【九】主観で語られた歴史
「実稲。さっそくだけど、いくつか聞いてもいい?」
「はい、私に分かることであれば、お答えしますよ~」
「差し当たって、まずは村の信仰について聞きたいな。二派に分かれて睨み合ってるってところまでは、生明が教えてくれたけど」
「構いませんよ~。前提となる部分はご存じのようですから~、う~んと、では、神社の壁画をご覧いただきましょうか~」
「壁画?」
「こちらです~」
実稲は手で境内の奥を示し、歩き始めた。小町とともに彼女を追う。拝殿の左側から回り込み、いくつかの小さい祠を横目に見ながら進んだ。その先にも神社の一部である建物があり、その中にお邪魔した。行灯で薄く照らされた室内は、どこか懐かしい。
「こちらが壁画です~」
廊下を少し歩き、足を止めて言った。確かに、壁に大きな絵がある。
「うわ、すっごい古そう……」
「かつてこの地にまだ村が無かった頃~、集った農家たちが豊穣神を崇め奉るために~、ここに絵を描いたそうですよ~。もう何百年も昔の話ですね~」
昨日調べた村の成り立ちと矛盾しない。信憑性があるといっていいかもね。
「これって、豊穣神の絵?」
小町が壁を見て言った。黄金の後光を放ち稲穂を手に持った高尚な女性——女神様と、彼女に祈るように正座して拝む人々の姿が描かれている。
「小町様、ご明察です~。こちらは我らが豊穣神と、その信者たちの絵ですよ~」
よく残ってるなと感心しながら鑑賞していて、気付いたことがある。よおく見るまでもなく、違和感があるのだ。それは豊穣神の左隣。彼女の頭頂から足先までと同じ高さで、なにやら削られたような痕がある。そこだけ異常に劣化しているというか、何というか……。
「巫女さ——実稲、この不自然な痕は何?」
「これは……私にも分からないんです~。昔、私も気になって先代巫女に聞いたのですが、彼女も分からないと~」
分からない、か。やっぱり小町の考察通り、信仰に関する何かが意図的に隠されている感じがする。いや、実稲も知らないってことを考慮すると、もはや何か重要な歴史が失われたと言ったほうが正しいかもしれない。
「こちらが次の絵です~。これは比較的新しいものですよ~。詳細に何年前かは不明ですが~少なくとも、悪魔崇拝が出現して以降に描かれています~」
さっきの絵のすぐ隣。今度は何やら、不穏というか不気味というか、とにかく怖い絵だった。さっきの絵にも居た豊穣神が、牡山羊に襲われそうになっている。攻撃されていると捉えられるね。
「こちらは、豊穣神が悪魔の攻撃を受けたという言い伝えを絵にしたものです~」
やっぱそういう絵だよね。だとすると、これは昨日調べたことと矛盾する。
「実稲。昨日ね、私たち村長さんのお宅にお邪魔して、この村の伝承を調べたんだ。ね、小町」
「うん。でも、その中に悪魔崇拝がどこから出てきたのか、ましてや、豊穣神信仰が攻撃を受けたって記載はどこにも無かったんだよ」
「う~ん。この絵は豊穣神信仰者の主観が強いので~、実際に攻撃されたか否かはさておき~、どこからか現れた悪魔崇拝への恐怖心が、強く反映されているのかもしれませんね~」
そう考えると、一応筋は通ってるのか。歴史は得てして、伝える側の主観によって誇張されるものだからね。ってな感じで実稲の言う理屈は理解できたけど、どうも釈然としない。やっぱり悪魔崇拝の出所が分からないと、どうしても一欠片足りない感じがする。
「そしてこちらが~、そちらの絵の続きです~」
「わあ、戦ってる……」
さっきの絵よりも戦い感が激しい。豊穣神を守るように人間の軍勢が牡山羊に立ち向かっている。武器は刀だったり、農具だったりしている。対する牡山羊も無防備ではない。手足のある魚、でかすぎて気持ち悪い虫、鬼みたいな角と天狗の羽をもつ鼻が高い化け物。それを見てちょっと気付いたことがある。
「悪魔側には、人間がいないね? なんか化け物ばっかり」
「はい、この絵が描かれた当時の人たちは~、悪魔を崇拝する人は悪魔そのものであり、人に非ずと考えていたようです~。この絵はその思想の表れでしょうね~」
ああ、そっか。生明から聞いた話だと、悪魔崇拝には迫害の歴史があるって言ってたっけ。
「『当時の人たちは』ってことは、今は違うんだ?」
小町が聞いた。
「今の人たちは~さすがにそこまで過激な思想は持っていませんね~。人によるとは思いますが~」
「それでも、二派は憎しみ合ってるんでしょ?」
小町の声には哀れみが感じられる。
「そうですね~。かく言う私も~、恨めしいというほどではないですが、神社への悪戯はやめてほしいと思います~」
互いが互いを憎む二つの勢力が、この村という一つの地域で犇めき合っている。それならなぜ……と、私は疑問を抱いた。
「そんなにお互いが嫌なら、別の土地に移り住めばいいんじゃないの? そうすればお互い平和じゃない? ここに拘るのはどうして?」
「第一に~、ここは農業に適した土地なので離れられないという理由がありますね~。それから第二に~、ここは両者にとって聖地なので~」
「聖地?」
「そうなんです~。豊穣神の祝福を受けたのもこの地で~、悪魔の祝福を受けたのもこの地と言われています~。ですから~両者ともここを離れないんですね~」
二派ともここが聖地だから、例えいがみ合おうとも住み続ける……。神様に救いを求めて信仰してるのに、これじゃ本末転倒なんじゃないの……? まあ、特に何も信仰してない私がいう事じゃないと思うけど。
「壁画はこれで以上ですよ~」
「ありがとう、実稲。今度はそうだな……じゃあ、御鏡についての情報はある?」
「神の御鏡ですか~? はい、多少なりとも~。では、拝殿に参りましょうか~」
踵を返して拝殿に向かう。歩きながら御鏡について聞いてみることにした。
「そもそもなんだけど、神の御鏡って何なの?」
「神の御鏡は~、かつて豊穣神が用いた道具のうちの~化粧道具の一つと言われています~」
「化粧道具……?」
「桜華、神の化粧道具ってことは」
「だね」
化粧道具の鏡って事は、映るのは主に顔だよね。きっと小町も思い出したのだろう。つまり、ここで骨董屋が言っていた八咫鏡はその昔、神の御顔を映したという情報が生きてくる。神の御鏡、それ即ち八咫鏡である可能性が高まってきたね。
やがて拝殿へ。八岐神社よろしく、椅子が一寸のずれもなく並べられている。絢爛な祭壇もあり、また懐かしくなった。
「こちらで少々お待ちくださいね~」
そういうと、実稲は木の扉を開けて奥へ。その間に祭壇を拝見する。祀られているのは鏡だ。正面から覗いてみると、この世のものとは思えないほどかわいい顔が映った。片目瞬きなんてしてみる。えっやば惚れそう。
「お待たせしました~」
数分も経たずに戻ってきた実稲は、何やら木箱を持っている。それを左角の椅子の上に置き、蓋を開けた。箱の中身は更なる箱で、そっちは煌々と輝く黒いもの。これ自体も国宝級のお宝なんじゃないかと思ってしまう。
「これは、豊穣神が愛用したとされる化粧道具入れです~」
黒光りする蓋を開けながら言った。彼女は箱に直接手を触れず、白い手拭いを挟んで触れていた。神馬神社にとって……豊穣神信仰者にとって、余程大切なものなのだろう。
「確かに化粧道具だね。紅猪口とか、刷毛とか」
箱の中を見た小町が納得したように言う。
「でもこの箱、すっからかんだね」
違和感を抱き、私はそう呟いた。言葉通り、箱の中はほとんど空いている。こんな大きさの箱を使う意味が分からないくらいにはね。
「そうなんです~。実はかつて、ここに神の御鏡も入れられていたんですよ~。御鏡はのちに豊穣神の象徴となり、祭壇に御神体として飾られました~」
「ちょっと待って。じゃあ、あれが神の御鏡ってこと?」
祭壇を示しながら実稲に聞いてみた。そう、さっき美神の姿を映したばかりの鏡だ。今も神馬神社の祭壇に御座すそれが、私たちの探し物ってこと?
「あちらは、神の御鏡の贋作です~。本物は失われていて行方不明なので~」
そっか。生明の話——すなわち実稲の話では、御鏡は悪魔崇拝者が持っているって噂なんだよね。それもそれで、やっぱり妙な話だ。
「悪魔崇拝者は、どうして神の御鏡を持ってるんだろう?」
「神社に伝わっているお話ですと~、彼らは御鏡を強奪する際、『返せ、返せ』と呪文のように唱えていたようですよ~」
返せ。つまり、御鏡の返還を要求した? 悪魔崇拝者が返還を求めるってことは、御鏡は本来、悪魔の持ち物ってことになるけど……。
「こちらは、神の御鏡に関して記録されている巻物です~。比較的最近、私が巫女に就任してから神社で見つかった記録ですよ~」
彼女は床にそれを広げた。
「確かに、豊穣神の持ち物って書いてあるね」
文だけじゃない。記録には神の御鏡の模写も載っていて、鏡の裏面に大きく、判子みたいに丸の中に「豊」と書いてある。この記録がまるっきり嘘っていう元も子もない状態じゃない限り、やっぱり御鏡は豊穣神のもののはずだ。
「話をまとめると~、神の御鏡は確かに、ここの祭壇に祀られていました~。記録からして、間違いなく豊穣神の持ち物ですが、どうしてか返還を願う悪魔崇拝者に強奪され~、その後は行方不明となっています~」
悪魔、豊穣神。悪魔、豊穣神。もう頭がこんがらがって何も考えられない。思考が固まってきちゃってる。
「それはそうとさ」
理解不能な情報の荒波に困惑する中、小町が口を開く。
「悪魔崇拝者の拠点は無いの? 豊穣神信仰の拠点としてここが在るみたいにさ。御鏡が奪われたなら、そこにあると思うんだけど」
「彼らの拠点は~もう無いか、または隠されているんです~。昔は大きな祠があったようですが~、迫害の歴史の中で~、過激な人たちによって焼かれたと言われています~」
「そ、そうなんだ……」
生明が語ったように、やはり実稲でもそれは分からないらしい。小町は慨嘆したような顔をした。敵対する信仰を弾圧するために拠点を焼くなんて、さすがに酷すぎる。そんな行為、過激の一言で済ませていいのかな……。
「私の個人的な見解ですが~、信仰がある以上~、何かしらの御祈りをする場所が必要なはずです~」
そうだね。この神社然り、城下町にある枇杷の建物然り。どんな形であれ、同胞が集まって思想を共にする場所があると考えたほうが、自然な気がする。
「村のどこかには~密かに集まる場所があるかもしれませんね~」
それからいくつか質問をしたところで、もう夕方であることに気が付いた。今日も早めに帰ろう。
「今日はあんがとね、実稲」
「ありがと、助かったよ」
「いえいえ~。また何か気になることがありましたら、いつでも神馬神社にお越しくださいね~」
「あっごめん、最後にもう一個だけいい?」
「はい、大丈夫ですよ~」
「来た時から気になってたんだけど、この魚みたいな臭いは何?」
「あら、お気づきですか~?」
彼女は「ふふっ」と笑い、教えてくれた。
「悪魔除けの煙ですよ~。魚の心臓と肝臓、それから胆嚢をお香の煙で燻したものです~」
「そ、そうなんだ。教えてくれてあんがと……」
想像を遥かに上回る答えで、聞いたことを若干後悔した。実稲に手を振り、鳥居を潜った。見回りの人にも手を振って生明の家に帰る。色々と聞いても、謎は増える一方。まだまだ分からないことばかり。でも、決して混沌ではない。結局のところ、ほとんどの謎の根幹は只一つ。悪魔崇拝はどこから現れた何なのか。これに尽きる。それさえ分かれば答えにぐっと近づく気がするんだよね。
逆に、一寸たりとも意味が分からないのが人喰い狼の件だ。あれだけは、村の裏に潜む闇との関係性がほとんどない。本当にたまたま起きているだけの現象って可能性も……。そういう性格の狼だとか、何かしらの理由で正気じゃないとか。
「正気じゃない、か……」
頭の中に、いつか聞いた牧師さんの声が響く。
——その方は正気ではないのです!
正気を失って暴挙に出る……錯乱.…………悪魔。
「桜華? なんか言った?」
「あっううん、なんでもない」
考えすぎだよね。悪魔に取り憑かれるなんて、そんな馬鹿げた話があるわけないもん。神話や御伽噺じゃあるまいし。豊穣神信仰者ばかりが狼の被害を受けるのも、きっと偶然だ。そうに決まってる。




