王太子の来村 3
グイニスにやっと会える、そう思うと嬉しさを隠しきれなかった。助け出して送った後、数年ぶりに会う。今までどれほど苦労しただろう。母のカルーラをはじめとした面々が、グイニスに大量の刺客を送っている。一番最初は父のボルピスでさえ送ろうとしていたが、殺せという命令を出す寸前に捕らえろという命令を理性に従って出していた。
今はグイニスが“療養”しているという、ベブフフの所領にある別荘に行く件で、父のボルピスと母のカルーラと話をしている所だった。ほとんど両親の夫婦喧嘩で、しかも八割以上はカルーラがボルピスに口で文句を言い続けるという構図だ。ボルピスも苦い顔で黙っている。何か反論しても理性的な話し合いは無理だと、これまでの経験から理解しているからだ。
言っては悪いが、母のような女性を決して妻にはするまい、とタルナスは固く心に決めた。政略結婚といえども、もう少し選ぶ余地はあるはずだ。父のボルピスが嫌気がさして、他の女性に向かうのは仕方ないと思う。それでも、手を出し過ぎな気はするので、父のようにもなるまいとタルナスは決心していた。
「そもそも、事の発端はお前なのですよ、タルナス。」
完全に聞いていなかったが、急に自分に風向きが変わってきている。
「聞いているのですか、タルナス。」
「……。」
「なぜ、わざわざグイニスをかばい立てするようなことを…!お前のせいで八大貴族は悪者扱いです。今度もベブフフのあら探しにでも行くのでしょう。」
「別にあら探しに行くわけではありません。それに、私が行って何か不都合なことでもあるのでしょうか?行幸で私が出向いて問題がある、という方が問題では?」
「また、屁理屈をこねて…!」
カルーラは扇をばしばしと小机に叩きつけた。
「大体、お前があの時、グイニスを出したりするから、こんな面倒なことになって!もう少しで上手くいくはずだったのに…!」
タルナスは“上手くいく”という言葉に、ここに集まってから初めて母の顔をよく見た。かなり、激情しているので、黙っていることにする。何かさらに言うかもしれない。タルナスに隠していることをうっかりと。
「もう少しでもう少しで、あの子の心が壊れるところだったのに。そうすれば、こんな面倒なことにはなっていなかった…!」
タルナスは、はっとした。
「心が壊れるとはどういう意味ですか?」
タルナスの問いにカルーラは苦い顔をする。
「一体、どういう意味ですか?グイニスにあの時、何をしたのですか?」
「…なんでもない。」
「おかしいと思っていたのです。ずっと、疑問でした。ただ、閉じ込めていたと母上は仰った。父上もちゃんと食事は与え、決して殺してはならぬ、と命じられていた。確かに父上の命令は私も聞いていました。
それなのに、発見したグイニスは、憔悴しきっていた。母上がなさったことなら、食事をちゃんと与えぬ事も理解できますし、扉を叩いて泣くので、それをやめさせるために鎖で繋いだという言い訳も納得できます。
でも、疑問だったのです。なぜ、グイニスは私のことも分からなくなるほど、混乱していたのか。そして、なぜ、裸だったのか。
母上、グイニスに一体、何をしたのですか?」
カルーラはしまったという表情をしていたが、開き直って顔を上げた。
「お前も分かっているでしょう。命まではとらなくていいように、気を狂わせようと思ったのです。だから、男達に辱めさせた。」
一瞬、何を言ったのか、すぐに理解できなかった。父のボルピスの顔を見ると、眉間の皺が一層深くなったので、これは父の了承を得ずに母が独断でやったのだと推測できた。
「…母上、今、なんと?」
「だから、言ったでしょう。男達に辱めさせた。現場を見て確認せずとも分かるように、鐘がなるようにしておいたのです。」
だから、グイニスの足首には縄が結びつけられていて、鐘が鳴るようになっていたのだ。てっきり、逃亡の防止のためだとか思っていた。タルナスは母親のしたことに、衝撃を受けて何を言えばいいのか、言葉が見つからなかった。
「そこまでしたのか。」
言葉を失っているタルナスの代わりに、ボルピスが初めて発言した。
「まだ、十歳だったんだぞ。お前にはほとほと呆れる。そもそもグイニスは男だろう。それを男にあてがうなど、よくそんな男がいたものだ。」
「何を言ってるんですか!あなただって分かっているでしょう!グイニスはあの容姿ですよ?それに、あの年頃の少年が好きな男など、いくらでもおりますわ…!訳ないことでしたわよ!それに、なんですか、あなただって同罪でしょう!」
「…だが、だが、普通、そこまでするとは思わないだろう!言っているだろう、あまり、グイニスを追い詰めることはするなと…!やりすぎたら、我々の方がやりにくくなるのだぞ!」
「なんですか、それはただの言い訳でしょう、どうせ、貴族もみな我々をよく思っていないんですから、やりたいようにやればいいではないですか…!これでも、我慢したんです!あなたが、あの女の子供であっても決して殺すなと言うから、命だけは取らないで済む方法を考えたんです…!わたくし一人に押しつけたくせに何を今さら言うんですか!」
「何を言っている!お前が自ら買って出たのであろうが!」
「あなたのやり方は甘すぎるんです!やるなら徹底的にやらないと、タルナスの立場がなくなるんですよ!あの女の子供に奪い取られるんです!わたくしがやらないと、誰がタルナスの座を守るんですか!」
始まった夫婦喧嘩にタルナスは我慢の限界だった。
「とにかく、わたくしのやったことは間違っていませんわ!」
「母上、開き直らないで下さい!父上の仰った通り、グイニスはまだ十歳だったんです!なんてことをしたんです!」
とうとうタルナスは大声を出した。両親にどんどん失望していく。特に母には失望しっぱなしだ。グイニスのことを思うと胸が痛かった。どう、謝ればいいのだろう。怒ったらいいのか、悲しんだらいいのか、分からなかった。怒りたいのに涙が出てくるし、悲しみたいのに口からは笑いが出た。タルナスは泣きながら笑った。
「ははは。」
母のしたことは、グイニスにどれほどの傷を与えただろう。人間として許されないではないか。叔母が甥をそこまで辱めるなんて。
「…タルナス。お前は部屋に戻って休め。グイニスには…さすがに謝らねばなるまい。今度来たら私から謝っておこう。」
ボルピスが眉間の皺を深くしながら、タルナスに命じる。だが、タルナスは拒否した。
「…父上、お言葉ですがそのような謝罪は不要です。かえって…!かえって、グイニスの心の傷を深くします…!」
「だが、さすがにこれは…。」
タルナスは首を振った。
「……今さらなんですか、父上。さんざん、母上のなさることを黙認されていたではありませんか。」
ボルピスが不機嫌に黙り込む。
「今さら、父上のそんな謝罪は必要ありません。それとも、公にグイニスを母上が辱めるようにしたと、発表するおつもりですか…!」
タルナスは泣きながら、父親を睨みつけた。
「…もちろん、父上にはそんなつもりはないでしょう。でも、いりません!せっかく忘れているのに、思い出させる必要は無いんですから…!」
「なに、忘れただと…!?どうりで気が狂わないわけじゃ。」
タルナスの言葉に母のカルーラの方が反応する。タルナスは呆れて母を見たくもなかった。
「…私は、私はどんな顔をしてグイニスと会えばいいのです。」
「だから、言っているでしょう。会わなければいいのです。」
「母上は黙っていて下さい!もういいです!母上とは顔も会わせたくない!」
タルナスは怒って出て行こうとして、眉間の皺を深くしている父を振り返った。
「とにかく、父上の謝罪は、不要です。」
それだけ言うと、大股で部屋を出るために歩く。
「タルナス、待ちなさい、タルナス!」
「やめておけ。」
「なんですか、あなたは!あの子のことをまったく考えないで!」
母が追いかけてくるが、追いついてくる前に部屋を出た。




