【十五】狼と魔女
小町と共に、再び城下町にやって来た。ここの景色を見ると勝手に骨董屋の店主を思い出してしまう。ああ、なんか腹立ってきた。……まあ今更怒ってもどうにもならないけどさ。しばらく整備された道を進み、私らは白い石造りの建物——教会とやらにやって来た。
「これ、入っていいの?」
大袈裟なくらい大きい木戸の前で、小町が不安そうに言った。そう言われると不安になってくる。
「……分かんない」
自信を失くした私は、恐る恐る扉を押した。きい、と古い金具が軋む音。徐々に教会の中が見えてくる。扉の先はそのまま真っすぐな道になっていて、奥へと続いている。その左右には長い椅子が奥を向く形で並べられていて、ちらほら座っている人が居た。彼らはみんな何かを祈っていて、信心深いんだなとわかる。高祠之国では信仰は廃れているはずだけど、こことあの村だけは例外だね。数歩足を踏み入れると、そこはもはや別世界だった。空気がきゅっと引き締まっていて、外では響き放題の喧騒がほとんど聞こえない。
「えっと、お目当ての人は……」
雰囲気に圧され、忍び声で呟いた。高いところにある硝子が、太陽光を赤だの青だの緑だのに変換している。よく見ると、色たちは絵になっていると分かる。きょろきょろと周りを見ながら歩いていると、不意に女性が話しかけてきた。……挙動不審過ぎたかな?
「何か、お困りでしょうか?」
その人の所作は、細かいところまで洗練された美しいものだった。一般人じゃないと確信できる。神社で言うところの、巫女さんみたいな人だろうね。
「人を探していまして。あの、悪魔祓いをしていた方なんですけど、こちらにいらっしゃいますか?」
「牧師、でしょうか?」
「ああそうです、その人です」
「ご案内いたします」
そう言い、彼女は扉を開けて奥の部屋へと向かった。ついて行った先には広い小部屋があり、ここで待つようにと促された。しばらく待機していると、部屋の扉が開いて豪華な装いの殿方が現れた。
「おや、あなた方は……。先日はどうも、お世話になりました」
そうそうこの人。あの日、町で暴れる男を宥めていた牧師さんだ。彼なら、村の人喰い狼事件について何か分かるかもしれない。そう考えて訪問したってわけ。
「こんにちは。あの、牧師さんに聞きたいことがあって」
こんな凄いところの人って事を考えると、初対面の時の接し方は間違い中の間違いだったかも。そう思えば思うほど、態度が不自然になりそうだ。
「聞きたいこと、ですか?」
部屋にある大きな机と大きな椅子。小町は隣に、彼は対面に座って話が始まる。まずは名前だけの自己紹介。次に、南の村で起きている狼事件について、現状で分かっていることを説明した。すると彼は「う~ん」と唸って何か考え、すぐに口を開いた。
「それは何と申しましょうか、狼憑きという現象と瓜二つですなぁ」
「狼憑き?」
「ええ。それについて話すにはまず、我等の歴史に刻まれた魔女というものについて話さなければなりません」
そう言うと彼は席を立ち、この部屋にある本棚のもとへ。そこから意味が分からないくらい分厚い本を持ってきて、ぱらぱらと捲った。やがて目的の部分を見つけたのか、私と小町が正対するように机に寝かせたまま見せてくれた。文字が細かすぎて頭が痛くなりそうだ。
「魔女とは言わば、悪魔と契約して怪しげな力を我が物とした人間の事を言います。ちなみに、それが男性でも呼び名は魔女です。えっと、魔女の所業は様々で、邪悪な霊を召喚したり、人を呪ったり……はたまたこの世の物ならざる薬を調合したり」
霊という言葉が出た瞬間、小町が袖を掴んできた。着物が開けるから、あんま引っ張らないでってば。
「その中の一つが、先ほど申し上げた狼憑きなのです」
なんだか御伽噺みたいだなと思いつつ、私は今、御伽噺みたいな事件と深く関わっているのだと実感した。
「その狼憑きっていうのは、どういう力なんですか?」
「桜華様が仰った通り、そしてその名の通り、狼に取り憑く力です。考察されている原理は様々で、魔女が狼に変身する、魔女の夢を元に悪魔が狼を操る、悪魔が空気から狼の姿を生み出して魔女に重ねる……などがありますね」
本当にあの狼君が錯乱してるだけじゃないとしたら、事件を起こしている犯人——便宜的に魔女って呼ぼうか。魔女は私たちや鬼、生明みたいな力の持ち主なんだろうね。今牧師さんが教えてくれたようなことを可能にする力、といったところだろうか。そう考えるのが妥当じゃないかな。
「昔の人々は、魔女は本当にそういう力を持っていると信じ恐れていました。それ故に、疑わしきは罰せよの精神で多くの人間——とりわけ女性が、無実の罪で処刑された……魔女狩りという歴史があります。現代では魔女など無いと思う人が大多数なので、魔女狩りはあくまで歴史上の悲惨な出来事の一つとなりましたが。おっと失礼、話が逸れてしまいましたね」
牧師さんは本に手をかけて一枚捲った。そこには、狼の絵が描かれている。
「ご存知の通り、狼憑きは厄介な力です。誰が実行しているのか分かりませんし、追及したとて証明は不可能に近いでしょう」
やっぱりそうなんだ。
「しかし、この世のあらゆる大きな力には、それ相応の代償が伴います。魔女の狼憑きとて例外ではありません」
「代償?」
「ええ。狼憑きを行うと、憑いた狼の状態が一部魔女にも共有されるのです。最たる例は怪我ですね。操作中に狼が怪我をした場合、操作していた魔女もまた、同じ場所に同じ怪我をするのです。前足なら腕、足なら足といった具合に」
なるほど、これは重要な手がかりかもしれない。
「それって、病もですか?」
「すぐに思い当たる記録は有りませんが、病の共有もあり得ない話ではないでしょう。まあそもそも、この魔女という概念自体、只の言いがかりだったわけですが」
かなりいい話を聞けたと思う。牧師さんに何度もお礼を言い、私らは教会を出た。すたすたと、走っていると言っても過言じゃない速度で村へ向かう。
「ちょっと桜華、そんなに急いでどうしたの?」
「ねえ小町。さっきの牧師さんの話、聞いたでしょ?」
「え? そりゃ聞いたけど……それがどうかしたの?」
「もしあの狼君が何者かに乗っ取られているなら……だからあれが狼憑きなら、一人、あの村に魔女候補が居るんじゃない?」
あの村には狼君を操る魔女が居る。そんな突飛な仮説が、そして魔女の正体に関する憶測が、牧師さんから聞いた話によって補強されてしまった。出来ることなら間違っていてほしい。そうでなきゃ、悪夢にもほどがある。
「魔女候補……? あっ、そ、それってまさか……!」
「うん。まだ確証は無いけどね。とにかく急ごう、小町」
もう日が傾いている。早く、早く村に帰らないと。
村に戻り生明の家の前まで来ると、二階から彼女の声が聞こえた。
「桜華ちゃん、小町ちゃん! 大変なの、部屋に来て!」
さっきまで生明を支配していた陰鬱な雰囲気は、狼狽が全部吹き飛ばしたように見える。図々しくも慣れ親しみ、我が家のような感じがしてきた玄関を潜る。階段を上り、二代目生明の部屋へ。
「生明、どうしたの?」
彼女は部屋の真ん中で、同じ場所をぐるぐると歩き回っている。別の意味で只事じゃない。
「あ、あのね。お父さんが、何処にも居ないの」
「……え?」
「わたしたちが神社に行っている間に、お母さんがお父さんの様子を見に部屋に行ったんだって。そしたら、その時にはもう……」
生明が早口で言った。茂雄さんが突如として失踪。聞くと、ご近所や仲のいい人が探しに出たみたいだ。生明は今、彼らからの報告をここで待っているらしい。
「これは大変な事になりましたね~」
そこへ不意に、実稲が合流。驚いていると、ここに居る訳を教えてくれた。
「人喰い狼を撃退できる桜華様がご不在である以上、あの子からは離れた方がいいと生明に助言を貰いまして~」
「い、一応ね。ほら、何が起きているのか解明できたわけじゃないし……」
そう言う事ね。確かに、近くに居るのは危険と言えば危険かもしれない。病気の事もあるし、それに……。
「あの子はまだ、神社で眠ってるの?」
「はい、大人しく眠っていますよ~」
夜になっても、茂雄さんは見つからなかった。いったい、どこへ行ってしまたのだろう。どうしても、彼に聞きたいことがあったのに……。
「生明」
私は実稲と小町を起こさないよう静かに、上体を起こして部屋の窓から外を見続ける彼女へ声をかけた。
「辛いと思うけど、休む時はしっかり休んだ方が良い。じゃないと、生明まで倒れちゃうよ」
「……ねえ、桜華ちゃん」
「うん?」
「もし万が一、人喰い狼事件が人の仕業だったらさ。どうやって、終わらせればいいんだろうね」
月に照らされた彼女の顔は、無だった。のっぺらぼうなのではない。目も鼻も耳も、口もそこにある。だけど、無だ。私には、今の彼女の顔はあるけど無いという、奇怪な状態に見えて仕方がなかった。
「生明……」
「あっごめん、変な事聞いて。教えに従って、もう寝よっかな。おやすみ、桜華ちゃん」
「うん。おやすみ、生明」
生明は微笑んだ。どう見ても、無理な作り笑いだった。生明が布団に入ったのを確認し、私も横になって目を瞑る。
風の音が狼君の遠吠えに聞こえる。あらゆる物音が狼君の足音に聞こえる。瞼の裏には、様々な彼が映った。かわいく尻尾を振る彼、獰猛な姿の彼、病に伏した不憫な彼。それらが順不同に、入れ代わり立ち代わり見える。疲れているのに眠れない。布団に潜って耳を塞ぎ、目を瞑り続けた。やがて、どれくらい時間が経ったのかも分からない頃、私はようやく夢の世界に片脚を突っ込んだ。落ちる直前私が見たのは、笑顔の殿方。やがて笑顔は曇っていき、終には顔が引き裂かれ、中から鬼みたいな角と天狗の羽をもつ鼻が高い化け物が現れた——。




