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【二】燃えるように咲く

 それから数日後。今日は小町の仕事が休みで、乾神社の桜を見せる絶好の機会だ。いったん八咫鏡のことは忘れ、ただの花見客として訪れよう。


「へえ、そんなに綺麗なんだ」

「うん。事に依ったら私に匹敵するかも」

「ふーん」


 棒読み返事やめろ。


「にしても、珍しいね。桜華がそんなに慌ててあたしに花を見せようとするなんて」

「まあね。桜は私と違って儚いから」

「ふーん」

「塩対応やめて? 泣くよ普通に」


 塩辛いったらありゃしない。漬け過ぎかっての。


 そうこうしているうちに、乾神社に到着した。ここ数日暖かかった事もあり、早咲きの桜は満開。一番いい時期に来ることができた気がする。


「あれ、先客がいる」


 境内を一望した小町が言った。確かに居る。桜の近くに茣蓙(ござ)を敷き、なにやら楽しそうに談笑している少女二人。私と小町みたいに仲睦まじいな~と思ってよく見ると、その片割れは知り合いだった。視線を感じたのか砂利の音か、彼女はこっちに気付く。


「あれ? 桜華ちゃんに小町ちゃんだ! お~い!」


 平生通りの元気溌剌、薬屋の娘、薬袋だ。


「おお、薬袋じゃん。お花見に来たの?」

「うん。桜が満開だって聞いたから」

「あたしらもそう。桜華がどうしてもあたしに見せたいからって」

「そうだったんだ。じゃあ、誘えばよかったね」


 そんな会話の後、薬袋は()()として言う。


「そうだ、二人に紹介するね。私のお友達、七火(ななか)ちゃんだよ」


 薬袋は自分の隣に座っている少女を示した。彼女は丁寧にこっちを向いて正座する。紺の生地に白で麻の葉文様が描かれた着物を着ている。肩まで届く黒髪が揺れた。横一文字に切った前髪を整え、言う。


「初めまして、七火です。港町にある八百屋の娘なんですけど……この前の火事で家が焼けちゃって。しばらく乾神社で避難生活を送ってるんです」


 おっと、想像以上に重い話で危うく潰れるところだった……。


「そっか、大変だったね……。ああ、私は桜華。こっちは手下の小町だよ。よろしくね、七火さん」


 どうやら七火さん——いや、七火は私や小町と同い年らしい。それが判明したこともあり、すぐに仲良くなれた。


「桜華も小町も、一緒に見ようよ。ほら薬袋、もっと詰めて」


 そう言い、七火は私らの座る場所を空けてくれた。ありがたく座らせてもらい、四人で桜を見ながら雑談に花を咲かせた。やがてそれも満開になった頃、もう一人現れる。


「おまちどお——おや、いつの間にやらお客様が増えておられる」


 驚愕するくらい山盛りのお団子をお盆に乗せた吉三さんだ。私に気付いたのか、彼は「ようこそ」と微笑む。


「以前言った友達、連れてきちゃいました」

「そのようですね。ぜひ、うちの桜を楽しんでいってください」


 吉三さんはお団子を茣蓙に置いた。それから七火の隣に座る。二人は何やら意味深に顔を見合い、微笑む。


 それから夕日が沈む前まで、五人で遊び倒した。双六だの花札総当たり戦だので、客観的に見たらうるさいくらい盛り上がってたと思う。いや花見ろよって話。ちなみに、豪運の薬袋があらゆる勝負にて勝ちをもぎ取った。一寸たりとも勝てる気がしなかったな。おかしい、私だって日頃の行いは悪くないはずなのに……。


「じゃあ、またね七火ちゃん」


 薬袋が手を振る。


「うん。桜華と小町も、またね」

「うん、またね」

「また」


 神社に残る七火と吉三さん、帰宅する薬袋と私らに分かれて互いに手を振り、別れの挨拶を交わした。鳥居を潜り、神社を去る。最後にもう一度振り返った時、私は見た。そして確信した。今や逆光で黒い影になった二人——七火と吉三さんが、避難者と神社の者ではなく、只、一組の()()であるという事を。




◇◇七火◇◇


 ばさっと布団を剥いだ。眠れない。月明かりが眩しい。虫の声が其処彼処(そこかしこ)から聞こえる。だけど、私の睡眠を妨げているのは、そんなものじゃなかった。

「……どうして、収まらないの」


 鼓動だ。雷の如く(うるさ)い心臓の音だ。何度も鎮めようとした。何度も、何度も。だけど、一向に眠りの邪魔をやめてくれない。それに、蒸し蒸ししていて暑い。まだそれほど暑い季節じゃないはずなのに、まるで梅雨の熱帯夜のよう。汗をかいた。一滴の雫が、私の太ももを伝って落ちたのが分かる。私はやおら上体を起こした。私が思わず漏らした先刻の声は、乾神社の同室で眠る両親を起こしはしなかったみたいだ。安心した私はそのまま立ち上がり、不愉快を紛らわそうと暴れたが故に(はだ)けた着物を直す。たった今また、首元から胸、腹と雫が伝った。


 ——もう、耐えられない

 ——私の力では、如何ともし難い


 そう思い、私は寝室を出た。両親を起こさないよう、抜き足差し足忍び足。部屋と廊下を隔てている襖は、恐ろしいくらい簡単に、滑らかに開いた。そういえば、つい最近蝋を塗ったばかりだと聞いた気がする。ゆっくりと閉め、床を軋ませないよう歩く。無意識に爪先立ちで歩いていた。


 ——早く、この気持ちを叶えたい


 音を出さないよう気を配りながら速足で進む。大した運動をしているわけでもないのに、私の心臓はその役割を急いていた。夜の廊下は真っ暗だけど、私はまるで何かに導かれるかのように()()を目指す。


 ——ええっと、私の履物は


 手触りと僅かな月明かりだけを頼りに自分の草履を探しあて、今度もゆっくり戸を開いて外へ。さっきは頼りだった月光が、今度は闇夜に私の姿を浮かばせた。走ると、砂利がじゃっじゃっと音を鳴らす。参道を横切る時は石床がぺたぺた騒いだ。拝殿には絢爛な鏡があるけど、そんなものは一瞥もしないで別の建物に入った。ここまで来たらばもう少し。廊下の突き当りを右に曲がり、そのすぐ右手側。


 ——まだ、灯りが消えてない


 橙色に照らされた障子を見て胸が高鳴った。今にも騒ごうとする心を必死に抑え、忍び声よりも僅かに大きな声で私は言う。


「七火だよ、まだ起きてる?」


 返事は無かったけど、部屋の中から足袋と畳の擦れる音が聞こえ、こっちに近付いてくる。それは私にとって、立派な返事だ。やがてゆっくりと障子が開く。


「な、七火? どうしたんだい、こんな時間に」

吉三(よしぞう)、ちょっとお邪魔してもいい? 眠れなくて」


 彼は刹那、温顔(おんがん)になった。それだけで、この想いが一方向でないことを理解できた。私の心は華やぐ。


「うん、いいよ。おいで」


 彼は口の前で人差し指を立てながら言う。半ば強引に手を引かれる形で部屋に入り、後ろ手で障子を閉めた。跳ねるように動いた吉三は座布団を一枚その手に取り、私にくれた。


「好きに座ってよ」

「ありがとう」


 受取った座布団を吉三が座った場所の真横に置いた。そこに座る。広い部屋の一か所に二人が固まっている光景は、通常なら些か奇妙かもしれない。


「えっと、七火……?」

「ねえ吉三」

「うん?」


 呼びかけながら肩に(もた)れてあげると、彼は耳を赤くした。


「私、乾神社に来られてよかった」

「それはまた、どうして?」


 家が焼けて悲しいはず、と彼は思ったのだろう。


「ふふ。だって、吉三に出逢えたんだもん」

「そ、そっか……あはは」


 彼は笑いながら、不自然に姿勢を正した。


「俺も、七火に会えて嬉しいよ」


 吉三はきっと、寝る前に勉強でもしていたのだろう。机上に広げられた帳面や(すずり)、墨の付いた筆を見れば分かる。だけど彼は、そんな物は放って私を見てくれていた。


 ——嗚呼、幸せ

 ——彼ならきっと鎮めてくれる

 ——私の睡眠を妨害する、この喧しい心臓を


「吉三。お月様でも、見る?」

「……うん」


 返事を聞くや否や、私は机の方に這って行き、蝋燭をふっと吹いた。瞬間、元来薄暗かった部屋はさらなる闇に覆われる。それでも私が彼の顔を恍惚と見ることができるのは、月光のおかげだ。


「綺麗だな」


 美しき天体の蒼白い光の下、私たちは手を重ねた。満月は高祠之国(こしのくに)を凛として照らすけど、その頃にはもう、私たちは私たちしか見ていなかった。

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