【三】またも燃えた港町
◇◇桜華◇◇
ある日。綺麗な夕日だなあと、私は南下しながら思った。鴨脚のところに調査進捗を聞きに行ったけど、今のところ新しい情報は無いらしかった。ふと、一筋の強風。反射的に目を覆った。
「こんなんじゃ、あの桜はもう散っちゃうよね」
ここを右に行けば乾神社に行けるか。そう気づいた私は、あの桜が名残惜しくなって、最後にもう一度見ようと立ち寄ることにした。平生通りの分かりにくい道を進み、鳥居をくぐる。夕日に照らされた桜は、まるで猛火——火災とも思しい激しさで私の目に飛び込んでくる。びゅうびゅうと吹く風にその肢体を揺らし、踊っているみたいだった。
「ん? あれって……」
いつものように境内を見ていると、拝殿の横に大荷物の数人を見つけた。男の人、女の人、そして女の子が各々荷物を持って宮司さんと吉三さんに頭を下げている。近付いてみると、声が聞こえてきた。
「本当に、お世話になりました」
男の人がそう言い、また頭を下げた。他の二人も倣い、やがてこっちを向いて歩きだす。すると、女の子が私に気づく。
「あっ、桜華」
七火とそのご両親だ。
「七火、久しぶり。もう神社を出るの? 早いね」
実際、港町で火事があった日から一か月も経っていない。それだけじゃ家の再建は無理だと思うけど……。
「うん。港町に空き家があって、そこで八百屋を再開するんだ……」
「そうなんだ、よかったじゃん」
そう言った私は、七火が若干俯いているのを確かに見た。家に帰れる。また家族水入らずの生活に戻れる。それは嬉しい事のはず。私だって、できればあの頃に戻りたい。未だに夢に見る。でも私には、七火はそうじゃないように見えた。
「じゃあ今度、野菜を買いに行くね」
「……うん、待ってるよ」
不思議な雰囲気の彼女は手を振り、ご両親と共に歩き出す。親御さんに会釈して頭を上げた。七火はもう一度振り返っていた。目が合わない。彼女が寂しそうな顔で見ていたのは私ではなく、乾神社の宮司見習い、吉三さんだ。そして彼もまた名残惜しそうな顔をして、手を振って——ううん、伸ばしている。離れたくない。行ってほしくない。そんな気持ちが、手のひらと共に押し出されているようだった。
それからまた暫くしたころ。
「痛っ」
廃屋の前で桶に水を張って洗い物をしていると、小町が悲鳴に近い声で言った。
「もう、最悪」
彼女は、自分の指を歪んだ顔で見ている。あかぎれってやつだね、痛そう。寒い中こうやって水を触っていると発生する、毎年の恒例行事みたいなものだ。かく言う私も指が真赤で、いつ小町のようになっても不思議じゃない。
「小町、大丈夫?」
「……全然。前に買った薬、まだ残ってるっけ」
「ううん、もう一分も無いよ」
これはまた、薬袋のところに行くしかないかも。なんだかんだ、常連客となりつつあるね。ああ、また薬袋が心配するんだろうな、申し訳ない。
という訳で港町——薬袋の薬屋にやって来た。何だか町の空気感が平生と違ったけど、触らぬ神に祟り無しってね。薬屋は商い中だ。この引き戸を開ければ勘定場に薬袋がいる。そう思って扉をがらがらと開けて——と思っていると、私に依らずして勝手に開いた。
「わっごめんなさい!」
そう言ったのは、ちょうど店から出て来た瞬間の薬袋だった。
「ああ薬袋。これから休憩?」
そういえばもうお昼だ。
「桜華ちゃん! そう、たった今お母さんと店番を交代したところだよ」
「そっか。……って、どうしたの? なんか浮かない顔してるけど」
なんとなくだけど、薬袋が不安そうだった。聞いてみると、彼女は「えっと……」と辟易した後、重々しく口を開いた。
「あのね。もう消えてるんだけど、昨日の夜、また火事があったの」
「えっ? 港町で?」
「そう」
そりゃ不安にもなるか。この町、何かに呪われてるんじゃないの。そう呑気に思っていた私だけど、薬袋の次の言葉はもっと衝撃的だった。
「それもね……現場は、七火ちゃんの新居なんだ」
「う、嘘でしょ……?」
七火といえば前回の火事で家を焼かれ、しばらく乾神社に居てこの前新居に越したばかりのはず。そんな彼女の家がまた火事で焼かれるなんて、吃驚以外になんて言えばいいんだろう。もはや恐怖さえ抱く。
「こんな短期間で二回も火事に遭うなんて……なんていうか、ついてないね」
「……そうだよね。とにかく、心配だから今から様子を見に行こうと思ってたの。桜華ちゃんも行く?」
「うん、そうする」
薬を待ってる小町には悪いけど、七火の様子を確認しないことには落ち着けない。薬袋に案内されるがまま、私は第二の火災現場へと駆けた。人ごみってほどじゃないけど、何人かが様子を見ている。その視線の先には、泣きながら怒鳴る男女と……防人がいた。よく見るとその男女は、七火のご両親だ。火事の事後説明でも受けてるのかなと思ったけど、よおく耳を澄ましてみると、そうじゃないことが分かった。これは抗議だ。
「そんな、そんなはずありません!」
両手で顔を覆い、こもった声で言うお母さん。
「そうですよ、もう一度調べ直してください! きっと、何かの間違いです!」
今にも防人に掴みかかりそうなほど、物凄い剣幕で捲し立てるお父さん。だけどその対象である防人は、彼らに呆れたようにあっけらかんとしている。
「そう言われましても、もう何度も調べ直しています。実際、はっきり見た人だっているんです」
「その方の見間違いかもしれないじゃないですか!」
お母さんは顔にやっていた手を退かし、感情を拳にして叫ぶ。その声は震えていて、彼女の悲痛な想いが乗っかっている。よほど泣いたのか、袖はもうぐっしょりだ。いったい、何が……。
「お願いします、防人様!」
今度はお父さんが大きな声で言う。
「今一度、調べ直してください。お願いします! そんなことは有り得ないんですよ、娘が——」
彼の声は次第に弱くなる。娘——つまり七火がどうしたんだろう。ふと、私はそこに七火の姿が無い事に気づいた。私がきょろきょろしていると、薬袋も同じことに気付いたらしい。
「七火が、居ない?」
薬袋の不安そうな声が聞こえた。状況からして、ご両親の隣に居るはず。だけど、居ないというのが事実だった。
「何度調べ直しても変わりませんよ。それに、当の本人が認めているのですから、間違いはありません」
「それは!」
お父さんが一層強く防人を睨む。
「あなた方が自白を強要するような、不当な取り調べをしたから——」
「いい加減にしてください!」
二人の抵抗に痺れを切らしたのか、今度は防人が怒鳴る。不思議と、港町から一瞬音が失われたかのような感覚になった。
「娘さんが何らかの動機で自宅に放火。結果、七人が亡くなった。これが事実です。覆ることはありません!」
お母さんは膝から崩れ落ちる。お父さんは拳を握り、その力は腕まで伝わっているようだ。私と薬袋も固まる。理解できる言葉で発せられた内容を理解できなかったからだ。
「七火が、自宅に放火……?」
薬袋が鸚鵡になっている。
「は、はは……。何言ってんの、あの防人。頭がおかしくなったんじゃないの? ねえ薬袋?」
「そうだよね……。あはは、きっと酔っぱらってるんだ」
ただただ、笑って誤魔化すことしかできない。とはいえ、狂ってるのは防人の方だ。お父さんも言ってたけど、そう、有り得ない。あの七火が、自宅に放火だなんて。そんなことして何になるのさ。せっかく新居を手に入れて避難生活が終わったってのに。
「七火……」
そう考えていたのに、私の脳は余計なことを思い出す。初めて会った日の別れ際。そして最後にあった日の別れ際。彼女は……。いや、駄目だ。余計なことを考えるな、桜華。その思考を振り払うように、私は薬袋に声をかける。
「あの七火が、そんな事するはずないもんね。ちゃんと調べれば分かるよ。まったく、相変わらず無能なんだから、防人って奴らは。しばらくしたら『冤罪でした』って言って帰って来るよ」
「……うん。そうに決まってるよ」
これ以上、その場には居られなかった。震える身体に鞭打って薬屋に戻り、あかぎれに良い薬を買って帰った。胸やけがする。不安で、不安で不安で仕方がない。




