【七】吃る円背の防人
隠れて防人をやり過ごし、少し進んでまた隠れる。それを只管繰り返し、やっと祠へと到着した。近くで見ると、本当に大きいんだなとわかる。少なくとも、私らの住処よりは確実に広い。倍くらいあるんじゃないかな。
大口を開けた観音扉は何処か不気味で、まるで私たちを迎え入れようとしているみたいだ。祠には窓が無く、中の灯りは四隅に設置された行灯と、入り口から射し込む日光のみ。何とも言い難い違和感があったけど、目の前の絢爛なそれに意識を奪われて忘れてしまった。
「祭壇があるね。八尺瓊勾玉を祀るなら、ここだと思うけど」
小町はそう言い奥へ進んだ。私も後から追う。敷居を越えた。ぎしぎしと古い板材の床が軋む。小さな羽虫が私の頬を掠めた。行灯の炎が一斉に躍る。次の瞬間、がらがらと大きな音がした。閉鎖された祠の中は薄暗い。
「つ、捕まえ、ました……。大人しく、小生に、し、従ってくだ、さい!」
なよなよした女の声が聞こえた。間違いない。さっき、駆け付けた防人全体に指示を出していた奴だ。
「小町。どうやらここは、鼠捕りだったみたいだよ」
「……まんまと、してやられたわけか」
振り返ると、猫背で伏し目がちな眼鏡の女が立っていた。洒落っ気が皆無なのか、髪はぼさぼさで手入れの気配を感じない。それに、見たことがある服装だ。着崩してはいないけど不知火と同じ。つまり、こいつも防人のお偉いさんってことだね。
「しょ、小職は、東部指令の、さ、五月雨です! あなた方を、逮捕し、します!」
いや勘弁してよ。私らが何をしたってのさ。
「そんなこと言われても、納得できないんだけど。罪状はなんなの?」
「さ、殺人……です!」
……はい?
こいつの中では、村を襲った下手人が私たちって事になってるの? いやいや、意味分かんないから。確かに目当ては八尺瓊勾玉だったけど、その存在を見に来ただけだよ。
「下手人は、現場に戻ってくると、い、言います! お縄に、ついてください……!」
「ちょっ!」
突拍子もなく、五月雨は刀を抜き放した。私も咄嗟に抜き、間一髪で防いだ。
「このさ、サミダレの攻撃を、と、止めた……?」
「へへ。この桜華ちゃんも、伊達に鍛錬してないからね!」
押し合っている感じ、こいつの力は大したことない。鬼とやり合ったせいで、感覚が狂っているだけかもしれないけど。とにかく、押されて押し返してを数回繰り返した。
「答えて、下さい! あなた方のも、目的は、なんですか? なぜ村をお、襲ったの……ですか?」
「だから、何もしてないってば! ただの観光客だよ」
「とぼけても、無駄……です!」
「うっ!」
意味の分からないことを言われて隙を作ってしまい、鍔迫り合いになっていたところを払われた。追撃を警戒したが、それは五月雨も同じらしい。数歩の距離を取って睨み合う。こいつ、常に伏し目なのに視線は鋭いという矛盾を孕んでるんだけど。奇妙過ぎる。
「とにかく、もっとよく調べてから物を言ってよ。あんたも不知火も、適当言い過ぎ」
「し、不知火さん……? あっ、思い出し、ました。桜色の子と、その連れ……。不知火さんの尾行に、気付いた……な、謎の二人組!」
やば、余計な事言ったかな。だからって無実なのは変わらないけど。
「不知火さんから聞いた時から、あ、怪しいと、思っていました。やはり、ここを襲ったのは、お二人ですね?」
「いくらなんでも、理屈の飛躍が過ぎるんじゃない?」
「さ、殺人現場に居た、武器を持つ第三者。それだけで、疑わしい、です!」
——来る。
五月雨は体勢を低くし、目にも留まらぬ速度で迫って来た。私の身体が反応したのは、目前で刀が振られてからだった。
「だから、私らはやってないってば!」
それなりの威力を持った斬撃が繰り返される。受け止めることはそう難しくないけど、問題は速度と不規則な間隔だ。しかも、ちょこまかと動き回りやがる。
「——桜散火!」
相手の動きを捕捉できないなら、広範囲を攻撃してやれば良い。そう思って爆発を起こしたけど、五月雨は後方に回避していた。せっかくの火花は、祠の柱を一本壊しただけだ。
「桜華、ここはあたしに任せて」
それまで静かにしていた小町が口を開いた。彼女も懐刀を抜いており、臨戦態勢だ。
「——梅雪風」
小町が呟いた。祠の中に、梅の香りと花弁を含んだ光が満ちる。光はやがて収束し、五月雨を包む……はずだったんだけど、持ち前の速度で既にそこには居ない。
「暴れないで、ください!」
「なんて奴よ!」
こちらへ迫る五月雨を見て、小町が怒りを露にする。敵は、あの時の鬼のように寒さで震えてはいない。躱されたんだ。そう簡単にはいかないか。鬼は動揺していたから大人しく小町の術にかかってくれたけど、今の五月雨は冷静だもんね。
さて、どうしたもんかな。私も小町も、五月雨の攻撃を目で追って防ぐことしかできない。仮に隙を見つけたとしても、五月雨を斬ってしまったらあら不思議、本当に犯罪者になってしまう。
「そこ、です!」
「うわっ!」
「小町!」
なんとか防御は出来たみたいだけど、彼女の身体は後方に吹っ飛んだ。勢いそのまま朽ちかけの柱に激突したようだ。
「痛ったた……」
見ると、小町が衝突した柱は無惨に破壊されている。この建物、思ったよりがたが来ているのかもしれない。そういえば、さっきの桜散火でも一本壊れたっけ。これは使える。試合には勝てないけど、勝負には勝てるかも。
「少々、痛くします!」
五月雨が小町に向かって大きく構えた。懐刀じゃ、あいつの渾身の一撃は防げないだろう。
「やらせない!」
二人の間に割り込み、受け止めた。強引に押し込み、今度は私が大きく構える。——桜散火。爆散しないでよ五月雨、後生だから!
「あっ……!」
効果覿面。さすがに不意打ちは避けきれないみたいで、五月雨はもう一本の柱に激突した。それも案の定へし折れ、天井から塵が降る。ああ、もう少しで倒壊しそうだけど、どうしよう。こんな事なら、出雲さんから煙玉を買っておくんだった。あれが売り物かどうかは知らないけど。そんなことを考えていた矢先、また梅の香りが漂ってきた。小町が光を帯びている。五月雨が体勢を立て直す隙を狙ったんだね、やるじゃん。敵の刀がかたかた鳴り始めた。どうやら、今の梅雪風は成功したみたいだ。
「こ、これくらい!」
「遅いよ!」
小町の技には確か、体力の消耗を激しくする効果があったと思う。瞬間的な速度への影響は少ないはずだけど、今の五月雨の攻撃は簡単に見切ることができた。柱との衝突が、思ったより効いているのかもしれない。
「ふん。今のあんたになら私でも勝てると思うけど、どう? 事件を調べ直してくれる気にはなった?」
「そう、でしょうか? い、生きて捕らえる……という制約を無くせば、サミダレに……ま、負けは無いかと、思いますよ……?」
「はいはい、くだらないはったりはいいから——」
「やって、みますか?」
思わず息をんだ。今までのどれよりも、真っすぐで鋭い視線で突き刺されたからだ。……こいつ、はったりじゃない。本当に、私らを殺してもいいならすぐに殺せるんだろうと思う。
「やめとく。間違ってあんたを殺しちゃったら、本物の下手人になっちゃうもん」
「まだ、み、認めません……か」
梅雪風を食らっている以上、五月雨が動けなくなるまで耐えれば勝ちだ。まあ、そんなのは机上の空論なんだけどね。そんな長期戦、耐えられるわけないもん。ならどうするかって? 逃げるが勝ちってやつだよ。
「小町。何があっても、私について来てね?」
「え? そりゃついて行くけど、急に何?」
「その返事が聞けただけで——上等!」
刀に桜吹雪を纏わせたまま、右の方に走った。その先には今にも落ちてきそうな天井を支える柱がある。それと付近の壁、鴨居なんかを巻き込むように桜散火を放った。
「まま、待って……ください!」
祠は、壁の破壊を契機に崩れ始める。
「行くよ小町!」
「う、嘘でしょ⁈」
現れた亀裂に飛び込み、裏の森に出る。土煙を巻き上げながら崩れる建物は、半壊で止まったみたいだ。轟音に耳を傾けることもなく、小町と共に走った。村に背を向け、祠が防人の視線を遮る盾になるように逃げる。幸い、五月雨は追って来ない。あれくらいで死ぬような奴じゃないと信じたいね。
「桜華あんた……無茶するね、ほんと」
「えへへ、あれ以外に逃げる方法が思いつかなかったからさ。もし指名手配されたら、逃げ隠れながら生きることになるかもね」
「いや冗談きついって」
その言葉が吐息混じりだったのは、走っているからか、それとも呆れか。どちらにせよ、今更どうにもならないけど。それに、言質は取ってある。
「でも小町。さっき、何があっても私について来てくれるって言ったよね? 忘れないから」
「逃亡生活の事だったのかよ! てっきり強引な脱出の合図かと思ったのに……」
実際のところ、この後どうなるかは防人の判断次第だ。あの村で、真犯人の手がかりを見つけてくれればいいけど。今回も、不知火に追われた一件みたいに不問にしてくれたら万々歳だね。
舗装されていない獣道を通って山を下りる。急がないと陽が沈んでしまう。遅くなって帰りの猪牙舟を捕まえられなかったら困るし、そもそも、暗くなったら方向が分からなくなって終わりだ。猿、鹿、熊、そこれそ本物の猪と仲良くせざるを得なくなってしまう。
「とりあえず、今日は帰って薬塗ってゆっくりしよう」
「薬? あんた、またどこか怪我したの?」
不思議そうに、かつ狼狽を感じさせる顔で言う小町。夢中だったからか、彼女は自覚していないようだ。
「私もだけど、小町だって怪我してるよ。ほら、左手とほっぺに擦り傷があるでしょ?」
教えてやると、小町は手の患部を見た。祠の床にでも擦ったのだろう。次に頬の傷に触れ、「痛っ」と呟いた。
「まったく気付いてなかった。言われなきゃ分かんなかったよ」
「もう。ちょっとは気にしなよ、せっかく高祠で二番目にかわいい顔してんだから」
あくまで一番は私。その座は決して譲らない。
「なんか、褒められてんのにむかつくんだけど」
「まあまあ、落ち着きなよ。私を超えるのは、何人たりとも不可能なんだから」
「森の肥料か獣の餌、どっちがいい?」
くだらない痴話喧嘩——のような何か——をしながら逃げた。この漫談は、せめてもの抵抗。今にも私たちの心を蝕もうとする、不安への徹底抗戦だ。




