【十六】村に潜む魔女
夜が明けた。雄鶏がコケッコッコー、コケコッコーと鳴き喚く。目覚めの悪さとは対極に、太陽は燦燦と我が物顔で輝いている。意外と寝坊助な実稲を起こしていると、私が起きた時には不在だった生明が部屋に戻って来た。
「おはよう、みんな。お父さんはまだ、帰って来てないみたい」
生明は悲しげに報告した。平生より低い声なのは、寝起きだからってだけじゃないと思う。
「昨日探してくれてた人たちが、今日も行ってくれるみたい」
「そっか。私たちはどうする?」
「ごめん、わたしは家に残るよ。お父さんのことで何か報せが来るかもしれないし」
「そうだね、それが良いと思う。じゃあ、私たちはいったん神社に行く?」
小町と実稲に目を向けて提案した。小町は「そうだね」と頷く。実稲は眠い目を擦り、普段にも増してふんわりした感じで言う。
「承知いたしました~。本日分の薬草も準備しないといけませんし~早速参りましょうか~」
生明を家に残し、三人で神社へと向かう。その道中で、牧師さんから聞いた話を実稲に共有することにした。狼憑きという現象について、彼女にも知っておいてもらった方が良い。三人になったこの場面を選んだのには理由がある。生明には少し、話しにくいことなんだよね。
「つまり~この村に魔女が居て~、その人物は生明が動植物と話せるのと同じように~、不思議な力で以て狼を乗っ取ることができると~?」
「うん、今のところ、私はそう考えてる」
「いったい何方が~?」
魔女の正体についての仮説は有るけど、やっぱり口にするのは躊躇われる。それくらい、私にとっても辛い考えだ。ましてや、生明が聞いたら卒倒するかも。どこからどう話そうか、そもそも話すべきか。私が躊躇っていることを察したのか、代わりに小町が口を開く。
「魔女の正体についても、あたしらは予想してるよ」
肝が冷えた。けど、考えがある以上、共有しないと話が進まないよね。
「あたしらは数日前の夜、狼の襲撃を受けた。これが一回目ね。桜華が応戦して、右前足に刀で怪我を負わせて撃退した」
「確か、初めて神社にいらした日の夜でしたよね~?」
「そうそう。で、その翌日、狼と同じ右腕に狼と同じく刃物による傷を負っていた人が居る」
「ま、まさか……!」
よほど驚いたんだろうね。今の一言には、実稲のふわふわ感が全く無かった。私は彼女を「まあまあ、まだ判断は早いよ」と宥め、目配せで小町に続きを頼んだ。
「次の日、あたしらは生明の力を使って、森の中で右前足に怪我をした狼を発見。人懐っこくて大人しい子だったね。かわいそうだけど、また暴れて人を襲わないように首輪をつけておいた」
「麻の紐でね。もちろん、ちょっとやそっとじゃ切れやしないやつ」
口をはさんでちょっとだけ補足してあげた。
「そうね。そんで翌日の夜、あたしらは二回目の襲撃を受けた。右前足に傷があって、麻紐の首輪をした狼のね」
「つまり~、件の大人しい狼と人喰い狼は同一個体であると、確定したのですね~?」
「そうなるね。んで、今度も桜華が撃退してくれたけど、狼は逃げる途中で肥溜めに落ちたみたい。翌朝森に行ってみると、やっぱり狼の姿は無かった」
「その日ですね~、汚穢塗れの狼が神社付近で見つかったのは~。そして、御二方と生明をお呼びしたのも~」
話す小町も聞く実稲も、徐々に渋い顔になっていく。事に依ったら私もそうかも。鏡を覗いて見てみたいような、見たくないような。
「うん。神社には、感染症に罹って苦しむ狼が居たね。怪我の位置からして、襲ってきた狼——だから森で見つけた狼に違いなかった。そして——」
小町は一瞬だけ言葉を切り、苦虫を噛み潰す。
「それと同時に、狼と同じく病気に罹って苦しんでいる人物が居た」
「そ、その人物というのは~」
実稲は小町に、今にも消え入りそうな声で問うた。とはいっても、彼女ももう結論を察しているだろうけど。
「人喰い狼に関わる一連の事件が狼憑きって現象だという前提で考えると、魔女の可能性が一番高いのは……茂雄さん——生明のお父さんだよ」
そこまで話したところで神馬神社へ到着。いったんその話は止め、祈祷殿にお邪魔して狼の様子を見る。
「狼君、頑張って」
近くにしゃがみ、声をかけた。念のため触れない方がいいという実稲の助言を受け、撫でてやりたい気持ちをぐっと堪えた。見た感じ、傷の具合は依然酷いまま。昨日より化膿が広がっているようにも見える。呼吸は少しましになっている気がして、ちょっとだけ安心できた。
「お待たせいたしました~」
いったん離れていた実稲が戻った。薬草のお茶みたいなものとご飯を持っている。彼女はそれを、彼の口の近くに置いた。
「お好きな時に召し上がれ~」
狼君は必死に尻尾を動かし、実稲にお礼をした……んだと思う。
三人で生明の家に戻ると、家の前で美里さんが昨日の生明よろしくうろうろしていた。まあ、落ち着けるわけがないよね。それと、彼女には言えない。旦那さん——茂雄さんが、魔女かもしれないよなんてことは、決して。
「あら、おかえりなさい。生明は畑に行ったの?」
「え? 生明は、家で知らせを待つって言って残ってたはずですよ」
美里さんは首を傾げた。
「そうなの? 巫女様や桜華ちゃん小町ちゃんと一緒に神社に行くと言って、だいぶ前に出て行ったわよ?」
気が変わって追いかけてきたって事?
「それって、いつ頃ですか?」
「あなたたちが家を出てすぐだったわ。数分も経っていなかったはずよ」
いや、おかしい。それなら神社かその道中で合流するはず。生明は嘘を吐いて家を出た。そうとしか思えない。
「もしかしたら、一人でお父さんを探しに行ったのかも……」
「そんな……。あの子ったら、何の手がかりも無いのに!」
それは違う。美里さんは知らないみたいだけど、生明は、この村の誰よりも多くの手がかりを、それも自力で見つけられるはずだよね。だって、動植物から情報を聞けるんだもん。
「生明はどうして一人で~?」
実稲が誰に対するわけでもなく、嘆くように疑問を呈した。生明……あなたもしかして、お父さんのこと気付いたの? ふと、彼女との記憶が脳裏に甦る。
——どうしても、確かめなきゃいけない事ができたんだ
——人喰い狼事件が人の仕業だったらさ。どうやって、終わらせればいいんだろうね
すごく、嫌な予感がする。一刻も早く生明を見つけないと。その心は分からないけど、謎の切迫感が私の背中を押してくる。
「とにかく、私たちは生明を探しに出ます。美里さんはお家で、続報を待っていてください」
「ええ、分かったわ。娘を、お願いね……!」
家から少し離れ、三人で打ち合わせを始めた。美里さんに大見栄をきった私だけど、何処を如何探せばいいのかなんて皆目見当もつかない。
「さっきの続きだけどさ」
小町が口を開く。ぐるっと見回し、周りに誰も居ないことを確認したのだろう。安心したような顔で続きを言い始めた。
「魔女——茂雄さんと仮定しておくけど、彼はどうして狼で人を殺してたんだろうね。しかも、豊穣神信仰の仲間ばっかり」
たった今、小町が挙げた疑問。私も彼女と同じく、その点だけが一寸も納得できない。仮に彼が狼を操る力を手に入れて事件を起こしていたとしても、動機が意味不明すぎるもん。
「あくまで可能性ですが~」
また話が膠着してしまう。そう思った折柄、実稲が心苦しそうに言った。私と小町の視線が、彼女に注がれる。
「彼はもしや、悪魔崇拝者なのでは~?」
「……え?」
「動機を見出すための、揣摩臆測ですが~」
私の思考が全部止まった。地面が割れて大穴が出現し、抵抗する術もなく落ちていく。そんな気分だ。茂雄さんが悪魔崇拝者。実稲のその言葉は、私の考えを支えていた柱を折ってしまったのだ。
「はは、そんなまさか。だってあの人は農家なんだよ? だったら普通、豊穣神を信仰するんじゃないの?」
小町が言った。私も同じ気持ちだ。農家それ即ち豊穣神信仰者であると、そう決めつけてものを考えていた。
「いや、小町。実稲の考え……一理あるかも」
「……どういう事?」
「私の記憶だけじゃ怪しいから、小町にも思い出してほしいんだけどさ」
彼女に説明しながら、私もこの村に来てからの出来事——就中、茂雄さんとのやり取りを中心に思い出す。
「小町はさ、茂雄さんの口から『俺は豊穣神信仰だよ』とか、『我らが豊穣神様』みたいな言葉を聞いた記憶はある?」
「……あれ、そういえば無いかも」
私の記憶は間違いじゃないっぽいね。そう、彼は自分が豊穣神信仰者だなんて一言も言っていない。ご飯の時とかに色々話したけど、そもそも彼の信仰について聞いた事は、一度も無かった。それなのに、農家だからってだけの理由で豊穣神信仰者だと決めつけていたんだ、私たちは。もちろん、悪魔崇拝者だとする根拠はない。だけど逆も然りって状況である以上、疑ってみる価値はある。
「そうだとすると~、狼の狙いが豊穣神信仰者ばかりである理由も見えてきますね~。それはつまり、熱心な豊穣神信仰者を消してしまい、勢力を削ごうとした~。そうすることで~、二つの信仰を対等に——事に依ったら、逆に悪魔で塗りつぶそうと画策した~。なんて動機が思いつきますね~?」
「そんな、そんなのって……」
憤る小町。そうだね、そんなことを赦すわけにはいかない。信仰は人の自由だから、そこに善し悪しは無い。豊穣神だろうが悪魔だろうが、好きなのを好きに信じたらいい。だけど、行為は別。人の行為に善し悪しはある。豊穣神を信じるのが悪いんじゃない。悪魔を信じるのが悪いんじゃない。相容れないものを力で滅しようとする、その行為が悪いんだ。私は、そう思う。それは何信仰なのかに依らない。
「信仰は信仰、殺しは殺し。信仰を悪行の盾にするなんて、それはもはや只の利用だよ」
ふと、「そういえば私も殺しをしようとしてるんだった」と思い出して恥ずかしくなる。迷った挙句、私には家族の仇討ちという大義名分があるんだと、自分自身に言い聞かせた。
「それからもう一つ」
私は二人——とりわけ小町に向かって前置きした。
「私たちが初めて狼君に襲われた次の日。夕方家に帰ると、城下町から帰った彼が居たよね?」
「うん、居た。刃物に気をつけろって、あたしらに言ったね」
「その時の彼の言動、もっと詳しく思い出してみてよ」
彼の怪我の具合を心配した生明。茂雄さんは微笑みながら、刃物の取り扱いについて警告した。それから襲撃事件の事を話題にして、壊された壁についてまたも笑いながら話した。
「私には、生明の心配をしていたようには見えないんだけど」
あの時、私が抱いた違和感の正体はこれだ。
「……確かに」
襲撃があった夜以来、生明と茂雄さんはあの時に初めて顔を合わせたはず。娘が人喰い狼に遭遇したんだから、普通はもっと大いに心配する……と思う。少なくとも、私らのお父さんなら、そうしてくれる。
「美里さんから生明の無事を聞いていたとは思うけど、言われてみれば、あっさりしすぎてたね」
「でしょ? まるで、娘の安全は心配してなかったみたい」
「畢竟、ご自身で生明を襲うことはないから~、何一つ心配しなかった、という事でしょうね~」
やっぱり感覚的な証拠でしかないけど……。
そんな話をしていると、ふと、遠くの方が騒々しいことに気付いた。茂雄さんが見つかったとか、そういう歓喜の声々ではない。何か叫んでいる。警告のようにも聞こえるその声は、やがてはっきりした言葉として、私の耳朶に届いた。
「そっちに狼が行ったぞ!」




