【八】砕けた誇り
怖いくらい誰も居ない夜道を走り、やっと鍛冶屋に戻って来た。鍛冶屋から神社に行った時よりも、数倍遠く感じられる道のりだった。門をくぐって庭を見ると、胸騒ぎの正体が目の前で繰り広げられている。
「童よ。例の噂話、我への果たし状と見えるが、違いないか」
目測で六尺以上の男が、低い声で言った。間違いない、これが鬼だ。それに対するは、五尺後半の青年——鴨脚である。
「ああ、その通りだ。やっと来てくれたか、手こずらせやがって」
彼は異常と言えるほど自信満々だ。その手には、闇夜に紛れる黒い得物、至高刀・月下が握られている。
「なるほど、我をおびき寄せるための策であったか。聞こう、目的はなんだ。差し詰め、仇討ちといったところか?」
鴨脚は鬼にお母さんを殺されている。憎悪を抱いて鬼を探したのなら、頷くはず。だけど、彼は嗤った。
「仇討ちなんてしても、お袋は帰って来ねえだろうが」
「あ……!」
鴨脚の言葉が、今は観客でしかない私に刺さった。そうだよ、その通り。復讐なんかしても、亡くなった人が帰って来るわけじゃない。吉平も宣長も、お父さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも。誰も、黄泉がえりやしない。ああ、まただ。また、私の中に迷いが生まれた。
「桜華」
それを察してか、小町が私の右手を握ってくれた。そうだよね。二人でここまで来たんだし、今更引き返すとかは無しにしよう。そんなことをしている内に、鴨脚と鬼が抜刀して見合っていた。
「俺は俺を超える。俺が打ったお前の刀をこいつで打ち倒して、俺の腕が本物だと証明してやる!」
「ほう、この神品は童が……。なるほど、面白い!」
鴨脚の目的を聞いた鬼は嗤い返し、合図も無しに斬りかかった。鴨脚はそれを、垂直にした月下で防ぐ。駄目だ、見ていられない。
「鴨脚! 私も参戦する!」
「おや? 女子は何だ、防人か?」
抜刀しながら近づく私。小町も追って来ている。だけど、鴨脚は「手を出すな」と大きな声で私たちを止めた。
「こいつは俺一人で倒す。言ったろ、お前のその刀じゃ、試し斬りの巻藁にしかならねえってさ!」
「いやいや、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「いいから黙って見とけ、俺が俺を超える瞬間をな!」
「大きく出たな、童。では我も、遠慮なくいかせてもらおう」
鍔迫り合いになる。拮抗しているように見えたが、鴨脚は鬼よりも鬼みたいな顔をしている。対して鬼は涼しげだった。
「ほれどうした、証明するのではなかったのか?」
「だ、黙れ、今からするところだ!」
反転攻勢、鴨脚が雄叫びとともに鬼の剣を弾く。一突きすれば敵を斃せる。私も見ててそう思ったけど、束の間の喜びだった。鬼はその巨体からは想像もできないような身のこなしで体を翻し、攻撃態勢に入った鴨脚に追撃を放つ。彼の左わき腹に迫る斬撃だ。
「鴨脚!」
思わず叫んでしまった。右足が無意識に前へ。右手もまた、意図せず柄を握っている。
「こ、この野郎……!」
鬼の刃が彼を斬り裂くことはなかった。間一髪、刀身で防いだのだ。しかし、安心は今度もまた瞬時に消える。
——宵闇に、ぱきんと破裂音が響く。
「ふん、他愛もない」
「そ、そんな……そんなはず…………!」
最強の刀、至高刀・月下は無惨にも二つに折れた。切っ先側の欠片が地面を滑って私のもとへ。拾い上げて見てみる。
「……まったく、焦りすぎだっての」
月下は、見るからに最強の刀と呼べる代物ではなかった。刃文は滅茶苦茶、断面の層も暴れたい放題で鍛えが足りていない。
「がっはっは、これは傑作。過去の己を超えるどころか、過去の己に折られてしまうとは」
「有り得ない……俺の想いを込めた月下が……そんな、そんなはずない……!」
「目の前の現実を受け入れられぬとは、愚かな。そんなに苦しいのなら、我が解放してくれる」
鬼が鴨脚に切っ先を向けた。鴨脚は動かない。刃が振り上げられる。それでも、鴨脚は俯いたままだ。ったく、あのばか。
「待って!」
二人の方に一歩一歩近づきながら声を上げた。鬼だけがこっちを見る。背筋が凍るくらい鋭い視線だったけど、とにかく前へ進み、鴨脚のもとへ。
「退ってて。鬼退治は私がやる」
「桜華、お前……。もういい、俺は——」
「んなとこでぼけっとされてたら邪魔だから、どっか行けっつってんの!」
本人はお忘れのようだけど、私が鴨脚に協力したのは、私も鬼に用があるからだ。そっちの要件が終わったなら、今度は私の番。
「あ、ああ、悪い……」
情けない声で言い、彼はその場から離れた。
「なんだ、女子。お前も己を超えようと意気込んでおるのか?」
「違うよ。私は、あんたに聞きたいことがあるだけ」
「ほう。何だ、言ってみるがいい」
素直に聞いてくれるんだ。案外、話の分かる人みたいだね。
「盗賊集団スサノオって、聞いた事ある?」
その名前を出すと、鬼の目が一瞬だけ見開いたように見えた。まさか、心当たりがあるのかな。これは大きな収穫を得られるかもしれない。
「なるほど、その組織について聞きたいのだな?」
「そういうこと。で、知ってるの?」
「さあ、どうだろうな。それよりも女子、良い刀を持っているな」
鬼はそう言い、大鷹の切っ先を蛇に向けた。刀集めに固執する偏執狂に、どうやら目を付けられちゃったらしい。
「話を逸らさないでよ。知ってるの? 知らないの?」
「がっはっは、そう焦るな。ここは一つ、試合をしよう。蛇と鷹、どちらが優れているか、確かめてみようではないか。蛇が鷹を穿ったなら、問いに答えてやる」
はあ。まあ、予想はしてたけどさ。鬼と戦って勝たないと教えてくれそうにない。観念して抜刀した。丁度いいや。事に依ったら、一石で鳥を二羽落とせるかもしれないし。
「見てな、鴨脚。私が、あんたに答えを教えてあげる」
「答え……? 何のことだ?」
彼の質問は無視し、鬼と睨み合う。虚勢を張った私だけど、実際のところ勝てるかは怪しい。辻斬りの時みたいに、何かが起きない限りは厳しい戦いになる。
「行くぞ!」
鬼が突っ込んできた。鍔迫り合いになっちゃいけない。力勝負になったら、九分九厘、私に勝ち目はない。そう思い、右に回避した。すれ違いざまに斬ろうとしたけど、鬼は軽快な動きで私の間合いから出た。
「なかなかやるな、女子」
「それは……どうも!」
ええい、と叫びながらもう一太刀。これは剣で容易に受け止められた。今ので駄目なら、正直私がいくら力を込めても通用しないと思う。何か、何か策は無いかな……。
——蕾
ふと、頭にその言葉が浮かんだ。そうだ、私には桜散火があるじゃん。ふう、と息を吐き、練習の通りに心を落ち着かせる。もう一度大きく深呼吸をした。
「女子よ、戦いの最中に何を——なんと、これは……」
鬼は異変を察知したらしい。成功した。私の右手首から切っ先までが淡い光を帯びている。心は落ち着き、「できる」という自信が漲ってきた。切っ先を鬼に向けると、光は桜吹雪へと変化。刀を水平にし、右ひじが胸の前に来るほど大きく構えた。
「——桜散火っ!」
叫びながら刀を振ると、その軌道上に桜吹雪が出現。その子たちは間髪入れず火花となって散った。
「ぐおお!」
驚きか、受けた衝撃か、鬼は狼狽したような声を出した。辺りには火薬の匂いが漂う。だけどそれは、勝利の香りではなかったみたい。少しよろめいただけで、へっちゃらそうだ。
「ふふふ、がっはっはっは! これはいい、何という力だ。まさかお前も、不可思議な力を持っていたとはな!」
私も? まさか……と嫌な予感がして鬼を見る。やっぱり、当たるもんだね。鬼の身体が荒々しい光を帯びている。そうだよね。この世で私にしかない力って方が不自然だもん。
「さあ、女子。遊びはここまでだ!」
ふん、と力をこめた鬼。次の瞬間、彼の顔や手——少なくとも見える部分全体が、黒い鱗のような物に覆われた。冗談はよしてよ……。
「これを岩殻と、我は呼んでいる。こうなってしまっては、もう加減は効かぬぞ!」
反射的にしゃがむ。頭の上をぶおんと大鷹が通り過ぎたのを感じた。振り向くと、もう次の突きが迫ってきていた。それを右に躱して、
「——桜散火!」
鬼を大量の火花が襲った。しかし、彼は怯むことなく突きを続行している。
「ちょっ、そんなの反則だって!」
ただでさえ力も速度もあり得ないのに、防御力まで人智を超えられちゃ困るっての。攻撃は紙一重で回避できたけど、このままじゃ防戦一方だ。どうにかして状況を変えないと。
それから幾度となく打ち合い、躱し、躱された。幸い怪我はしてないが、体力の消耗が激しい。お下品に口が開き、肩を上下に揺らしている。おまけに膝までついちゃって。
「ふむ。まさか、ここまでやるとは思わなかったぞ、女子。だがそのしぶとさも、これまでのようだな」
鬼が私の方に歩み寄ってくる。
「桜華!」
叫ぶ小町の声が聞こえた。声援は力になるっていうけど、体力にはなってくれないみたいだね。
「面白き戦いだった、感謝する!」
鬼が刃を振り上げた。やがて頂点に達したそれは、一変して私へ急降下——するはずだった。
「ほう、もしや連れの女子も手練れか?」
鬼と私の戦いの場に、小町が乱入した。彼女は懐刀を抜いて、鬼の攻撃を防いだらしい。やるじゃん。
「あたしの、最後の家族を……そう簡単に殺させてたまるか!」
物凄い剣幕の小町。鬼は数歩退いた。二人がかりならと期待したが、小町は右肘を気にしている。今ので痛めたのかもしれない。
「退って小町! あいつは、小町じゃ——」
見くびっているわけじゃないけど、最近鍛錬をし始めただけの彼女じゃ、どう足掻いたって太刀打ちできっこない。
「言ったでしょ、あんたの背中を守るんだって。あたしにだって、それくらい——あっ!」
「——桜散火!」
鬼の攻撃が小町に迫っていた。回避は間に合いそうになかったから、強引に弾き返す。
「退ってってば、小町!」
警告を聞かず、彼女は鬼に突進。案の定吹っ飛ばされてしまう。頭を打ってしまわないよう、私は刀を地に放って受け止めた。
「小町、お願いだから——小町……?」
もう一度警告しようと彼女の顔を見て驚いた。一瞬だけ思考が止まる。彼女は、涙を流していたのだ。
「戯れている暇は無いぞ!」
空気を読まず攻撃してきた。左腕を前に出し——いや、だめだ。辻斬り戦で傷を負ったことを思い出し、すぐにひっこめた。小町を抱えたまま回避に専念し、地面に飛び込むことでなんとか凶刃から逃れた。無我夢中だったから無茶な飛び方をしてしまい、背中を打ったみたいだ。
「お、桜華!」
先に立ち上がったのは小町だった。彼女は未だに涙を流している。私の名前を連呼しながら、寝そべる私のもとへ。
「ごめん、ごめん桜華。あたし、何も出来なくて……。悔しいよ。あんたみたいに戦えないし、力もない。そのくせ無茶してあんたに迷惑かけてさ……ほんと、ばかみたい」
涙が私の胸辺りに落ちてきた。大粒だった。彼女の想いの大きさを表しているように案じられる。
「小町……」
「でもあたし、本当に桜華の隣に居たい。置いて行かれたくない。ちょっとは役に立ちたいの!」
彼女の叫びが夜空に響く。それが天上の神様にでも届いたのか、はたまた小町自身の力か……。小町を中心に、淡い光が発生している。見覚えがある。私の右手と、全く同じだ。




