【十二】白き温和な獣
その日の仕事は午前中で切り上げて、早速調査を始めた。着替え、まずは確実に狼を見ているであろう証人……いや証物? 証葉? なんでもいいや。とにかく、目撃者に話を聞いてみる。生明の部屋の前に道があり、その近くに居る椿さんだ。
「椿さん。昨日の夜、狼を見なかった?」
生明が問う。私や小町には椿の声は聞こえないが、生明は頻りに「うん、うん」と相槌を打っている。やがて椿にお礼を言い、彼女は立ち上がった。
「椿さんはなんて?」
「えっとね、『狼は北東の方から走ってきた』だって。とても正気とは思えない顔だったらしいよ」
「そういえば北東には行った事ないかも。何があるの?」
「う~ん、何もないかな。森だけだよ」
狼を探すという目的においては、森しかない場所というのは都合がいい。それに、森なら証言してくれる動植物が無数にいるし。
北東に向かってしばらく歩いた。狼を見たという植物たちの情報を追いながら進むと、やっぱり森の方へ近付いていく。
「今度は、そこの山茶花さんに聞いてみるね」
「うん、お願い。小町、私たちは一応、畑の人たちに聞いてみよう」
「はいよ」
小町と二手に分かれ、畑仕事をしているおじさんに話を聞いてみる。
「お仕事中ごめんなさい」
「ん? ああ、茂雄のところに居るお嬢ちゃんか。どうしたんだい?」
「えっと、私たち」
私たちと言いながら、私は少し離れたところで各々調査する小町と生明を示した。
「人喰い狼を探しているんです」
「人喰い狼って、あの人喰い狼か? ああ、そういや茂雄の家が襲われたって聞いたぜ。お嬢ちゃんたちは大丈夫だったんか?」
「ええ、全員無事ですよ。怪我一つ無く」
そういうと、おじさんは安堵の溜息を吐いた。
「んで、またどうして狼なんて探してんだ? あいつが現れるようになってもう一年、だ~れも獰猛な狼なんて見つけられてねぇんだ。相当難しい探し物だと思うぜ?」
「理由はまあ……色々あって。昨晩襲撃されたときに、狼の腕に傷をつけたので、それが目印になるはずです」
狼を撃退したことに驚いたのか、彼は目を丸くした。
「そうそう、人喰い狼をご覧になったことはありますか?」
「いいや、俺は見たことないな。見たくもねえ。話がどんどんでかくなるだろ? 怖くてたまらねえや。そんでも、俺たちにゃ豊穣神様がついてんだ、どうにかなるさ」
豊穣神信仰とは名ばかりで、もはや祈れるなら何でもいい。そんな雰囲気を感じる。いや、それはちょっと違うかもしれない。より正確に言うと、豊穣神に、豊穣の恵み以外の多大な恩寵も期待している、って感じ。
「そうですか。お仕事の邪魔してすみません、失礼します」
「おう。気ぃつけなよ。お嬢ちゃんたちに豊穣神様のご加護がありますように」
「はい、ありがとうございます」
おじさんと別れて振り向くと、山茶花のところに二人が集まっていた。私はそこへ、駆け足で向かう。
「お待たせ。どうだった?」
聞くと、小町の方は収穫が無かったらしい。彼女に続いて私も収穫無しを報告し、いよいよ生明の番。
「この山茶花さんは、『怖い顔をした狼がここを通ったな。東の方から来た気がするぜぃ!』って言ってたよ」
「へえ。そいつ、そんな友好的な奴なんだ。あんがとね、山茶花」
「えっと、『誰だお前。馴れ馴れしくすんな』って……」
「てめ、引っこ抜いてやろうか?」
まあまあと宥められ、今度は東へ向かう。村の田園風景は徐々に薄まり、自然味が増していく。やがて村と森の境目と言える場所まで来た。
「次はこの子に」
そう言った生明は、太めの木に手を当てて話を聞き始めた。この子って言うか、信じられないくらい年上だと思うけど、その方。
「『昨晩、熱り立つ狼が森を出て行った』だって。あの個体について知ってるみたい」
やるじゃん、木。
「『平生は大人しい子だが、あれは時折変貌する』……。木さん、その子が変貌するようになったのは、いつ頃から?」
生明に動植物と会話できる力があると知らなかったら、この光景はとびきり奇妙に感じられたかもしれない。
「『前回、梅が咲き誇っていた時期』って、この方は言ってるよ」
「ってことは、だいたい一年前だね。あたしの記憶が正しければ、人喰い狼も一年くらい前から出始めたって話だよね?」
「うん、その通りだよ小町ちゃん」
さっきのおじさんも、「一年」って言っていた。それと木の話によると、人喰い狼は普段は大人しい子だそう。なるほど、獰猛な狼なんていくら探しても見つからないわけだ。端から、村にそんな狼はいないんだもんね。
「木は、狼の巣がある場所を知ってるのかな?」
「ううん、知らないって。ほら、木はここから動けないし……」
「ああ、そっか」
私はいつの間にか、木を人と同じように思ってた。
生明の案内に従って森を歩いていると、せせらぎが聞こえ始めた。そして、その辺にちょこんと座る白い何か——狼がいた。白と灰と茶色の混ざった毛皮で微かな日光を反射。虚ろなおめめで私らを見ながら、右前足にある縦一文字の傷をぺろぺろと繰り返し舐めている。
「桜華、あの傷……」
「うん、間違いない。昨日の晩、襲ってきた狼だよ」
念のため警戒し、刀の柄を握り鯉口を切ったまま近づく。だけど狼は私たちの想像とは真逆に、だから襲い掛かってくる気配もそんなつもりも無しに、ずっと傷を舐め続けている。
「ねえ君、一人——一匹?」
生明は光りながら狼に問いかけた。狼は「くぅん」と一回鳴く。かなり近づいても、まだ大人しい。昨晩の獰猛な狼と同じ個体とは、とても思えない。
「ここには、彼しか居ないみたい。群れを離れた一匹狼らしいよ」
へえ、男の子なんだ。さらに近づいたけど、やっぱり暴れる様子は無い。安全だと判断し、三人で彼の前にしゃがんだ。
「狼さん。昨日の夜、何をしていたか覚えてる?」
生明が問いかけて少しすると、狼は今度も小さく鳴いた。
「『覚えていない。最近、時々意識を失うことがあって、昨晩もそうだった。気が付いたらここでこうしていた』って言ってるよ」
「じゃあ、私たちを襲った時の状態——仮に人喰い狼としての彼が錯乱状態だとして、その間は記憶が無いってこと?」
「そうみたい。えっとね、狼さん。とても言い難いんだけど、君は時々錯乱して、人を襲っているの。その傷は、人が君に抵抗したときにできたものよ」
狼は鳴いた——泣いた。
「『すごく申し訳ない』って」
「狼君……」
彼のことが可哀想になり、私は手で毛並みを整えるようにして撫でた。そうしながら、昨日のことを謝る。
「その傷、私が斬っちゃったの。ごめんね。痛かったよね……?」
「この子……『錯乱した僕を止めてくれてありがとう』って、桜華ちゃんにお礼を言ってる」
まさかの言葉に、目頭が熱くなってきた。なんて素直で、なんていい子なんだろう。
「……本当は、優しい子なんだね」
身体を愛撫していた手を彼の頭に移し、いい子いい子してやる。すると「はっはっ」を息を荒くし、尻尾を振った。顔もどこか笑っているように見える。
「狼さん、ごめん」
生明は彼に謝りながら、長い麻紐を取り出した。
「首輪をつけさせてもらうね。これ以上、君が人を傷つけないように」
楽しそうにしていた彼は、また悲しげな声で鳴いた。生明の言葉は通じているはずだが、それでも抵抗を見せない。生明は狼に首輪をつけ、もう一本の麻紐で首輪と近くの木とを固く結んだ。
「ご飯は毎日持ってくるから、安心してね」
そういい、生明はお昼の時に残していたらしいおにぎりを一つ、彼にあげた。狼はそれを、また尻尾を振りながら嬉しそうに食べている。
「よし。じゃあ、またね」
生明は狼に今日の別れを告げた。それを合図に私らも立ち上がり、彼に手を振る。ふふ、その尻尾は、手を振り返してくれているつもりなのかな?
森から出て、今日はもう帰ることにした。その道中のこと。
「どう? 生明が知りたがってた事は知れた?」
「ううん、駄目だった。あの子は、暴走中の記憶を持っていない。だから、過去の人喰い事件のことも、一つも覚えてない。わたしが知りたいことは、素の彼は知らないみたい……」
「ちょっと疑問があるんだけどさ」
小町が言う。
「いくら錯乱してたとは言え、一年もある中で一瞬たりとも覚えてないことなんてあるのかな?」
「……確かに、不思議ではあるよね。暴れているとき、彼は確実に目で見て動いてるはずだもん」
「でしょ?」
「でも、彼は確実に覚えていないよ。嘘偽りなくね」
自信満々に言う生明。「その心は?」と問うような目を向けた小町に説明するべく、生明は続きを言った。
「色々な動植物と心を通わせて、一つ分かったことがあるの。それは……平気で嘘を吐くのは、人間だけってこと」
「そっか……」
しばらく沈黙した。珍しく私が黙っていたのは、思考が止まったからじゃない。むしろ、必死に思い出していたからだ。あの時、城下町で暴れていた男に関する記憶をね。それで一つ、気付いたことがある。やっぱり、私の考え過ぎじゃなさそうだな……。
「ねえ小町。狼君の記憶の件さ、城下町の男に似てない? 我を失って暴れて、いざ正気に戻ったら覚えてない。私には、全く同じ出来事に思えるんだけど。原因が同じかまでは、分からないけどさ」
「確かに、言われてみればそうかも……っていうか、そうじゃん。全く同じだよ、あれと」
小町も納得してくれたようだから、生明にも分かるように話そう。
「ねえ生明。もし仮に、何者かによって意識を乗っ取られてたとしたらどうかな?」
「え、なになに? 意識を乗っ取られる?」
なにを突飛なことを……と言いたげな顔の生明。まあ分かるよ。私自身、意味の解らないことを言ってる自覚はあるから。
「私たち、この村に来る前に、城下町で刀を持って暴れてる男を見たの。ちょうど昨晩の狼君みたいに目が血走って、涎を垂らしてね。勿論彼は防人の世話になったんだけど、大人しくなった彼は必死に『そんなの知らない』って泣きながら訴えてたんだよ」
暴れていた時の彼とその後の彼が、同一人物だとは思えない。それは、私がさっき大人しい狼君に抱いた印象と寸分違わない。
「その男の人も、何かに意識を乗っ取られてたってこと?」
「その人を止めようと頑張ってた人が言うには——私が言ってるんじゃないよ? あくまでその人が言うにはだけど……彼がおかしくなったのは、悪魔の仕業だって」
「あ、悪魔……?!」
「まだそうと決まったわけじゃないけど、狼君の件と似てるとは思わない? それにほら、この村には悪魔が居るわけだし」
問うと、生明は何やら深く考え込んだ。家に着くまで三人で議論を続けたけど、結局、明確で納得しうる答えは出せなかった。
家に着くと、茂雄さんが城下町から戻っていた。お目当ての傷薬と、その他諸々を買ってきたようだ。
「お父さん、怪我はもう大丈夫なの?」
生明が心配そうに聞いた。茂雄さんは笑いながら、お気に入りの柄の布を巻いた右腕を擦って言う。
「ああ。ちょっと腕を刃物で切っちゃっただけだよ」
「もう、気を付けてよ」
「はは、すまないすまない。それより生明、それから桜華ちゃんに小町ちゃんも。昨晩は大変だったな、驚いただろう?」
その話題が出た途端、生明は何も言わず俯いてしまった。人喰い狼は封じました……と、事実の公表はしないという意図がありそうだ。それを察し、私も小町も誤魔化す。
「はい、吃驚しましたよ。私、思わず飛び上がっちゃって」
「えっと……あたし壁が壊されるところを見たんですけど……」
「ああ、壁の心配は要らないよ。明後日、修理してもらうことになってるから」
茂雄さんは笑顔でそう語る。やれやれ一安心、といった雰囲気だ。だけど何だか、何だか違和感がある。気のせいかな……。




