[サブストーリー]『君とばーびぃ』中編
命について考えることが増えました。
でも、答えはいつも見つかりません。
せめて一生懸命生きたいと思います。
※今回の物語にはショッキングな内容が含まれています。刺激の強い表現が苦手な方は読むことをお控えすることをお勧めします。ご理解のうえお読み頂ければと思います。
その日は突然訪れた。
雨が降るその日、かーくんの勤務は夜勤だった。
いつものように1時間前に出勤し、ナースステーションで現在病棟にいる患者さんのADLとその日の行動を日勤の時間にいたスタッフに聞き、カンファレンスの予定などを確認していた。
前日日勤で働いていたので大体は把握はしていたが、一点だけ違っていた。
その日、新しい患者さんが入院していたのだ。
新規の患者さんだったのでカルテで状態を確認する。
ADLは問題なかった。日常生活動作は安定しており、自宅復帰へのリハビリの為の入院だった。
かーくんはそれを見て安堵した。
だが、問題はそこではなかった。
行動履歴の欄に目を通した時にかーくんに緊張が走った。
[自傷行為、自殺未遂有]
カルテを見ているとナースステーションに今回の患者さんを担当する看護師さんが入ってきた。
「お疲れ様。カルテ見たならわかると思うけどそうゆう事らしいんだよね。今は落ち着いてるけど、突発的に何するかわからないから夜間気をつけて。前の病院で同室者とトラブル起こしてるみたいだから、初日は個室で様子見るって。持ち物確認した時に刃物になるものは全てこちらで預かってはいるけど、行動が読めないから夜間の
巡視はこまめに行ってほしい。」
神妙な面持ちで担当看護師さんはそう言った。
『夜間巡視』
患者さんに異変がないかを確認する業務。巡視をする事で事前に患者さんの事故を防げたり、急変に気づく事ができるとても大切な業務。あまりしすぎると患者さんが眠れなくなったり、不穏行動を起こしてしまうので2時間おきにする事が多い。
「わかりました。カルテに載ってないんですけど、精神疾患ありそうですよね。」
「過去の経歴が全然載ってないからわからないけど、ほぼ間違いないだろうね。その件に関しては、ケアマネ[ケアマネージャー]と相談して明日精神科のある病院に受診する予定だからその辺はちょっと待っててね。」
「了解です。とにかく情報が無い分、今日の夜勤で今後の対応が決まりそうですね。」
担当看護師との会話を終え、かーくんは深呼吸した。
『ケアマネージャー』
介護支援専門員のことである。
介護を必要とする方が介護保険を受けられるようにケアプラン[サービス計画書]の作成やサービス事業者の調整を行う。介護業務を5年やらないと受験資格をもらえない。
夜勤前の申し送りを終え、夕食の配膳をしていた。
他の患者さんとのトラブルを考慮し、その日は食堂ではなく部屋食になっていた支倉さんの元へ食事を持っていった。
部屋番号を確認し、ドアをノックする。
「支倉さん、お食事を持ちしました。入りますね。」
そう言ってドアを開ける。
「失礼します。お食事お持ちしましたよ。」
中に入ると支倉さんはベッドで静かに座っていた。
その姿は異様で頬がこけ、手首には無数のケロイド状の傷が見えた。
かーくんが入ると無表情のまま目線だけを動かし、こちらを見ている。
「初めまして。本日夜勤を担当する遠藤と申します。何かあったら遠慮なく言ってくださいね。」
「…。」
支倉さんは、ただただかーくんを見ていた。
「お食事、こちらに置いておきますね。」
そう言ってかーくんはテーブルの上へ食事を置いた。そして、片膝を床につけ支倉さんの視線に合わせた。
「今日のご飯はチキンソテーなんですよ。支倉さんは好きな食べ物ありますか?」
「…。」
ほんの少しでも心を開いてくれればとかーくんが話しかけるも支倉さんに反応は見られなかった。
「すみません、いきなり初めて会った人に質問されたら緊張しちゃいますよね。もし、好きな物あったら今度こっそり教えてくださいね。自分、調理場の人達にリクエストしておきますので。」
「…。」
かーくんは笑顔でそう話したが、支倉さんには反応がなかった。
「一方的に話してばかりですみませんでした。自分、支倉さんと仲良くなりたくてつい話しすぎちゃいました。ご迷惑をおかけしました。それでは自分、仕事に戻ります。それでは失礼しました。」
かーくんはそう言って部屋を出ようとした時だった。
「…ありがとう。」
その声でかーくんが振り返った。
すると先ほど無表情でベッドに座っていた支倉さんが笑っていた。
その顔を見てかーくんの顔が晴れやかになった。
「はい!こちらこそありがとうございます!」
そう言って一礼し、部屋を後にした。
夜間の巡視はこまめに行った。
消灯前は基本ドアが開いているので廊下を歩く際に確認できる。
消灯後はそっとドアを開け、部屋に入り状態を確認する。
かーくんとの会話もあってか支倉さんは落ち着いてる様子でベッドで眠っていた。
ーーこのまま何事もなく無事に朝を迎える為にも気を抜けねぇな。ーー
かーくんは、頬を叩き気合いを入れ直した。
その日はナースコールも少なく静かな夜勤だった。
夜になるにつれて風が吹き始め、雨が強くなっていった。
雨は激しく窓を叩き、その音が病棟に響き渡っていた。
暗闇に鳴る雨音が不安を募らせる。
「なんか、嫌な雨だね。」
その日一緒に夜勤をしていた看護師の浅見さんがカルテを書いている手を止めた。
「そうっすね。これじゃ患者さん達落ち着いて寝れないっすよね。寝れてるといいんだけど。」
そう言ってかーくんはナースステーションのガラス張りから廊下を見つめた。
廊下はいつものように常夜灯と非常口を案内する緑の電気がついている。
「俺、ちょっと早いですけど確認の為巡視してきます。」
理由はわからないが、胸がざわついていた。
廊下を早歩きし、支倉さんの部屋へ向かった。
部屋の前に辿り着きドアをそっと開けた。
暗闇の中、街灯の明かりがほのかにカーテンから漏れている。
その明かりを頼りにベッドの様子を確認する。
そこには支倉さんが寝ていた。
確認の為部屋に入り、息を殺して支倉さんが眠るベッドへ近づく。
耳をすませるも寝息が聞こえなかったので小声で声をかけた。
「支倉さん、お休みのところすいません。」
「…。」
反応が見られなかったので身体を少しゆすった。
「支倉さん、大丈夫ですか?」
「…。」
やはり反応がなかったので掛け布団を少しずらし、確認をする事にした。
「支倉さん、すいません。一旦布団動かしますね。」
布団の端を持ち、顔を確認する。
すると布団から冷たい何かが纏わり付くのを感じた。
胸がざわつき、息苦しい。
一度深呼吸をして自分を落ち着かせ、おそるおそる架け布団をめくった。
「…え?」
その光景を見てかーくんの時間が止まった。
雨は相変わらず窓を叩いていた。街灯の明かりがほのかにカーテンから漏れている。
その明かりがベッドにいる支倉さんと掛け布団を照らした。
ーーあの光景を今も覚えてる。ーー
食事前に「ありがとう。」と笑っていた。
あの時少しだけ彼は、心を開いてくれた…そう思っていた。
次に会った時は、好きな献立が聞けるんじゃないか。
自分の病棟をきっかけに前より明るくなれんじゃないか。
自分の介護でなんでもいいから希望を見出して欲しかった。
その彼は、今安らかな顔でベッドで横たわっている。
ベッドは白いところが見つからないほど一面赤く滴っている。
右手の近くに無機質に開いた状態の糸切りばさみが添えられるように置かれていた。
手首の血管は無数に細かく刻まれ、そこから赤い血がまだ流れていた。
自分の手にはその赤い血が纏わり付いていた。
支倉さんの呼吸は、止まっていた。
ーー雨はまだ強く降っていた。
「うわぁぁっぁぁぁぁっ!」
あまりの光景に声にならない声が出た。
「浅見さあぁぁん!浅見さぁぁぁん!」
病棟に浅見さんを呼ぶかーくんの声が響き渡った。
その声を聞き、浅見さんが支倉さんの部屋に走り出した。
「遠藤君!どうしたの!?何があったの!?」
支倉さんの部屋には呼吸が乱れ、大量の汗をかき、手が血まみれのかーくんが立っていた。
「な…なんで…?…どうして?」
そう言ってかーくんは目に涙を浮かべていた。
「…俺かな、俺のせいかな…。」
浅見さんはかーくんに駆け寄って手を握りしめた。
「そんな訳ない…遠藤君のせいなんかじゃない。…大丈夫だからね。大丈夫だよ…大丈夫。」
祈るように、自分に言い聞かせるように浅見さんはかーくんの手を握り、声をかけ続けた。
午前2時を過ぎた頃の出来事だった。
早朝、警察が来て現場検証が入った。
その間もかーくんと浅見さんは働いてた。
早番が来て事情を話した。
日勤が来て業務を交代し、2人は事情聴取を受けた。
警察は自殺だろうと言っていた。
帰宅したのは夕方になっていた。
何も感じられなくなっていた。
その日からかーくんは笑わなくなった。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。




