夜ノ蝶、三日月にて舞う理由
昔見たドラマの台詞で「愛とは信じるのではなく、疑わないこと」と言っていました。
大人になってようやくわかりかけた気がします。
時刻は午後8時を過ぎ、通りには活気が溢れていた。
ゲームセンターで遊ぶ高校生や仕事帰りにラーメンを食べるサラリーマン、これから飲みに行くであろう男女のグループなど様々な人達がこの街で時間を過ごしている。
店内を見渡すと先ほどまで空いていた席も埋まっており、気がつけば満席になっていた。
そんな店内を横目に新井先生が「そろそろ行くか」の合図で一軒目が終了し、本日の本命club CRESCENT MOONに向かっていた。
僕は、その道中で気になっていた事があったので新井先生に質問をした。
「先生って、CRESCENT MOONよく行くんですか?」
新井先生は先頭を歩いており、軽く振り返るように僕らを見た。
「ん?あぁ、千葉で飲む時は大体あそこでシメてるな。」
その話を聞いて僕はちょっと意外だと思っていた。
キャバクラやスナックが好きだと聞いていたので一定の場所ではなく色んな場所に行っているものだと思っていたからだ。
その話にかーくんも参加する。
「なんでまたあそこなんですか?」
全くの同意見だ。
おそらくはお気に入りの子がいるってことなんだろうが、もしそうなら医者で無骨な新井先生がそこまで気に入る人が単純に気になる。
少し間を置き新井先生が話し始めた。
「紫苑って女覚えているか?」
名前はうる覚えだったが、直感であの子かなと思った。
「あの新井先生にベッタリだった子ですか?」
「そうだ。」
どうやら予想が的中したようだ。
あの子がお気に入りだと思った理由としては、あの時1番周りへ気配りをしていたからだ。
僕らの会話を盛り上げる為キャストを巻き込み話を広げ、必要な時に聞きに徹する姿が印象的だった。
あの時僕らの席が盛り上がれたのは、紫苑さんの卓越な空間作りのお陰である。
そういえば、新井先生にお酒をねだるのもうまかった気がする。
「あいつな、自分と弟の学費払ってるんだよ。」
「マジっすか!?」
「准看護師の免許を既に持っている。おまえらよりも立場が上だ。」
「マジっすか!?」
あまりにも驚き、力みながら2回もかーくんと声が合ってしまった。
新井先生の話によると紫苑さんには大学生の弟がいるらしい。
両親は共働きをするも決して裕福ではないらしく高校までは無事に卒業出来たが、家庭の経済状況を考え紫苑さんは進学せず地元で働くことを決めた。
そうしているうちに弟が高校生になり、ある時将来大学に進学したいと紫苑さんに相談してきた。
同じ思いをさせたくないとの理由から紫苑さんは地元企業を辞め、富士見町で夜の蝶になることを選んだそうだ。
紫苑さんの支援で弟さんは晴れて大学生になり、現在キャンパスライフを楽しんでいるらしい。
弟の姿を見ていた紫苑さんは自分も看護師の夢も叶えたいと思い、現在キャバ嬢をしながら看護学校に通っている。
昼は勉強をして、夜は働く。
決して簡単なことではない。
「紫苑は自分がいかに商品として成り立つかを理解し、努力している。キャバ嬢として求められるものを追求し身なりは勿論、言葉遣いや気配り、所作を徹底している。だから金持ち連中は紫苑を指名する。安心して楽しめるのを知っているからな。」
「…なるほど。だからか。」
今まで思っていたことに完全に合点がいった。
思い返した時に彼女の笑うタイミングや目の合わせ方に安心感があるなとは思っていたが理由を聞いて納得した。
彼女から放つ安心感の正体にただただ感服する。
「純粋にすごいです。同じ人と向き合う仕事として勉強になります。そこまで徹底してるなら誰とでも上手くやっていけますね。」
紫苑さんの仕事ぶりにかーくんは感動している様子だった。
その言葉を聞いて新井先生が答える。
「そうでもない。酒の席では酒の力を借りて頭のおかしなことを言うやつもおる。」
「どういうことですか?」
新井先生の言葉にかーくんと同じ反応と言葉で聞き返した。
新井先生がずいぶん前にclub CRESCENT MOONで飲んでいた時の話である。
その頃ようやく紫苑さんが人気になりはじめ、どの席からも指名が入っていたそうだ。
常連さんも多く、常時新井先生の席にはいなかった。
その事を理解していた新井先生は気に留めることなく他のキャストと談笑していた。
事件が起こった。
店内が活気に満ち溢れている時、突然紫苑さんが足早に店から出ていった。
入り口付近の席にいた新井先生から紫苑さんが手で涙を拭う姿が見えたらしい。
その姿を見て新井先生が席を立ち、黒服に「すぐに戻る」と言いそのまま追いかけたそうだ。
店を飛び出した彼女を新井先生は見つけ、事情を聞いた。
すると、常連のどこぞのIT会社の社長が1000万出すから愛人になれと言われたらしい。
当然断ったがその社長が食い下がる事はなく、ずっと愛人契約の話をしていた。
徐々にボディタッチが増え、足を触りながら「おまえの家貧乏なんだろ?それを助けてやろうとしてんだよ。わかるだろ?」と言ってきた。
それでも紫苑さんは屈せず、怒りをグッと堪えながら断った時にITの社長の口から信じられない言葉を聞いた。
「キャバ嬢風情が調子に乗るな。オマエ程度の代わりはいくらでもいるんだ。家族を理由に楽して金稼いで恥ずかしい女だ。」
その言葉を聞いて今まで我慢していたものが涙として溢れ、その場にいることが出来ず外に出てしまったのだ。
新井先生にそう話す彼女は過呼吸気味だった。
店には戻りたくないと話す彼女に新井先生は「ちょっと待っていろ」と言い、店に戻った。
程なくして戻ってきた新井先生の手には彼女のポーチが握られてた。
「店には俺が話をつけてきた。荷物は半ば強引に持ってきてしまったがな。」
そう言って笑いながら新井先生は泣いている彼女にポーチを渡した。
「会計も済ませてきたから安心しろ。俺も帰るから家の途中までタクシーで送ってやる。」
そう言ってタクシーを止め、紫苑さんを乗せた。
車内で特別会話がある訳でもなく無言が続いた。
新井先生は腕を組みながら正面を向き、紫苑さんはただ窓からの景色を眺めていた。
流れる景色が自分の虚無感と交差し、感情が消えていく。
なぜこの仕事を選んだのか。
なぜこの仕事を選んでしまったのか。
自分はどこが間違っていたのか。
自分はどこで間違ってしまったのか。
答えを見つけようとしても感情が追いつかず、意味を見失っていた。
そうして紫苑さんの家の近くに到着し、タクシーから紫苑さんが降りた。
彼女が降りたのを確認し、運転手が扉を閉めようとした時に新井先生が口を開いた。
「バカな奴は、バカな金の使い方しか知らん。紫苑、おまえはおまえが正しいと思う道を行け。信念のある奴には自ずと信念のある奴が集まってくる。バカの一言でおまえを変える必要はない。」
そう言い終えると新井先生は運転手に自分の自宅付近の場所を伝えた。
運転手が発車させる為にドアを閉めるレバーを下げた。
ドアが閉まるまでの一瞬に新井先生の声が聞こえた。
「また店に行く。準備しておけ。」
そしてバタンと音を立てドアが閉まり、タクシーは走り出した。
その姿を紫苑さんは見えなくなるまで見ていた。
それから一夜明け、彼女は店にいた。
店に謝罪をした後、通常通り営業していたとのことだ。
あの日から彼女はキャストとして更に磨きがかかり、のちに名実ともにclub CRESCENT MOONのナンバーワンになったそうだ。
紫苑さんとの昔話を新井先生はずっと僕らに背中で話し続けていた。
「…カッコいいっす…新井先生マジでかっこいいっす。」
新井先生の話にかーくんは感動し、目を輝かせていた。
感動し過ぎて目が開ききっており、その顔はほぼ機関車トーマスに出てくるパーシーのようだった。
夜の街で出くわしたくない人ランキング上位である。
僕はというと…。
「…うっ…うぐっ。…ぐすっ。」
新井先生の不器用な優しさが胸に刺さりまくって涙が止まらなかった。
普段とのギャップを考えるとこの話は反則である。
「え!?ようちゃん泣いてんの!?…まぁ、この手の話弱いからなぁ。」
「なんだ萩原、泣いてんのか?」
僕の泣き声で新井先生が振り返った。
「…いや、泣いてないっす…ズズっ。全然…泣いてないっす。」
誰がどう見ても泣いていた。
それを見ていたかーくんが、千葉駅前でもらったポケットティッシュを渡してきた。
そのポケットティッシュの広告には、はじめての人でも100万ご融資と書いてあった。
新井先生は変わらず前を歩き続けている。
「新井先生、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
ティッシュを渡してくれたかーくんが思い出したように新井先生に質問をした。
「新井先生の噂で過去に店員と揉めたり、飲み屋のお姉さんといなくなったって話があるんですけど、もしかしてそれって紫苑さんのことなんじゃないかなって。」
全く同じ事を考えていた。
かーくんがここにきてファインプレーをかましてくれた。
そして、かーくんの質問に新井先生が答える。
「そんなこと日常茶飯事でいちいち覚えておらん。」
変わらず背中で僕らにそう話してきた。
それを聞いてかーくんは「押忍!」と答え、微笑んでいた。
僕は、両鼻にティッシュを詰めて出棺前のような状態で歩いていた。
多くを語らぬともわかるその人の優しさは、とても気高く夜に滲み、僕らには一際輝いて見えていた。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
次回、あの子と再会!?




