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グリノエンケン-Resentment of Gris-  作者: 政木 亮
7/15

7.【雛】

「──それで、あの……」


 目の前の彼の顔をおずおずと見上げて、絞り出すように声を出す。


「何をすればいいですか?」

「知らん」


 ようやく固めた頼りない決意と、ちょっとばかりの興味を含んだ瞳で向けた質問は、そっけない一言で返された。

 自分には関わりないと言わんばかりのグリィの声に、愛音は戸惑いとも悲哀とも取れる顔で絶句した。

 日曜日の昼下がり。

 逸る気持ちを抑え、愛音はグリィたちが(ねぐら)にしている廃ビルの一室へとやってきた。

 浮足立っていたためか、休日だったこともあり、訪れた時間はずいぶん早い。

 一瞬で頭から飛んでしまった言葉をどうにか引き戻して、愛音はもう一度グリィの指示を仰ぐように問いかけた。


「今から呼毒を退治に行くんですよね? 私、頑張ってお手伝いします!」

「なるほど」


 意欲を見せる愛音の言葉に頷き、グリィは昼時を越えたばかりの日差しが差し込む廃屋の窓から、細めた目を外へと向ける。

 脇に立てかけていた長剣を持ち上げて軽く振って見せると、無感情な声音で言った。


「見物人は多そうだ。映画の撮影とでも言ってみるか?」

「それは……。だったら日が落ちてから?」

「視界が利かない中での護衛か。いっそポケットにでもしまっておければ助かるな」

「邪魔…ですよね……」


 それきり愛音は口を(つぐ)んで黙りこくってしまった。

 問いには答えず、グリィも腕を組んで壁にもたれ掛かったままの姿勢で、愛音に顔を向けることもない。

 がらんとした空間で二人、無言の時間が過ぎていく。

 目の当たりにした不可解な世界。

 普通の枠から外れた世界。

 何も知らずに目にすれば、それは創作物のようであり、非現実に映る。

 グリィもまた、そんな世界の住人なのだ。

 ため息が零れた。

 恐ろしいと思う感情の中、少しだけ浮かれていたのかもしれない。愛音はそう思う。

 約束を取り付けたことで、無条件で救われるものだと安心していたのだろう。

 けれど現実は想像したほど優しくはなくて、愛音はグリィに顔を向けることもできず地面へと目線を伏せた。

 こんな考えをしていたのだから、呆れられるのも当然だろう。

 見る見るうちに昂っていた感情がしぼんでいくのが、自分でも分かる。

 グリィは姿勢を崩すこともなく静かに目を閉じている。

 愛音の様子など気にした素振りもない。

 そんなグリィが、ふいに口を開いた。


「お前は何をしに来たんだ?」

「わ、私は……」


 びくっと肩を竦め、顔を上げることなく、しどろもどろに口を動かした。

 頭上から、グリィの淡々とした声が聞こえてくる。

 白く染まった思考を、愛音はとっさに取り繕った言葉で埋めた。


「グリィさんのお手伝いをしたくて……」


 言い訳だ──


「関わり合いのないことだろう? なぜ手伝いたいだなんて思う」

「それは……」


 逃げ場所が欲しい──


 本音は口に出せず、愛音は口ごもる。

 そんな愛音の思惑なんて、お見通しなのだろう。

 グリィはきっぱりとした口調で、その思惑を否定した。


「お前を救うことはできない」

「……」


 明らかな落胆の色。

 伝わってくる愛音の感情にグリィはため息を吐き、言葉を重ねた。


「どうするのかは、お前の勝手だ。何をしようが知ったこっちゃない。手伝いを申し出るのなら、それもいいだろう。助けて欲しいのなら助けてやるさ。寄ってくる呼毒を祓い、刹那的に助けることくらいはできるだろうからな。だが──」


 グリィがまっすぐに愛音の目を見据える。

 心を見透かすかのようなまっすぐな視線に、愛音もグリィから目を逸らすことができない。


「俺に()()を求めているのだとすれば、それは見当違いだ。呼毒を拒否するか、呑まれるか。それは、お前の心の持ち方次第だからな」


 結局、他人にどうこうできるものでもない。

 グリィの言葉がはっきりとそう告げる。


「救いを求められたとしても、俺にはお前を救えない。お前を救うこと……それ以前に人を救うなんて大それたことなんざ、俺にはできやしない。期待するだけ無駄だ」

「私は……」


 それでも──

 そこから繋げる言葉を言い出せない。

 こくり、と渇いた喉が鳴った。


「あーもー、うっとーしいな! なんでわざわざこんなのに付き合ってやんなくちゃなんないんだよ。アンタの都合なんか知るもんか。勝手にすればいいだろ」


 キンキン響く金切り声が、呆然とたたずむ愛音の耳を刺した。

 思わず首を竦めて頭上に顔を向けると、苛立ったフルーフと目が合った。

 フルーフは愛音を目いっぱい睨みつけると、苛立ちのままに声を荒げる。


「いちいち被害者面しやがって。コッチはいいめーわくだよ。自分で抱えたものに、アタシ等を巻き込むなよな」


 放たれる言葉はとげとげしく、明らかな敵意が向けられている。

 まるで憎き宿敵がここにいる、とでも言わんばかりの勢いだ。

 グリィたちに面倒を掛けている自覚はある。

 けれど、ここまでの敵意を向けられるほどの理由が分からず、愛音は戸惑った。


「おい、燻る灰。いつまでこんな茶番を続ける気だよ。とっとと終わらせてしまおうぜ?」

「まだ必要ない」

「はあっ⁉ オマエ、本気で言ってんのか? 手遅れになったらどうすんだよ」

「そうなったらそうなったで、そのときに考えるさ」

「……まさか、諦めたわけじゃないよな? アタシは()()()()()()()って言うから契約したんだぞ」

「約束は守るさ」


 フルーフの懸念の眼差しを軽くいなし、グリィは愛音に向き直ると静かに口を開いた。


「言ったとおりだ。俺にお前は救えない。お前に手伝ってもらうこともない。このまま日常に戻ること……それが唯一お前にできることだ。こちら側のことは忘れろ、そうすれば──」

「だったら、できることがあればっ!」


 グリィの声を遮るようにして、愛音は大きく声を上げた。


「できることが見つかれば、そばに置いてくれますか?」

「俺はお前の力を必要としていない」

「きっと見つけます! だからっ!」


 懇願した。

 口から出る言葉に保証はない。

 自分でも何を言っているのか分からない頓珍漢な提案。

 支離滅裂な戯言。

 およそ実現することなんてできそうもない無意味の羅列。

 でまかせが口を衝く。

 そんなことくらい分かってはいたが、止められない。

 無数の言葉。けれど一つの思い。

 私を助けて。

 私を救って。

 無理だと言われても従えない。

 縋りつくより他がない。

 感情の波が大きく吹き荒れて──やがて落ち着きが戻ってきた。

 すべてを吐き出して、愛音は俯いていた。

 沈黙。

 そして僅かな間を置いて声が返ってきた。


「俺にお前は救えない。お前に手伝ってもらうこともない」

「……」

「……だが、そうしたいなら勝手にすればいいさ」

「……え?」


 思ってもみなかった言葉に、愛音は虚ろな目を向ける。

 愛音の眼差しを受け止め、グリィは静かに言った。


「この前、言ったとおりだ。勝手にすればいい。ただし、お前の求める見返りは何もない。与えられる救いはない。それでも手伝いたいのなら止めはしない」

「それじゃあ……」

「忠告はした。だが、もう一度よく考えろ。無理をして現状に逆らうよりも、受け入れることで楽になれることもある」

「……」


 本当の気持ちを諦めて現実を受け入れること。

 我慢をすること。

 これまで幾度となく、意識して繰り返し努めてきたことだ。


『生きるためには、我慢しなければいけない』


 諦めて我慢する。

 そうすることで心を殺し、平気なふりをする。

 それが夢前愛音の生き方(ルール)だ。

 たしかに最初から望まなければ、ある意味で楽になれることもある。

 そうしなければ生きていけなかった。

 自分を騙さなければ耐えられなかった。

 ──疑問が生まれた。

 私はそんな生き方がもう嫌で。限界で。

 だからきっと初めて、愛音は夢前愛音の生き方(ルール)に逆らったのだ。

 どうすることもできない現実。

 検査入院で聞いたあの絶望は、僅かばかりではあるけれど、愛音の考えに変化をもたらした。

 声が弾み、顔がほころぶ。

 掛けられた言葉はまるで天からの救いの啓示でもあるかのようで、わだかまった心が解けていく。

 すぐにでも行動を起こそうと、身体が動いた。


「待っていてください。私、きっとできることを見つけてきますから!」

「慌てるな。無茶をしようっていうのなら備えも必要だろう。そうだな──」


 勢い付いて部屋から飛び出そうとする愛音を呼び止めると、グリィはフルーフに目を向ける。


「おい、フルーフ」

「いやだ!」


 間髪入れず、フルーフの声が上がった。


「燻る灰が言いたいことは分かるぞ。どうせこの娘の面倒見ろってことだろ」

「分かっているなら話が早い。準備をしろ」

「絶対に、い・や・だっ!」


 グリィの呼び掛けにいーっと歯を剥くと、ふんっとそっぽを向く。


「放っておくって言うから口は挟まなかったけど、決めたのは燻る灰だろ。アタシに押し付けるなよ。そもそも、なんでコイツに肩入れしてるんだ? まったくワケが分かんない。くっそー、だんだん腹が立ってきたぞ」


 顔を真っ赤にすると、フルーフはグリィに食って掛かる。

 キンキン響く声が室内に木霊した。


「だいたいアタシは反対だったんだ。見ろよ、中身なんて真っ黒黒だ。どうなるのかなんて、燻る灰だって分かってるだろ?」

「まだ決まったわけじゃないさ」

「さんざん様子見てきただろ、もう十分じゃないか。アタシだってそろそろ限界だ。ずっと我慢してんだからな!」

「手立てがあるのなら、諦めることもないだろう」

「燻る灰、オマエ……」


 フルーフは目を細めると、グリィを秤にかけるかのような視線で嘗め回す。

 怒りの視線は嘲りの視線に変わり、フルーフは侮蔑の言葉をグリィに向けた。


「目的のためにこれまでいろんなモノを犠牲にしてきた男が、今さらなにかっこつけてんだよ。わざわざこんな面倒なことをする意味が分からない。目的を遂げる気があるのなら、今すぐにこの場で終わらせてしまえばいい。今さらカビの生えた罪への贖罪のつもりか? はんっ! そんなことしたってどうにもなんないよ。何をしたって終わったもんは終わったんだ、何かが変わるワケじゃない。しょせんは自己満足ってやつさ」

「知ってるさ」


 そんなフルーフの挑発にグリィは否定も肯定もしない。

 打っても響かないグリィに苛立ったフルーフは怒りの矛先を再び愛音に向けた。


「ああ、もうめんどーだ。ここでアタシが終わらせてやるよ!」


 フルーフが勢いに任せて愛音に飛び掛かる。

 その刹那──

 ガキンッ、と金属をぶつけるような大きな音が室内に響くと同時に、フルーフが頭を押さえて悶えていた。


「ぐおぉぉぉ……」

「少し黙っていろ」

「なんだよ燻る灰、コイツのこと庇いやがって~。アタシがいないと呼毒も斬れないくせに!」

「使い手がいなければ、貴様だって何もできんだろう」

「へんっ! 燻る灰がいなくたってアタシ一人でへっちゃらだ。どれだけ呼毒が襲ってきたってアタシを傷つけることなんてできないからな」


 残念でしたとばかりにフルーフはふんぞり返ると、シュシュっと拳を打って威嚇する。


「貴様だけでも呼毒など恐れるに足らず、と?」

「楽勝だ!」

「なら、決まりだな」


 頷いて、グリィは懐から一振りの短刀を取り出した。

 何の変哲もない短刀はその通り小ぶりで、女性であっても十分に扱える程度の大きさだ。

 グリィが取り出した短刀をフルーフの頭上にかざす。

 続けざま小声でもぞもぞと言葉を呟くと、まるで魔法のようにグリィの手元が淡い輝きを放つ。

 次の瞬間、フルーフ姿が二人に分かれていた。

 驚きに愛音が目を丸める。


「おい燻る灰、何すんだよっ‼」「おい燻る灰、何すんだよっ‼」


 二人のフルーフが声を重ねて、グリィに突っかかる。

 そんなフルーフたちの訴えを無視して、グリィは愛音に短刀を持たせた。


「これは……?」

「こいつの力を少しだけ移し分けた。お守りくらいにはなるだろう」


 愛音に短刀を握らせるとグリィはフルーフたちに振り返り、


「ついていって、彼女を守れ」

「は? なんでアタシが」「は? なんでアタシが」

「いくら呼毒が襲ってきても楽勝なんだろ?」

「あったりまえだ!」「あったりまえだ!」


 グリィの挑発に、いとも容易く二つの声が重なった。




 休日の街中は雑然としていて、平日の通勤、通学の時間ほどとは言わないまでも多くの人々が行き交っている。

 特に繁華街のある表通りともなると雑多な人々の集まりとなる。

 家族連れに観光客、日本人に外国人、大人に子供。

 多種多様、千差万別。通りを歩く人の群れ。

 通行人たちの身体からは、暗い闇のような靄が零れている。

 薄い靄、濃い靄。

 人によって様々に、だけれど誰しもがこんな闇の靄を抱えている。

 漂う靄は負の感情。

 人の抱える暗い闇。

 目に映るそんな世界を見ながら、愛音は足を竦ませた。

 ひときわ濃い闇を宿した男が前方から歩いてくる。

 一目見て、不機嫌な様子が見て取れた。

 男の感情は失意と怒り。

 そんな暗い感情が、見たくもないのに聞きたくもないのに愛音の心へと侵入して(はいって)くる。

 騙されたこと、裏切られたこと。

 苛つく、腹が立つ。

 不満渦巻く不快の風が渦巻いている。

 愛音が脇を通り過ぎようとすると、男から零れていた闇がゆっくりと、愛音に手を伸ばすかのように向かってくる。

 思わず飛びのいた。純然たる恐怖だ。

 突然怯えたように身をひるがえす愛音を訝しんだ目で一瞥して、男は去っていく。

 それは特別でもない出来事。

 同じような情景が、街の中、どっちを向いても目に飛び込んでくる。

 そしてこれが、自分が生きている世界なんだ、と愛音は改めて認識させられた。

 顔を伏せて、愛音はその事実から逃げだした。


 繁華街からは少し外れた開けた公園にやってくると、愛音は大きく息を吐いた。

 都会の中にあって、憩いの場となっている大きめの自然公園だ。

 階段に腰かけ、公園を見渡してみると休日なのもあってか、たくさんの人が和んでいる。

 明るい風景。楽しそうな人たち。

 けれど、そんな光景に反して闇の靄は溢れている。

 人は内に、暗い闇を秘めている。

 消化しきれない負の感情。

『呼毒』──

 勢い勇んで飛び出してきたけれど、やはりこんな場景を目の当たりにすると恐ろしさに身が竦む。

 グリィが言うように、人が存在する以上呼毒は在るようで、こんなものは退治しても退治してもきりがない。

 数日前には、まったく見えなかった闇の靄。

 意識さえしなかった他人(ひと)の感情。

 ある日突然、認識させられた世界の正体は恐ろしくて。

 理解ができなくて。

 心まで蝕まれてしまったのか、と絶望した。

 いや、とうの昔に心は蝕まれていたんだろうと愛音は思う。

 呼毒という闇に。

 ずっと、救いのない世界にいたのだ。

 誰にも救われない、他人には理解されない世界。

 初めから諦めの中にいた。

 毎日毎日、誰にも分かってもらえない孤独と不安に胸が潰されそうで。

 もちろん自分を支えてくれる人たちは周りにたくさん居たけれど、それでもこの孤独と不安は自分だけのもので。

 誰にも救い出すことなんてできなくて。

 だから我慢して、諦めて。

 けれどずっと、来ることのない希望に向かって手を差し伸ばしていた。

 その指先に初めて触れるものを感じたのだ。

 直感した。

 この人ならきっと、この世界から救い出してくれる。

 それがグリィだったのだ。

 差し伸ばした手を掴んでもらえたとき、本当に嬉しかった。

 けれど、その救いの手をどう握り返せばいいのか、まだよく分かっていない。

 自分の手をそっと見つめる。

 その手の中にはグリィから渡された短刀があった。

 愛音はきゅっと、その短刀を握りしめた。


「なんでアタシがこんなこと。燻る灰のやつ、めんどーごと全部アタシに押し付ける気かよ」


 ふいに頭上からぶつぶつと聞こえてくる声に、愛音はふと顔を上げた。

 目が合う。

 不機嫌な視線にぶつかった。


「なんだよ」

「ええと……」


 威嚇した声に愛音が委縮する。

 そんな愛音の態度に、フルーフはますます不機嫌さを増した。


「ったく、お()りなんてじょーだんじゃない。アタシは呼毒を狩る最強の剣だぞ⁉ 目の前に餌があるってのに、おあずけなのも腹が立つ!」


 ひとしきりの不満をぶちまける。

 けれど今さらながらにどうしようもないと分かると、フルーフはがっくりと肩を落として愛音に向き直った。


「感謝しろよ。このアタシが付き合ってやるんだからな」

「お願い……します」


 不機嫌に答えたフルーフに、愛音はおずおずと返事を返した。


「ふんっ! ……それで、どうするんだ? 何か考えでもあるのか?」

「それは……」


 愛音は顔を曇らせた。

 いざ自分ができることを探すとなったとき、いったい何ができるのか。

 グリィと一緒に戦う?

 それこそ邪魔になってしまう。

 あれこれと考えを巡らせてみたところで、結局何も見つからず、愛音は途方に暮れる。


「なんだよ、何も考えてないのか? あんだけ役に立てるって大見栄きったってのに?」

「ごめんなさい……」

「しょーがねーな。だったらまずは、アタシを満足させてみろよ。そうすれば、アンタのことを少しは認めてやる。できないならそれまでさ。ここから逃げて震えてればいい」

「満足させる? でも、どうやって……?」

「そうだなぁ、アタシは腹が減ってるんだ。燻る灰のヤツにずっとムカついてたから、もうぺこぺこだ。だから、たっぷり喰わせろ」

「喰わせろって?」

「周りにウヨウヨいるだろ?」


 フルーフは辺りを見回して舌なめずりをしている。

 その視線の先、たくさんの呼毒が目に飛び込んできた。

 思わず、愛音は身震いする。


「あれを…私が……? でも、私に戦うことなんて……」

「戦えなんて言わないさ。アンタにはぜったい無理だろうからな。けど、囮くらいにはなれるだろ」

「……囮に?」

「いったい何のためにアタシを持ってんだよ。今さら尻込みすんなよな。アンタはアイツ等を引き付ければいい。そうすれば、あとはアタシが全部喰ってやるよ」

「引き付ける……」


『お前を救うことはできない』グリィにも告げられた言葉だ。

 救いは誰かに与えられるものではなくて、自分で得るもの。

 逃げていては救いは得られない。

 施されたものでは救われない。

 グリィの言葉の意味を噛みしめる。


「ま、せいぜい頑張んなよ。アンタの安全くらいは、ほしょーしてやるさ」


 愛音が途中で逃げ出すものだと考えているのだろう、フルーフは高をくくった声を上げる。

 手にした短刀にもう一度だけ力を籠めるとこくりと頷いて、愛音は震える一歩を踏み出した。

 ジョギングで汗を流す青年、ベンチで日向ぼっこする老人。

 ボールを蹴りながら声を上げる子供たちの笑い声が、耳心地良く聞こえてくる。

 そんな休日昼下がりの穏やかさも、闇というフィルターを通して見ると、まったく違って見えた。


「……」


 そこかしこに漂う靄に意識的に目を凝らすと、小さく喉が鳴った。

 人々の身体から零れる闇の靄は、まるで人形を操る糸のように見える。

 明るい表面に隠された暗い闇。

 人はそんな闇によって操られているんじゃないか。


 怖い──


 それが率直な感想だ。

 考えると同時に、そんな気持ちが膨らんでいく。

 怖い怖い怖い……

 そんな感情が伝わったのか、引き付けられるように愛音に向かって闇が伸びてくる。

 まるで「こちらにおいで」と誘われているようだ。


「──っ⁉」


 息を呑む。

 恐怖に理性が飛びかける中、手に短刀を握り締めていることに気付いた。

 落ち着け、落ち着け。

 愛音はひと呼吸、大きく息を吸い込むと、人目を避けるために藪の向こう側へと駆け出す。

 人目の届かない物陰に身を移すと、すぐに振り返った。

 靄はゆっくりとではあるけれど、愛音を追いかけてきている。

 闇と対峙する。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。

 何度も心に言い聞かせた。

 それでも迫る闇は恐ろしく、愛音はぎゅっと目を瞑る。

 ひゅんっ、と風を切る音がした。

 短刀を振り回した音だ。

 現実から目を塞ぎ、それでも遮二無二(しゃにむに)短刀を振り回す。

 怖さを振り払うように、愛音は出鱈目に手を動かし続ける。


「へ~、思ったよりやるじゃんか」


 声が聞こえた。

 やけに危機感のないのんきな声だ。

 訳も分からず、短刀を振い続ける。


「落ち着けったら。もうとっくに喰い終わったぞ」


 再び、今度は呆れたような声が聞こえてきて──それでようやく、愛音はきつく閉じていた両目を薄っすらと開けた。

 辺りは、昼下がりの公園の穏やかな様相を呈している。

 靄は遠くに見えるけれど、愛音に迫っていた闇はすでにない。


「言っただろ、アタシは最強の剣なんだ。あ~んな呼毒なんか目じゃないのさ」


 ふんぞり返ったフルーフが声高に告げる。

 その言葉にようやく安心すると、愛音はその場にぺたりと腰を落とした。


「私、上手くできたんですか?」

「アンタじゃない。アタシがやったんだ。まあ、アンタもちょっとは頑張ったんじゃないか。……けど驚いたな」

「……?」

(思ったより集まってきたじゃないか。引き付けられたってより、()()()()()ってカンジだよな、アレ。どっちかっていうと襲われてるってより、コイツが襲ってるみたいで……)

「……あの?」

(ああ、なるほどなるほど。そういうことか。こりゃいい。コイツを利用すれば──きっしっし、ご馳走がたんまり喰える)


 フルーフは一人うんうんと頷くと、急に愛想のいい笑顔を愛音に向けた。


「すごいじゃないか。これなら燻る灰だって認めてくれるんじゃないか? お手柄お手柄~」

「ほ、本当ですか?」


 内心ぺろりと舌を出して、フルーフは大げさに声を上げる。


「おう。なんせ、アンタ自身で呼毒を呼び寄せてるみたいだからな。ずいぶん好かれてるみたいだし」

「私が呼毒を呼び寄せる? そんな……」

「おいおい、泣きそうな貌すんなよ。アンタ、燻る灰の役に立ちたかったんだろ?」

「も、もちろんです」

「よく考えてみろよ。呼毒を呼べるってことは、何もしなくても向こうから獲物がやってくるってことじゃないか。燻る灰も楽できるし、狩りの役にも立てるだろ? きっしっし。良かったじゃないか、アンタにできることが見つかって」

「私にできることが……?」


 目の前がぱっと明るく開けたように感じた。

 グリィのために自分ができることを見つけ出せた。

 まるで砂漠の中から砂金を見つけたかのような奇跡のようで、愛音の顔に笑顔が広がる。

 けれどそれも束の間、愛音は再び不安に貌を曇らせた。


「でも、どうやって……。呼毒を意のままに呼び寄せる方法なんて、私には分からないし……」

「分からないも何もアンタ、もうできてただろ? 思い出せよ。この前アタシ等に会いに来たとき、たくさんの呼毒を呼んでたじゃないか。アンタは何をした?」

「私は……」

「同じ要領でやればいいのさ。目を閉じてよーく思い出せ」


 あのときは必死だった。

 助けを求め、救いを望み、気付けばたくさんの呼毒に追われていた。

 ──でもそれは、願ったから。

 救いを得るために手段を求め、目的のために愛音は自ら呼毒を呼んだ。

 それはきっと、無意識のうちでの行い。

 闇から逃れるために、愛音は闇を求めた。


「……」


 目を閉じて、あのときの感覚を思い返す。

 闇に追われる恐怖があった。

 侵入して(はいって)くる負の感情に泣きそうになった。

 けれどそんな呼毒を集めれば、きっと『あの人』に会える。

 確証はないけれど愛音はそうだと確信していた。

 あのときと同じように救いを求める。

 闇を祓えと闇に願う。


『そう──受け入れなさい──』


 微かな……

 今にも消えてしまいそうな囁き声が、心の内側から聞こえた気がした。

 その声に従うように、愛音は呼毒を呼んだ。

 時が絡め取られたかのようにゆっくりと流れる──一瞬そう錯覚してしまうかのように、空気が淀み、絡みつく。

 身体は重く、気分は気だるい。

 辺りが一変したような不愉快な感覚に愛音は閉じていた目をゆっくりと開ける。

 無数の闇が自分の周りを取り巻いていた。

 少女の召致に応じた呼毒は後から後から引き寄せられて、その数を増していく。


「……呼べ…た? 呼べたよ、フルーフちゃん。私──」

「バ、バカっ、早く離れろ!」

「……え?」


 思い通りに事が運んだことに喜んだのも束の間、フルーフの慌てた声に、愛音はぼんやりと呆けた顔を返す。

 そうこうしている間にも呼毒は数を増し、互いを引き付けあい、それにしたがって辺りの闇は色濃く増していく。


「アタシでアイツらを斬れ! 全部アタシが喰ってやるから!」

「そんなことを言われても……」

「なにもたもたしてんだよ! 早く早く!」

「っ──」


 フルーフに急かされるまま、愛音は出鱈目に短刀を振う。

 短刀の切っ先が迫る呼毒に触れた。霧散する。

 けれどいくら切り付けたところで、数を増した呼毒を祓うには至らない。

 細かい闇といっても呼毒は次から次へと数を増し、追い払う手は追いついていない。


「あ~~もーっ! もっと上手にアタシを使えよ!」


 フルーフが苛立った声を上げるけれど、それは無茶な話だ。

 今まで戦う経験どころか、人並みに動くことさえできない愛音には、それこそ無理難題なことだろう。

 再び湧き上がる恐怖。震える身体。

 それでも愛音はひたすらに短刀を振う。

 そんな抵抗も時間稼ぎにすらならない。

 結果は見えていて、すでに決まっている。


「あっ──」


 出鱈目に振り回していた短刀が手を抜け、くるくると円を描いて地面に突き刺さった。

 唯一の救いを手放した愛音に向けて、肥大した闇の群れが襲い掛かる。

 助けの声を上げる間もなく愛音は闇に呑み込まれて、あっという間にその姿は見えなくなった。


「……まぁな、これはしょーがない」


 愛音の手から放り出されたフルーフはどうすることもできず、目の前で闇に(たか)られる愛音の姿を見ながら独り()ちた。


「アタシの力がいつも通りだったらあんなヤツ等なんて目じゃないけど、今はこんなだからな」


 少し声が震えた。


「だいたい燻る灰が悪いんだ。アタシを分けたのも、アイツを引き込んだのも、ぜーんぶ燻る灰じゃないか。そうさ、アタシは悪くない!」


 目の前の光景から目を逸らす。

 直視することができず、目が泳いだ。


「……やりすぎた」


 フルーフは焦燥した声を上げた。




 ぼんやりとした意識の中、愛音は自分を呼ぶ声を聞いた。

 遠く、誰かが懸命に叫んでいる。

 心配そうな気持が伝わる。

 よく向けられた感情。

 それを感じるたびに愛音は心が重たくなった。


 また、迷惑掛けちゃったんだな──


 どこまでいっても、自分は他人に迷惑を掛けるでしかない。

 学校帰り、わざわざ気に掛けて連れ出してくれた水瀬。

 難病を抱えた自分を、それでも愛情かけて育ててくれる両親。

 幼い頃から話を聞き、親身になってくれる重継先生。

 自分を取り巻く様々な人たちの顔が浮かぶ。

 向けられるその貌は心配に彩られていた。

 気に掛けてもらえることは、それはもちろん嬉しいことだ。

 けれどそれと同じくらいに、迷惑をかけてしまったのだと苦しくもなる。


 私がいなければ迷惑掛けずに済むのかな──


 闇が纏わりつくにつれ、負の感情が強くなる。

 負の感情が強くなるにつれ、自分に纏わりつく闇も濃くなる。

 真っ暗な世界が広がった。

 そこに、たった一人取り残されるような感覚。

 深く、暗く、冷たい闇。

 その闇の中で身を縮めて、聞こえてくる呼毒の怨嗟に耳を塞ぐ。

 それでもまだ沈んでいく。

 感情に呑まれるように沈んでいく。

 闇が侵入して(はいって)くるたびに意識(じぶん)が遠くなり、代わりに別の意識(じぶん)が目覚め始めるように感じる。


『受け入れなさい──』


 また声が聞こえた気がした。

 心の内から語り掛けるような声だ。


『恐れる必要なんてない──

 拒む必要なんてない──

 闇は平等なものだから──』


 か細い声。

 けれど語り掛けてくる声は限りなく優しくて、耳触りがいい。

 この声に従えば楽になれるだろうか?

 僅かに顔を上げ、愛音は声のした方向に意識を傾ける。

 闇の中にさらに昏い闇が見えた。

 深淵。

 本当の闇とは、こういうものなのか?

 どこまでも深く、昏く──

 一度吸い込まれてしまえば、二度と引き返してこられないような恐怖に愛音は身震いする。

 そんな愛音に、深淵は優しく語り掛けてくる。


『何をそんなに恐れるの──

 あれも、あなたなのに──』


「私?」


『あなたは闇──

 闇はあなた──

 それはあなたに限らず、ヒト、誰しもの姿──』


「闇は私……」


『恐れず、受け入れなさい──』




 目の前で気を失っているかのように倒れている愛音に対してできることといえば、声を掛けることしかない。

 人の姿をとっているとはいえ、これは精神体のようなもので、物に触ったり動かしたり、現実に対して影響を与えることはできない。

 こうして掛けている声も本来ならば契約者であるグリィ以外には届かないはずなのだ。

 あくまで本体は地面に突き刺さった短刀で、精神体を飛ばそうにも本体からせいぜい1、2メートルくらいでしかない。

 焦りと苛立ちで困惑したまま、フルーフは愛音に声を掛け続けた。


「おいっ、おいったら! ちくしょー、どうすりゃいいんだよ! こうなったのも全部アイツと燻る灰が悪いんじゃないか。アタシが責任感じることなんてない!」


 言葉ではそう言うものの、やはり自責の念は拭えない。


「ああ、もう! どうすればいいんだ⁉ ったく、燻る灰のヤツは何やってんだよ。早く来いよ~」


 ついには泣き言が口を吐く。

 せいぜい、こんな状況でもやって来ないグリィに向けて、苛立ちと助けを求める言葉を向けるくらいが関の山だった。

 まるでピラニアの群れに襲われた獲物のように、目の前の愛音は闇に貪られている。

 その姿はすでに闇に覆われた真っ暗な塊でしかない。

 その塊が、ふいにもぞりと動いた。

 倒れ込んでいた闇の塊が、ゆっくりと立ち上がる。


「……お?」


 闇の塊がゆっくりとした歩調で近づいてきて、地面に突き刺さった短刀を拾い上げる。

 そして──一閃。

 振われた短刀の軌跡は、辺りに集る闇を一瞬にして祓う。

 闇が祓われ少女が姿を晒す。


「おい、アンタ……」


 目を見張り、フルーフは愛音に声を掛けた。

 けれど愛音からの応えはなく、返事の代わりに手にした短刀を使って新たな闇を祓った。


「……」


 その顔に表情はなく、昏い光を瞳に宿している。

 元の彼女を知る者が見れば、それは全くの別人と言っていい。

 愛音の元に次々と呼毒が集まってくる。

 呼毒は負の感情に引き付けられる。

 けれど目の前で起きているそれはまるで、愛音が呼び集めているかのようだ。

 感情のない貌で、愛音は先ほどとは打って変わって、まるで呼毒を恐れている様子はない。

 愛音が呼毒に触れると、呼毒が霧散する。

 まるでフルーフと同じように呼毒を喰らっているかのようだ。


「……」


 次々と引き寄せられるかのように、呼毒の群れが愛音に纏わりつく。

 そのたびに呼毒は霧散していく。

 そんな自分の様子を、愛音はまるで他人事のように感じていた。

 自分ではない何かが、自分の意思とは関係なしに身体を動かしている。

 声が聞こえる。


『あの声が聞こえるでしょう。あれはあなたと同じもの。恐れることも拒む必要もない──』


 あれも私と同じもの。


『あれはあなたの闇──』


 あれは私の闇。


『受け入れなさい──』

「私と…同じ……」


 ふいに風を感じた。

 ぶんっ、と重たい何かが音を立てて愛音の意識を通り抜けていった。


           〇


「……うぅ…んん……」


 眩い光を目の奥に感じて、薄っすらと目を開く。

 とたんに西日が差し込んできて、とても眩しい。

 思わず目を細めて顔を背けた。

 サフラン色の空。

 日暮れ時。

 冷たい風が頬を撫でていき、愛音は身を縮めた。

 人通りのない裏路地をゆっくりと進んでいる。

 まだ、ぼんやりとした頭で流れていく景色を眺めていると、抑揚のない声が掛けられた。


「平気か?」

「……あ…はい」


 尋ねられるまま、生返事を返す。

 掛けられた声に顔を向けると、無表情な貌で前を向くグリィの顔が間近に飛び込んできた。


「なんだか、ふわふわしてるけど平気です。それになんだか、いつもより調子もいいみたいで」

「……」

「……あの?」


 足が止まり、感情の見えないグリィの表情が僅かに硬くなったような気がした。

 けれどそれも一瞬のことで、グリィは「なんでもない」と言葉を返すと再び歩き出した。

 また景色が動き出す。

 頬が風を受けた。

 自分の身体はグリィの腕に抱き上げられていた。

 夢を見てるんだな。

 愛音はそう思って都合のいい空想に身を任せた。


「……」


 無言の時間が流れていく。

 夢であれば、もう少し気の利いた話題でも振れればいいのだけれど、と愛音は思った。

 聞きたいことはたくさんある。

 知りたいことだってたくさんある。

 たとえば、とグリィの顔を上目遣いで見つめた。

 銀糸のような白銀の髪。

 西日に輝く深紅の瞳。

 白磁器のようにすべらかな肌。

 まるで空想の中に出てくる物語の騎士さまだ。

 そんな空想のように、騎士さまの腕に抱かれたお姫様のようだと考えると、ドキドキして顔が火照ってくる。

 ──あれ? と愛音は思った。

 夢にしては、なんだか妙な感覚だ。

 ドキドキと高鳴る胸は激しさを増し、火照った顔はさらに熱を帯びる。

 抱かれた腕の感触、感じる肌のぬくもり。

 肌を刺す冬の空気や遠くから聞こえてくる街の雑踏の音までもが、意識と一緒にはっきりとしてくる。

 瞬間、ぼんやりとした意識はいっぺんに覚醒し、これが空想ではないことを告げる。

 ぼっ、と湯沸かし器のように顔を真っ赤に染め上げると、愛音は早口で捲し立てた。


「グ、グリィさん、もう大丈夫です。そ、その……、自分で歩けますっ!」


 突然慌てふためく愛音にも表情を変えることなく、グリィはそっと愛音を地面に下ろす。

 ドキドキと早鐘を打つ胸を抑えながら、愛音はさっとグリィから顔を逸らす。

 一頻り深呼吸を繰り返して乱れた呼吸を整えると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。


「す、すみません。もう大丈夫です……」


 改めてグリィに向き直る。

 顔を直視するのはまだ照れくさいけれど、なんとか普段通りに振舞うことはできそうだ。

 気持ちが落ち着いてくると、いろいろと思うことがあった。

 愛音はぼやけた記憶を探るように考え込む。

 気が付くと、こうしてグリィの腕に抱かれて運ばれていた。

 何も覚えていない。

 覚えているとすれば、そう──


「たしか、たくさんの呼毒に襲われて…私……」


 グリィの姿をよく見ると、服のあちこちは砂埃にまみれ、身体は無数に傷を負っている。


「気にするな、いつものことだ。もう回復している」

「やっぱり、グリィさんが助けてくれたんですね」

「護衛はつけていたはずなんだがな」

「言っとくけどアタシは悪くないからな。アレっぽっちの力しかくれなかった燻る灰が悪いんだ」


 呆れたようなグリィの言葉にフルーフはべーっと舌を出すと、頬を膨らませてそっぽを向く。


「それでも、そこいらの呼毒など寄せ付けないほどの力は渡したはずだ」

「あんなのは、そーてーがいだろ? なにしろ突然群れて襲ってきたんだからな」

「負の感情は負の感情に引き付けられる。だがそれは微弱に共鳴するものであって、よほどの闇ではない限り、群れを成して一処(ひとところ)に集まることなどまずはない。正直に話せ。何をした?」

「うっ……」


 逃げても無駄だ、とばかりにグリィはフルーフに睨みを利かせる。

 フルーフは視線を逸らして誤魔化すけれど、すぐに観念したとばかりに頭を下げた。


「わ、悪かったよぉ。アタシはただ、ちょっと教えてやっただけだってば。コイツの特性ってヤツをさ」

「私の特性……?」

「ああ。さっきも言ったとおり、アンタは闇を呼び寄せる。……まさか、あんなにたくさん寄ってくるとは思ってもなかったけどな。それにしたって──」


 愛音のそばまで飛んでくると、フルーフは愛音の顔をまじまじと見つめ、探るように目を細める。


()()()()()()()()?」


 呼毒を呼び寄せたときに見た愛音と違い、今はそこらの人間と変わらない。

 何の力も感じない、ただの非力な少女だ。

 それでもフルーフの視線は鋭く、愛音を捉え続ける。


「おい燻る灰、本当に後悔しないのか? 絶好のチャンスだってのにさ」

「問題ない。代わりに、かなりの数の呼毒を一掃できたしな」

「目的が違うだろ?」

「そうだな、あくまでついでだ。だが、おかげでたらふくご馳走が喰えただろ?」

「そりゃそうだけどさ。……まあいいや、燻る灰がそれでいいってんならな」


 まだ不満を残しながら、フルーフはそっぽを向く。

 そんなフルーフを一瞥して、グリィは愛音へと向き直った。


「そういうわけだ。おかげで今日は、想定以上に呼毒も狩れた」

「……私、グリィさんのお役に立てたんでしょうか?」

「さあな。だが、やれることは見つかったんじゃないのか?」

「あっ……」


 それじゃあ? と愛音は希望の視線を向ける。

 グリィはお手上げだ、とばかりに肩を竦めた。


「あれほど恐ろしい目に遭って、まだ関わりたいと思うか?」

「は、はいっ!」


 問いかけに目を輝かせて返事をする愛音に「ふっ」っと、グリィは初めて僅かな笑みを溢した。

 安堵の吐息が零れた。

 得体のしれない恐怖から救ってほしい、という気持ちはある。

 そんな思いが大半だ。

 けれど、ひとかけらの思いが芽生えた。

 今まで何もかもを我慢していた。

 諦めていた。

 生まれながらにして不平等なスタートに立たされてしまった愛音にとって、それは生きていくために必要な考え方だった。

 どう足掻いたところで普通の人たちと同じようにはいかない。

 努力という舞台にも立たせてもらえないのだ。

 けれどそんな自分でも、何かたった一つくらいは自分という痕跡を残したいと切に思った。

 困難に立ち向かう勇気。

 今の自分ではその方法が分からない。

 一人では奮えない。

 だから──


「よろしくお願いします」


 もう一度深々と頭を下げて、愛音は大きく返事をする。


『受け入れなさい──』


 微かに声が聞こえた気がした。

 心の内からの声に、そっと胸に手を置く。


「私にできること」


 もう一度目を閉じて。考えて。

 愛音は繰り返すように、口の中でその言葉を唱えた。

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