【五】人喰い狼の出る村
城下町から南に向かって歩いていると、村に入った。さっきまでいた場所とは、真逆みたいな景色が広がっている。つまり田園風景ってやつだ。沈みゆく夕日とそれとが相まって、現実じゃないのかと錯覚するような、幻想的な雰囲気が生み出されている。
「……なんか、人っ子一人居なくない?」
小町が気味悪そうに言った途端、わおーんと、犬だか狼だかの遠吠えが響いた。それに慄いたのか、彼女は身体をびくっと震わせたかと思うと、一歩私の方に近づいてきた。跳ぶようにね。
「そりゃ、もう暗くなるし」
「まあそうだけど……ついさっきまで都会を見てたから、感覚が麻痺ってるのかな」
もうしばらく歩いていると、完全に日が落ちた。もし家々の明かりが無ければ、まったき闇である。小町がさっきよりも更に一歩近いところに来ている気がする。と、そんな時のこと。
「あ、あなたたち!」
どこからか女の子の声が聞こえてきた。正確には判らないけど、同い年くらいの感じだ。右の家の方から聞こえた気がしたのでそっちを見ると、少女が私らめがけて走ってきていた。伸ばしたら肩までありそうな茶髪を、左に集めて結んでいる。それと藍染らしき着物を揺らしながらかなり狼狽した様子で走るから、時折転びそうになっている。
「こ、こんな時間に外を歩いてたら危ないよ、とりあえずついてきて!」
「え? ああ、ちょっと!」
目の前まで来た彼女は、私たちの手を否応なしに引いた。
「なに、なんなの?」
小町も混乱している。やがて玄関扉を乱雑に開け、私と小町の背中を押して家に入れた。そうかと思うと、今度は乱雑に扉を閉めた。何が起きているのか一寸たりとも理解ができない。なんだろう、たった今、誘拐でもされたのだろうか。
「危なかったぁ……」
誘拐犯の少女は、肩で息をしながら両手を膝頭について言った。安心してるところ悪いんだけど、とりあえず状況を説明してほしいかも。っていうか、してほしい。
「えっと、ごめん。私ら、入っちゃいけないところに入ったとか? ごめんなさい、初めて来たところだから村の規則とか分からなくて……」
あてずっぽうに陳謝すると、少女はやっと顔を上げた。
「ううん、そういうわけじゃないんだけど。安心して、二人は何も悪いことはしてないから」
「そう? じゃあ、あの、私たちもう家に帰るから」
「待って!」
玄関扉に手をかけると、大きな声で止められた。彼女の声色に悪意は感じない。真に心の底からの善意でもって、私らをここに引き込んだのだろう。そこに疑いの余地はない。
「悪いことは言わないから、暗くなったら出歩かない方がいいよ。この村の夜はその……色々とあるから」
「え? 祟りでもあるの?」
祟りだの悪魔だの、今日は目に見えない恐怖系統の話題ばかりだ。そしていよいよ、小町は私の右腕にしがみついてきた。どんだけ怖いのよ。
「まあ、そうだね。祟りみたいなものだよ」
「ひっ」
彼女が「祟り」を肯定すると、小町は十七年いっしょに居て初めて聞く声を出した。もう怖がりを隠すことは諦めたらしい。いやまあ、前から全く隠せてなかったんだけど。
「とにかく、今日はもう外に出ない方がいいよ」
「えっと……せめて理由が知りたいな。じゃないとほら、連れが泣きそうだから」
説明を求めると、少女は「う~ん」と顎に手を当てた。話す内容をまとめているのだろう。その時間はすぐに終わり、こうまでして私らを家に入れた理由を話してくれた。
「この辺じゃ、暗くなると人喰い狼が出るの」
…………はい?
「人喰い狼が出る?」
あまりにも遠い世界の話みたいで、到底理解が及ばない。及ばな過ぎて、彼女が言った言葉をそっくりそのまま鸚鵡返しすることしかできなかった。人喰い狼ってことは、人を喰う狼ってことだよね。つまり、人喰い狼だ。あれ、まだ混乱してるみたい。
「そう。一昨日も、畑仕事で遅くなったおじいさんが喰われて亡くなったばかりなの」
「ええ、まじのやつ?」
そう彼女に問うた小町の声は、全力で走りながら喋っているかの如く震えている。
「うん、まじのやつだよ。だから、今日はもう外に出ないで、うちに泊っていってほしいの。大丈夫。事情を話せば、お父さんもお母さんも、嫌な顔はしないはずだから」
そう言って少女が振り返った瞬間、玄関と居間とを隔てる引き戸が開いた。小町が私の袖をぎゅっと引っ張った。着物が開けちゃうからやめてほしい。
「突然飛び出してどうしたんだ……おや、そのお二人は?」
「あら、お友達?」
引き戸の向こうから現れたのは、男女だった。察するに少女のお父さんとお母さんだろう。
「ううん、会ったのは今が初めてだよ」
少女が言った。そうだ、挨拶くらいはしないとね。
「こんばんは」
私が言うと、直後に小町も同じく挨拶を口にした。
「私たちこれから家に帰るところだったんですけど、暗くなったら出歩かない方がいいと、ご息女に引き留められまして」
「ねえお父さん。二人を、うちに泊めてあげたいの。いい?」
「ああ、もちろんだよ。御二方、遠慮なさらず上がってください」
彼は何の躊躇いも無く承諾してくれた。どうやら、人喰い狼とやらは少なくともこの家族の共通認識らしいね。
「すみません、お邪魔します」
お言葉に甘えて泊めてもらうことにした。さすがに喰われたくないし、小町がもうびびっちゃって仕方ないから。三人の背中を追っていると、居間に案内された。
「ご自由にくつろいでお待ちくださいね。今、二人のお布団を用意しますから」
彼女のお母さんが言った。申し訳なくなるくらい優しく、包容力を感じさせる人だ。そういえば、私も小町も自分のお母さんを知らない。
「突然のことにもかかわらず、本当にありがとうございます」
「気になさらないで。生明、あなたの部屋でいいでしょう?」
「うん、お願い。あっそうだ、まだ名前を言ってなかったね。わたし、生明っていうの。よろしくね」
「桜華だよ。こちらこそよろしくね」
「あたしは小町。匿ってくれて、ありがとね」
少女改め生明は、薬屋の薬袋にも引けを取らない快活な子だ。歳は私や小町の一個下らしい。つまり十六だね。
「お二人はこの村の人……ではないでしょう?」
生明のお父さんに聞かれた。彼は農業を生業としている人で——と言っても、この村は農村だから多くの人が農業に関わっているらしい——普段からやっている仕事のためか、身体が仕上がっている。それでも怖い印象は全くなく、むしろすごく優しそうだ。私にそう思わせるのは、終始絶えない笑顔だろう。余程大事なのか、彼はずっと手拭いを広げたり畳んだりを繰り返している。黒い生地に赤と緑で稲穂のような模様がある布だ。
「私たちが住んでいるのは、南西部です。城下町に用事があって、旅気分でこの辺りを通ってみたというか」
「そうでしたか。それは何とも、災難といったらおかしいですが……まあ娘の生明も居りますから、のんびりしていってください」
「はい、ありがとうございま——」
時たま聞く低い音が響いたのはその瞬間だった。人喰い狼の威嚇の声ではない。世にも奇妙な音の正体は、私の悪魔だ。小町に聞かれるならともかく、上げてもらった他人様の家、しかも家主たちの目の前でとなると恥ずかしい。いっそ狼に喰ってもらいたいくらいだ。
「おや、お食事がまだのようですね。実は我々もまだなんです。ぜひうちで召し上がってください」
「い、いやそんな。どうかお構いなく」
「はは、そう仰らずどうぞ。我が家は多少、余裕がありますから」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
これは何かしらお礼をしないとね。別に要らないって言いそうだけど、それじゃ私の気が済まない。




