盗み聞き 3
「!」
セリナは危うく声を出すところだった。ジリナが言うとおり、背中が傷跡だらけだ。一体、何の傷跡だろう。矢傷の赤黒くなっている三カ所の傷が可愛く思えるほどだ。その傷跡は濃い桃色をしていて、最近治癒したのだと分かる。
何か長いもので叩かれたのだろうか。妙な傷が背中じゅうにある。その上、よく見れば左側の方には、何かが突き刺さって引き裂かれたような傷跡があった。
「助かります。」
ベリー医師はジリナから布を受け取った。
「ところで、ジリナさん、この傷跡が何か分かりますか?」
ベリー医師は淡々とジリナに聞いた。
「……分かります。」
珍しくジリナは少しためらってから、答えを口にした。
「鞭打ちの刑の跡です。若い頃に、見たことがあるので分かります。ですが、親衛隊の隊長が受ける刑ではありません…!一体誰がそんなことを…!」
「ジリナさん。」
今まで黙っていたシークが口を開いた。
「仰るとおり、私は親衛隊の隊長です。このようなことがおできになるのは、お一人しかいません。」
「!」
セリナにも分かった。当然、ジリナもその言葉で分かっていた。
「…国王様ですか?しかし…前代未聞ではありませんか?一体、何の罪で?ヴァドサ殿がそんな重罪をおかすようには思えません。」
よほどのことなのだろうか。ジリナが珍しく心底驚いている。
「ジリナさんが思うとおりですよ。この人に言わせたら、陛下が仰るとおり、罪があると言ってしまうでしょうけれど、早い話、あの時点で罪を犯した者を罰することができなかったから、代わりに適当な人物として、ヴァドサ隊長が選ばれて、鞭打たれたと思えばいいでしょう。」
「……ベリー先生、ちょっとそれは…。」
シークが苦笑している。
「……なるほど。分かりましたよ、なんとなく。あの頃、確かお隣のノンプディ家の所領には、若様の他に八大貴族の半分がいました。ヴァドサ殿を鞭打って、本当に心を痛めるのは、二人。若様とそして、ノンプディ家のご当主。ノンプディ家のご当主が、ヴァドサ殿に懸想して言い寄っていると、噂になっているという話を知っています。」
シークがぎょっとしたように、ジリナを振り返った。
「さすがですね。よくご存じだ。新聞を買っているんですか?買うとけっこう、馬鹿にならないでしょう?値段が。」
ベリー医師の言葉にジリナは頷いた。
「ええ、新聞を商人が来た時に買っているんですが、田舎で情報が遅いでしょう。まとめて半額以下で売ってるんですよ。わたしは三者の新聞を買っているんですが、ほとんどただで貰うかわりに、蜂蜜を割安で商人に卸すんです。商人はそれを街に行って、高値で売ります。」
「ああ、なるほど。それで、ジリナさんの読みの続きを話して下さい。」
ベリー医師に促されて、ジリナはさらに話を続ける。
「おそらくノンプディ様は、ヴァドサ殿に本気だったのでしょう。だから、見せしめに鞭打った。それに、若様にもこういう警告であったはず。ヴァドサ殿は優しいお方のようですから、慕ってはならないと。親衛隊の隊長と必要以上に親しくするな、という警告だったかと。
さらに言えば、うちの領地のご領主様は、トトルビ様と競争するようにノンプディ様に言い寄っておられたそうですから、それが無視された上に、若様の護衛でやってきた親衛隊の隊長に懸想したので、恨み神髄だったと思います。鞭打たれれば、ノンプディ様が余計にヴァドサ殿に思いを寄せてしまうため、嫌だったはずです。
ただ、トトルビ様は意味を分かっておられなかったかと思われます。どうも、少し足りぬお方のようなので。新聞を読んでもそれが伝わってきます。
最後に少し解せないのが、レルスリ様です。あのお方のことはよく分かりません。どうして、ヴァドサ隊長を鞭打って、あの方に対しても見せしめになるのか…。」
さすが母のジリナは何でも知っている。セリナもへー、とジリナの話を聞きながら感心した。今までだったら、都のこんな話なんてつまらないと思っていたのに、今は本当に面白い。というか、関係がある人達が目の前にいるのだ…!
しかも、鞭打ちの刑とかお話の中でしか知らなかったようなことが、次々と出て来る。
「ジリナさん、答えは簡単ですよ。」
ベリー医師が頷いた。
「大きな声では言えませんが、レルスリ殿もノンプディ殿と同じく心から思っていて…。」
「ベリー先生、何を言ってるんですか!?」
シークが慌ててベリー医師を止めようと、服の袖を引っ張った。顔色が青ざめている。
「二人で彼を分け合う仲なんですよ。」
「!」
ジリナがさすがに手を口元に当てて絶句した。セリナも絶句した。途端に心臓がドキドキして来る。
(ちょっと、ちょっとどういうこと…!?隊長さん、モ何とかが男だけど男が好きな人にもモテるって言ってたけど、本当だったの!?)
そうなれば、バムス・レルスリは男女両方の愛人がいるのだろうか!?
「先生!ベリー先生、ひどいです、何でそんな嘘を言うんですか!?」
シークが半分、泣きそうな声で抗議している。
(分かるわ、だって、そんな秘密、誰にも知られたくないもの。絶対に嘘ってことにしておかなくちゃ。)
セリナはうんうんと頷いた。
「…く…くくく。」
ベリー医師が笑い出した。
「さすがのジリナさんも騙されましたね?」
どういうことよ、とセリナは戸口の方から思わず身を乗り出した。
「今の冗談です。嘘ですよ。」
「!先生、ひどいですよ、その冗談!先生が真面目に言うから、信じかけたじゃないですか!?それに、ヴァドサ殿にも悪いですよ…!悪い冗談です…!」
「本当です、先生、なんて嘘を言うんですか…!」
ベリー医師はジリナとシークに抗議されても笑っていた。
「…いやあ、ちょっとこの人にお灸を据えようと思いましてね。無茶ばっかりするから。この鞭打ちだって、無理だって言ったらきっと、陛下は別の罰にしたはずなんですよ。
しかも、何回くらいなら耐えられるか陛下に聞かれて、罰として打つのだからできるだけ多く叩くべきだと答えたらしく、陛下も困り切っていました。」
ジリナの目が点になった。
「…なんと馬鹿真面目な。」
思わずジリナは言ってしまってから、はっとしている。
「…とにかく、鞭打ちの刑は大変だったでしょう。刑罰用の鞭は特別製で、皮膚が破れて血肉が飛ぶように作られていると聞いています。十回でも背中じゅうが血まみれでした。
刑吏の腕によっては、同じ所ばかり叩かれて肉がえぐれてしまい、二十回ほどでも、普通の生活に支障が出るほどの後遺症になることもあると聞いたことがあります。」
ジリナは話題を変えるように言った。
「さすがジリナさんはよくご存じで。ほら、シーク、君はね、よーく反省しなさい。いつも危険なことばかりやって。フォーリが無謀だと思っていましたが、あなたは案外、その上をいっている。十八回も鞭打たれたんですよ。
そもそも、今のジリナさんの話ですが、元気な人での話。あなたはあの時、毒を二回も飲んでいて、しかも一つは私も初めての調合の猛毒で、今もあなたを苦しめている毒でフラフラしていたんですよ。
鞭でどうして死ぬんだろう、みたいな顔してますが、直接的にそれで死ななくても、鞭打たれているうちに痛みに耐えられなくなり、心臓発作を起こしたり、脳の血管が切れて死んだり、刑の跡の傷が化膿してそれが原因で死ぬこともあるんですからね。現に君は十八回目で気絶したんでしょうが。二十五回も受けたらどうなっていたか。
とにかく、反省しなさい。」
ジリナの横顔を見ても、ベリー医師の話で血の気が引いたのが分かった。セリナもびっくりしていた。気絶するまで鞭打ちの刑を受けたのだ。しかも、その前に毒を飲んでいたなんて。若様を狙うならまだしも、どうして、親衛隊の隊長が狙われるのだろう。そこからして分からなかった。
「でも、だからってあの嘘はひどいですよ、先生。」
シークは抗議しているがベリー医師は無視して、傷薬を背中の傷に塗っている。




