王太子の来村 5
「…私はどうしたら、いいのだろう。」
タルナスのぽつりと漏らした言葉に、タルナスより年上の仕えてくれている大人達がしばらく黙り込んだ。
「殿下、殿下はどうなさりたいのですか、セルゲス公に対して。」
ランゲル医師の問いに、タルナスはまた涙がこみあげて来そうになった。
「…どうって。今までのように会いたいけれど、どんな顔をして会えばいいのか分からない。あんな話を聞いてしまった以上、今までのように振る舞うのは、どうなのかとも思う。でも、グイニスが忘れているのに、急に態度を変えてもおかしい。それでは、グイニスの方が勘づいてしまう。だから、どうすればいいのか、分からない。」
「…殿下。私の考えを述べます前に、して頂きたいことがございます。」
ランゲル医師が言って、クフルに薬箱から茶葉を渡した。お茶が運ばれてきて、いい香りのお茶をタルナスは飲み干した。ランゲル医師はタルナスの脈を確認し、タルナスが落ち着いたのを確認してから、口を開いた。
「殿下。今から私が述べますことは、殿下にとっては辛いことかと存じます。ですが、殿下ならばきっと成し遂げることがおできになると信じておりますので、申し上げるのです。よろしいですか?」
長い前置きにタルナスは頷いた。
「殿下、セルゲス公には、以前と変わりない態度で接して頂きたく存じます。それは、セルゲス公のためです。
殿下がその事を知られた以上、殿下にはお伝えしなくてはなりません。実はこれは患者のことを話す事になるので、他の人には他言無用でお願い致します。殿下ならばそのような事はなさらないと分かっておりますが、必ず申し上げることになっているので。」
ランゲル医師の言葉にタルナスは、カートン家は知っていたのだと気づいたが、隠していたことを怒るより、今は何を知っているのか正しいことを知る方が先だと、怒りを抑えた。
「…分かった。話してくれ。」
「我々カートン家は、三年半前にセルゲス公を診察した際に、何があったのか理解しておりました。しかし、それを十五歳にもなられていらっしゃらなかった殿下に申し上げるのは、殿下に負担をおかけすることになるので、申し上げませんでした。隠しておりましたことを、まずはお詫び申し上げます。」
タルナスはため息をついた。
「分かっている。今でも耐えられないほどに辛い。あの時に話を聞いたら、自分でも何をしたか分からない。」
「実は、セルゲス公が幽閉されていた時の記憶が曖昧なのは、私共が忘れさせたからです。」
「わ、忘れさせた…?そんな、ことが可能なのか?」
タルナスは驚いて聞き返す。
「…確実な方法ではありません。それに、それが必ずしもいいとは限りません。セルゲス公のお心の傷が深いため、そうせざるを得なかったのです。」
「そうだろう。見知らぬ男達に乱暴されたのだから。」
「確かにそれもそうなのですが、セルゲス公のお心を最も傷つけたものではありません。残念なことですが、信じていた人に裏切られたこと、そして、殿下がそうするように命じたのだと言われ続けたことです。」
タルナスは息を呑んだ。思わずまた左手で胸の辺りを握る。
「母上が…そう言っていたのだな?」
「…残念ながら。」
ランゲル医師がタルナスの表情を覗っている。他の相手ならタルナスの機嫌を伺っていると判断するが、将来の宮廷医師団長だと言われているランゲルである。タルナス自身の体調を慮っているのだろう。この左手の変な癖を改めないと、と思う。この癖のせいで余計に心配しているはずだ。
「大丈夫だ。ランゲル、続けてくれ。」
「そのような状態でも、セルゲス公は殿下を信じ続けていたのです。ですから、殿下が助けに行かれたので、セルゲス公は助かりました。もし、遅れていたら体の方はお助けすることができても、心の方はお助けすることができなかったでしょう。」
母カルーラの、あともう少しで本当に気がおかしくなるはずだった、と言った言葉の本当の意味を理解して、タルナスはうつむいた。変な癖をやめなければと思ったそばから、左手で胸の辺りの服を握りしめてしまう。
「殿下、苦しいのですか?痛みますか?」
タルナスは首を振った。
「大丈夫だ。ただ…残念だ。なぜなのだろう。母を私は理解できない。母のはずなのに、母だと思えない。敬いたくても敬えないではないか。間違ったことばかりをしているのだから。」
「殿下は大変、勇気がおありです。正義を貫くことは難しい。肉親ならば情に流されてもおかしくない。それを情に流されずに、殿下はなさろうとしておいでです。普通の人は大人でも難しいのに、殿下はその若さでなさろうとしておられる。どうか、苦しいときは我慢なさらずに、私共にお伝え下さい。私でよければいつでも、参りますから。」
ランゲル医師の態度は真摯だった。
「ありがとう、ランゲル。苦しいときはいつでも伝える。その代わり、夜中でも呼びつけるかもしれぬぞ。」
タルナスの冗談にランゲルもにっこりする。
「どうぞ、お構いなく。」
タルナスは少しだけ気持ちが明るくなった。
「よし、グイニスに会う時は、普通の態度でいられるようにしなくては。」
タルナスが自分に言い聞かせているのを、痛ましそうに三人の大人が見つめていた。




