【四】顕現した地獄
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走って転んで黄泉へと参る。それが、今この村で起きている事態を表すのに適当な文句である。災いともとれる太陽の侵蝕に加え、闖入者によってその場に地獄が作られていたのだ。猫背の男は老爺の胸から剣を抜き、血刀を見て不敵に嗤った。彼の素顔を隠す火男の仮面は、村人の目には根の国の王と映る。
「ほうれ、逃げろ逃げろ。ケケ」
人が死に家は燃え、黒い外套の集団が我が物顔で闊歩する。神事のために集まっていた二百人にも満たない全村人は、すでにその大半が息絶えた。数人は逃げ果せたようだが、それだけでは村の復興は望めない。即ち、滅びたも同然である。
「おい鼠。遊んでばかりいないで、さっさと祠に案内しろ。何人かが逃げた。防人が来るのも時間の問題だぞ」
「へい。申し訳ございやせん、面白くてつい。え~っと、地図によると……そこを右でサァ」
火男は、隣を歩く髑髏仮面の男に道を示した。彼らが村人を概ね殲滅してまで欲した、八尺瓊勾玉はその先にある。ふと、髑髏たちの進路に一人の男が割って入った。老人が多い村において、珍しい青年である。傷を負っている様子は無いが、頬が血で濡れている。何人かの黒を斃したのだ。
「貴様ら、何者だ? なぜこのような人道に悖る事を?」
若者は外套たちに対して問う。右手で左腰に携えた刀の柄を握っており、既に鯉口を切ってある。髑髏は何も答えずに顎を使い、火男に指示出しを行う。またも「ケケケ」と嗤いながら、猫背が一歩前へ出る。彼の腕より数割長い右袖から、闇に白刃が浮いた。
「こちらの下男、オイラの出番ッッ!」
それに合わせて、村の剣士も刀を抜く。発止発止と打ち合う。その様子を見ていた髑髏が数歩前に出た。何も、二人の決着を待ってやることはないと考えた為である。しかし、剣士はそれを「待て」と威勢よく扼した。
「ここに留まれ。この者の後で、貴様の相手もする!」
「ほう。お前、そいつに勝てるってのか?」
「ケケケ。辺鄙な村の元気な剣士、大きく出タナ」
剣士は何も言わず、火男に向かって垂直に斬りかかる。虚しくも躱され、逆に剣士に切っ先が迫った。
「遅い!」
突きを弾いた剣士は、さらなる火男の追撃を認める。白刃の動きより数刹那早く動き、見事、火男の懐に入り込んだ。剣士は刀を振る時間さえも惜しみ、左拳による打撃を試みる。利き手と逆の殴打は不格好であったが、確実に火男の胸部を捉えた。
「おお。これはなかなか、俺はまだまだッッ!」
韻を踏みながら火男は全速力の水平切りを放った。その動きを読みきれなかった剣士は、胸に横一文字の傷を負う。さほど深くはない。攻撃をしながら、火男は若干後方にのけぞったからだ。直前の打撃が効いたのである。
「そ、それほどの腕前。正しい事に用いればよかったものを」
「ケケケ、くだらナイ!」
水平、斜交い、垂直、そして水平。次々と打ち込む火男。剣士はそのすべてを防ぐことはかなわず、二撃に一撃は受けてしまう。
「己、とどめ! 亡者らを追エッ」
火男は己の勝利を確信し、走りこんで最後の一撃を放つ。これに当たれば剣士は黄泉送り。だが彼は、万事休すかと目を閉じることはしなかった。
「追うのは貴様だ。死した後、川の対岸で全員に詫びろ!」
火男が図に乗って大きな隙を晒す。その瞬間を待っていたのだと言わんばかりに、「いやあっ」と裂帛の気合を込めて剣を水平に構える。途端に、剣士の身体は淡い光に包まれた。
「おお、これハッ!」
事情が変わったと悟り、火男は足で制動を掛ける。しかし急には止まれず、彼の身体は慣性に従順であった。
「食らえ!」
その直後、剣士は既に刀を振りきっていた。火男に、目にも留まらぬ神速の一太刀を浴びせたのである。だが勝ってはいなかった。火男も火男で、斬り合い、ないし殺しに慣れた男である。間一髪で身を翻し、僅かに仮面を裂かれたのみである。
「これは驚き、試合の悦びッッ」
それが最高の一撃だった剣士は、ついに絶望した。己の全力が、この戦闘狂を悦ばすだけのものであったと知ったのだ。
「ケケケ。ここいらでオイラも見せてやロウ!」
剣士は目を見開いた。対峙した火男もまた、自身と同じように光を放ったからである。
「ほうれほうれ、追えるカナ?」
言いながら、火男は直線、交錯線、曲線といった具合に、剣士の周りを無作為に動き回る。その様子はさながら鼠のようであった。
「な、なんと厄介な!」
剣士は刀を構え直し、己の周りを回るそれを目で追う。しかし、どう足掻いても彼には捉えることができなかった。やがて目が回ってしまい、本来出せる力も出せなくなる。
「ケッ、もう終わリカ」
火男は面白くなさそうにつぶやいた。直後、剣士の背後に移動した彼は背中から刃を突き刺した。
「お、おの、れ——」
ごふっと血を吐き、剣士の身体から力が抜ける。握っていた刀は地面に落ちた。絶命を確認した火男は、そのまま縦に切り裂くようにして刀を抜き、血を払って納める。剣士の身体は、先刻まで活発に動いていたとは思えない程、無抵抗に地面へ向かった。
「お待たせしやした。祠へ向かいましョウ」
「ふん。塵相手にてこずりやがって」
「も、申し訳ございやセン。ああ、ここを左でサァ」
地図の通りに曲がると、通路の先に村で最も絢爛な建物があった。目的の祠である。門や柵、壁や屋根に至るまで、何もかもが美しく輝く。今が昼の夜でなく太陽が万全であれば、どれほど美しかったであろうか。だが髑髏たちは、そんなものには目もくれない。
「あそこだな」
「ええ、そのようでサァ」
厳かな雰囲気のその場所に、何一つ気を配ることなく、ずかずかと上がって土汚れをつける。祠の観音扉は開いている。宝を祀る神事の最中であったからだ。
「ケケケ。祭壇で輝いてまスゼ」
一厘の誤差もなく並べられた椅子を、髑髏たちは邪魔だと蹴散らしながら進む。やがて祭壇の目前までやって来た髑髏は、そこに御座す宝を手に取った。
「これが例の玉っころ——八尺瓊勾玉か。ふん、こいつはいい」
それを手に持ったまま、彼は後ろの黒たちに命ずる。
「目的は果たした。ずらかるぞ」
「お前たち、昨日の指示通りに解散シロ!」
黒たちは外套を脱ぎ、一般人に成りすます。そのまま各自あらゆる方向から村を出て、下山しに向かう。やがて火男も村を去った。髑髏はただ一人、その場で勾玉を眺め続ける。その頃には天の異常も終わり、大地が再び完全な日輪と相見えようとしていた。




