【一】真なる勝利へと
◇◇◇
──その時、少女が聞いたのは金切り声であった。酒に酔っ払った者たちの笑い声でも、祭囃子でもない。太鼓の低音でも、笛の高音でもない。歴とした人の金切り声、悲鳴、より具体的に換言すれば断末魔である。
「いったい、なに?」
少女は震える声で呟く。この最悪の出来事が起こったのは、太陽が顔を隠し、大地が闇に包まれた時のことであった。
「逃げろ、早く逃げろ!」
ふと、彼女は避難を促す小さな大声を聞いた。彼女の父親が格子窓越しに放った声であった。何故忍び声なのか。そもそも何が起きているのか。疑問が尽きない彼女であったが、父がそう言うのであればと勝手口から家を出る。
「お父さん、いったい何が起きてるの?」
「俺にも分からん。ただ、賊が人を殺して歩いているのは事実だ。だから逃げろ、奴らに見つからないよう逃げろ」
賊が人を殺している。日常で聞くはずのない不穏な言葉の羅列に、彼女は心底震えた。
「ねえ、お母さんは?」
祭りに参加していたはずの母親はどうしたのかと、少女は父親に問うた。だが父は質問に答えず、ただ目線を落として俯く。答えを渋った彼ではあるが、それは、少女にとって明確な答えであった。即ち、母は死んだ──だから例の賊に殺されたのだと、そんな言葉による返事と全く同じ意味を持っていたのである。
「奴らはどんどんこっちに来ている。お前だけでも、早く逃げてくれ」
「お父さんは? お父さんはどうするの?」
「俺も後から行く。纏まって逃げるより、散った方が発見されにくいだろう? そうだ、町で合流しよう。大きなお城のある町だ」
賊の手から逃れる策を提案した父親。しかし、娘は尚も不安を払拭できずにいた。
「そんな……。でも怖いよ、一人は怖いよ」
「そうだな、怖いな……」
生き残る方法を理屈で語った父は、娘の感情的な主張もまた理解出来た。故に、彼は涙を浮かべながら父親らしく娘を抱きしめる。
「だが、それでも大丈夫だ。お前は運の良い子だ。神に愛された子だ。きっと、幸運はお前を助けてくれる。必ず勝てる。だから、先に行け」
「お父さん、お父さん……!」
「行け! 早く行くんだ!」
──彼女は走り出した。木々を避けて草を掻き分け、僅かに湿った地面を踏みつけて。走って、走って、走って。最後に一度振り返った少女は、家の前の道に異形を見た。
「火男に、髑髏?」
武器を携えた、黒い外套の集団である。
「逃げなきゃ、逃げなきゃ。死にたくない、死にたくない」
ぶつぶつと念仏のように言いながら、少女は只管に逃げて、逃げて、逃げ続ける。父の助言通り、城のある町を目指した。
それから数日が経った。更に数日が経った。待てども、待てども、父親は城のある町に現れない。
「あの、人を見ませんでしたか? 紺色の着物で——」
「いいや、見てないね」
誰に聞こうとも、やはり父親は見つからない。そんな中、町に防人の掲示が設置される。少女の出身地において大量殺人が発生。生存者はわずか数名との報せであった。その数名のうち、一人は父親であろう。そう考えた彼女は回収された遺体の確認場所へ行った。そこでなら、父と再会できるだろうと思ったからだ。父も同じことを考えていると踏んだからだ。
「お父、さん……?」
結果的に言えば、親子はそこで再会を果たした。ただし、生きた娘と死した父の邂逅である。娘は涙した。母が死に、父が死に、友人が死に。誰もかれもが彼女の元から離れていき、何も遺さなかった。
「……これのどこが、運が良いっていうの?」
雑踏の中で呟く。彼女は運良く生き残った。だがその幸運は、彼女を幸福にはしなかった。寧ろ不幸にしたのである。
「こんなのは、勝ちじゃない。勝ちじゃ、ない……」
なけなしの所持金は底をつきた。空腹のあまり生気のない顔をして、彼女はそう泣くように呟きながら町を練り歩く。真の勝ちを求めて——。




