【十一】心を通わせる力
翌る日。朝起きて一階に降りると、茂雄さんが居ないとのことだった。彼の不在を教えてくれたのは、美里さんだ。
「朝から城下町に?」
「そうなのよ。なんでも、朝早くに農具で怪我をしたらしいの。運悪くちょうど薬がきれていてね、城下町に買いに行ったわ。ご近所で借りればいいと言ったのだけど、備蓄が無いと今後困るからって聞かなくて」
聞くところによると、この村には薬屋が無いらしい。もちろん薬草の知識を持っている人は居るけど、それとちゃんとした傷薬とじゃ、効果の程が違うもんね。それは私も、薬袋にもらった薬で実感してる。ここでは薬が欲しい時は、旅商人が通るのを待つか、茂雄さんみたいに城下町に行くしかないんだって。
「桜華ちゃんと小町ちゃんは、今日も畑を手伝ってくれるの?」
「はい」
「そう。あの人からは何の伝言ももらってないのよね……じゃあ生明。今日は、お二人にあなたの分を手伝ってもらってちょうだい」
「うん、分かった」
生明は元気がない。単なる寝不足……ってわけではなさそうだ。まだ昨晩と同じ顔をしている。
お昼になった。いつも通りに三人で集まり、ご飯を食べる。太陽が南に登る時間になってもまだ、生明は暗いままだ。
「生明、大丈夫? 辛いなら、無理せず休んだほうが良いよ。畑のことは気にしないで、私らが代わりに作業するから」
「えっ、ううん! 大丈夫、全然問題ないよ!」
「そ、そう……?」
言葉ではそう言っているし、声の調子もいつも通りだ。でも、顔はやっぱり昨晩のまま。すなわち、この快活は空元気だ。私には分かる。根拠は単純明快で、初対面の薬袋や、失踪直前の亡き京都と同じだからだ。今の生明の真情は分からないけど、十中八九、九分九厘、いや十割、確実に良い状態ではない。
彼女の様子を見ながら、小町と今日の予定について打ち合わせをした。とりあえず現状の進捗をまとめると、こう。
「村長さんの資料も見た。神馬神社で実稲の話も聞いた。それでも悪魔崇拝、ないし神の御鏡の在り処——つまり悪魔崇拝の拠点については、全く分かってない」
「で、関係性は全く不明だけど、昨日の夜、人喰い狼の襲撃を受けた、と」
「どうしようもないね、こりゃ」
やれることはやり尽くした。そんな感じがする。鏡の捜索に関しては、もはや打つ手無しだ。さて、どうしたものか。いよいよ詰みか。そう思っていた時、意外にも——今日の状態では、だけど——生明が口を開いた。というか、唐突に頼み事をしてきた。
「ねえ、二人とも。ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「うん、もちろん聞くよ」
「あたしらで良ければ」
即了承すると、生明は「ありがとう」と泣いて袖で目を拭った。
「あのね……わたしと一緒に、人喰い狼について調べてほしいの」
「え?」
意外な内容で吃驚した。てっきり、怖くて思い出したくもないって感じだと思ってたけど……。
「えっと……昨日、狼が来る直前に話してたこと、覚えてる?」
そういえばあの話、それどころじゃなくなって終わっちゃったんだったね。私は周りをよく確認し、その上、小声で言った。
「うん。生明は無神論者って話だよね?」
「そうそう。その話の続きなんだけど……無神論者になったのは、つい先月のことなんだ。それまでは、普通に豊穣神信仰者だったの。一応、農家の娘だしね」
思想が変わったのは、驚くほど最近のことらしい。何を経験してそうなったんだろうと、彼女の話に聞き耳を立てる。
「えっと、後生だから引かないでね……?」
すると突然、生明の体が淡い光に包まれ始めた。ああ、同じだ。私の桜散火や小町の梅雪風と、まったく同様の現象が生明に起きている。彼女はそのまま話を続けた。
「わたしね、先月くらいから、植物や動物たちの心が分かるようになったの」
「……じゃあ、それがきっかけで無神論者に?」
「そう。ああ、安心して。この力は、人間には使えないから」
私は別に、読まれて困るようなこと考えてないけどさ。
「う~ん、例えば——」
彼女の光が強くなった。陽光の下にあってもなお、明るく感じるほどに。
「桜華ちゃんのお尻の下に居る葉っぱさんは、『ぐえ、早く退いてくれ~』って言ってるよ」
「葉っぱ?」
立ち上がり、一瞬前まで座っていた場所を確認する。確かに葉っぱが一枚在った——いや、いらっしゃった。私はそれを手に取り、穴が開くほどまじまじと見る。
「『なんだ、何見てんだよっ』だって」
生明が再度葉っぱの心を代弁した。彼だか彼女だか分からないけど、私は葉っぱを睨んで言う。
「はあ? お前、何が退いてくれだよ。この上ない至福の時間だっただろうが、ええ? むしろ感謝してほしいくらいだね」
「葉っぱにまであんた……」
「ふふっ」
巫山戯る私に、生明はやっと笑ってくれた。話の続きを聞くため、私はその場に座り直す。
「心が分かるってことの証明はできないけど……」
「大丈夫。信じるよ、私たちは」
「うんうん」
「ありがとう、二人とも……!」
生明はまた、袖で涙を拭いた。
「それでね、わたしは自然の子たちから教えてもらったの。豊穣は、神の恵みでも御情けでもないよ、って。その年の気候とか、土の状態とか、種の質とか、そういう自然の条件が豊穣と不作に大きく関わるんだよってね」
なるほどね。どうりで、この村の信仰について俯瞰してるわけだ。
「それで悟っちゃったんだ、神様は人が創るものだって。えへへ、こう考えるほうが農家としてよっぽど健全でしょ?」
「確かにね」
将来、生明が両親から独立して自分の土地を持ったら、彼女の畑はその他に対して無双状態になるんじゃないかな……。誰も勝てやしないでしょ、命運を天に任せているうちは。
「ああごめん、話が逸れちゃった。えっと……昨日の夜、せっかくの機会だから狼の心を覗いてみたんだ、桜華ちゃんが戦ってくれてる間に。そしたらその……どうしても、確かめなきゃいけない事ができたの」
「確かめなきゃいけない事?」
「あっ、そ、それは……」
彼女は視線を落とし、言うか言わないか迷っている様子だった。とても悲しげで、さっきまでの憔悴が再臨したかのような顔だ。
「ううん、言うのが辛ければ秘密でもいいよ。よ~し、じゃあこれから私らは、人喰い狼の調査を軸に据えよう!」
「だね。狼と村の信仰にも、接点が無いわけじゃないし」
狼が襲うのは豊穣神信仰者ばかりという事実。——昨晩は例外だけど。今までは調べようが無く、偶然としか考えられなかった。だけど、生明の力があれば百人力——いや、万人力だよね。
「ありがとう、ありがとう! 桜華ちゃん、小町ちゃん。改めてよろしくね!」
「うん、よろしく」
「よろしく」
私たち三人は、畑の隅っこで円陣を組んだ。人喰い狼調査団、ここに爆誕だ。




