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【三】嘆き苦しむ少女

 その後も何人かに聞いてみたが、出雲さんには会えなかった。日の傾き具合からして、そろそろ帰らないといけない。残念だけど、また明日かな。そう考えながら港町の喧騒から離れ、河原近くを歩いていた時の事。


「……泣き声?」


 ふと、若い女性のものと思われるすすり泣きが聞こえてきた。


「ああ、居る居る」


 声の方向を見ると、その主はすぐに見つかった。女の子が一人、背の低い草むらの上で川の方を向き、膝を抱えて座っている。顔は自身の体に埋めており、袖はきっと、びっしょり濡れていることだろう。まあ、私には関係ないけどね。そう思って素通りしようとしたが、なにやら襟をつかんで止められたような感覚になった。実際に引っ張られたんじゃない。気持ち的に、このまま見て見ぬふりはできなかったのだ。


 他人を放っておけないという、お人好しのお父さんから継承した気質かもしれない。私はゆっくり歩いて彼女のもとへ。しばらくすると、私に気づいて顔を向けてきた。軽く微笑み、彼女の隣で胡坐(あぐら)をかいた。


「そんなに泣いてどうしたの?」

「……あなたは?」

「通りすがりの蛇だよ」


 もっともな疑問を抱かれ、戸惑った私はそう適当に答えた。後から思ったけど、「蛇」は私にとって、案外悪くない呼び名かもしれない。だって……ねえ。


「そっか。じゃあ、いっそのこと私を丸飲みにしてくれない?」

「……生憎だけど、人を飲めるほど大きな口してないんだ」


 彼女の口調からは、絶望がひしひしと伝わってきた。何かあったのであろうことは、想像に難くない。それも、こんな風に塞ぎこんでしまうような何かだ。一人で泣いているということは、口に出すのも憚られることかもしれない。


「私はただの蛇。人の言葉なんて解らないから、例えば君が泣いている理由を呟いたとしても、それは独り言になるなぁ」


 我ながら稚拙な演技で、しかも超絶遠回しに言った。彼女はうつむいたままだが、うっすら「ふふっ」と聞こえた気がする。


「お父さんが、亡くなったの」


 想像の何倍も深刻でびっくりだ。結論だけの極めて簡潔な呟きだったが、私が彼女に親近感を抱くには十分すぎた。


「最近噂の辻斬りに遭って、私の目の前でね」


 あの辻斬りか。人相書も見たし、なんならさっき、それ関係で防人に声をかけられた。


「下手人が憎い?」


 蛇は彼女の言葉を理解し、その真情を問う。


「憎くないと言ったら、嘘になる。けど、それ以上に……悔しくて堪らない。自分が、情けない」


 彼女の声は、再び震え始めた。だけどさっきまでとは違って、弱々しくない。感情がはっきりと乗っているように聞こえる。


「私ね、薬屋の娘なの。飲み薬から塗り薬まで、お父さんの仕事を見て、幅広く勉強してた」


 そう語りながら、その子は顔を上げて空を見上げた。真赤に充血した目には光が無く、ただ虚無があるだけ。あの日の京都と同じ目をしている。


「……なのに、助けられなかった。血を流して倒れたお父さんを、救えなかった」


 辻斬りに遭って倒れたということは、言うまでもないけど、身体のどこかを刀で斬られたということ。防人は「一太刀で」って言ってたっけ。それだけの重く深い傷なら、いくら金創薬を使ったって回復は望めないと思う。


「私は、辻斬りの下手人よりも……私自身が嫌なの」


 なるほど、「いっそのこと私を丸飲みにしてくれない?」か。この子が何を望んでいるのか分かってしまった。同じだ、()()()()()と。


「要らないんだ、私なんて。何の役にも立たない。大切な人さえ守れない。存在する意味も、何もないんだ」


 このままでは、この子は自ら命を捨ててしまうかもしれない。私は小町のおかげでこの域を脱したけど、彼女の場合は誰にも縋れないみたいだ。


「ねえ蛇さん。飲めないなら毒牙で噛んでよ。それか、力いっぱい絞めてくれてもいい。とにかく——」

「残念だけど、それは出来ない。友達との、約束があるから」

「約束……?」


 つまるところ、彼女は自分が無力であることを嘆いているようだ。そうであるが故に、「自分は不要な存在だ」とか「この世から消えてしまっても構わない」だなんて考えているのだろう。私は、そうは思わない。そんな錯覚、私が壊してやる。


「要らないなんてことない。君を待ってる人は、必ず居る」


 彼女は、理不尽な罰を受けた被害者だ。そんな彼女が泣いて身投げしなきゃいけないなんて、絶対に間違ってる。


「……居ないよ、そんな人。この世に一人たりとも居やしない」


 彼女のような真面目で優しい人間が、不条理に屈して損をするべきじゃない。薬屋の娘として勉強したなら、想いは報われるべきだ。


「居るよ、ここに一人……いや、一匹。ねえ、私と友達にならない? そうしたら、私が君を待つから」

「え?」


 待ってる人が居ないと言うなら、私が待ってやろうじゃないか。私はそう意気込んでやおら立ち上がり、着物の乱れを直した。


「ほら、立って」


 腕を引いて半ば強引に彼女を立たせ、そこらに落ちていた平たい石を拾う。それを川に向かって投げた。


「行け!」


 横回転を帯びた石は水面で数回跳ね、川の中央を過ぎたあたりで水中に沈んだ。


「やってみ」

「え、ええ?」


 困惑する彼女に石を渡し、私の真似をするように言う。何が起きているのか分からないといった様子だが、彼女はとりあえずやってくれた。


「あれ、全然跳ねない……」

「や~い、へたっぴ」

「なっ! えい、えい!」


 私の挑発を受けて悔しさを感じたのか、彼女は意固地になって石を投げ続ける。 ただの水切りだけど……どうせ無力さを嘆くなら、取り戻せない過去の不条理よりも、跳ねる回数の少なさを嘆いてしまえ。その方が何万倍もましだ。まだ、より良く変えていける余地があるのだから。


 かなり長いこと石を投げ続けた。ちょっとは上達したみたいだけど、私に比べたらまだまだだね。


「気晴らしになった?」

「うん、少し楽になったかも。ありがとうね、えっと……」


 そう言えば、これだけ遊んでおいてお互いの名前さえ知らなかったな。


「桜華だよ」

「桜華ちゃん。本当に、ありがとう。私は薬袋(みない)っていうの。薬の袋って書いて、薬袋」


 一発で薬屋って分かりそうな、良い名前だね。まあ、桜華って名前も容易に美少女を思わせるけど! それはそれとして、薬袋の顔は確かに明るくなっていた。もう、この世から居なくなるなんて選択肢は捨ててくれたことだろうと思う。良かった、本当に。


「じゃ、私はもう帰るから。元気でね、薬袋」

「うん、桜華ちゃんも元気で。もし私にできることがあったら、何でも言ってね。桜華ちゃんは恩人だから、私も何かしら助けになりたいの」

「お、大袈裟だな……」


 陽が落ち始めている。私たちは手を振り合い、各々の帰る場所へと足を向けた。


 ——やべ、掃除も何もやってないじゃん!

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