ジリナとオル 3
三日くらいたったある日、ジリナが殴った男がいることに気がついた。最初は怖くて驚いたが、よくよく医者達の話を聞けば、記憶を失っていることが分かった。どこの誰か分からず困っているようだ。
それから、二日ほど考えた末に男の前にジリナは姿を現した。声をかけられて男はきょとんとした。自分が誰なのかまったく覚えていないらしい。ニピ族らしいことも忘れているようである。ジリナは賭けに出ることにした。
この男と夫婦だということにしたのだ。旅の途中で物取りに襲われ、夫は殴られたということにした。逃げたがしつこく追いかけられて、ここまで来たのだと。そして、夫は記憶を失った。都にいた頃、よくそんな話を聞いたので、嘘は簡単にできた。
そして、シュリツを出て長男と次男、長女、次女、三女を孤児院から養子に貰い、育てることにしたのだ。男の名前も分からなかったので、ジリナが勝手にオルと名付けた。オルはジリナに従順だった。ジリナが言うことは何でも聞いた。本当にジリナのことを愛する妻だと思うようになった。
セリナのことも養子だということにしてくれた。そして、この村に来てからロナが生まれ、本当の家族のようになった。
オルが記憶を取り戻すまでは。オルが記憶を取り戻したのは今秋だと言っていた。あの商人はオルをずっと探していたのだろう。そして、わざと泳がし、時が来て使う事態になったので、オルの記憶を取り戻させたのだ。
「とても、残念だよ、あんた。思い出しさえしなければ、死ぬまでずっと夫婦でいられたのに。」
オルが床の上にずるずると力なく何かに引きずられるようにして、倒れ込んだ。
「…く。お前は…。セリナは誰の子だ?」
「今さらそんなことを聞いて、どうするんだい?どうだっていいだろう。」
「…俺が、一番じゃないのは知っていた。どうせ、俺は二番だ。前の、男の子だろう。お前がそんなに必死になる、なんて。それなら、なぜ、セリナを養子ということにした?」
ジリナはオルの頭を撫でた。
「他の子達より可愛がらないためだよ。」
オルが一瞬、息を呑んだ。
「馬鹿だねえ、あんた。セリナの父親に嫉妬してたのかい?あんたは最初の自分の役目さえ忘れていれば、いい男だし、いい夫で、いい父親だった。なんで、手助けする決意をしてしまったんだい?」
オルにはもう答える気力はなかった。答えようとしても、声も出せない。
今回だけだと言われた。そうすれば、元の生活に戻れると。もう、任務はしなくていいと。お前とここで生涯暮らせると思ったからだ。まさか、こうなるとは思わなかった。逃げる用意もしてあったが、ほとぼりが冷めたら戻ってくるつもりだった。山中に逃げれば追ってこられまい。そう、考えていたから。 そうでなければ、全てをばらされて、お前と一緒にいられなくなると、脅されたんだ。
確かにセリナは死んでもいいと心のどこかで思っていた。そうすれば、前の男との絆も切れてしまうから。でも、確実に死んでもいいとは思ってもいなかった。だから、セリナには注意したんだ。もし、セリナがパンを作るのをやめたら、ああいう手段には出なかった。
でも、お前はそんな態度も嫌いだったんだろう。
「馬鹿な男だよ、あんたは。」
オルの顔に温かい滴が落ちてくる。ジリナの涙だと少しして気づく。
「もし、本当にあんたの事が嫌いだったなら、ロナを生んだりしないよ。記憶を失っているあんたは、本当にいい人だったから。」
変な縁だったけど、わたしが初めて愛した男はあんただったんだよ。坊ちゃんは愛というより、恋した人だったから。
耳元でジリナが囁いた。オルはジリナの本心を聞いて、はっとした。そうか。そうだったのか。何もかも遅すぎたか。
とても、寒かった。そして、とても眠い。オルは吸い込まれるように眠った。




