【四】取り憑かれた男
門で刀を返してもらい、骨董屋に戻る……その道中のこと。役所から十分くらい歩いたところで、何やら騒ぎが起きている。怒号や、怒号の主を宥める台詞が飛び交っていた。私らのすぐ目の前には野次馬の群れができていて、どうやら事件を見物しているらしい。骨董屋への進路上だから退いてほしいんだけど……。
「うわ。思ったより悲惨」
渦中の人物は、背の高い男の人だった。右手に刀を持って闇雲に振り回している。目の焦点が定まっていない。口からは涎を垂らしている。
「うおおおおおお!」
雄叫びを上げながら、彼はまた暴れる。さっきの怒号は彼のものらしい。そのすぐ近くには、見たことが無い服装の殿方が狼狽した様子で居る。暴れる男を必死に止めようとしているようだ。
「うがあ! うおおおお!」
「やめろ、暴れるんじゃない! また聖水をかけられたいのか!」
「うぐぐぐ!」
「神の名において命ずる、その人を解放しろ!」
猛獣みたいになっている彼も不思議だけど、宥める殿方の物言いも同じくらい不思議だ。まるで何者かが男を操っているかのような言葉選びだし。
「止めたほうがいい、のかね」
小町がつぶやいた。
「……かもね」
私はそれに同意。防人を呼んで待てばいいかとも思うんだけど、これはただ事じゃない。男は錯乱しているようだし、周囲にはすでに、数人の被害者が血を流して倒れている。男が大人しくなる様子は無い。妙な格好の殿方が必死になっているけど、それでも止められそうにない。
「これ以上、被害者が出たら困るしね。よし、私がひきつけるから、小町のあれを喰らわしてやってよ」
「はいよ」
野次馬どもを掻き分け、私は一人で男の前に出た。彼はさっそく私を発見し、睨みつけてきた。目が血走っている。
「うがああ!」
刀を大きく振り上げ、斬りかかってくる。ふん、遅すぎる。辻斬りや鬼、五月雨と斬り合った私にとって、錯乱した男の振るう剣なんて止まって見えるってもんよ。難なく躱しながら、声をかけてみた。
「あんた、何が気に入らなくて暴れてんの?」
「うう、うわあああ!」
「全っ然聞いてないし」
「その方は正気ではないのです!」
宥めていた殿方の叫び声が聞こえた。うん、言われなくても、正気には見えないよ。
「うがぁ!」
再び大振りの縦斬り。今度も回避し、後ろに回った。抜刀して柄の底——鵐目で頭を殴ってやった。男は大きくよろめき、その場に膝をつく。その瞬間、梅の香りが漂ってきた。
「う、うう……」
男は寒さのため震え始め、やがて刀を落とした。拾われないよう、私はそれを人の居ない方に蹴った。やれやれ、これで一安心……と思っていると、彼を宥めていた殿方が駆け寄ってきた。その手には、手のひら大の十字が握られている。あの枇杷擬きについているものの縮小版だ。殿方はそれを男の額に当て、叫ぶ。
「悪魔め、出ていけ!」
数秒すると、男は気を失った。
「お嬢さん、感謝いたします。私はあの教会の牧師でございます。彼は教会で悪魔祓いを受けていたのですが、御覧のように暴れ、教会を飛び出したのです」
そう言って牧師さんが指さしたのは、例の白い建物だった。
「悪魔祓い? 取り憑かれてるってこと? はは、そんなまさか——」
「嘘ではありませんよ。現に、彼はこうして十字架によって力を失ったではありませんか」
小町の「梅雪風」を喰らって、体力が尽きただけだと思うけど……まあ、面倒だからそういう事にしておけばいいか。
「そもそも悪魔とは、神の敵対者なのです。神が完全な善になるために吐き出した邪悪な部分、神の使いだったものが地に堕ちた姿など、その起源は様々——」
「はいはい、悪魔ね分かりました! そんじゃ、私は帰るから。この騒ぎはあなたが収めたってことにしておいてくれない? ほら、天使が現れて悪魔を滅したとか言っておいてよ。それなら、私を見てた人の証言も丸め込めるでしょ? じゃあそんな感じでよろしくね」
「は、はあ……?」
十六夜に認知されていたこともあり、できる限り防人との接触はなくしたいからね。やがて人混みを抜けたころ、防人のものと思われる叫び声が聞こえ始めた。聞き耳を立て、牧師さんが言いつけを守っていることを確認し、骨董屋へと急いだ。
珠暖簾を掻き分けると、店主が私らの帰還に気付いた。
「お帰りなのよぉ」
「特に不備は無かったです」
防人の印が押された書類を返すと、店主は満足そうな顔をした。
「よかったよかった、助かったのよぉ。それじゃ、また会おうなのよぉ」
は~い、ではまた……じゃないのよ。なにも只働きをするために役所に行ったんじゃない。報酬として八咫鏡の情報をくれるっていうから、手伝ったまで。そうでなきゃ行かないよ、あんなところ。
「八咫鏡の情報は?!」
「ん? ああ、忘れてたのよぉ」
こいつ、絶対わざとだ。なるほどね、鴨脚が言ってたやばい奴の真意が分かった気がする。
「で、何を知ってんの?」
小町の尖った言葉遣いも、こういう時にはすごく助かる。私に対しては丸くしてよね、傷ついちゃうからさ。店主は「んんっ」と咳払いをして声の調子を整え、音吐朗々と言う。
「八咫鏡は、高祠の三神器と呼ばれる秘宝の一つ、なのよぉ」
少し沈黙した。言葉の続きを待っているが、一向に口を開こうとしない。
「それで?」
小町が問い詰めるように聞くと、店主は自信満々に、何の負い目も感じていない様子で答えた。
「以上なのよぉ」
「え、それだけ?」
「以上なのよぉ」
またしばしの間、沈黙が三人の上に落ちた。……滅茶苦茶重い沈黙が。途方もない重さで、岩じゃないかと錯覚するくらいだった。ずしんとも何とも言わず、私たちを圧し潰す。だけど膠着とも言えるそれは、店主の顔がみるみるうちに恐怖に染まったことで解決した。私は何もしていない。彼の目線の先にいるのは小町だ。私は見ないでおこう、怖いから。
「他にはないんですか?」
可哀想だから助け舟を出してあげた。乗るか乗らないかは店主の自由だけど。
「ええ? あるにはあるけど、その為には労働を——」
「さっきの分、あたしはお釣りが来てもいいくらいだと思いますけどね」
また店主が泣きそうな顔になっている。見たくないけど気になる。小町が一体どんな怖い顔をしてるのか、まじで見たくはないけど。
「わわ、分かったのよぉ! 分かったからその怖い顔をやめるのよぉ!」
ふう、と一息吐いた店主。さっきと同じように咳ばらいをし、やたらと澄んだ声で言った。
「八咫鏡はその昔、神の御顔を映したと言い伝えられているのよぉ」
「……ふむふむ」
念のため「続きは?」という視線を送ってみたが、やはり店主の言葉はそれで終わりらしかった。
「ひゃああ! それ、その怖い顔やめてほしいのよぉ! 本当にこれ以上知らないのよぉ! 最初に、情報は二つあるって言ったのよぉ」
確かに二つって言ってたけど、一個目の情報を一つと数えるのは納得がいかないかな……。顔を見ると、彼はもはや涙目になっている。
「……はあ。情報ありがとうございました。では、これにて失礼します」
これ以上は何も得られそうにない。そう判断し、小町の手を引いて店の内側から珠暖簾を掻き分けた。
「なんなのあいつ、くそむかつく」
小町はかなり憤っている様子だ。まあ、気持ちはわかる。
「いいように使われたって感じだね。でもほら、収穫が全く無かったわけじゃないし」
八咫鏡はその昔、神の御顔を映した。この逸話を手掛かりに、もう少し近づけるかもしれない。
「そりゃそうだけどさ」
小町はどうしても気が済まないらしい。いいこと思いついた。ある提案をして、気を紛らわしてあげよう。
「小町」
「うん?」
「来た時と違う道で帰らない? 南下して、それから西に折れよう」
「別にいいけど、なんでわざわざ?」
「理由? 理由はね、そうだな……ほら、私との逢引きだよ。嬉しいでしょ? 嬉しいって言え?」
「……はあ」
呆れたように溜息を吐いた小町。やがて少し微笑みながら私の顔をみて、今度は得意げに言う。
「仕方ない奴。いいよ、あたしとの逢引きを楽しみな」
「いや逆ね」
「逆じゃない。なんだよ、嬉しいくせに」
……そりゃ嬉しいけどさ。まあ、なんでもいいや。当初の目的は果たせたっぽいし。
いつものように馬鹿馬鹿しい話をしながら、提案した通りに城下町を南下した。途中で、さっきの暴漢現場を通る。野次馬はほぼ解散していたが、男と牧師さん、それと防人が何やら揉めている。倒れていた人たちは、すでに運び出されたらしい。
「俺が刀を持って暴れた? 知りませんよ、本当に記憶にないんですって!」
「そんなわけがあるか! あれだけ沢山の人が見たと証言したんだぞ!」
暴れていた彼は、さっきとは違って人間味に溢れている。だけど、錯乱中の記憶を持っていない感じだ。不思議だね。その言い合いに、牧師さんが横槍を入れた。
「ですから防人さん、彼は悪魔に取り憑かれていたのです。あのような暴挙は、彼本人の意思ではありません」
「あんたは黙っててくれ、話を搔きまわすな!」
相手にされてないし。確かに牧師さんの話は信じ難いけどさ。……っと、呑気に見てる場合じゃないか。城下町の人たちが可憐な天使を再発見しないうちに帰ろう。




