【十六】少年は今泣いている
結局、今日は諦めることにした。無理だよ、常に見張りが居るところを見つからないように探索するなんて。そう思って引き返し、闘技場の熱狂に便乗して関係者以外立入禁止の扉を裏からを開いた——その瞬間。
「あれ、桜華?」
私を呼ぶ声がして心臓が止まった。一瞬だけど、絶対黄泉に行きかけた。夢中で扉を閉めて深呼吸。無限とも思しい数秒で息を整え、前を向いた。闘技場の関係者に見つかったわけではなさそうだ。第一、彼らが私の名前を知っている訳が無い。
「神酒? もう、吃驚した……」
「あはは、ごめんごめん。桜華がここから出て来た事に私も吃驚して、思わず声を掛けちゃった」
「……それで、神酒はここで何を?」
「特に用ってわけじゃないよ。用事が済んで暇だから、闘技場内を探検してただけ」
たまたまだよと、神酒はそう主張した。そんな偶然があるもんかと言いたいところだけど、もし彼女が「桜華に会えたら勝ち」って勝負を勝手にしていたら——なんて、流石に考えすぎか。
「そう言う桜華は、立入禁止の場所で何をしていたの?」
ここで神酒に会えたのは、私にとって幸運だったかもしれない。丁度いい機会だ。彼女には、聞きたいことがいくつもある。
「私のことなんかより、教えて欲しいことがあるんだけど」
「……何だい?」
「神酒が賭け続けてる朱里さん。あの人さ、碧斗くんのお母さんだよね?」
指摘すると、神酒は目を丸くした。その反応はもはや答え合わせに等しい。やっぱり、神酒はそのことを知っているのに、隠していたんだ。
「……なるほどね。彼女らは、この奥に収容されてるんだ」
「質問に答えてよ」
「……うん。桜華の言う通り、朱里さんは碧斗くんのお母さんだよ」
視線を落とし、気まずそうに言う神酒。
「そんな大事な事、どうして教えてくれなかったの?」
「教える必要が無かったからだよ」
「必要あるでしょ……? 碧斗くんの為にも、朱里さんを助け出す必要があるんだから」
「違うんだ桜華。今すぐに、無理して……危険を冒してまで、彼女を助け出す必要は無いんだよ」
私には、神酒の言っている意味がてんで分からなかった。
「どういうこと?」
「第一に、朱里さんが闘技場で負けて死ぬことは無い。何故と言って、私が彼女に賭け続けるから。第二に、碧斗くんと朱里さんが誰にも頼らず……それでいて幸せな生活を送るには、景品が必要不可欠なの」
景品といえば八咫鏡。本物って保証は無いけど、仮に本物だとすれば、確かに今後の生活には困らない程のお金になると思う。
「試合が御定まりにならないように、闘技場は一年くらい生き残った人に景品を渡して開放する。もちろん、景品の存在は口止料としてや士気の維持にも働くけどね。とにかく、あと一年堪えれば、朱里さんは危険を冒さなくてもここを出られる」
「だから無理して彼女を連れ出そうとせず、一年間待つって?」
「そういうこと。分かってくれた?」
両手を腰にあて、どこか誇らしそうに言う神酒。相手は恩人だけど、私はちょっと頭に来ていた。故に、私も腰に両手をあて、同じくらい誇らしそうに言ってやる。
「いや、全っっっ然分からない!」
「……どうして?」
「神酒こそ、どうして理解できないわけ? 神酒だって見たはずだよ、昨日の碧斗くんの顔を」
「顔?」
「碧斗くんがお母さんと会いたいって悲しむのは、一年後でも十年後でもない。碧斗くんは、今泣いてるんだよ。なんでそれが分からないの?!」
今更気が付いたようで、神酒は、はっとしたような顔になった。相当寂しがってるねって、昨日自分でそう言ったくせに。
「分かってる。それは分かってるけど……でも!」
「でもも糸瓜もない。急に家族と離れ離れになるって、神酒が思ってるより何倍も悲しいもんだよ、経験者だから分かるけど」
頭の中が驚きと不思議に満ちたのか、目を丸くして私を見た神酒。だけどその直後には、神酒は顔を歪めて拳を強く握っていた。
「……そうだね。ごめん桜華。私が甘かった」
「私に謝ったってしょうがないけど……。とにかく、私たちが今考えるべきなのは、一刻も早く親子を再会させることだよ」
そこから暫く沈黙した私たち。軽く言い合ってしまったことで、僅かに気まずさが漂っていた。居心地の悪さを彼方まで攫ってくれたのは、闘技場の熱狂だった。
「何か、作戦が必要だよね」
呟いた神酒。それには私も同意だ。
「うん。無闇な……それから中途半端な事をすれば、却って朱里さんを危険に晒すことになると思う。無難に、防人に言いつけて突入させるとか?」
「あはは、桜華。その作戦は、私たちには実行できないよ。何故と言って、私たちは既に、違法賭博に手を初めてるからね」
確かに。今更どんな顔して「あいつら違法賭博やってますよ」なんて言えばいいんだろう。というか、言えるわけない。そんな事をすれば、私らも纏めてお陀仏だ。あ~あ、札なんか買うんじゃなかった。
「神酒の話を考慮するとつまり、犠牲を出さずして問題を解決するには、裏闘技について防人に話せるけど潔白な人が必要……って事だよね?」
「そうなるね。でも、そんな人存在する?」
「……しないかも」
そもそも、ここに来ている時点で違法賭博に参加する気満々。潔白の対義語しか居ないんだ。白は存在しない。自首してください、はい分かりました……とはならないだろうし。
「ねえ神酒。こっそり朱里さんだけ連れ出して、あとは触らぬ神に祟りなしってのは?」
「う~ん……実は、私が最初に考えたのはそれだったんだよね。でもそれだと、脱走に対する報復が怖くない? 仮に朱里さんと碧斗くんの生涯の安全が私の勝ちだったとしても、さすがに躊躇うよね」
運じゃどうにもならない事もある、か。今提案した作戦じゃ今後の安心は得られない。もし万が一報復が無かったとしても、明日は、明日は……って怯えながら生活する羽目になる。そんなの幸せじゃない。
「じゃあ、朱里さんだけ助けちゃって、その後で——いや、何でもない。忘れて」
朱里さんを助け出し、その後で裏闘技に関して防人に告発って作戦を考えた。脱走に対する報復の危険は無くなるだろう。だけど、じゃあ誰が告発するんだっていう最初の問題に帰って来てしまう事に気が付き、私は自ら遮った。
「あはは、桜華も思考が循環し始めたみたいだね。話し合いは、少し時間を置いた方が良いかも」
そう合意した私たち。その日は解散することになった。どんな課題があるのか、そもそも成功の可能性は如何程か。何も分からない状態で命に関わる作戦を立てるのは、極めて危険だ——無茶しがちな私が言うのもなんだけど——。とりあえず一日空けて、明後日にまた甘味処で会う約束を交わした。




