【五】丁か半か
翌日。私は早速、一粒万倍に足を運んだ。すっかり普通に営業していて、ちょっと前に殺しがあったとは思えないくらい活気がある。活気というか……怒号とか泣き声とかだけど。
「今日は生憎のお天気ですなぁ」
賭場に入ろうとしたとき、私の近くを歩いていた男の人が言った。彼が話しかけた相手は、賭場の入り口に立つ警備の男の人だ。
「山と川、どちらがお好みで?」
門番がそう返答した。
「こちらでは牡丹鍋が有名です」
え~っと、どういう会話? 何一つ嚙み合っていない気がするんだけど……私が頭悪いだけだったりする? そもそも、今日は晴天。全くもって生憎のお天気じゃない。……流石に怖すぎ。鳥肌を立てながら、私は逃げるように二人を無視して速足で賭場の敷居を跨いだ。
「ここは……丁半か」
一粒万倍では、部屋毎に色々な賭博が行われている。中でも一番わかりやすくて、私でも理解できるのはこの丁半。賽子を二つ振って、出目の合計が丁か半か——つまり、二で割り切れるか割り切れないか——を予想するという、比較的単純な遊びだ。まずは様子見で、一般客として賭場を利用してみようか。慣れてくれば、何か見えるかもしれない。なけなしのお金を一粒万倍の木札に換えてもらい、部屋に入った。
「おや? お嬢さんも丁半に参加するのかい?」
「はい」
「そんじゃ急いで、もう次が始まるよ」
賭場の人に促されるまま、私は空いている座布団に座った。廃屋に居る時の癖で美少女にあるまじき座り方——胡坐——をしそうになり、咄嗟に正座する。賭場の人三人が奥、お客が手前の私が居る方に横に並んで座った。お客と賭場の日との間には、横長の白い布が敷いてある。やばい、なんか緊張してきた。
「ようこそ、御客人。どうかお手柔らかに……」
賭場の人のうち、真ん中の人——壺振り——が言う。
「よろしゅうござんすか? ……入りますよっと!」
賽子二つが壺の中に入り、壺は口を下にしてちっちゃい茣蓙の上に伏せられた。
「さあ、張った張った!」
壺振りが放った言葉を皮切りに、お客たちが賭け始める。「半!」「丁!」「丁!」「半!」「丁!」と、みんな木札を白い布の手前とか奥とかに出していく。一粒万倍では、奥に置くと丁、手前に置くと半ということになるらしい。さて、私はどうしようかな……。まあ、確率は五分五分だから、考えてもしょうがないんだけどね。
「半!」
私も倣ってそう言いながら、木札を手前に置いた。怖い。大丈夫かな。この木札一枚で豆大福が何個か買える。負けたくない、負けたくない、負けたくない。あれ、私なんで賭場で遊んでるんだっけ。緊張でめっちゃ混乱してきた。
「丁半、こま揃いました」
みんな賭け終わったよって事みたい。
「勝負!」
壺振りが伏せていた壺を退かす。賽子の出目は——
「シソウの半!」
四と三、合計は七。つまり……半に賭けた私は勝ちってわけ! 勝ちの取り分は手数料とか言ってちょっ減るけど、最終的には豆大福換算する私にとってはあんまり関係ない。よ~し、この調子でお菓子買いまくってやる!
「半!」——ピンゾロの丁! 負け。
「丁!」——イチニの半! 負け。
「半!」——グイチの丁! 負け。
「半!」——ロクゾロの丁! 負け。
「丁!」——イチロクの半! 負け。
「半!」——ニロクの丁! 負け。
「丁!」——ヨイチの半! 負け。
待って待って待って、そんなことある? 五分五分を七回連続で外して負けって、逆に運が良いでしょこれ。最初の勝ちは何だったのよ。手元に残っている木札は、豆大福五個分くらい。これ以上負けたらやばい。そろそろ潮時かな。何が楽しいの、これ……。もう帰ろうと、部屋を出る。
「ははは。嬢ちゃん、随分と負けが込んでるな」
さっきまで隣に座っていたおじさんに笑われた。唸りたくなるほど悔しいけど、ここで退かずに取り返そうとする思考は危険でしかない。
「そちらはどうです? 儲けは有りました?」
「うん? まあ、ちょっとだけな。木札二つ分勝ちってところだ」
羨ましい。この世界は不平等だ。
「あんまり慣れてない感じがしたが、賭場は初めてかい?」
「はい。今日が初です」
「そうか。どうりで引き際が賢いわけだ。その感覚は大切にしなよ? 熱中し過ぎて破滅する奴ってのも、珍しいもんじゃないからな」
「そうですね、今日で思い知りました」
「それに比べてなあ」
おじさんは急に半笑いになり、吐息多めで言う。
「あいつぁ化け物だよ。この世の人間の運を全部吸ってるんじゃねえか? ははは」
「あいつ、というのは……?」
「ん? ああそうか、初めて賭場に来たなら知らねえか。名前は分からねえんだが、とんでもない豪運の女が居るんだ。毎度ありえねえ大金を賭けて、しかも絶対に勝ちやがる。なんでも、負けたことなんか只の一度も無ぇんだとよ」
やっぱり神様の采配は変だよ。へたくそ。もう少し均等に分けられなかったのかな。その神様には絶対、一つの急須から、みんな分のお茶を注がせちゃいけない。
「凄い人もいるもんですね……」
「ああ。それでも潰れないんだから、この賭場も大したもんだよな」
おじさんと別れ、一粒万倍の外へ。やっぱり咽び泣きや怒号が聞こえてくる。とてもいい教材だ。私は絶対、ああなりたくない。
「さてと……」
それはそれとして、私はなにも、お金を肥溜めに捨てに来たわけじゃない。鴨脚の奴が言っていた「裏闘技」とやらについて調べに来たんだ。そうでなきゃ、あんな遊びやるもんか。
「一周してみるかな」
一粒万倍は、町の中の目立たない所にある。初めて来た時は、殺人事件の騒ぎがあったからこそ発見できた。あの一件が無かったら、こんなところに賭場があるなんて分かりゃしない。とにかく、その鬱蒼とした場所を、一粒万倍の壁に沿って歩き回ってみることにした。もしかしたら何処かに裏口があって、そこから裏闘技に行けるかもしれないし。うわ嫌だ、何処からどう見ても不審者だよ私。
「あれは……お勝手口?」
人ひとり通るのがやっとな幅の道で、戸を発見した。隣の建物がすぐ目の前だから、きっと使い心地は最悪だろう。その近辺に居ても、賭場の熱狂が耳に入ってくる。これが町の方には全然聞こえないもんだから、音って不思議。
「お邪魔しま~す」
引き戸をゆっくり開けながら、つい癖で挨拶した。隠密行動だって事を思い出し、手遅れだろうけど手で口を塞ぐ。幸い、誰にも発見されなかったみたいだ。こういう時は運が良いんだね。
——お勝手ではなさそう
かまども何もない。廃屋みたいに外の焚火で料理とかしてるならまだしも、こんな町中じゃまさかそんなはずないし。かと言って、闘技場があるような感じでもない。人気のない神社の裏くらいには静かだ。そんなことを考えながら薄暗い中を歩いていると、長い廊下に出た。まっすぐ進めばさっきの賭場に出そうだけど、目的はそれじゃない。暗い。掃除されていないのか、顔をしかめてしまうほど埃臭い。……二年前の、あの夜の押し入れの中を思い出してしまう。
——ん? 人の話し声がする
熱狂に混じって、こそこそと話すような声が聞こえた。熱狂に負けず聞こえるということは、近いはず。それまでよりも一層、足音を立てないよう気を付けて歩く。頭の中で「抜き足、差し足、忍び足」と呟きつつ、周囲への警戒も……
「ああ。それがとんだ番狂わせでな」
——ここだ
今しがた前を通りがかった部屋の中から、男の人の声がした。何人か居て、何かについて話しているみたいだ。よく目を凝らすと、微かに漏れる火影が見えた。
「ひょろひょろで殺しなんてやったことも無ぇ女が、まさか連戦連勝の男に勝っちまうとはな」
「お陰様で闘技場は大盛り上がりよ」
今、闘技場って言ったよね。それに、話から察するに、戦っているのは人間同士。これかな、鴨脚が言ってた裏闘技ってのは。よ~し、収穫あり。少なくとも、裏闘技っていうのが只の噂話や嘘じゃないことは確認できた。
「んじゃ、今日はここまでにすっか。ったく、毎日浴びるように呑めるほど儲かるこの仕事、たまんねえよな」
「お前はちょっと控えろ。毎晩世話してるこっちの身にもなりやがれ」
「ははは、こいつは失敬」
——やばい。打ち合わせか何かが終わって出てくる
足音を立てないようにゆっくり急いで離れる。こういう時に限って床が軋むのは何で? 抜き足、差し足、忍び足。抜き足、差し足、忍び足。そう慎重に進んでいたけど——からん……と、蹴ってしまった円柱状の陶器——徳利か何か——が壁に当たって音を鳴らす。
「あ? なんの音だ? 鼠でも出たか?」
——気付かれた、どうしよう
慌てて逃げた私だけど、今度は背の高い花瓶置きか何かに左腕をぶつけてしまった。しかも、この前鴨脚に貰った篭手を着けている。鼠にしては不可解な金属音と、思わず出た「あっ」という声が暗い廊下に響く。
「何者だ!」
襖がばんと勢いよく開いた。翳ってて見えにくいけど、きっと般若みたいな顔をしているであろう男の人が、思いっきり私を見た。黒だか紺だかの着物が闇に紛れ、頭だけが浮かんでいるように見える。小町なら失神してたかも。
「おい餓鬼、そこで何をしている?」
そう言いながら、彼は短刀を抜く。やばい、まじで。
「あ、あの私、厠を探してて……。限界なのでお借りできないかなぁと思って、お邪魔したんですけど……」
咄嗟に思いついた言い訳を披露。男は尚も短刀で攻撃してきそうな勢いだ。だがその彼を、後ろに居た別の男が静止する。
「おい待て。この前ここで殺しがあったばっかりなんだ。何者か分からねえ奴相手に派手に動いたら、今度こそ防人に挙げられちまうかもしれねえぞ」
「……ああ、それもそうだな」
冷静になったのか、男は短刀を納めた。
「おい餓鬼。何も聞いてねえだろうな?」
「はい、聞いてません何も」
「ならとっとと消えろ。妙な事したら、只じゃおかねえからな」
「す、すみません!」
「すみませんじゃなくて、消えろって言ってんだ。ここに厠はねえよ。こんな所で漏らされちゃ汚くてかなわん」
はあ? 私のが汚いわけないだろ、こちとら高祠之国一の美少女だぞ。なんて言い返すことはせず、小走りで来た道を引き返した。
結構危なかったけど、賭場の裏で何か企んでる奴らの顔を見ることができたのは大きい。明日からは裏闘技のお客になる方法を探そうか。どうすればいいんだろう。既に裏闘技のお客になっている人に、紹介してもらうとか? それとも、表の賭場で何かするとか、いくら払うとか……。心臓が賭場の熱狂程騒がしいのを誤魔化すため、私はあれこれ思考に耽りながら廃屋に帰った。




