【九】風を切る音
◇◇桜華◇◇
小町以外にも、七つの人影を見た人が居る。その情報を得た私は、さっそく川辺に下りた。地面がぬかるんでいるから、振り返ると私の足跡が残りまくっている。振り返って気付いたけど、どうやらもういい時間らしい。かなり陽が傾いていて、空は橙色だ。
「う~ん、前には足跡一つない……」
そう独りで愚痴りながら進む。地面はきれいに均されていて、私より前に誰かが通ったような痕跡は無い。本当は誰も居なかったんじゃ……。でも目撃証言が二つあるし……と、思考が無限回廊に囚われている。
「って、暗っ」
いつの間にか、烏の泣き声さえ聞こえなくなっていた。どうりで見えないわけだ。今日はもう諦めて帰ろうかな。そう思って振り向くと、直線上に灯りが見えた。ずっと川が続いてるはずだから、まさか飲み屋じゃない。
「揺れてる……提灯だ」
それ即ち、人がこの川辺を歩いていることを意味する。
「まさか、例の七人……?」
人影は黒いって話だった。普段は彼誰時にここを移動していて、色のおかげで闇に紛れてる。だけどこの前だけ、何かしらの事情で早い時間に通らざるを得ず、小町とおばさんたちに目撃された、とか? そんな仮説を組み立てつつ、逃げ道を探した。提灯の灯りは次第に大きくなっていく。
「向こう岸……以外に無いよね」
くどいようだけど、ここは直線の道。こっちに向かってくる何者かから逃れるには、横に逸れるしかない。滑って川に転げ落ちないよう気を付けながら、水面から出ている石を足場にして向こうへ。生い茂る植物に身を隠す。しばらくそうしていると、高い声が聞こえ始めた。
「ねえ、あいつはほんとにこの辺なの?」
「そのはずです、町に居ないとなれば」
もう、すぐそこに居る。自然と息が浅くなった。もし例の七人なら、先に行かせて尾行に切り替えよう。で、とりあえず居場所だけでも突き止める。うん、そうしよう。……とかなんとか考えていた私は、視界の隅に映る灯りが動いていないことに気付く。
「……そこに誰か居るの?」
そう問う声がした。……あれ? この声、何処かで……。
「黙ってないで何か言えば? こっちも暇じゃないの」
灯りが大きく揺れている。私に、早く出て来いと催促しているようだ。だからって出て行くわけにはいかないけど。
「あ~うざい。まじでうざいんですけどぉ!」
この声でこの台詞、まさかあの女? ますます出て行くわけにはいかない。相手が不審者なら、いったいどれほど楽だっただろう。また夜道で追いかけっこするしかないのかな。絶望していると、今度はまた別人の声がする。
「あの、そこに居るのって、もしかして——」
さっきの女よりも幾分か若い声。
「桜華ちゃん?」
「えっ?」
思わず立ち上がってしまった。向こう岸に居たのは二人。不知火と薬袋だ。不知火は呆れた様子で片脚体重になり、溜息を吐く。相変わらず防人の制服を着崩していいた。風紀を乱すやつが居るって防人に通報しなきゃ……って思ったけど、こいつが防人だった。世も末だね。薬袋は安心したように胸の前で手を組んでいる。
「……えっと、どういう組み合わせ?」
状況は分かったけど、意味は分からない。不知火はわざとらしく私の顔に光を当てた。反射的に手で光源を隠す。
「はあ? 質問したいのはウチの方なんですけど?」
薬袋を見ると、私の本当の疑問を察したのか答えてくれた。
「あの後、不知火さんがお店に来たの。それで、えっと……とにかく、七人の人影を一緒に探してもらえることになったんだ」
そういうことね。悪気はないんだろうから、薬袋を責めるのは止めよう。それに、以前十六夜と手を組んで分かった。防人は役立たずだけど、司令ともなれば利用価値はある。この不知火も例外ではないと思う。
「そうだったんだ。じゃ、よろしくね不知火」
「馴れ馴れしい奴。敬称とか知らない?」
「はいはい。よろしくね、不知火陛下」
「分かればよろしい」
「馬鹿馬鹿しい奴。皮肉とか知らない?」
むかつくむかつくと言いながら、不知火は足の底を打ち付けて泥を飛び散らす。それに当たらないように気にしつつ、私は二人のいる方へ渡った。それで気付いたけど、足場にくっきりと泥んこ足跡が付いていた。
「で、七人とやらの目撃情報はあったの?」
不知火は「やれやれ」といった具合に聞いてきた。
「あったよ。だからこうして現場を歩いてんの。でも……」
この先の道を指さした。川はまだまだ先に伸びているけど、私には、例の七人がこの先を歩いたとは思えない。何故と言って。
「地面は綺麗で、足跡一つ無い。どこかで折れたとしか——」
「ば~か、逆だよ。この地面、綺麗過ぎ」
美少女はね、ちょっとくらいお馬鹿な方が可愛いの。それはさておき、呆れたように両手を腰に当てた不知火を見る。
「この場合、証拠はないけど逆に怪しい。だって、この川辺を歩く奴なんて、精々草刈り担当の役人くらいだもん。もしくはお前みたいな馬鹿ね」
確かに、おばさんの話でもここを歩く人なんて居ないとのことだった。伸び放題の草を見るに、不知火の言う草刈りだって最近は来ていない。それでいてこの地面の整いよう、不自然と考えるのが妥当か……。
「それはつまり」
「そう。隠したつもりなんだろうけど、向こうさんは馬鹿丸出しってわけ」
その馬鹿の足取りどころか存在さえ認知していなかったらしい防人は、じゃあ何なんだって話になるけど、まあ大目に見てあげよう。
「二人はどうすんの? 不審者の目撃情報って話なら、ウチは放っておけないから調べるけど」
「私も行くよ」
不知火に向かってきっぱりと言った。
「正体を明かしてくるって、小町と約束したから」
いつまでも怖がらせておくのはかわいそうだ。それに続いて薬袋は提灯の灯りの中で頷く。
「私も。友達が困ってるなら放っておけない。それに……幽霊じゃないって確かめたいし」
親友の七火が起こした火事の被害者が化けて出たわけではない、と。七人の人影が幽霊か否かというより、それを確かめたいんだと薬袋の顔に書いてある。
「それに、いざとなったら、天下の防人様が守ってくれるんでしょ?」
「そりゃ守るけどさ……まあいいや。さっさと調べてさっさと帰ろ」
不知火が歩き出す。薬袋と顔を見合わせ、互いに頷いた。ゆらゆら揺れる灯りと、それにぼんやり照らされた背中を追って私らも進む。辺りはもう、真っ暗だった。
足跡ではなく不自然を追いかける形で川辺を行き、やがてその先の林に入った。位置的に例の河童が居た林の一部だと思う。そのせいか、私はやたらと周囲を警戒してしまっていた。
「ここ……明らかに誰かが使ってるね」
不知火が呟いた。彼女が照らしてくれた場所を見ると、膝くらいの丈の植物たちが踏み倒されている。その先には、照らされるまでもなく見える物——まだ消されていない焚火の跡。周りには串に刺さった食べかけの魚が数匹。一人で食べる量じゃない。それに、全部食べかけだから、一人なら行儀が悪いにも限度ってものがある。そんな風に呑気に考えていた時の事。
——びゅん
風を切る音が聞こえた。




