【四】水妖に怯える少女
◇◇小町◇◇
からんからん。
「またのお越しを」
うちの我儘猫——いや、あれはどっちかと言えば犬か。うちの我儘犬が菓子屋をくびになって、数週間が経過した。犬の代わりに働きに出たあたし。最初はなんか不安だったけど、仕事は意外と単純で、すぐに慣れることができた。先輩の京都は、仕事に限らずいろいろと教えてくれるし、面白い子だ。
「え! 小町ちゃん、桜華ちゃんと知り合いなの⁈」
「うん。まあ、なんだろう……姉妹って言うか、同居人?」
お客の対応が一段落して時間ができると、京都は必ず雑談を持ち掛けてくれた。今回は、桜華についてだ。
「突然居なくなっちゃって、びっくりしたんだよ」
まあ、そうだろうね。仕事中に商品をつまみ食いして追い出されるなんて、想像できるわけないもん。占い師じゃあるまいし。
「桜華なら心配しなくても大丈夫。毎日うるさいくらい元気だから」
「良かった……」
京都は安堵したのか、胸を撫で下ろしている。あたしにはそれが、なんだか異様な光景に見えた。失踪した仕事仲間の無事を知ったら安心するのは、あたしにだって大いに解る。だけど京都からは、もっともっと深いところを心配していた……というような、憂俱からの解放感が読み取れたのだ。
「そんな心配だったの?」
「うん。もしかしたら、神隠しに遭ったんじゃないか、って思ってたの」
ああ、そういう事ね。店主も教えてやれし。確かにあの日、桜華はそんな話をしてたっけ。沢庵ご飯を食べながら、河童が云々、女衒が云々言っていたと記憶している。真面目な話って雰囲気じゃなかったから、あたしは話半分で聞いていた。
「前に桜華から聞いたよ。神隠しってやつ、若しかしてまだ未解決なの?」
「そう、みたい」
京都は伏し目がちに答える。桜華は神隠しを軽く見ていたようだけど、京都の心配は思ったよりも大きいのかもしれない。
それが正解であると示すかのように、京都は次の日、深く憔悴していた。
「京都、大丈夫? 調子悪いなら休んでなよ。店主には、あたしが言っとくから」
「小町ちゃん、小町ちゃん!」
悪寒でもするのか、京都は自らの身体に腕を巻き付けて震えていた。それに合わせて、声の調子も不安定だ。かと言って、風邪をひいている感じではない。やはり精神的な事で、頽れているのだ。
「い……居なく、なっちゃった……」
「居なくなった?」
「近所の、同い年の子が、居なくなっちゃったの! 神隠しだよ、絶対、神隠しだよ!」
「……え?」
そう語る京都の目尻には、大粒の涙が鎮座していた。間もなくそれは、滝のように落ちる。そりゃあ、友達が遭ったら怖いのも仕方ないか。京都は何をするにも上の空で、身が入らないようだった。無理をしては、身体にまで悪影響が出かねない。そう思い、その日は帰ってゆっくり休んでもらうことにした。
仕事を終えて廃屋に帰ると、桜華は外で剣の素振りをしていた。程よい木の棒を見つけたらしい。あたしが近づくのに気が付いたのか、桜華はその手をとめる。
「おかえり」
「ただいま。ねえ、桜華」
布で汗を拭いながら、私の方に歩み寄ってくる。あんま汗だくで近寄って来んな。
「菓子屋の京都、知ってるでしょ?」
「え? うん、知ってるけど」
「京都、今日大変でさ」
話しながら廃屋に入り、買ってきたものを下した。置いてから気づいたが、床は綺麗に掃除されている。我儘犬でもそれくらいは出来るらしい。
「大変って?」
「なんでも、近所の友達が例の神隠しに遭ったらしくてね。怯えちゃって怯えちゃって。仕事どころじゃなくてさ、今日は途中で帰らせたんだよね」
そう説明すると、桜華は俯いて何か考え込んだ。神隠しとやらを軽く聞き流していたことに、自責の念があるんだろうと思う。
「この神隠しってさ、あんたが言った通り、女衒か痴情かだよね、普通に考えたら」
「……たぶんね」
あたしの問いかけに、桜華は自信なさげに答えた。自分大好き自信たっぷり女にしては、なかなか珍しい反応だ。
「でも、そんなの防人が放っておくわけない……って、私は思うんだけど」
「確かに」
それは、確かにそう。あたしらから言わせると、防人は無能な集団だ。だとしても、変態の一匹や二匹しょっ引けないなんて、到底考えられない。
「地に落ちたもんだね、あいつらも」
「……ねえ、小町」
あっという間に完食したらしい桜華。食器を置いて、やけに神妙な顔をしていた。何事かと黙って見ていると、桜華は突飛なことを言いだした。
「この神隠し、私らで何とかしない?」
「何とかって、どうすんの?」
「私らで、河童をとっ捕まえよう」
力強く、勇んだような声だった。彼女は今、極めて真剣に言ったのだ。桜華がこんな台詞を巫山戯て言うような、野卑な人間じゃないことは、あたしがよく分かっている。無駄に勇み肌だってことも、分かっている。友達の京都が深く傷ついているって聞いて、知らんぷりできなくなったのだろう。桜華は昔から、そういうやつだ。
「よし、いっちょやってやるか」
賛同すると、桜華はいつもの顔に戻った。
「ところで桜華」
「何?」
「口の周り、めっちゃご飯ついてるよ」
「なっ! もっと早く言ってよ! 私が真面目な話してる時、どう思って聞いてたのさ⁈」
どたばたと暴れながら、桜華は布で口を拭いている。……ほんとに犬みたい。これが、うちの自称美少女である。