【七】怪異の目撃者
◇◇桜華◇◇
小町に薬を飲ませ、夜を迎えた。少しは楽になったみたいだけど、まだ熱はある。私はただ無事を祈りながら、看病に徹する。おでこの布を変えてやると、小町はうっすらと目を開けた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん……」
「そ。じゃあ、起きたついでにご飯食べちゃう?」
きょろきょろし、私が行灯を点けている事に気づいたらしい小町は、きっともう夜だと察したのだろう。小さく「うん」と呟いた。
「手間かけて、ごめん」
食事の準備をしていると、小町は布団の中で弱々しく言った。お粥をよそったお茶碗を持っていき、離れる前に彼女の頭を撫でる。
「余計な心配してる暇があったら、いっぱい食べて、さっさと治しな」
「……うん、ありがとう」
こんなに弱った小町を見るのは十七年ちょいで初めてだった。何と言うか、胸が痛い。食事を済ませ、やがて私も自分の布団に入った。行灯の火を消しても、小町は眠れないようだ。不定期に寝る向きを変え続けている。
「もしかして、寒い?」
心配になり、そう聞いてみた。小町が私より遥かに寒さに強い事は分かっているけど、風邪を引いたとなれば話は変わると思う。だけどどうやら、違ったらしい。
「寒くはないんだけど……寝るのが、怖い」
「……怖い?」
小町はまた向きを変え、私の方を向いた。気づいた私も体勢を変えて向き合う形にする。僅かな月明かりを反射する小町の目は、平生より幾分も潤っているように見えた。
「夢でも、あの幽霊を見た。二度と見たくないのに、忘れたいのに、そう思えば思うほど鮮明に思い出しちゃう」
「それって、あの七人の?」
「……そう」
小町は今にも泣き出しそうな声をしている。体調悪いときは確かに変な夢を見がちだけど、小町の様子はそれにしても……。
「本当に、本当に見たんだよ、あたし」
「別に疑っちゃいないよ」
信じるべきか、疑うべきか。私はまだ、己の立場を決めるに足るほどの情報を持っていない。幽霊なんか居ないと頭では分かってるけど、現に小町は幽霊を見たと泣いている。さてどうしようか。何か小町に立ち直ってもらう方法は無いのかな。怖いままにしておくのは、さすがに可哀想すぎる。それに心が痛い。
「ねえ小町」
解決策が一つしか思い浮かばなかった私は、意を決して聞いてみた。
「正体が分かれば、もう怖くない?」
「……え?」
「小町が見た物の正体が分かれば、ちょっとは安心できる?」
「それは……多分…………」
そうと決まれば話は早い。私のやるべきことはただ一つだ。
「じゃ、私が人影の正体を暴いてくる」
「できるの? そんなこと」
「どこに在るか分からない鏡より、よっぽど探しやすいよ。だから安心して。はい、おやすみ」
そういい、手を伸ばして半ば強引に小町に目を閉じさせる。
「うん、おやすみ」
私の手はそのまま小町の布団に侵入し、彼女の手を握った。私はすぐそばに居るからねと、そう示すように。
翌日。大見栄切って出てきたはいいけど、やっぱりそう簡単にはいかなかった。何人かに話を聞いてみても、そもそも七人御先っていう怪異や、それが出てくる怪談を知っている人がほとんどいない。居たとしても記憶が曖昧だったり、存在を信じていなかったり。逆に、私が怪談を信じている人みたいになってきた。
「ってな感じで、全然情報が手に入らないんだよね」
また薬屋にお邪魔して、薬袋にそう嘆く。薬袋は薬袋で小町を心配してくれていて、お客さんに目撃情報を募ってみたらしい。結果はまあ、私と同じ感じらしいけど。
「いったん、話をまとめてみるね」
そう言い、薬袋は勘定場の下から紙と矢立を取り出す。そこに見事な美文字でさらさらと書き連ねていく。それ、仕事で使うやつじゃないの……?
「まず、小町ちゃんは七つの黒い人影を見た」
「大雨の中、体調が最悪の状態でね」
「人影の正体は七人御先かもしれない。でもそんな噂話聞いたことないから、七人御先だとしたら最近現れたもの」
それ即ち、港町の火事で亡くなった七人の犠牲者が化けて出たんじゃないかと。
「だけど私も桜華ちゃんも、この世にお化けなんていないって考えてる」
そこまで書いて矢立がぴたりと止まる。散々話したけど、まとめてみると大した情報量じゃない。あ~あ、今更になって小町との約束を守れるか不安になってきた。
「そうだね。ねえ、薬袋。真面目な話さ、小町が見たのは何だと思う?」
「う~ん、難しいね。七人の何かではあっても、七人御先ではない何か……幽霊じゃないとなると——」
「人間、だよね」
そう、無論人間だ。人間でしかありえない。ありえない……はず。
「やっぱり、そうなるよね?」
「うん。私はそう思う」
「例の人影が人間だとすると、小町ちゃん以外の人にだって見えるはずじゃない?」
薬袋が言うのと同時に、私も同じ結論に至った。七人の人影は人間で、従って小町以外の目にも映る。よく探せば、他にも見た人が居るはずだ。
「私、もうちょい南西部の方で目撃者が居ないか探してみる。最悪、その川辺を歩けば何か分かるかもしれないし」
「あんまり無理はしないでよ……? じゃあ私は……引き続き、お客さんから情報を集めてみるね」
まずは小町以外の目撃者がいないか探す。その方向で薬袋と合意し、私は店を出た。さっきは港町までの道中で話を聞いてみたけど、誰一人とて目撃者は居なかった。事に依ったら、そいつらは姿を隠すのが上手いのかも。じゃあどうするかって話だけど、たった一つ、手がかりがある。そいつらは少なくとも一回、世間に姿を晒してるんだから。小町が見たのはその瞬間だった。であれば、探すべきはあの日あの時あの場所で同じものを見たという人だよね。
というわけで、南西部の町にやって来た。お菓子屋から竹輪の煮付けを売ってる店へと歩き、そこから廃屋への帰路をなぞってみる。
「……で、この辺で影を見たと」
独り言を言いながら、橋の柵に肘をついた。人影が居たという場所を見遣る。河原は生い茂ってる。確かに、普通なら人が歩くような場所じゃない。川は東から西に流れている。その北側は人間二人分くらいの高さがある石垣で、上がった先に大きな往来がある。さっき私が歩いた、お菓子屋とかがある通りだね。南側は川と同じ高さに……良く表現すれば自然。川と往来は私が今体重を預けているような柵で扼されているだけ。そう考えると、決して見晴らしが悪いわけじゃない。
「通行人じゃなくて、お店の人なら見てるかもしれないか」
往来には、色々なお店が並んでいる。古着屋とか小物屋とか、ここから少し距離があるけど例のお菓子屋もそのうちの一つだ。小町が言ってた位置的に、一番可能性が高いのは読み本の店。ちょうど、立ち読み客に対してはたきを大幣みたいに振ってる店主のおじさんが居た。
「あの、ちょっと伺いたいんですけど」
声をかけた。勢いよく振り返るもんだから、はたきが私に襲い掛かる。一歩下がって回避。危ないな、気を付けてよ。
「おっと御免よ。何か?」
「数日前、大雨だったのを覚えてますか?」
「うん?」
問うと、彼は目で斜め上を見た。
「ああ、あったあった。あの時は参ったよ」
「その日、すぐそこの河原を人が歩いていたのを見ませんでした?」
「人?」
「ええ。七人が一列になって、です」
おじさんは暫く唸り、首を横に振る。
「いやあ、見てないね。雨が降ると、この子たちを店内にしまう作業に追われるから」
そう言い、彼ははたきで店の外に陳列してある腰くらいの高さの棚を示した。そこまで高価じゃないのであろう本が背の順に立っている。
「それに、ほれ」
今度は川の方を指す。その方向に顔を向けた。見えたのは往来の端っこと柵、奥の植物だけ。『ほれ』って何だろうと思い、再び彼を見る。
「ここからじゃ、河原が見えないんだ」
「あ……確かにそうですね」
ここは石垣の上だから、その麓はちょうど死角になっている。改めて見たけど、やっぱり、さっき橋の上から見た茂った草むらは見えなかった。それに加えて棚の撤収作業をしていたんじゃ、河原を歩いていた人間になんて気が付かないか。
「そういうこった。もっと高いところに居た人間なら、話は別だろうがな」
「高いところ……」
見渡してみる。櫓は遠いし……と考えていた私の目に、二階建ての長屋が映った。本屋より高い位置にあるから、若しかしたら七人の頭のてっぺんくらいは見えたかもしれない。店主さんにお礼と邪魔したお詫びをして、早速その長屋へ。
「ごめんくださ~い」
二階の西端にある部屋へ。声をかけると、ばたばたと走る音が聞こえてくる。間隔からして小さい子供っぽい。あんまりうるさくすると、下の住人に怒られちゃうよ。引き戸が開く。やっぱり子供だった。十歳にも満たないくらいの男の子だ。
「こんにちは、ぼく」
「……? こんにちは。お姉さん、誰?」
「お父さんかお母さんは居る?」
まさか子供に聞くわけにはいかない。
「ううん。お父さんは賭場。お母さんは仕事」
「賭場……」
ちょっと訳ありの家に来ちゃったかもしれない。一人でお留守番ってことか……。ちょっと可哀想な気もするけど、あんま他人の家庭に首を突っ込まないでおこう。
「そっか。じゃあ、大丈夫。邪魔してごめんね」
手を振り、別れを告げる。その後、何人かに聞いてみたけど、人影を見た人は居ない。次の部屋が東端、つまり最後だ。
「ごめんくださ~い」
数秒待ったけど、人の気配がしない。声も、足音も。不在か~と諦めて立ち去ろうとした瞬間、いきなり引き戸が開いた。失礼にも、思わず「ひゃっ」と声が出てしまった。無音で現れれたのは、地味な柄の着物を身に着けたおばさん。
あれ?
この人、何処かで見たことある気がする。
「あら、お嬢ちゃん?」
おばさんが言う。
「いったい」
次の瞬間、全く同じ顔——にしか見えない——おばさんが、おばさんの背後から右にひょこっと出る。
「どうしたの?」
更に次の瞬間、またもや全く同じ顔——にしか見えない——おばさんが、おばさんの背後のおばさんの背後から左にひょこっと出る。……ん? いや、あってるか。自分でも何言ってるか分からないけど、それが、今私が見た光景だ。どうやらここは、神隠しを追っていた時に千代さんの事を教えてくれた、台詞三分割おばさんの部屋らしい。
「ちょっと前の大雨の日、なんですけど」
今までと同じことを彼女らにも聞いてみる。三人とも同時に腕を組み、同時に同じ言い方で「う~ん」と考え始めた。やがて三人で輪というか三角形になり、ごにょごにょ言いながら何か話し合いをしているようだ。しばらく待つと、三人はまた同時にこっちを見た。ずいっと顔を寄せてくる。何なの、この人たち。
「雨の中歩く」
「七人の人影なら」
「見たわよ」
「本当ですか!」
初の目撃情報が入り、嬉しくなった私は怒った野犬みたいに吠えた。直後、ここが廃屋みたいな孤立した場所じゃないと思い出して口を押さえる。今度は逆に鈴虫みたいな声で彼女らに問う。
「ちなみに、どういう状況で?」
「雨が降り始めたから」
「表に干していた布団を」
「取り込んでいたのよ」
慣れてくると、もう台詞の分割が気にならなくなってきた。
「そしたら川辺に人影が七つ見えて」
「すごく驚いたわよ」
「あんな場所を歩く人なんて、初めて見から」
やっぱり、この辺に住んでる人からしても、あの川辺は人が立ち入る場所じゃないんだ。猪牙舟が通るならまだしも、そもそも入る理由が無いわけだし。強いて言うなら草刈りだけど、それだったら見れば分かるはず。小町がお化けだと思う道理は無い。
「その人影が何をしていたかは分かりますか?」
「さあ、分からないわね」
「少なくとも、私たちの目には」
「ただ歩いているようにしか見えなかったわ」
小町も同じことを言ってたっけ。黒い人影たちは、川辺を歩いていた。何をしていたのかについては、情報が全くない。
「ただ」
一番前のおばさんが注釈を入れた。
「声なら」
「ちょっとだけ聞いたわよ」
「声?」
「私たち」
「三人そろって」
「耳が良いの」
それで井戸端会議の議題を収集しているのかな、なんて勝手に想像する。「声は何て?」と聞いてみた。
「雨と雷でほとんど分からなかったけれど」
「西とか桜とかって」
「言ってたわね」
西、桜。
確かに西部には、乾神社のように早咲きの桜が沢山ある。どこかお花見できる場所を探してたのかな……って考えたけど、「あんな雨の時に?」という疑問で一蹴されてしまう。それに、花はとっくに散っちゃってるし。
「それからもう一つ」
「聞こえてきた言葉が」
「狐様だったわ」
「狐様? もしかして、人影が進んだ先にお稲荷さんがあるとか?」
聞いてみると、おばさんたちは数秒間沈黙した。やがて顔を上げて言う。
「いいえ」
「聞いたこと」
「ないわね」
「そうですか……」
西と桜でなんとなく繋がりかけたのに、狐で一気に分からなくなった。西でお花見できる場所を探してて、お腹が空いてきつね饂飩が恋しくなった……とか馬鹿げた推理しかできない。
「他に何か、妙な事はありましたか?」
「いいえ、気付いた事はそれくらいよ」
「私たちも布団を取り込むのに」
「必死だったからねぇ」
まあそうだよね。読み本屋さんと同じことだ。
お礼を言い、彼女たちと別れた。人影の正体は分からなかったけど、かなり大きい収穫があった。即ち、小町以外にも人影の目撃者が存在したこと。幽霊であるはずがなく、小町の幻覚でもない。そうなれば、もはや現実の存在でしかあり得ない。しかも言葉を話していたとなると、九分九厘って表現でも足りない程確実に、その正体は人間だ。そうと決まればやることは一つ。
「確か、人影はここから東に行ったんだっけ」
河原に下り、実際に歩くのみ。その先に誰か居るのか、河童の時みたいに拠点があるのか……。若干の恐怖はあったけど、小町を安心させたいという気持ちの木偶となり、私はぬかるむ道を進んでいった——。




