?」
「ええ。くだらない風習ですわよね。けれど、私はそれに従ってずっと長い髪を保ってきました。それでも、どうしても切りたくてたまらなくなって…。つい最近、隊長を説得して切ってもらったのです。まさか女が理髪店に行くわけにもいきませんので」
確かに、シャドーレの髪は刈ったばかりのように見える。
「…ジェイ殿、流転の國にはそんな決まり事はないのでしょう?マヤリィ様の麗しいヘアスタイルを拝見すれば分かりますわ」
「はい。そのような決まりは…ないですね」
(いやいや、女性が髪切っちゃいけないとか、ここって平安時代?それとも…明治政府に断髪届を出さなきゃいけない感じ?)
ジェイは色々突っ込みたかったが、
「…長い髪だった頃のお姿は存じ上げませんが、シャドーレ殿はベリーショートがとてもお似合いだと思います。いつもマヤリィ様を見ている私が言うのですから、本当ですよ?」
真面目な顔でシャドーレに言う。
「あら、それは嬉しいですわ。実は私、ずっと長い髪が嫌で…男性のような髪型に憧れていましたの。本当に、似合っていますか?」
「ええ、勿論ですとも」
「マヤリィ様の側近である貴方にそう言ってもらえるなんて…嬉しいですわ!ふふっ♪」
彼女は本当に嬉しそうに笑った。
(可愛らしい声といい、髪を短くしたがるところといい、きっちりした服装といい、なんとなく姫に似てるんだよな、この人…)
ジェイは思った。
そして、外見と言葉遣いが一致していない人でもある。特に珍しくもないが。
短髪の彼女は軍服とでも呼ぶべき『クロス』の制服の上に黒いマントを羽織っている。高身長ということもあり、男装の麗人のようだ。
(短い髪が好きなのか…。姫と話が合いそうだな)
マヤリィがベリーショートに拘る理由を知っている彼はそう思う。
「今度、流転の國に行ってみたいですわ。きっと、とても素敵な所なのでしょうね…!」
ジェイとシャドーレは再び国王の元へ呼ばれるまで、途切れることなく会話を続けた。
「それで…どうだったんですか?」
珍しく『飛行』で移動する二人。
帰り道の会話である。
「まさか医学書がこの世界に存在するとは思わなかったけれど、ツキヨ様は本当に持っていたわ。それで…『抗鬱剤』を顕現させてくれた」
「『抗鬱剤』ですか…。副作用とか、大丈夫なんですか?」
「分からないわ。でも、前に飲んでいた物とそっくり」
姫は疲れた表情で言う。
「それでは、元の世界と変わらないじゃないですか」
「そうね…」
「本当にそれ、効くんでしょうか…?」
「分からないわ」
姫はため息をつくと、
「『転移』」
二人は瞬時に玉座の間へ現れる。
マヤリィは『飛行』さえ面倒になったようだ。
「ご主人様、お帰りなさいませ」
その場にはただ一人、ミノリが控えていた。
「皆、いつ何が起きても対応できるよう、訓練所や結界部屋に待機しております。体力を温存しつつ、訓練に励むよう命じておきました。各々に転移の宝玉も持たせています」
桜色の都を実際に見た者にしては、ミノリは随分と用心深い。因みに、結界部屋とはこの間マンスと話をした第4会議室である。
「ミノリ、ご苦労。よくこの國を守ってくれたわ。後は、貴女の部下のメイドに命じて、私とジェイの帰還を皆に伝えて頂戴」
「はっ。勿体ないお言葉にございます。すぐに伝達に向かわせます」
今現在、この城では念話は使えない。
マヤリィは疲れた顔を隠せずに、
「あと、今日はもう自由時間にするようにと伝えてくれる?皆への報告は明日にしたいから」
「はっ。畏まりました、ご主人様。それでは、失礼致します」
心配の言葉を口にすれば、逆にミノリの心配をして下さるのがご主人様。主の優しさを知っているからこそ、ミノリはそれ以上言葉をかけようとせず、すぐに仕事に向かった。
その場に残った二人。
「姫、僕はどうしたら良いですか?」
「貴方も自由時間になさい。あの魔術師の話し相手をしていて疲れたでしょう?」
「いえ、僕は大丈夫です。そういえば、今度、流転の國に行きたいって言ってましたよ」
「…そう。彼女なら、招くのも悪くないわね」
姫は玉座の間にいた短時間のうちに、しっかりシャドーレを観察していたらしい。もしかしたら、彼女の魔力まで測っていたかもしれない。
「…けれど、私は昔からお客を迎えるのって苦手なのよね。そもそもこの城に貴賓室とかあるのかしら」
姫が頭を抱える。
「さぁ、僕も分からないです。拷問部屋ならいくらでも作れそうですが」
「それは作らなくていいわよ」
ジェイの言葉を真顔で却下する姫。
だんだん顔色が悪くなってきた。
これ以上話を続けるのは良くないとジェイは思った。
「では、姫のお部屋まで一緒に行きますよ」
ジェイは姫の手を取り、部屋に向かった。
「貴方も今日はゆっくり休みなさいね」
姫は力なく微笑んで、そのままジェイの返事も聞けずに部屋へ入った。
ジェイは一礼すると、自室へ戻った。
(姫は今頃ベッドに倒れてるのだろうか…)
心配だった。そもそも、彼女は体力のない人なのだ。この世界に顕現してからずっと、上に立つ者の定めとはいえ、休みと言えるような休みがなかった。
ベッドに倒れていることを心配されている姫は、ベッドどころか自室に入って鍵をかけた所でそのまま倒れていた。
アイテムボックスからは先ほどツキヨから処方された薬が飛び出して散らばっている。
抗鬱剤だ。
元の世界でも見たことのある、激しい副作用を伴う、強い薬。
「怖いわ……もう…嫌………」
姫のうわ言はひどく苦しそうだった。
このことを知る者はいない。
髪を短く刈り上げ、軍服に身を包んだシャドーレはなんだか嬉しそう。
ジェイに褒められて素直に喜びます。
貴族の令嬢として美しく着飾っていた頃よりも、断髪の女魔術師として生きる今の方が幸せなのは間違いないと思います。
一方で、虚弱体質のマヤリィは遂に倒れてしまいます。
誰も入れなくなっちゃうんだから、せめて鍵をかけずに倒れてよ!
薬を飲む余裕もなく意識を失ったマヤリィ。
次の日の朝、命令が下されないことを不思議に思った人物が主の部屋を訪ねます…。




