【六】取り繕った溌剌
ぴゅうう。
風が、海に向かって吹き始めた。ちょっと寒い。大空の天井では、光の粒が無数に輝く。彼らは協力して、大きな川を描いている。そんな時間に、私は小町を引き連れて町へ躍り出た。神隠しが起こるのは、日没の頃だからである。
「は? あたしは譲らないよ。おにぎりは絶対梅だから」
「いやいやいや、塩だね」
べらぼうにどうでもいい話をしながら、神隠しが起きる例の川辺へと向かった。廃屋からは小一時間かかるから、まあまあ疲れる。足が棒とまではいかないにしろ、竹串くらいにはなった。同じか。
「お、見えてきた。あの林だよ」
足元を照らしていた提灯を少し前に向け、目的地を小町に示す。少しぞっとした。昼間に見た時よりもいささか、いや、だいぶ不気味だからだ。
「へ、へえ、あれがね」
私のすぐ右隣りを歩いていたはずの小町。ふと見ると半歩下がり、半歩私の方に寄っている。私を盾にしようという企図が見え見えだ。「怖いの?」という視線を向けると、小町は激しく頭を振った。提灯を消して林に足を踏み入れ、昼と同じように踏み固められた場所を通って奥へ進む。よおく足元を見て、ぬかるみに足を突っ込まないよう気を張った。
「あれ、誰もいない?」
「防人が居たって言ってたよね、確か」
「うん。さっきは二人居たんだけどな……」
道を扼す縄の前まで来たが、歩哨の姿は見られない。まさか、夜は警戒してないのかな。いやいや、夜こそ警戒しなきゃ駄目なんじゃない? 立て札なんか設けても、監視の目が無ければ、どうしても用事がある人は入るよ。
——防人はどうしてか、神隠しについて、親身になって聞いてくれないみたいなの
脳裏に、おば様方の言葉が蘇る。いくら無能組織でも、夜に起きてる事件を、夜に見張らないなんてことがあるだろうか? でもまあ、それはそれで、私らにとっては好都合か。
「行こ」
縄の下を潜り、川辺への道に足を踏み入れた。立入厳禁の立て札に睨まれた気がしたので、私はきっと睨み返してやった。縄からほんの一分くらい行ったところに、川があった。千代さんはここで水汲みをしていたのだろう。辺りはうっそうとしていて暗い。油断していると、このまま川に落っこちるんじゃないかとさえ思う。人の想像力は凄いもので、木々の形を勝手に物の怪に変換して見せたり、そう信じ込ませたりする。
「とりあえず、茂みに隠れて見張ってみる?」
小町が忍び声で言った。提案に同意し、川に向かって左側の草むらに、二人で隠れた。背の高い草が生えているので、しゃがんでしまえば私らの姿はすっぽり隠れる。人の足音、話し声、生活音は一切聞こえない。代わりに小町の息、葉が擦れる音、虫の声、水の流れる音ばかりが耳朶に飛び込んでくる。
……。
…………。
………………。
見張り始めてから、もう二時間くらい経ったと思う。誰も来ないし、何も起きない。眠い目をこすりながら神経を尖らせていたけど、それらしい現象は見られなかった。
「今日はいったん帰ろうか? 小町のお仕事もあるし」
「もともとはあんたの仕事だけどね」
「……ごめんて」
また忍び声で話し、今日のところは引き返すことにした。川と夜という共通点を妄信して来てみたけど、考えが間違ってるのかな。じゃあ何で、立入厳禁の立て札が立ってるんだって話だけどね。調査調査と意気込んで来たけど、結局、謎が深まるだけだった。
翌日、小町が熱を出した。ふらふらのくせに「仕事は行く」なんて言い出したが、私はもちろん止めた。拗らせてもっと大変な事になったらどうするんだ、と。私にしては珍しく、小町に対してちょっと怒った。よほどの事だと察したのか、小町は大人しく寝ると考え改めてくれたのだった。
「お菓子屋、お菓子屋……」
無断欠勤はよくないかと思い、朝、小町の休みを知らせに行くことにした。店主さんには会いたくないけど……。
「おお、ついてるな~」
店の前で打ち水中の京都を発見。
「み~やこ」
「……え、お、桜華ちゃん⁈」
しっ、と人差し指を立てると、京都は大袈裟に両手で口を覆った。久しぶりの再開だというのに、忍ばなきゃいけないなんてね。
「どうしてここに? お仕事復帰?」
「ううん、残念だけど。ほら、小町いるでしょ? あの子、今日熱出しちゃってさ。申し訳ないけど、今日はお休みさせてもらうね……って言いに来たの」
「……そっか。うん、分かった。知らせてくれてありがとうね」
京都の雰囲気に違和感がある。元気溌剌。それはいつも通りと言えばいつも通りなんだけど、なんだろう、元気に見せようという作った感じ、得も言われない不自然さが漂っていた。小町は一昨日、京都の頽れた様子を語った。仕事も手につかない程だというから、相当な憔悴具合だったのだろうと思う。
「桜華ちゃん。小町ちゃんから聞いた? 私の、友達の事」
私の不思議がる視線に気づいたのか、京都は自らその話題を切り出した。彼女から突如として取り繕いの元気が消え失せ、虚ろな目をしている。泣くとか、怒るとかじゃない。ただただ、無だった。
「……うん、聞いたよ。大変だ——」
「河童、早く捕まるといいね」
私の言葉を遮ってそう言った京都。彼女の顔を見て、私は心の底から震え上がった。目はさっきまでと変わらないのに、口角だけが上がっていた。口だけで笑っていたのだ。
「そ、そう、だね」
「あっ、そろそろ仕事に戻らないと」
ふと、京都は元の表情に戻った。目は光を取り戻し、また元気溌剌を演じ始めたのだ。
「またね、桜華ちゃん。今度、小町ちゃんも一緒に抹茶ぜんざい食べに行こうよ。すぐそこに、美味しいところがあるんだ」
「お、いいね。行こう行こう」
「うん、約束だよ!」
……まあ、京都だって大変なんだろうね。神隠しとかいう失踪事件が頻発して、友達が居なくなっちゃって。たった数日で元の精神状態に戻る事なんて、できやしない。彼女なりに、必死に立ち直ろうとしているのかもしれないな。そう思って、私は、差し出された指切りげんまんに応じた。
その日の夜。眠っていた小町が目を覚ました。体調はだいぶ良くなっているみたいだったけど、一応、神隠しの調査はやめておくことに。
「そう。じゃあ、京都は元気そうだったんだ」
「元気……まあ、小町から聞いた様子程ではなかったかな」
小町は安堵したような笑顔を見せた。これまでに見たことないくらい優しい顔だったので、ちょっと妬く。長時間眠っていたからか、彼女は腫れぼったい目をしている。その目をこすり、布団から這い出た。立ち上がって伸びをしたかと思うと、ふうと一息つく。
「小町、お腹は?」
「だから今作りに行くの」
「ふっふっふ~」
その台詞を待っていた。そう言わんばかりに、出し惜しんで風呂敷の下に隠しておいた土鍋を、じゃ~んと小町に見せつける。
「え、作っといてくれたの?」
小町は目を丸くした。無理もないよね。この二年間で、私がまともに料理した事なんて、なかったんだから。私だって、体調が悪い人にご飯を作らせるほど落ちぶれちゃいない。
「お粥だけどね」
確かに凝ったものは作れないかもしれないけど、お粥くらいなら余裕しゃくしゃく尺取り虫ってね。あんまご飯時に虫の話しない方が良いか。それは置いといて。土鍋はまだ温かい。このまま蓋を開ければ、いい香りの真っ白な雲が——
「……随分、前衛的なお粥だね」
普通に炊くより水気が多めで、とろとろしたお米。そんなのを想像していたばかりに、私は一瞬、自分が何を作ったのか分からなくなった。土鍋の中で威張ってこっちを見ていたのは、お米というか、どろどろの液体だった。見るからに、とろとろの域を超えている。離乳食とかで見たことがある。というか、まんま離乳食だ。
「まあ、お粥っちゃお粥だから」
そう言いながら、小町は「それ」をお茶碗によそい、貯蓄してある梅干を乗っけて食べ始めた。いや、飲み始めた。びっくりだね、まさか、お粥も作れないとは。
「……どう?」
「ん。まあ、味はお粥だよ。味はね」
そんなんでも、小町は文句ひとつ言わずに食べてくれている。小町がいい子過ぎて泣きそうなんだけど。私も例のぶつをお茶碗に取り分けて、一口。箸じゃ掴めないから、必然的に、汁物を頂くときみたいな格好になる。ほんのり甘くてぬるい。液状とも固形とも言えない、その中間みたいな触感。それを、私は極めて単純な一言で表現した。
「うん、不味い」
「あんたがそれ言っちゃ終わりだよ」
棄てるわけにもいかないので、頑張って二人で完食——いや、飲み干した。まさか、十七で離乳食を食べる羽目になるとはね。




