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自己紹介とイナゴの佃煮。

先日、ある人から幸せになってねとメッセージをもらいました。

その一言に色んなものが詰まっていてちょっと泣きそうになりました。





「そういえば名前聞いてなかったね。」


グラスを片手にした彼女がふと口にした。

言われてみれば自己紹介をした記憶がない。


「そっか、ごめん。名乗ってなかったわ。」

「聞こうと思ったんだけど、お兄さんの顔が面白すぎて聞くタイミング逃しちゃって。」


前回の僕の顔を思い出しているのか彼女はくすくすと笑っている。

あの時Mステの録画で悩み、まいまい(深川麻衣)の話ぐらいしかしていなかったことを思い出した。

一方的に名前を知っているのも気持ちが悪いのでしっかりと背筋を伸ばし、前回出来なかった自己紹介をすることにした。


「改めまして萩原と申します。」


そう言い頭を下げると彼女も背筋を伸ばし、姿勢を整えた。


「ご丁寧にありがとうございます。改めましてルナです。よかったら下の名前も教えてください。」

「洋介です。萩原洋介。よろしくお願いします。」

「教えてくれてありがとう。今日から洋介って呼ぶね。洋介も私のことルナって呼んで。」


彼女はそう言って嬉しそうに笑った。

名前を知ったら馴れ馴れしく呼び捨てかよなんてちょっと思ったけど、彼女の嬉しそうな顔を見ていたらそんなことどうでもよくなった。

隣の席ではかーくんの足にMIOさんが手を添え、熱心に話を聞いている。

かーくんはお酒と緊張からか顔が紅潮しており、なぜかMIOさんに向かってイナゴの佃煮の話をしていた。


「鍋で煮ると赤くなるんですよ。見た目はグロテスクですけど、ちゃんと味は佃煮でたまに足が歯に挟まるんですよね。」


熱心に話している姿を見て正気かと思った。

いくら何を話していいのか分からないとはいえ、キャバクラに来て山間部の郷土料理を熱く語るとは恐れ入った。

MIOさんもよくもまぁイナゴの話をキラキラした目で聞けたもんだと感心してしまう。

新井先生は紫苑さんと話しながらかーくんとMIOさんのやり取りを聞き、時々ニヤついていた。




『イナゴの佃煮』

バッタ科の昆虫であるイナゴを佃煮にした料理。

タンパク質やカルシウムが豊富で海産物の少ない山間部で食べられていることが多い。

諸説あるが、稲の生育中の害虫駆除の際に大量に捕れた事から食用になったとのこと。

終戦後の食糧難の時にイナゴを食べて飢えを凌いだと体験された方も多い。

ちなみに最近東京都内で昆虫食のレストランが増えており、様々なイナゴ料理が都内で食べられる。




時刻は午後10時近くになっていた。

各々の話の盛り上がり方を見て、新井先生がMIOさんとルナを指名してくれてたのでゆっくりと話す事が出来た。

ルナと話していて分かったことがある。

まず、彼女の出身地は香川県の讃岐であること。

しかし、子供の頃食べすぎてうどんが嫌いになった。

二つ目は、お気に入りのホストがいて貢いでいること。

どうしてもNo. 1になって欲しいらしく、定期的に通っているらしい。

三つ目が意外で彼女は文学少女であり、夏目漱石が好きなこと。

ちなみに映画も好きで特に邦画が好きだそうだ。

その中でも吉田修一さんの横道世之介は原作も映画もお気に入りらしい。

また文学が好きなので、最近の日本人が使う日本語に彼女は違和感を覚えているようだ。


「雰囲気の読みって[ふいんき]じゃなくて正しくは[ふんいき]で、早急の正しい読み方は[そうきゅう]じゃなくて[さっきゅう]なのにそれを知っている人が少ないから同じ日本人として寂しくなるんだよね。」


そんな古風で独特な悲観論だが、決してわからなくもない。

SNSが発展して広辞苑に載っていない独自の言葉が増えると、同時に忘れられる言葉や曖昧になる言葉もある。

流行る言葉も嫌いじゃないが、基準になった言葉の意味や読みを重んじる大切さはとても共感ができる。

思っていたよりもしっかりした意見の持ち主で見た目とのギャップも相まって僕は彼女に親近感と安心感を覚えていた。

そんな話で盛り上がっていると彼女は突然僕に提案を持ちかけてきた。


「洋介さ、連絡先交換しない?LINE教えて。」


彼女はそう言って自身の小さなポーチから名刺とスマホを取り出した。

過去にキャバクラに来て名刺を渡されたことはあるが連絡先を聞かれたのは初めてだったので、なんだか大人の階段を登ったような気分になった。

こんな願ってもいない状況で僕が言える言葉は一つだった。


「あ、無理です。」


僕に言える最大限の言葉を彼女に発した。

それを聞いて彼女は唖然としていたが、次第にムッとし始めた。


「なんで?あたし何か変なこと言った?営業されるのが嫌とかそうゆう理由?」


確実にご機嫌ナナメになっている。


「別に営業とかで聞いてる訳じゃなくて個人的に仲良くしたいなって思っただけだよ?」


ルナは必死に僕を見て営業じゃないことを伝え、僕を説得した。

彼女の様子を他所よそに僕はその姿を見てふっと笑い、その日1番の爽やかな顔で答えた。


「自分、ガラケーなんでLINEできないっす!」


片目を瞑り、親指を立てたグッドサインを彼女に見せつけた。

2015年も終わりを迎えようとしている頃、僕は未だにスマートフォンやiPhoneから抗っていた。

すると、僕の言葉を聞いた彼女は何事もなかったように冷静に「じゃあメールか電話番号でいいです」と答えポーチからボールペンを取り出し、名刺の裏に淡々と自分の連絡先を書き始めた。

その状況を見て新井先生が「ふん」と言って呆れている姿が見えた。

この日1番恥ずかしかった。


連絡先を交換し終え、新井先生の「そろそろ帰るぞ」の一声で二次会の終焉が告げられた。

その一言でそれぞれが身支度の準備をはじめる。

グラスに残ったお酒を一気に喉へ流す。

新井先生は大きな欠伸をし、紫苑さんはその姿を見ながら「先生、今日もありがとうございました」とお礼を述べている。

かーくんはMIOさんとまだ楽しそうに話をしている。

会計を終え、外に出る為店のドアまで歩く道中キャストがお見送りをしてくれる。


「洋介と沢山話せて楽しかったよ。あとでまた連絡するね。」


ドア前でルナは満面の笑みでそう言い、手を振ってくれた。

僕はどんな顔をして良いのかわからず、引きつった顔で慣れない感じで手を振り返し、店をあとにした。

階段を登ると先ほどに増して富士見町には人が溢れていた。

肩を組みながら歩く酔った若者や卑猥な言葉で客引きをする黒服、高身長と低身長のカップル、タワシに装飾を施し散歩をする人などそれぞれがこの街で息をしている。


「ごちそうさまでした!」


地上に出て新井先生に2人でお礼を言った。


「今日は付き合わせて悪かったな。このあと俺はタクシーで帰る。おまえ達も乗っていけ。」


新井先生はそう言って千葉中央まで歩き出した。

何から何まで至れり尽くせりではあるが、ここは甘えさせてもらうことにした。

色々あったが今日1日で新井先生への見方が変わった。

この人の本質に触れることが出来たようでなんだか嬉しかった。

かーくんも何かを感じてテンションが高かった。


「本当に楽しかったっす。それにしても俺は一体なぜイナゴの佃煮の話をしていたんですかね?」


それは誰にもわからない。

分かった事といえば、改めてこの男が田舎出身である事ぐらいだ。

僕と新井先生はシンクロするようにあえて彼の言動をスルーした。

そして男は、自身への疑問を富士見町の狭い空に向かって「なんでかなぁ」と呟いていた。

キャバクラに来て前回は真っ白な灰になり介抱され、今回はランナーズハイになりイナゴの佃煮の話をする…遠藤和樹という男の謎は深まるばかりである。


家に着き、僕はルナにメールを送った。

何度かやりとりをした流れで後日ご飯に行くことになった。

もうすぐ12月を迎える夜は寒く、空気が澄んでいて月がいつもよりも輝いて見えていた。






最後まで読んで頂きありがとうございました。

次回はサブストーリーを考えています。

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