【十】闇に誘う影
気づいた時には不知火が抜刀していて、地面には両断された矢が転がっている。
「……誰?」
闇に向かって不知火が問うた。その問いに答えるかのように、黒い外套を身に着けた数人が姿を現す。二、四、六、七。合計七人の黒がそこに居て、全員が全員、何も言わずに私たちの方を見ていた。彼らが闖入者に驚く様子はない。どうやら、馬鹿丸出しは私らの方だったらしい。
「いきなり攻撃してきたけど、ウチが誰だか分かってんの?」
彼女の問いには誰も答えない。その代わり、先頭の黒とその左の黒がひそひそ言い始める。
「桜色の女……まさか防人の司令……予想…………しますか?」
はっきりとは聞こえなかった。でも、確実に言った。桜色の女と。それってどう考えても私の事だよね。人影は私を探してた……? おばさんが聞いた西とか桜とかって言葉は、高祠之国の西に居る私について喋ってたのかも。
「構わ……。ここで奴も……一石二鳥だ」
「ウチの質問に答えてくれない? まじでうざいんですけどぉ」
だけど、やっぱり黒たちが質問に答えることはなく、むしろ抜刀という対話から最も遠い応答をした。
「……あっそ」
不知火は不知火らしからぬ真面目な口調で言い、七人に切っ先を向けた。一方の私は、恐怖に震える薬袋を奴らから庇うように立つ。私と薬袋はそろりそろり、抜き足差し足で逃れようと——
「ちょっと、どこ行くの?」
不知火に呼び止められた。どこもへったくれもあるかっての。
「怖いから逃げるんだけど?」
「いやふざけないでよ。敵は七人居るのに、ウチ一人でやれっての?」
完全にそのつもりだったんだけど……。
「十六夜は十人以上を一人で無力化したらしいけど?」
「あのね、ヨイちゃんみたいな化け物とウチを一緒にしないでくれる?」
「そんなこと言ったってさ……」
私は結局一般人に過ぎないし、防人のように罪人をしょっ引く権利は与えられていない。そんな私が防人の前で堂々と刀を抜くことなんて出来やしないんだ。そう言いたいのを察したのか、不知火は敵を警戒したまま私に言う。
「いいよ、許可する。あんたがここでやったことは罪に問わないし、あんたにとって都合の悪い報告もしない。だからウチを置いてかないでよぉ!」
ちょっと見直したのに、最後の一言で台無し。でも、言質は取ったし薬袋という証人も居る。その言葉を待っていたとばかりに、私は尚も薬袋を庇いながら刀を抜いた。
刀を構えると、私と不知火に二人ずつかかって来た。残りの三人は高みの見物といった具合で様子見している。怖がる薬袋とそいつらの間に私が居るという形を常時意識して動く。
「遅いっ!」
一人目の斬撃をいなし、勢いそのまま二人目の胸に横一文字の傷をつける。そいつが「ぐああ」と言いかけたその瞬間の事。
——え?
——世界が、止まった……?
それは、辻斬りの時と同じ現象だった。私の意識だけが働き続け、私の身体を含むあらゆるものは眠りにつく。一つだけ例外を挙げるとすれば……
「ほら桜華、ここだよ」
この声だ。どこからか聞こえてくるこの声だけが、私の意識以外にも動いている存在。そして今回は、更に例外的な存在が現れる。
「ほら、こ~こ」
影だ。人影だ。ちょうど今刃を交えている外套の連中ではない。幼児。小さな女の子。昔の私に似ているようにも見えるし、不敵に浮かべられた笑顔を見ると、似ていないようにも見える。何より奇妙なのは、彼女は頭頂から爪先まで真っ黒で、本当に《《影》》だって事だ。
——誰?
こ~こと言いながら、彼女は右手の人差し指で胸に傷がある敵の喉をなぞる。すると、これまた見たことある赤い筋が指の軌跡に浮かび上がった。そしてへらへら笑いながら、影は言う。
「ここを斬れば、こいつは死ぬ。単純明快で、簡単でしょ?」
——だめ
こいつらが何者か知らないけど、殺しをやるわけにはいかない。不知火の許しがあるとは言え、関係ない。問題なのは、今の段階で殺しという行為の敷居を飛び越えてしまうことだ。
「大丈夫だよ桜華。こいつを殺すことに、躊躇いは要らない。だから——」
——うるさい!
声にならない声を頭の中に響かせ、私は彼女を否定した。すると世界が動き出す。敵の喉元に見える筋を無視して一文字の傷を十字にしてやった。外套を翻しながら地面に激突。それと同時に、左後ろの方でも誰かが倒れた。不知火ではない。彼女に斬られた敵だ。あと五人。
「桜華ちゃん!」
薬袋の警告が聞こえた。急いで周囲を警戒。さっきいなした奴と、見物していた一人が同時に攻撃を開始した。そのうち前者は狙いを薬袋に定めている。私云々より、薬袋を守るのが最優先だ。そう思い、一歩敵と薬袋の間に割って入った。その瞬間のこと。
——また、止まった……?
闇の中から御定まりの招待客の如く、影の少女が現れた。今度も不敵に笑う。
「桜華。どうして言うこと聞いてくれないの?」
——まだ殺しはやらない。そう約束してんの
——そもそも、あんた誰なの?
——この止まった世界は何?
少女は動けない私に寄って来て、指で唇を突いた。目の焦点が合わないくらいの距離で見てもなお、彼女は影でしかない。
「さあ、誰だと思う? 何だと思う? うふふふっ」
教えてくれるつもりは微塵ほども無いようで、少女は私から離れて敵二人の元へ。いなした奴の頸から赤い線を引き始め、けらけら笑いながら駆けて見物していた奴の頸まで繋げた。
「こうやって、二人いっぺんに斬るのが最善の一手だよ。火花を散らして、同時に殺しちゃおう?」
確かに、桜散火を使って斬れば簡単に敵を葬れる。薬袋の安全も確保できるし、彼女が言う通り最善かも。よし、そうと決まれば心を落ち着かせて——蕾——いや、だめだ。
「ええ、やらないの~?」
ふと、声の言う通りにしようとしている自分に気づいた。私はいつの間にか従わされそうになっていた。私を傀儡にしようとしている何かは、私の前に現れる度に強く、具体的になろうとしているような気がしてならない。それに、抗い難さも増している。小町との約束、小町との約束と気を強く保ち、操り糸を引っ張り切る。世界が動きを取り戻した。
「——桜散火!」
今度も筋を無視し、胸の高さで放つ。敵さんは二人まとめて後方へ吹っ飛んだ。反撃してくる様子は無いから、きっと気絶したんだろう。
「へえ、やるじゃん。流石ヨイちゃんが見込んだ雌餓鬼!」
そう叫び、不知火も一人斬り伏せた。これで残り二人。見ると、そいつらはもう臨戦態勢だ。私と不知火に一人ずつ斬りかかってくる。
「うう、重い……!」
咄嗟に防御して鍔迫り合いになった。だけど力勝負は圧倒的に私が不利で、どんどん押し込まれていく。下手に弾けば薬袋が危ない。ここは無理してでも押し返すしか選択肢は……。そう思って押し返そうとしていると、敵が不意に力を抜いて退いた。私は思わず前につんのめり、転びはしなかったけど、変な風に右足を突いてしまった。痛みが走る。なんとか堪えて前を向く。敵は突きの構えで——左に剣を引いて——攻撃を仕掛けていた。その動きは世界もろとも止まっている。
「こいつは勝ちを確信してるね。こういう時こそ、人間は警戒が緩くなるんだよ」
少女は嘲るように笑う。また従わされてなるものかと私が頑張っている間にも、影は止まった世界を悠々自適に歩きまわっている。
「今回は……ここかな。ほら、ここだよ」
彼女が指で円を描き、敵のみぞおち辺りに赤い筋の丸印が完成する。
「懐に潜りこんで、ぶすっと! あはは、できるでしょ?」
うん、出来そう。刺してやれば力の差があっても簡単に倒せるはず。よ~し——まただ。また、危うく声に従うところだった。
——私は、あんたに従うつもりは無いよ!
突き放すように言い放つ。すると彼女は不貞腐れて頬を膨らませ、「なんだ、つまんないの」と姿を消した。同時に、世界が平生の形を取り戻す。敵が突いてくる。崩れた態勢を整えるよりも先にそれを上に弾き、様子を見た。立ち上がるべきか、無理にでも斬り込むべきか……。考えていると、突然、敵の胸に何かが刺さった。苦無だ。違和感を挙げるとすれば、それ自体が光っている事。敵が倒れ、光る苦無は消失。振り返ると、不知火の身体が淡い光に包まれているのが見えた。
「……これで、全部?」
肩で息をしながら呟いた。
「多分ね」
涼しい顔のまま言い、不知火は血を払って納刀。薬袋に当たらないよう気を付けながら私も真似した。
「薬袋、無事?」
彼女の方に振り向くと、何やら恐ろしいものを見るかのような視線が私に向いていた。そういえば、こうやって戦うところを彼女に見せるのは初めてだったね。よく怪我して薬を買いに行く理由を悟ってくれたことだろう。
「うん、大丈夫。守ってくれてありがとうね、桜華ちゃん」
どうやら怪我は無さそうで一安心。そうしている間に、不知火は連中を観察していた。
「で、あんたたち何者?」
不知火が問う。黒たちは呻くばかりで、やっぱり答えない。そうかと思うと、連中は示し合わせたかのように懐から小さな瓶を取り出した。親指で蓋をこじ開けたかと思うと、その中身を口に含み——吐血した。
「毒だ……!」
薬屋の薬袋が真っ先に叫ぶ。慌てた様子の不知火が駆け寄り、しゃがんで奴らの脈を確認。溜息と共に頭を振った。……こいつら、自ら命を捨てたっていうの?
「刀じゃない武器、黒衣……」
不知火がぶつぶつ何か言っている。夢中で気が付かなかったけど、確かに黒たちが使っていた武器は刀じゃない。刀身が刀にしては平べったく、どちらかと言えば金属板みたいだ。
「この武器、黒衣、黒衣……」
「黒衣がどうかしたの?」
呟き続ける不知火。構って欲しいのかと思って聞いてみたけど、どうやらそういう訳じゃないらしい。
「まさか、こいつら……!」
「ねえ、一人で話を進めないでよ」
「……聞いて、桜華」
いつになく真面目な調子で呼ばれた。視線だけで返事すると、彼女は続ける。
「この件は防人で処理する。二度と首を突っ込まないで」
ここまで来て突然そう言われても……。困惑する私に、彼女は更に言った。
「これは、一般人が関わっていい事じゃない」
この不知火は本当にあの不知火かと、そう疑いたくなる顔をしている。その気迫に押され、私はこくりと頷いた。
それから、不知火は死体回収のために応援を呼びに行くという。共に林を出て、港町の入り口辺りで解散することに。
「くどいようだけど、今回の件にはもう関わらないで」
釘を刺された。
「分かってるって。それより、約束は守ってよね」
私が抜刀し、人間を傷つけたこと。それは防人司令の不知火から受けた要請に応じただけであり、従って罪には問われない。また、防人はこれを理由に私を不当に扱うことはできない。堅苦しく言えばそんな約束だ。
「破ったら十六夜に言いつけるから」
「はいはい」
いつの間にかいつも通りの感じに戻った不知火は、私らに背中を向けて手で気怠げな別れの挨拶をしてきた。彼女を見送り、薬袋を薬屋まで送って解散した。
——ん?
気のせいだろうか、何処からか誰かに見られている気がした。さっきまで戦っていたから、感覚が狂ってるのかな……。




