【十三】豪運を穿つ作戦
運命の日。遂に神酒を負かすことができるかもしれないと、私の心臓は雷くらい大騒ぎしている。どうにも落ち着かず、甘味処で神酒を待つ私はお団子を注文。勿論、味はしない。なんなら、そんなに食べたくもなかった。もっちゃもっちゃと咀嚼しながら、昨夜神酒の豪運について考えたことを、脳内で振り返る。
——神酒は以前、私にこう言った。「負けられないって表現した方が、より正確かも」と。勝てるではなく、わざわざ負けられないと表現したんだ。それはつまり、小町の理屈で言うところの降って来る豪運。神酒は勝ってしまう。望む望まざるに関係なく、勝ちという結果に降られてしまう。私に勝つっていう豪運は、確かに神酒が望んでいることだろう。だけどそれ以外の場面では……負けるべき時も勝ってしまうんだと思う。故にこそ神酒は、負けないではなく、負けられないと、常勝を悔むかのような言い方をしたんじゃないかな。なら、どうするか。簡単な事だ。即ち今日の作戦は——
「お待たせ、桜華。どうしたの、何時にも増して落ち着きが無いみたいだけど」
「ううん、何でもない。まあ強いて言うなら、勝ちを確信して興奮気味ってところかな」
「……へえ、言うじゃん。でも確かに、今日は一段と自身に満ち溢れた顔をしてる。日に日に暗い顔になるから、ちょっと心配してたんだよねぇ」
それで今日は何をするの。そう問われる前に、私はいつもの巾着から御椀と賽子を取り出した。
「神酒。今日はこれで勝負しよう」
「え~っと、どういうつもり?」
「勝敗の決め方は前と同じ。交互に振って、五回の出目の和が大きい方の勝ち」
「本当にそれでいいの? 平生通り負ける気しないけど」
そうだね、神酒の言う通り。彼女は負けない。五回とも六を出してくる可能性だってある。私が勝つなんてことは、きっと万に一つも無い。だが、それでいい。
「ただし、前回の賽子勝負と違うところがあるの。賽子勝負をする前に、その勝負に関する賭けをしよう」
「賭け?」
「そう。賽子勝負で、どっちが負けるか賭けるの。その賭けに勝った方が、勝ち」
「なるほどね……」
神酒は珍しく大きなため息を吐き、憎たらしいくらいに晴れた大空を仰ぐ。少し目を瞑ったかと思うと、やがて視線を私に戻した。
「……いいよ、それで」
「じゃあ、私から賭けるね」
常に先攻を譲ってもらえる私から。
「賽子勝負で負けるのは、桜華」
後攻の神酒は、自分自身の負けに賭ける他ない。猫ちゃんの喧嘩と違って、賽子勝負は絶対に二人で決着をつけるからだ。だけど、神酒は賽子勝負で私に負けない——いや、負けられない。つまり神酒の敗者予想は外れることになる。——それ即ち、私の勝ち。これが、私の考えた神酒に勝つ方法。負けて勝つ大作戦だ。
「賽子勝負で負けるのは……神酒。あはは。桜華、随分面白い作戦を考えたね。でもいいの? こういう時に限って合計五かもよ?」
「さあ、どうかな」
いつも神酒に笑われてきた私は、今度は逆に笑ってやった。さて、私の一投目。御椀の中で転がった賽子は、三を上に向けて止まった。
「はい、次は神酒だよ」
「うん……あはは、六だ」
私の二投目は四。神酒は六。三投目、私は二。神酒は六。四投目、私は一の面と目が合った。神酒は、またしても六だ。この時点で、私の負けは決まっている。でもほら、五回振る決まりだから。御椀に向かって、私の五投目。
「六だね。はい、最後の一回だよ、神酒」
「その『最後』って言葉には、二重で意味がありそうだね。……あれ、最後も六だ。あはは。本当に、憎たらしい運だよ」
——賽子勝負は、十六対三十。私の負けで幕を閉じた。それ即ち、私は賭けに勝ったことになる……!
「あ~あ、負けちゃった」
結果として、私は神酒に勝った。つまり、裏闘技について教えてもらうための条件を満たしのだ。
「いやあ、参った参った。まさか私の弱点を見破って、そこを的確に攻めてくるとはね」
「ここ何日か、生きた心地がしなかったよ」
「あはは、そんなに? 大袈裟だな……」
いつも通りに笑う神酒は、私が向けるいつも通りでない深刻な視線に気付いたらしい。やがて彼女も神妙な顔になり、声を落として言う。
「そんな怖い顔しないで、ちゃんと分かってるから。約束は守る。……でもその前に、ここの一番お高い団子を一緒に食べない? ご馳走するよ」
「食べる」
「食べるんかい。迷い無いね」
それとこれとは、別問題だからね。そういった分別はきちんとつけられる女です私。
お団子を平らげた後、神酒に案内されるがままついて行った。甘味処を離れ、私らの足は南西部の町の方へと向かう。
「え? じゃあ、いつも言ってた用事って一粒万倍の裏闘技のことだったの?」
「しーっ! 聞こえちゃうって!」
「あっごめん」
神酒は毎日私と勝負して、その足で裏闘技に行っていたらしい。確かに常連だとは言ってたけど、まさか毎日行くほどだとは思わなかった。今日も行くつもりだったから、ついでに私も便乗させてくれるみたいだ。
「ほら、着いたよ」
暫く歩き、色々な意味で忌々しい賭場の前についた。一粒万倍。冤罪で捕まりそうになり、散々負けてお小遣いを吸われた。これは自分が悪いんだけど、危うく短刀で刺されそうになった場所でもあるね。思い返してみると、嫌な記憶しかない。
「ここから、どうやって闘技場に行くの?」
「まあ見てなって」
秘密の通路とか、井戸の中を泳いだ先とか。あり得るかあり得ないか瀬戸際の方法をいくつか妄想していると、神酒が警備の男の人に向かって声を掛けた。慌てて彼女の背中を追う。
「今日は生憎のお天気ですなぁ」
神酒が言った。それに対し、警備の人は——
「山と川、どちらがお好みで?」
「こちらでは牡丹鍋が有名です」
「ほう、外国の酒ですか」
聞き覚えのある、支離滅裂な会話。それを今、神酒と警備の人が実践している。何これ、何の儀式?
「お天道様から逃れて地下へ」
「いざ、一騎討ち」
「勝者は生き、敗者は黄泉へ」
すると警備の人は私を一瞥し、神酒に「連れか?」と問うた。神酒は頷く。
「これを受付へ」
そう言いながら彼は懐から朱色の札を取り出して、周囲から見えないように神酒に渡す。札にはごちゃごちゃと文字が書いてある。汚い字なのかそういう流派なのか、私には判別できない。気が付くと、神酒は数歩進んでいた。また慌てて追いかける。指示通り、神酒は受付の女の人に朱い札を渡した。初めて知った、遊ぶ用の木札とお金を交換してもらうだけじゃないんだね、ここ。
「こちらへ」
女の人が道を扼してあった縄を外した。「突き当り右でございます」とだけ言い、私たちが進んでから縄を戻す。縄の先は暗い道だが、神酒は慣れた感じで奥へ。言われた通りに右へ曲がると、下へ下へと続く階段があった。この暗さと階段と陰鬱な感じ、南部の村の村長宅を思い出すなあ。
「この先が裏闘技って事?」
「そうだよ」
「……それと、警備の人との奇妙な会話。あれが、裏闘技に入るための鍵だったんだ。神酒はあれ、何処で知ったの?」
「たまたま見ちゃっただけだよ。ほら私、運が良いからさ」
思い返してみれば、あの会話は私も一部分だけ聞いていた。不気味だと思って聞かずに退散したけど……。最後まで聞くか、逃げるか。そんなちょっとした事が、裏闘技に入れるか否かという差を生んでいたんだね。理不尽な例——神酒の出鱈目な勝負強さみないなの——を除いて、元来、運っていうのはそういう枢なのかもしれない。
「さ、着いた」
重厚な扉を前に、神酒は言った。彼女が肩で押すようにしてそれを開くと、その先から来る眩しさに襲われた。目が慣れると、闘技場の景色が見えてきた。蟻地獄みたいな形の空間だ。中央が四角く窪んでいて、壁の高さは人二人分くらい。壁の上に、それを囲うように無数の椅子があって、中央から離れるほど位置が高くなっている。
「あの空間で、人が闘うんだよ」
神酒が中央を指さして言った。お相撲の土俵を四つ並べたみたいな正方形の舞台だ。よく見ると、壁の一部が奥へと続く道になっている。
「……凄まじいね。人の権利なんて考えてないみたい」
「あはは、そうだね」
入ってきたところの扉を閉めて進んだ直後、場内に大きな声が轟いた。
「さあさあ、間もなく締め切り! 札の御買い忘れはござらんか!」
すると神酒は、「ちょっと待てて」と言い、小走りで居なくなった。数分後に戻って来た彼女の手には、大量の木札が見られる。見せてもらうと、そのすべてに朱い札と同じ模様——読めない文字——が彫刻されている。何より目を引くのは、木札の真ん中に同じく彫刻された「東」という文字だ。これを買って、勝ったら一枚一枚の価値が変動して……っていう遊び方なんだろう。
「凄い数の木札だけど……いったいいくら分買ったの?」
「そうだなぁ……桜華がよく食べてる抹茶ぜんざい、五百杯くらいかな」
「太っちゃうよ、そんなに食べたら」
心臓が止まるかと思った。なに、抹茶ぜんざい五百杯って。よくそんなお金あるねって思ったけど……そうか、神酒なら賭場や富籤でいくらでも勝てるもんね。
「さあさあ、締め切りました! 間もなく試合が始まります。西、脱獄してきた死刑囚。自ら望んで闘技場入りした男、毒島!」
歓声が上がる。舞台の道から、それらしい男が現れた。自信に満ち溢れた顔だ。着物の右側だけ脱いでいて、屈強な肉体を露わにしている。遠くて分かりにくいけど、きっと身長も高いんだろうと思う。
「東、突然現れた番狂わせ。見た目に反して百戦百勝の女、朱里!」
今度も、控えめだけど歓声が上がった。入場してきたのは、怯えたような顔の女。しわくちゃの赤い着物に身を包んでいて、毒島と比べると小人にしか見えない。それにしても、朱里って名前どこかで見たか聞いたかしたような……。生明と音が一緒だからそう思うだけかな……?
「神酒は東の札を買ったんだよね? どう見ても西が勝ちそうだけど……」
「あはは。まあ見てなって、彼女は私の贔屓だから」
始め、という合図で試合が始まった。毒島は両手と首の骨を鳴らし、へっへっへと笑っている。対して朱里は、その様子を怯えながら見ている。この状況で朱里が勝てることあるのかな。蛇と蛙にしか見えないんだけど……。それでも神酒は、自信ありげな顔で舞台を眺めている。
「来ないなら、こっちから行くぞ!」
「ひいっ!」
毒島の突進を、素早い動きで何とか回避した朱里。蛙というより鼠かもしれない。
「ちょこまかと!」
そう怒鳴り、毒島は鬼のような顔で拳を振り上げた。あんなの貰ったら、朱里は一発で気を失うだろう。今度も回避するのかな……という私の予想は、大きく裏切られる。
「こ、来ないで!」
泣き声に近い叫び声と共に、朱里は懐から短刀を取り出して抜刀。切っ先を毒島に向ける。
「ちょ、あんなのあり?」
「あはは。まあ、さすが違法な闘技場だよね。なんでもありだよ。生死で勝敗が決まることもあるみたいだし」
「そうなの……?」
ここへ来たことをちょっと後悔しそうになった。毒島は脱獄してきた死刑囚だって言ってたけど、朱里は何なんだろう。何か悪い事するようには見えないけど。もしや拉致?
「へっへっへ、それがどうした!」
刀を向けられた毒島だけど、それに慄く様子は無い。寧ろ好戦的な性格を全面に押し出し、楽しそうにしている。
「きき、斬りますよ……!」
「やってみやがれ、やれるもんならな!」
駄目だ。朱里は恐怖から震えていて、構えが定まっていない。手の力も抜けているだろうから、あれじゃ簡単に攻撃を弾かれてしまう。毒島の余裕そうな態度からして、彼もそれを見抜いているんだろうと思う。
「けけけ。何が百戦百勝だ、運が良かっただけみたいだな。終わらしてやるよ、俺が、ここで!」
叫びながら毒島は朱里に向かって突進した。その巨体から繰り出される突進は、朱里の短刀より凶悪な武器になるだろうと思う。
「きゃああっ!」
案の定、朱里は突進を回避できずに悲鳴を上げた。そのまま地面に倒され、毒島の下敷きとなった。これで朱里は戦闘不能、西の勝ちになるはず。……だけど、違和感があった。朱里と毒島の勝負にではなく、神酒があっさりと負けることにだ。
「ほら、西が勝った。抹茶ぜんざい五百杯分の負けは、神酒でも結構大きいんじゃない?」
「いいや、桜華。私がいつ負けたって?」
「……え?」
「よおく見て」
舞台の真ん中で倒れる二人。言われた通りよく見ると、二人を中心に血の池が広がってきている。毒島の圧し潰しは、思ったより威力が高いらしい。……今の朱里の姿は、想像もしたくない。
「焦って真実を見落とすと、掴める運も掴めないよ」
「どういうこと?」
やがて、もぞもぞと毒島の身体が動く——いや、動かされている。どさっと音がした後、立ち上がったのは朱里の方だった。逆に毒島は地面に倒れたまま、自らの意思では動こうとしない。
「西、毒島、戦闘不能。勝者は東、朱里だ!」
場内に大歓声が轟く。
「ほら、言ったでしょ?」
「うん、まさかの結果だよ……」
「朱里さんはね、ちょっと前まで闘技場の花形だった人を斃したの。それも、初参加でね。今じゃ、彼女が花形と言っていいだろうね」
「花形?」
「そう。つまり、一番人気ってことだね」
神酒は私を身振りで換金所に案内し、歩きながら話を続ける。
「裏闘技で一番、お金を動かしてる人って意味」
「お金を……。じゃあその朱里さんが、景品に現状一番近いってこと?」
「あれ、思ったより詳しいね。そう、桜華の言う通り。今最も八咫鏡に近いのは彼女だよ」
今回は私もちょっと運が良かったかもしれない。八咫鏡を手に入れたのが、例えば毒島みたいな、野蛮そうな相手だったら話を聞けるかどうか分からない。だけど、あの朱里って人なら話は変わってくる。あとは、彼女が景品を手に入れるまで負けないことを祈るばかりだ。
「でも、神酒はどうして花形に賭けるの? 賭ける人がちょっとでも少ない方に賭ければ、神酒なら大儲けできるんじゃない?」
「あはは、そうかもね。でもいいの、これで」
何時になく神妙な面持ちで言った神酒。首を傾げる私に気付いたのか、「人助けってやつだよ」と、一言だけ補足した。
「さてと」
私らの間の空気を一掃するように、いつもの調子で神酒は口を開いた。
「今日はもう、興味のある試合は無いんだ。私は帰るけど、桜華はどうする?」
「私も、今日は切り上げるよ。ここへの入り方はもう分かったし」
「そっか。じゃあ、一緒に出よう」




