傾斜する
つげ義春さんの[ねじ式]って話が意味わからなすぎて好きです。
結局二次会は僕とかーくんの2人に加え、リハ科の男子が2人と新井先生の計5人で行く事になった。
月と星を隠すほどのビルと光の夜の富士見町は人で溢れていた。
黒服に身を包んだ男達が手当たり次第に行き交う人に声をかけ、店の前には肌寒いのにも関わらず薄手の原色のドレスを着た女性が所々に立っている。
道路の脇では1人の若者が飲みすぎたのか排水溝に顔を近づいて嗚咽している。
その光景を友達らしき人達が輪を囲み、ケラケラと笑っていた。
各々がこの場所の夜を過ごしている。そこには様々な感情や欲が蠢いている。
ーー帰って乃木坂工事中が見たい。ーー
富士見町の中には色濃くこんな欲望も蠢いていた。
連れて行かれた場所は雑居ビルの地下にあった。
表には黒服が構え、横の立て看板には[club Crescent Moon]と書かれ、濃い青と黄色で光っている。
黒服が笑顔で新井先生と話しながら階段を降りていく。
「新規のお客さまご来店でーす!いらっしゃいませー!」
音量の大きいBGMをかき消す声を黒服が出し、店内に響き渡らせる。
それに呼応するように他の黒服も「いらっしゃいませー!」と声を出す。
店内に入るとすれ違う黒服の男性達は皆笑顔で僕らに再度先ほどより小さい声で「いらっしゃいませ。」と迎える。
笑顔の男性達をくぐり抜け、テーブルへと案内される。
少し明るめの間接照明に青い壁の店内はどの席にもお客さんがいて活気に溢れていた。
テーブルに着いて黒服は立ち膝をつき「本日はご来店ありがとうございます。こちらおしぼりになります。」と言い、おしぼりを配り始める。
そして立ち上がり声を上げる。
「紫苑さん、美麗さん入られまーす!」
黒服が僕らの席に手を差し出し、艶やかなドレスを着た女性が「こんばんは。」と言いながらテーブルに着く。
そして間も無くまた黒服が声を上げる。
「ノアさん、響さん、ルナさん入られまーす!」
追加で3人の名前が呼ばれ、先ほどのように僕らのテーブルに着く。
「先生久しぶりー!最近全然来ないから寂しかったぁ。」
キャストの1人が新井先生に話しかけた。どうやら馴染みのようだ。
それを見て新井先生が「おまえが連絡よこさねぇのが悪いんだろ。」と彼女に答えていた。
新井先生の隣に座ったリハ科の職員達は綺麗な女性が来た事で盛り上がっていた。
「響さんって、めちゃくちゃ綺麗っすね。俺好きになりそうっす。いくつっすか?」
「21でーす。それみんなに言ってるやつでしょー。」
「ノアちゃんって言うんだ。昔の彼女に似てるけど、もしかして俺達付き合ってなかった?」
「…え?久しぶり?元気だった?なーんてうっそぉ。初めてだよ。」
そしてかーくんはベロベロで顔を赤らめながら目を閉じ、幸せそうにハニカミながらひたすら頭を上下している。
その姿はまさしく福島県の人気名産『赤べこ』そっくりであった。
『赤べこ』
福島県会津地方の張子の郷土玩具である。「べこ」とは東北の方言で「牛」を意味する。
体は赤く魔除けを意味し、黒の斑点は病にかかっても重くならにように願いを込められている。
頭部を触れると振り子のように動く。
その時のかーくんは顔を赤らめ、黒のキャップを被りながら頭を上下させており、まさに赤べこそのものであった。
「ねぇねぇ、お兄さんはお仕事何してんの?」
「そうだよ。うん。そうだよ。」
「大丈夫?お水飲む?」
「そうだよ。うん。そうだよ。」
キャストがどんなに声かけをしてもひたすらにこやかにそう繰り返していた。
かーくんは迷惑にならない程度に迷惑をかけていた。
キャバクラであんな姿を露呈させ、綺麗なお姉さんに心配されている。
もしかしたらここで誰よりも幸せに酔っているのはかーくんかもしれない。そう思ってしまう。
そして、その光景を見ていてふとある事を思い出し、我に帰った。
ーーあれ?今週のMステ録画したっけ…?ーー
突然の出来事に急激な不安に襲われた。
前日のMステに乃木坂46が出演しており、真夏の全国ツアーで披露された乃木坂46の13枚目のシングル[今、話したい誰かがいる]が地上波初披露されていた。
この夏の神宮球場公演2DAYSに参加した者として観ていないなんて許されない事案だ。
ーーまずい…予約したかまるで記憶がない。ーー
Mステの映像は著作権が厳しく、youtubeにあがっても直ぐに消されるてしまう為日の目を見ることが難しい。つまり録画必須案件であった。
放送日当日はかーくんとは別件で予定が入っており、飲みに出ていた。
ーー落ち着け。まずは冷静に記憶を辿るんだ。木曜日に何していたかを考えろ。ーー
冷静さを失なっている事を周りに悟られないよう両肘を足につけ、口元で手を組み表情を隠した。
その姿はまるで息子を尋問する時の碇ゲンドウであった。
ーーだめだ。思い出せない。どうすればいい?今直ぐにでも確認したい。ーー
何度も頭の中の記憶を巡らせていた。
「もしもーし。聞こえてますかぁ?。」
声が微かに聞こえたような気がするがそれどころではない。
ーー乃木坂46初のWセンターだぞ。大丈夫だ。きっと録画している。うちの『torne』は優秀なはずだ。ーー
『torne』
主にPlayStationにて使用する録画用アプリケーション。録画した動画はPlayStationのHDDに保存される。
PS3のみ内蔵HDDから外付けHDDへ移動が可能である。
torneに全身全霊願いを込め、握る手に力が入る。眉にも力が入り眼力が強くなった。
すると突然両頬を掴まれアヒル口になり、その後強引に左に向けられた。
視線の先には目がぱっちりと大きく、暗めのミルクティー色のロングヘアーの女性が眉をひそめてムッとしていた。
「ねぇ、いい加減話聞いてもらえます?」
突然の事に驚き、きょとんとした。そこでようやく今自分がキャバクラに来ていた事を思い出した。
「ふ…ふいまふぇんてした…。」
すみませんでしたと言いたかったが手で頬を固定されていたのでうまく言えなかった。
「何をそんなにずっと怖い顔していたんですか?なんか悩みでもあるの?お金?恋愛?仕事?」
そう言って彼女は頬のロックを解除した。
「恋愛といえば恋愛っすけど、仕事といえば仕事っすかねぇ。」
今自分が悩んでる事をどう表現していいかわからず頭をかきながらそう答えた。
すると彼女は、
「ごめん。全然わかんない。」
と一蹴し、軽く首を傾げた。先ほどまでムッとしていた顔が眉間に皺がよりさらにムッとした。
「罰として、何か飲ませてよ。そしたら許してあげる。」
そう言うとその子は先ほどの表情から打って変わり、小悪魔のような表情で笑った。
その瞬間、僕の時が止まった。
その笑った顔が昔好きだった人の笑顔を思い出させた。
流れた一瞬が震災前の自分の部屋に1人の女の子がいる風景を浮かび上がらせる。
笑った顔がスローモーションのように流れていく。
僕はこの時、不覚にも目を奪われていた。
これが昼に生きる僕と夜に生きるルナとの出会いだった。
この瞬間、僕の人生は少し角度を変え、静かに傾斜していった。
何か滑り落ちていく、その愛しさが少し重たくて。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
次回も読んで頂けたら嬉しいです。




