ベブフフ家の使者 8
みんな戦闘にならずに済んで、がっくり力が抜けた。しかも、若様は急に冷たい態度を取り出すわ、普段静かなシークがぶち切れているわ、フォーリもさ殺気丸出しで吠えるわ、いろいろなことに驚愕していた。
ところで、残された使いの使いに話があると言った若様が、その男に体を向けた。ベリー医師が軽く診察して、心配そうにそばで見守っている。
「この者にはまだ使い道がある。それに、ベブフフが何を考えているのか、教えてやらねば。」
若様はさっきの少し冷たい態度に戻り、静かに男の前に立った。
「……な、何をするつもりだ?」
男はさっきまでの勢いはどこへ行ったのか、震えながら若様に言い返した。領主兵たちは、たった二十名の親衛隊に投降してしまった。
「案ずるな。お前には役割がある。この者の死因について、主に報告してもらう。この者の死因はこうだ。階段からの転落死。これがいいだろう。運悪く足を滑らせて落ちたのだ。なんせ、気が狂っている王子が逗留している屋敷なのだ。不測の事態が起こっても仕方あるまい。分かるな?」
一歩、若様が使いに近づいた。
「ひっ。ど、どうか、お助けを…!」
偉そうな使いの使いは、急に態度を変えて命乞いを始めた。
「だから、案ずるなと言ったではないか。お前はただ、帰ってこの者が階段から足を滑らせて落ち、打ち所が悪くて死んだと領主に報告するだけでいい。」
「……。」
ずる賢そうな男はどうすればいいのか、必死に考えている様子だった。
「確か、お前には私と同じくらいの一人娘がいたはずだ。」
若様の言葉にセリナ達だけでなく、シーク達も驚いている。
「シュリツ郊外の親戚の家に預けていたな?だが、今はそこにはいない。私の言うことがお前には分かるはずだ。」
偉そうな使いの顔が強ばった。
「ま、まさか…。」
「そうだ。お前の主である領主のベブフフが人質に連れ去った。何かあった時は、お前に罪を着せて言い逃れするためだ。お前達の任務は最初から、私の名誉を傷つけることだった。村人達を人質に取り、宴会を催させて。
そして、私に酌をさせ、それ以上にことが及べば国中に言いふらして、私からセルゲスの位を剥奪する算段だった。
そして、万一、ベブフフが手を回したと露見したときは、お前達に全ての責任を押しつけるつもりで、お前の娘を人質に取った。もし、私の言うことを聞くなら、お前の娘を助けよう。だが、これまで通りと言うなら、そのままだ。」
「……。ひ、一つ質問が。」
横柄だった男は、今や怯えきった猫のように床に這いつくばっていたが、思い切ったように質問した。
「なんだ?」
「な、なぜ…分かっていたのに、酌をすると言われたのですか?」
すると若様は微笑んだ。美しいのに冷たい微笑みだ。思わずセリナは身震いした。
「少しでも時間を稼ぐためだ。私は親衛隊長ヴァドサを信じている。彼は真面目だから、どんな事情で遅れても必ずやってくる。それまで時間を稼ごうと思ったし、お前たちの罪を確実に立証させるためでもあった。」
セリナをはじめ、村娘達はびっくりして若様を見つめた。わざとだったということ?
「……それは、村娘達を守るためですか?」
「そうだ。そのためなら、酌くらい本当にしてもいいと思った。」
いつもは幼い若様だと思えなかった。どれが本当の若様なのか分からなくなる。
「それと、なぜ…いや、どうやって私の娘を助けると仰るので?お言葉ながら、セルゲス公のお味方は、あまりいらっしゃらないかと存じますが。」
先ほどとは打って変わって、丁寧な物言いになっていた。
「フォーリがニピ族なのは分かるだろう。踊りの方は知らないが、私を助けてくれるニピ族はフォーリ一人ではない。私が言えるのはこれだけだ。」
「……。」
「言っておくが、お前に残された時間はあまりない。サプリュから知らせが入っている。従兄上がここに来られる。どういう意味か分かるな?お前達がしようとしたことを従兄上に報告したら、どうなるか。
ベブフフも当然知っているから、周到に罪を着せる相手を用意しておいたのだ。」
男が息を呑んだ。
「私にはこういう選択肢もある。お前も殺してベブフフが罪を着せる相手を消すこと。だが、ベブフフは八大貴族だ。言い逃れする道はいくらでもあるだろう。」
「も、もし、協力できないと言ったらどうされるのですか?」
「別にどうもしない。ただ、帰すだけだ。お前は後で私に下心を抱いたとして罪に問われ、お前が殺された後、お前の娘も同じように殺されるだろう。私がベブフフなら、お前の家族を生かしておかない。どうするかは、お前次第だ。」
みんな目を丸くして、若様を凝視していた。これが同一人物なのだろうか。
「私はあまり待てない。体調も悪いし、何より村娘達を無事に家に帰さなくてはならない。」
若様は玄関前の広間の飾り棚に置いてある砂時計を手に取った。
「これが落ちるまでに決断しろ。」
若様は、軽く肩で息をする。本当は物凄くきついのではなかろうか、とセリナは若様の様子をうかがい見た。若様の突然変わった態度に驚いていたが、よく見れば顔色はとても悪い。本当はすぐにでも横になりたいのかもしれない。フォーリがそっと若様を支える。
じきに砂時計の砂が落ちきった。男は黙ったままだ。
「落ちたな。お前の返事はどうだ?」
「……。」
男は返事をためらっている様子だった。
「そうか、分かった。残念だ。」
若様はそう言うと、踵を返した。若様の動きは一つ一つが綺麗で優雅だ。そんな些細なことでも、本当に育ちが違うのだと実感してしまう。
「ま、お待ち下さい…。待って下さい!」
男の声に若様が振り返った。
「セルゲス公の仰せの通りに致します。ですから、ですから、どうか、娘をお助けください。」
男は床に平伏した。その声は微かに震えている。若様はゆっくり男に近づいて、しゃがんだ。肩に手を置いて静かに告げる。
「分かった。きっと、お前の娘と家族は助けよう。」
若様はフォーリを見上げた。
「フォーリ。よろしく頼む。」
フォーリは頷くと、部屋から出て行った。そして、じきに戻ってくる。一体、何をどうしたのか、さっぱり分からなかった。
「…恐れながら、私は一体、何をしたらよいのでしょうか?」
若様は柔らかく微笑んだ。
「大丈夫、簡単なことだ。ベブフフの内情を教えてくれればいい。馬車に乗ったらフォーリが連絡先を教える。」
「な、内情ですか?しかし、私は……。」
「知っている。お前はベブフフに重要な仕事を任せられている訳ではない。だから、秘密を探れ、などと難しいことは言わない。ただ、日常の生活といつもと違うことだけ、教えてくれればいい。」
男がほっとした顔をした。
「はい、分かりました。」
「それでは、運悪く階段から落ちた男を連れて帰ってくれ。その男の家族には、私からの悔やみの言葉を伝えておいて欲しい。」
男は頷くと立ち上がって外に出た。外に待機している領主兵を男は呼んだ。兵士達は執事の遺体を運び出した。男はさらに汚れた床も掃除させた。死んだため尿が漏れ出していたのだ。
横柄な態度の男は、やればそれなりに仕事ができるらしい。まったく違う動きで仕事をしたため、セリナは心底驚いていた。
やがて、男は若様にたいそう丁寧に挨拶をすると、領主の兵士達と共に早々に帰っていった。




