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【十三】絶望の再襲来

 翌日。茂雄さんは利き腕に力が入らないため農具を扱えず、仕事を休むことにしたらしい。まあ疲れもたまってるだろうから、こういう機会にでもゆっくり休むべきだよね。私らはいつものように畑を手伝い、午後は狼君のところに行ってご飯を与えた。食欲はあるし、怪我の具合も悪くない。御鏡の方は不調で、特に収穫は得られなかった。


 夜、布団に入って女子会兼反省会を開く。この日は半日無駄にした感じがあって嫌だったけど、そんなもの、まだ優しい方だった。


「きゃあああ、狼よ、人喰い狼が出たわ!」


 一階から響いてきた、二つの意味で私たちを絶望させる美里さんの悲鳴に比べれば、まだ。


「お母さん、大丈夫?!」


 生明が、廊下で腰を抜かした美里さんに駆け寄った。


「え、ええ、大丈夫よ。ありがとう生明」

「それで、狼はどこ?」

「そ、外に……」


 美里さんは怯えながら、玄関扉の方を指さした。耳を澄ますと、確かに四足歩行の足音が激しく鳴っているのが分かる。玄関の前で暴れまわっているのかな?


「桜華、壁の穴から覗いてみよう。ここじゃ、美里さんが危ない」

「だね。生明は、お母さんを安全なところにお願い」

「……う、うん!」


 彼女の返事を確認し、人喰い狼に壁を壊された例の部屋へ。小町の提案通り、穴から狼の様子を見る。やはり、暴れている。事に依ったら、玄関扉を壊そうとしているのかも。ただ、私たちの頭はそれどころじゃなかった。


「狼君の首を見て、小町」

「ん? ……うそ、あれって首輪?」

「っぽいよね。しかも、麻紐の」


 それは即ち、人喰い狼があの狼君であるという証明だ。しかもよく見ると、首輪のある辺りから出血が見られる。


「まさか、木に括った麻紐を無理やり引きちぎったってこと?」

「……そうだろうね。とりあえず、私は撃退に専念するよ」


 そう告げ、壁の穴から寒空の下に出た。今日は履物を履いているから、自由に動ける。


「狼君、狼君。ねえどうしちゃったの?」


 念のため呼びかけてみるが、彼はずっと私を威嚇している。血に塗れたその姿は、さながら紅白模様の狼に見えなくもない。よく見ると、麻紐の首輪が一部、首にめり込んでいるようだ。腕の傷も完治はしておらず、総括して痛々しい。


「狼君!」


 大口を開けて噛みついてくる彼。どうしよう、狼君とうかつに対話してしまったばかりに、情が出ちゃって攻撃できない。この前みたいに、容赦なく抜刀することは憚られる。


「桜華ちゃん、これ!」


 生明が玄関扉を開けて私に何か言っている。見ると、彼女は私に向かって傘を投げていた。なるほど、打撃ね。


「あんがと生明!」


 傘を受取って刀と同じように構えた。……まさか傘では出せないよね。そう思い、桜散火の姿勢をとる。光らない。火花を出したら追い払えるんじゃないかと思ったけど、駄目みたい。


「狼君、どうか落ち着いて! 私だよ、狼君!」


 問いかけも虚しく、彼は涎をまき散らしながら噛みついてくる。傘を噛ませて防ぎ、振り払う形で吹っ飛ばした。だけど彼は見事に着地し、またすぐに噛みついてくる。


「仕方ない……痛いけど、我慢してね!」


 傘に噛みつかせておいて、がら空きになったお腹に蹴りを食らわす。左の爪先が命中し、彼は「きゃいん」と泣いて口を離した。十歩くらい先まで地面を横っ腹で滑っていく。


「もう、いい加減に……!」


 彼は腹部の痛みに悶えながら立ち上がり、懲りずに走りこんでくる。これまでとは様子が違い、牙を剥いていない。それに、跳びもしない。まずい、突進だ。回避は間に合わないと判断。


「うぐっ」


 体重を乗せて胴体をぶつけるという単純明快な攻撃を、傘で受け止めることにした。だけど愚策だったかな、想像の何倍も重く、私の腕に衝撃が走った。冷静に考えてみると、彼の突進は家の壁を壊せるほどの威力。生身で受けるべき攻撃じゃない。


 それ以降は回避に専念し、向こうの攻撃の後隙に傘で叩くという戦法を採用した。思いのほか効果があったようだけど、しばらくやっているうちに最悪な事になった。


「嘘、傘が……!」


 折れた。この状況において頼もしい武器だったそれは、真ん中から見事なまでに真っ二つ。何度も噛みつかせたのが良くなかったのかも。


「桜華!」


 突然のことに呆けていた私。小町の絶叫が聞こえて前を向くと、獰猛な口が眼前に迫っていた。このままじゃ噛まれる。私は咄嗟に、折れた傘で狼君の下顎をかちあげた。相当痛かったようで、彼は泣いて下がった。


「おっとっと」


 無理な体勢でそうしたため、私は私で大きな隙を作ってしまう。追撃を受けるんじゃないかと警戒していたけど、幸い、それは無かった。いや、全く幸いじゃないかも。なんなら、私に追撃を仕掛けてくれた方が遥かに良かったかもしれない。狼君の標的が、変わったのだ。


「小町、そっちに!」


 警告した頃には、彼女は既に短刀を抜いていた。急いで姿勢を整えて援護に向かう。小町は今、いつの間にか外に出ていた生明を庇うので精一杯だ。狼が走りこむ。小町は短刀を構え、迎撃するつもりらしい。狼が跳んだ。小町がそうさせたのか、生明は後方に数歩下がっている。


「なっ!」


 不意も不意、狼は小町に噛みつくことはせず、すぐに着地。そうかと思うと、その場でこれはこれは見事な宙返りを披露した。彼は回りながら小町の腕を蹴り、短刀を落とさせたようだ。その隙を狙って、噛みつかんと再度跳躍する。


 ——まずい、このままじゃ小町がやられる!


 考えている暇は無い。私は反射的に刀の柄に手を持っていった。刀を抜く。横振で小町を巻き込まないよう、縦に構える。そして、これもまた反射的に叫んだ。


「——桜散火!」


 覚悟を決めて放った一撃により、狼君の攻撃は中断される。彼の右脇腹に大きな縦傷ができた。直後、桜吹雪が火花に変貌して狼君を遠くに吹っ飛ばした。


「小町、生明! 大丈夫?」

「ありがと、助かったよ」

「うん、わたしも大丈夫……。桜華ちゃんも、不思議な力を持ってるんだ」

「えへへ、まあね」


 桜散火を使わなきゃいけない状況なんて、本当は避けたいんだけど。そうしている間に、狼君は立ち上がったらしい。ただ、威嚇ばかりで攻撃をしてこない。今のが相当効いたと見える。対抗して、私も向こうをぎろっと睨む。


「あっ逃げた」


 狼君は身を翻し、足を引き摺りながら闇夜に紛れていく。追いかけたけど、さすが狼。そんな状態でも私らより早く走り、すぐに見えなくなった。諦めるしかないか……。そう思った瞬間、どこからか、「どぼん」という低い音が聞こえた。同時に、彼の悲鳴らしき声も響く。


「まだ近くに居るかも!」


 生明が言ったのを皮切りに、三人で周囲を探してみた。だけど、やはり姿はない。日中ならともかく、夜じゃ私たちの視界もかなり制限されるからね。


 結局狼君の捜索は諦め、美里さんの安全確保を優先した。その後で布団に入ったけど、興奮と不安と絶望と色々なものが入り混じっていて、なかなか寝付けなかった。狼君……。平生はあんなに大人しい子なのに、いったいどうしちゃったんだろう。

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